隔週定時制の記録

 昭和41年4月、泉州地域の地場産業である織物・紡績工場で働きながら学べる学校(隔週定時制 家政科)としてスタート。当初、大阪府下の4校(横山・和泉・泉南・貝塚)に隔週定時制が設けられましたが、他の3校が閉課程してからは、府下の隔定は本校のみという時期がありました。
 家政科なので、「家庭」に関する科目を多く履修し、食物調理技術検定(4級〜2級)、被服製作技術検定(4級〜2級)も実施していました。

・2交替勤務制で勤務している人を対象にした学校でした
  ですから、受検時には2交替勤務の証明書が必要でした。
・生徒は仕事と学業を両立させて、この表のような生活を送っていました。

第1週目

第2週目

午前9151125

学校

午前9151125

仕事(6001330

午後310730

仕事(2001000

午後310730

学校

 生徒は貝塚及び岸和田市内の織布・紡績会社で2交替勤務(寮生活)につきながら通学していました。生徒が従事していた2交替勤務とは、午前6時から午後1時30分までの「早番」勤務と午後2時から午後10時までの「遅番」勤務が週毎に交替する勤務形態でした。たとえば、第1週目が「早番」であれば、第2週目は「遅番」、第3週目は「早番」となります。
 「早番」勤務の場合は、午後3時10分から午後7時30分までの定時制の授業を受けていました。「遅番」勤務の場合、水・木・金の3日間、府立桃谷高等学校が提供する通信制の授業を本校で受けていました。
 定時制の授業を、隔週毎に受けることから、他の定時制と区別して隔週定時制と呼ばれていました。
 生徒は、忙しい日々を過ごしていましたが、経済的にも、自立した充実した毎日を過し、4年間で卒業していました。
 卒業後は会社に残る生徒もいましたが、専門学校や看護学校などへ進学した場合もありました。 
・生徒のほとんどが大阪府以外の出身者
 九州・四国出身者が生徒の大部分を占めていました。学校では、いろいろな地方のお国言葉を聞くことができました。