10周年・20周年 アーカイブ

10th Anniversary · 20th Anniversary Archive

創立10年の歩み

日根野高校での思い出

第2代副校長 藤本 恭作

 着任時、「おはようございます」という元気な生徒諸君の声と、清清しい白亜のF型校舎に迎えられ、高揚した気分になったことを今でも思い出します。  平成2年3月、本校第一回卒業式を挙行しましたが、府立高校で最後の新設校の卒業式ということで多くのマスコミの取材があり、晴れやかな顔の生徒諸君を送り出すことができました。  平成3年には、先生方の御協力を得て、次年度から外国語コースの設置を決定することができました。
 昨年は念願の「大阪府立日根野高等学校」として独立を果たされ、今ここに、学校立地条件を生かし、益々発展、充実されんことを祈念しています。
 振り返ってみますと、後続の新設高校ほど教育状況が困難な中にあって、本校は創立以来順調なすべり出しをみせ現在に至っていますが、それをみるにつけても、大月校長、大谷初代副校長先生を中心として、学校の基礎づくりに大きな役割を果された地域の方々、歴代のPTA会長さんを始めとするPTA組織の方々、夜遅くまで真摯な努力を続けられた先生方、真面目で礼儀正しい生徒諸君等の皆様方に、心から感謝申し上げます。

(創立10周年記念誌より)

校訓・校章・校歌・制服

 平成7年4月1日、大阪府議会の決定を受け第157番目の大阪府立普通課程高等学校として日根野高等学校は独立しました。大阪府立高等学校としては最も新しい学校の誕生でした。決定を受けてから半年足らずの間に、校訓・校章・校歌・制服を各検討委員会が中心となり、職員・生徒の協力を受け、大車輪の奮闘の結果、素晴らしいものが生まれました。

◎校訓
三浦一二三校長と発案により、時代に左右されることのない愛情あふれた校訓が生まれました。
《自立・共生・友愛》 
7期生の保護者の皆様より卒業記念品として、この校訓の刻み込まれた石碑をいただいています。

◎校章
校章検討委員会の呼びかけにより、校内及び卒業生に広く公募を呼びかけ、多数のデザインが寄せられました。全職員による検討の結果、日根野校の女子のセーラー服の胸元の花文字をモチーフにした、本校教諭中原浩育先生のデザインによる校章が誕生しました。

◎校歌
校歌検討委員会の呼びかけにより、職員に歌詞の公募を呼びかけ、数点の作品が寄せられました。全職員による検討の結果、本校教諭屋敷剛延先生作詞による歌詞に決定しました。1番から3番までに校訓である《自立・共生・友愛》を配し、簡明で現代的な歌詞になりました。作曲は本校教諭松田恵先生が担当し、伸びやかで歌いやすい素晴らしい作品に仕上がりました。8期生の保護者の皆様より卒業記念品として、校歌の刻まれた彫金製銅版をいただいています。

◎制服
制服検討委員会が中心となり、「機能的で明るく現代的かつ経済的なもの」を短い期間の中で集中して作り上げました。職員の協力はもとより、生徒の若い感性を反映させるため、ファッションショーの形で生徒達のニーズを大胆にくみあげ、生地・縫製にいたるまで細部にこだわった制服が生まれました。寒暖による個々人の調整が容易なようにと男女共ブレザーを採用しました。スクールカラーの緑を基調にブレザーは濃緑に、合服を兼ねたベストは白のニット、そしてブレザーとベストには新校章をあしらったエンブレムをつけ、男子のズボンは濃緑、女子のスカートは濃いエンジのチャック柄とトータルで現代的な制服が生まれました。

(創立10周年記念誌より)


1期生の修学旅行

元・本校教諭 尾﨑 宗弘

 日根野高校創立10周年、誠におめでとうございます。早やもう10年になるか・・・と感慨を新たにしています。思えば府立高校最後の新設校として開校した年より3年間、学校創りの一員に加えていただき、数々の良き思い出を持つことが出来ました。中でも印象深いのは1期生の壱岐への修学旅行です。
 当時は大抵スキー修学旅行が中心でしたがめったに行けない離島へと、大谷副校長の発案だったと思います。壱岐での4日間の体験学習は、島の人々との温かい交流の連続でした。民宿で生徒の貴重品の保管をお願いすると、主人に島には泥棒は一人もいないと叱られたり、島の路線バスに生徒が忘れたカメラを夜遅く、そのバスの運転手さんが届けてくれるなど、離島ならではの厚い人情にふれることが出来たのです。その圧巻は、最後の夜、ファイアーストームを囲んでのフォークダンスに興じていた時、女生徒の一人がコンタクトレンズを落とし、司会生徒が即、マイクで動きを中止させ、全員四つん這いになり探したのです。島の人の車のライトとファイアーに照らされた芝生のグランド・・・かなりの時間が経過し、私はとても不可能なことだと思い込んでいた矢先、奇跡的に見つかったのです。その時の大歓声、女生徒は感激した涙声でみんなにお礼を言って最後に「私はこのことは一生忘れません。」と、そして大拍手が、今更のように思い浮かびます。これぞ体験学習の神髄を深く心に刻まれた思い出です。
 日根野高校の益々の発展を祈念しております。


(創立10周年記念誌より)

*編者注:壱岐への修学旅行は1~3期生、8~11期生が体験しました。        

4~7期生:志賀高原スキー 12~19期生:北海道 20期生:台湾(台北)
21~22期生:北海道 23期生:軽井沢スキー 24期生:北海道
25~27期生:沖縄 28期生:北海道 29期生:沖縄


校外美化活動

元・本校教諭 高木 正弘

 初代副校長、大谷志津雄先生の発案により、勤労体験の一環として、生徒の通学路を清掃してみようという事になり、実施要項に従い、各学期ごとに年3回、全生徒が1回ずつ参加して、学校から日根野駅前まで清掃活動を実施しました。

(創立10周年記念誌より)


*編者注:校外美化活動は大阪府道路協会からの表彰を受け、下記のような新聞記事として報道されました。そして現在でもボランティア部の清掃活動として引き継がれています。

地域美化に協力道路功労者表彰  府立佐野高校日根野校

学校をあげて地域の美化に取り組んできた府立佐野高校日根野校(代表、藤本恭作・佐野高副校長)が今年度の道路功労者に選ばれ、23日、府道路協会(会長、原曻・岸和田市長)から表彰された。
同校は昭和62年の開校以来、各学期ごとに年3回、全校生徒が1回ずつ参加して府道土丸栄線など通学路の清掃活動を行い、道路環境美化に貢献した。
この日午前11時から大阪市中央区の大坂キャッスルホテルで行われた表彰式には、高木正弘教諭らが出席。副会長の平峯悠・府道路課長から表彰状が授与された。
この日は同校のほか、豊中市・千里東町自治会連絡協議会など地域美化に尽力した府下の3団体、個人3人も表彰された。

平成2年8月24日 産経新聞朝刊

開校当時の思い出

元・本校教諭 森田 勝視

 昭和61年、年の瀬も押し迫った頃、初代副校長である大谷志津雄先生から日根野校へのお誘いがあり、私は24年間勤めた佐野高校を去り、本校にお世話になるに至ったのであります。
 日根野校の開設準備室が佐野高校にあったこともあり、1年生の学年主任を兼ねながら、夕方5時頃から11時頃まで毎晩日根野関連の仕事をしたことが今も忘れられない思い出となっております。また、忙しい中にも新しい学校を創ると云う事で、全員が意見を出し合い和気藹々として楽しく仕事をした事を覚えています。その議論のなかで今も続いている蕎原の宿泊研修、少なくとも月一回行う何らかのテスト(実力テスト、宿題テスト、定期考査等)、各学年共行う学期に一回のレクリエーション的な学校行事と云う様な柱が62年2月頃に出来上がり、その後、具体的な検討を重ね、今日に至っているのであります。
 日常生活では清掃とあいさつの励行を創立当時から生徒達に指導しており、教員も率先して実行しており、お陰で、今も校舎は府下一と云っていいほどきれいに保たれ、入学する生徒の成績は年々上昇し、前途洋洋とした日根野高等学校になってきたと自負する次第であります。

(創立10周年記念誌より)

*編者注:新入生の宿泊合宿(大阪府立少年自然の家)は、和泉葛城登山も含め、
     2008年22期生まで続き、その後は和歌山県日高川での校外学習へと引き継がれています。

     

耐寒登山、何故行くの?

元・本校教諭 南 政治

 2月の耐寒行事。開校1年目は1期生だけのクロスカントリー。2年目は2学年そろって紀泉アルプスの登山を計画したが、前夜からの雨で道が荒れ、当日、山中渓にて点呼を取っただけで中止。結局、耐寒登山として紀泉アルプスコースを使ったのは開校3年目が初めてだった。佐野高校が使ってきたコースを一部変更して阪和線六十谷駅へ下山するコースを設定したが、途中の要所には佐野高校の伝統?を模して、赤いリボンをつけて生徒を誘導した。この赤いリボン、佐野高校出身や勤務経験有りの先生方には懐かしいもの。日根野高校にも伝統?として引き継がれ、今も道しるべは赤いリボン。赤いリボンに導かれて歩く生徒達の顔。嫌々登らされているのではなく、たまにはしんどい山道もいいじゃないか。上からの見晴らしもいいし、弁当も美味いし、それより、しんどいことをしているときにはその人の人間性が良く見えるということを、何人ほどの生徒が気付いてきただろうか。

(創立10周年記念誌より)

*編者注:紀泉アルプスを中心とした耐寒登山は、2002年2月まで行われました。


百人一首歌留多大会

元・本校教諭 島崎 英夫

 高砂や松竹梅に鶴亀・・、結婚式披露宴の席にはあらず、書道練習用の黒い毛氈48枚のひとつひとつに付した試合場の名称である。厳寒の1月、それでなくとも冷え込む体育館内。しかし館外に漏れ聞こえる朗詠の声と喚声・歓声に寒さに萎縮した風情は窺えない。
 冬休みに国語科の宿題として課される「百人一首」の暗唱、その成果を試すための教科内行事として初年度から発足したこの会も、2期目には教科の壁を越え、学年すべての先生方が「百人一首」の歌々への思いを綴ってくださったり、5首ずつ分担で詠唱してくださったり、なかには密かに授業を潰し練習させてくださったりで、学年行事として大いに盛り上がりを見せることになる。優勝クラスはわが1年7組。個人優勝は島田隆志君。以後、日根野校年頭の行事として定着してゆくが、優勝クラスはたいてい国語科教員の担当クラスであった。カルタなんて子どもじみたことを、と呟きつつも不思議に熱中するひとときでした。

(創立10周年記念誌より)

*編者注:カルタ大会は現在も1年生2年生それぞれの学年行事として大いに盛り上がる。


保健室から見た日根野高生徒

元・本校教諭 岩崎 福代

 平成3年4月着任早々数人の生徒が、保健室に入ってくるなり、「先生ハト高から来たんけ。」という言葉に、一瞬戸惑いを感じながら、何とここの生徒は人懐っこいのかなと思ったものです。数年が過ぎても変わらず、時にはあまりにも無礼な言い方に腹が立ち大きな声で怒ってしまったことも多々ありましたが、こんな一面もある生徒にも出会いました。無関心、無感動なる子供ばかりと勝手に思い込んでいた私ですが、ある日来室した生徒から「先生この部屋に入ったらホッとするわ。緑がいっぱいあるし、僕も観葉植物や花が好きや。」と云ってくれ、私は共感してくれた生徒にたちまち喜んでしまったことを。
 植物図鑑を見て好きな鳥の絵を描いていた生徒、友達同志うまくいかず悩んでいた生徒、好き勝手にしゃべって出ていく生徒等。ひょっとしたらこの保健室で安らぎを感じてくれている生徒もいたのかもしれません。いつまでも素朴で人懐っこい日根野高生徒であってほしいと願っています。

(創立10周年記念誌より)

*編者注:日根高生気質は創立以来変わらない。人懐っこく、お人良しで、ほっこりと、優しい。


人権啓発読書感想文発表会

元・本校教諭 岡田 八千代

 本校創設時より継続されている行事は多くあるが、人権啓発読書感想文発表会もその一つである。童話教育推進委員会と国語科が中心となり、担任や学年団の協力を得て実施している。
 人権啓発読書感想文の提出が、1~2年生全員対象の夏休み恒例の課題である。その佳作をクラスから1~2点ずつ選出し、10月頃のホームルームの時間に体育館で学年毎に発表会を開く。
 人権に関わる問題について、より広く深く考える機会とするためであることは言うまでもないが、生徒同士が意見をたたかわせる場の極めて少ない傾向にある今日に、せめて同学年の生徒内で、考えを述べたり聞いたりする機会を作りたいというのも、この行事のねらいの一つである。聞く方はよく耳を傾けて受け止めているようである。また、発表者にとってもいい経験になっているようである。今年も10回目の発表会を持つ予定である。

(創立10周年記念誌より)

*編者注:人権啓発読書感想文発表会は、現在も継続実施されている。