学校説明会



ヒガスミ通信

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 このページでは、筆者によるヒガスミの様子や、在校生の励ましのメッセージ「子楽夢(ko-ra-mu)」を掲載しています。


平成23年3月3日(木)第54回卒業証書授与式を挙行しました


寒の戻りで再び肌寒くなった1日でしたが、すがすがしい空気の中、卒業式が行われました。 ご多用の中、たくさんの来賓の方、保護者の方がご参列くださいました。どうもありがとうございました。 卒業生たちの言葉を聞いていると、3年間とても充実した時間を過ごせたことがよく伝わってきました。今日からまたあらたな世界へと飛翔してゆく卒業生たちに幸多きことを祈っています。
卒業証書授与教育委員会からの表彰状を受けとる朱くん
気持ちのこもった答辞笑顔で退場

3月10日(木)本校校長室にてチャリティ100劵泪薀愁鵑諒膓眤D莠阿行われました


生徒会長より募金を贈呈

今年度で4回目となるチャリティマラソン大会は、年々盛り上がり、今回生徒会執行部及びボランティア部が中心となって集めた募金は何と40万円を遙かに超えました。
アジア最貧国であるネパールの子どもたちへの就学支援を目的としたこの活動は、支援NGO団体「ラルパテの会」の代表の方に確かに手渡されました。
集まった額の大きさもさることながら、こうした経験を通じて、生徒たちが地域社会とつながり、感謝の気持ちを心から感じ、人間的に大きく成長できていることが大きな成果であると痛感します。一人一人の感想からは、借り物ではない、確かな手応えのある達成感・充実感が伝わってきました。本校の教育方針の中に「あらゆる機会に鍛錬し‥」という一節があるのですが、デスクワークだけでは得られない、貴重な学びの場が東住吉高校にはきちんと用意されています。
しっかりとした口調で
感想をしゃべる生徒たち
取り組みの成果について
話す富田教諭


 春。1年の中で最も変化が多い季節。54期生も過日の卒業式で巣立っていった。3月の異名は「弥生」。旧暦と今では、ひと月あまりのズレがあるので、昔の弥生は今の4月中旬になるが、「弥生」とは、「いやおい」のつづまった語で、「いよいよ(草木などの新しい生命が)生い茂る」ということだ。去る者がいれば、来る者あり。「別れ」は同時に「出会い」を意味する。
 晩唐の詩人、于武陵の「勧酒」の結句、「花発多風雨 人生足別離」を作家の井伏鱒二が次のように訳している。
「ハナニアラシノタトエモアルゾ(花に嵐のたとえもあるぞ)サヨナラダケガ人生ダ(さよならだけが人生だ)」
 「さよならだけが人生だ」このフレーズを初めて見たとき、何とも寂しい言葉だなと思った記憶があるが、突きつめれば人生そういうことなのかもしれない。親しい人との別れをたくさん経験すればするほど、きっとこの言葉は実感を伴ってくるのだろう。
 「別れ」は確かに寂しく、時として痛みを伴う。しかし初めに言ったように、「別れ」は新しい「出会い」を連れてくる。別れを惜しみながらも、新しい出会いに胸を膨らませること、そして一つ一つの出会いを大切に思うことが人間には大切だと思う。「一期一会(いちごいちえ)」は、古くから言い尽くされた感もあるが、この季節、改めてこの言葉の重みを再確認するのである。
 昨日まで当たり前のように隣にいて、一緒に笑ったり話したりしていた人と、次の日からもうパッタリと会わなくなる。想像すると実に寂しいことが現実には当たり前に起きる。こんなことなら、もう少し仲良くしておけば良かったとか、思いやりのある言葉をかけられたら良かったとか、そんな後悔も実際には多いものだ。「後悔先に立たず」とは、よく言ったものだが、私自身は「後悔する」ことをさほどネガティブには捉えていない。後悔の無い人生なんてありえない。もしあったとしたらそれはずいぶん傲慢な生き方ではないか。
大事なのは、「後悔しないこと」ではなくて、「自分に言い訳をしないこと」そして「他人のせいにしないこと」だと思う。
 自分が大事に思っていること、感動したことを中心に、ヒガスミ生への励ましとして、この「子楽夢」をこれまで綴ってきたつもりである。私が伝えたことは、自分自身がすでにできていることではなく、むしろ自分自身がこうありたいという願いそのものであったかも知れない。
 春はもうすぐそこまで来ている。新しい出会いに満ちた春である。最後に私の大好きな写真家、星野道夫さんの言葉を添えて終わりとする。

「人生はからくりに満ちている。日々の暮らしの中で、無数の人々とすれ違いながら、私たちは出会うことがない。その根源的な悲しみは、言いかえれば、人と人とが出会う限りない不思議さに通じている」

「結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味を持つのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である」