校訓揮毫によせて 書道科 早崎公男(高20期)
本校校長室の前に「剛毅」という横書きの額がかかっている。日下部鶴風の雄勁豪快な書である。しかし、この書にはなぜか文字の前後の余白が少なく、不自然な感じがしていた。なにより、もう一幅あるはずの誠実が失われてしまっているようである。「誠実」は果たしてどんな書だったのだろうか。これが長年心の中で引っかかっていた。この書の作者は創立時こ国漢と習字を教えておられた桑山兼山先生である。それ以外のことはわからなかった。ところが、記念誌の編集に携わっているうちに、今中5期生の同窓会誌「ももそひと」という本に出会った。
「ももそひと」は同窓会誌という域を超えた立派な本である。この本の中に印刷は荒いが、初代の「誠実」と「剛毅」の対幅の写真が出ていたのである。(写真左)
長年気になっていたものが、こんなところにあったと少し興奮した。意外にも「誠」の字のゴンベンは草書風に書かれてある。「剛毅」の額しか見ていないので、完全に楷書体の作品と思い込んでいた。それにしても「誠実」はいつの時代になくなってしまったのだろうか。

その後自彊会長の芳鐘氏揮毫の「誠実剛毅」と第7代神津校長によって戦後新しく校訓に加えられ揮毫された「和親協同」の横額が一対で旧校舎の講堂正面に掲げられていた。昭和22年頃のことであるから、戦後すぐのころには初代の「誠実」の額はすでに失われていたのではないか。
このまえ、古田自彊会長から百周年の記念に校訓の揮毫を依頼され、拙いながら私の作品を本校玄関靴脱ぎのところの壁面に掲げさせていただいた。厚かましくも、3代目の「誠実剛毅」ということになるのか。当初は楷書で大きなものをと考えていたが、桑山先生の作品には及ぶべくも無いので、結局、隷書で縦書きの聯形式で創らせていただいた。(写真右)これを書くに際して初代「剛毅」の額を調査したところ、裏に明治41年5月29日調製。揮毫者 本校教授嘱託桑山國五郎氏。大正2年3月8日再表装。昭和38年2月20日改表装とあり、創立3年目に書かれ、2度にわたって表具を仕立てて直していることが分かった。ここにきて、やっと謎が解けた。不自然な余白はおそらく改装のたびに前後と上下を少しずつ切ったためであろうと。当初は「ももそひと」にあるようにゆったりと余白を取った作りであっただろう。「誠実」の方は相当痛んでしまって、最初の改装にすら耐えられなかったのではないかと推測する。