教諭からの寄稿

Contributions from teachers

日根野高校20期のころ

20期教諭 坂口 公男

 10年前、玄関前庭の桜はまだ体育館への渡り廊下の高さには成長していなくて、花のころはちょうど足下に淡色の花の絨毯という様子でした。志願倍率2倍を超える難関を乗り越えて20期生はこの中を誇らしげに入学しました。ほんの10年で、今、桜は目の高さまで成長し、時の流れを実感します。
 時々にそれぞれ記憶に深く刻まれていることがらがあり、その谷間の印象は、少しあやふやなこともあるけれど、特に思い出されること――20期生を迎える新学年団最初の会議で、日根野高校も二十歳になるのだから、この節目のときに、何か新しいことにチャレンジしたいという話し合いがもたれたこと。そして担任6名なかで一番若い先生に、若さと体力?でしっかり動いてもらおうと学年主任をお願いして、「新しいこと」には日根野高校史上初の海外修学旅行計画が決定され、動き出したことです。もちろん国内説も強力だったけれど、合議の結果、初の海外にということになったのでした。ちょっと意外だったのは、その海外修学旅行の主担者として比較的年配の先生が手を挙げられたことでした。行き先を台湾にしぼり、業者を決定し、下見にも行き、たくさんの写真など資料を持ち帰って見せてくれ…と精力的に活動なさっていた、その先生が夏休みに体調の不調を訴えられ、そして二学期から休職され、年明けには不帰の人となられたのは本当に衝撃でした。実験好きの理科の先生でした。その遺志をついで、台湾修学旅行を成功させねばと皆が思ったことでした。幸いだったのは、日根野高校では、現在もですが、中国語講座が開講されていて、ネイティブで元アナウンサーの先生に講師をお願いして、ほんの少しではありましたが、生徒全員で事前学習として中国語の発音から簡単な会話や習慣などを教えてもらうことができたことでした。
 修学旅行のこともう少し詳しく書きたいと思います。十年前、台湾では総統選挙を控え、その結果では中国と台湾の関係が変わるのではと危惧される中、当時の政府としては「台湾」の存在を世界に知ってもらいたい思いで海外からの修学旅行生の受け入れを国挙げて行っていました。高温多湿、過剰な歓迎行事、連日の中華料理など生徒諸君には随分と大変な旅行だったかもしれませんが。
 6月19日(火)旅行1日目。10時関空発。11時45分桃園国際空港着。日本の梅雨時とは比べ物にならない大変な高温多湿。乗り物や建物の中はエアコンが効き、外気との落差があまりに大きかったことを思い出します。  6月20日(水)旅行2日目。故宮博物館見学。午後は学校間交流。中歴高級商業職業学校は大変な歓迎をしてくれました。しかし宿舎は虫が出たりシャワーの調子が悪かったりと散々でした。
6月21日(木)旅行3日目。この日は風光明媚な街を大学生と散策。マンゴージュースやソフトクリームなど美味しかったのを思い出します。宿舎もサンワールドダイナスティホテル。生徒たちも大満足でした。ただ昼間の飲食が悪かったのか、腹痛や発熱の生徒が続出し大変だったのを思い出します。
6月22日(金)旅行最終日 台北101の見学。展望台まで全員上りました。帰りの飛行機では少々羽目を外してしまい、客室乗務員にきつく注意を受けました。今思い出しても大変な旅行でしたが20期生の一つの糧になってくれたと信じています。 そんな20期生も3年生になると顔色を変えて自分の進路を真剣に考え始めました。面接練習や模擬テストなど乗り越えて卒業式には全員晴れ晴れとした顔で巣立っていきました。