教育資料 兵庫県南部地震      HOMEへ

              大阪府教育センター科学教育部理科第二室地学

1.はじめに

 平成7年1月17日午前5時46分、淡路島北東の明石海峡の海底付近を震源として発生した「兵庫

県南部地震」は、死者5,502名(平成8年12月26日現在、6,425名)、負傷者4万1千人、被災者

31万人、その他多大な被害を出し、関東大震災以来の大災害をもたらした。この地震の災害名は

「阪神・淡路大震災」と命名された。

 近畿地方には大きな地震は起きないということが長年いわれてきたこともあって、地震に対する備

えが十分ではなかったために、被害が大きくなったことは否定できない。

 もとより日本列島は世界的にも大きな地震帯に位置していて、大小様々な地震が古くから発生して

いることは、過去の地震資料がよく示している。今回のような大震災を体験した限りは、学校におい

ては、この地震ということに目を向け、授業の中で何らからの対応をしていくことが必要ではないか

と考える。

 この資料は、1995年兵庫県南部地震における被害状況、揺れを起こした断層、そして、いくつか

の貴重な教訓などをまとめたものであるが、さらに、これまでに起こった近畿地方の被害地震や地震

に関する基本的な事項なども加え、できるだけ広範囲に理解できるようにした地震教材である。

 

2.日本における主な地震災害

 まず、我が国で、1923年(大正12年)以降に発生した地震の中でも、災害の大きかった主な地震

をあげてみる(表1)

 この表から、兵庫県南部地震の犠牲者及び倒壊家屋の数は、関東地震に次いで2番目に位置し、大

都市直下型地震が如何に大きな被害をもたらしたかがわかるだろう。

 日本付近の地震の多くは太平洋側に発生していることは、よく知られている(図1)。1990年

(平成2年)以降でもマグニチュードが7以上の大きな地震はすでに5回あり、この図で黒く塗って

示した。今回の兵庫県南部地震もその一つである。

 最近になって日本各地で内陸性の地震が発生しており、「日本は大きな地震の活動期に入った」と

いわれている。日本列島は、北米プレート、ユーラシアプレート、太平洋プレート、フィリッピン海

プレートなど4つのプレートからなり、これらの相互作用により古来から地殻変動が続いている。当

然、地震の発生も続き、世界的にも地震の多発帯になっている。

 

3.近畿地方の活断層

 “地震の化石”ともいわれている断層の中でも、第四紀(約200万年前)以降に活動した証拠が

あり、将来も活動の可能性がある断層を活断層といっている。近畿地方には、この活断層が多く分布

している。この地方の活断層分布の特徴は、北西-南東や北東-南西などの方向を示すものと南北方

向を示すものがあり、前者は主に横ずれ断層で、後者は逆断層であることが多い。いずれも東西方向

の圧縮力でできた断層である(図2)

◇地震の震源とその付近の名称 ◇ (図3)

 ◇ 断層について ◇ (図4) 

 ◇ 活断層について ◇ 

   一般に、最近の地質時代、すなわち、第四紀といわれる約200万年前から現在までの間に、

  繰り返し活動し、将来も活動が予想される断層のことを活断層といっている。4)

  活断層では、時々微小地震が発生することもあり、このことも活断層であることの証拠になって

  いる。日本全体では約1500余りの活断層が知られており、とりわけ近畿地方には多く分布して   

  る。兵庫県南部地震以降、この活断層が多くの人から注目されるようになった。

 

4.近畿地方の被害地震

(1) 被害地震の分布

 ここに示す被害地震の分布は、近畿地方の各府県およびこの周辺海域に発生した地震で、当然近

畿地方に被害を及ぼした地震で、684年から1995年までに発生したものである。ここでは、地震計

がまだ存在しない頃の地震で古文書の記載にある被害地震で震央とマグニチュードMとが決められて

いる42個と、地震計の記録がとれるようになってからの25個も含めた67個の被害地震を、理科年表5)

及び日本被害地震総覧6)から取り上げてある(図5)(表2)。地震計が利用されるようになった

のは西暦1900年近くなってからである。

 図5の被害地震の分布図では、マグニチュードMの大きさによって円の大きさを変えて示した。

M≧8の地震は、ほとんどが東海沖─紀伊半島沖─四国沖の海域に、ほぼ東西方向に沿って分布。

8>M≧7の地震は、近畿一円に分布。

7>M≧6の地震は、琵琶湖─大阪・奈良の県境付近─和歌山県、とほぼ南北に分布。

6>M≧5の地震は、ほとんどが和歌山市付近に分布。

 陸と海の大きな差を見ると、陸上のほぼ全域にMが8以下の、太平洋側には東西方向にMが8以上

の多数の被害地震が発生したことがわかる。

 各震央の◯の中の数字は表2の左端の欄につけた番号に対応する。

(2)発生年代とマグニチュード

 近畿地方に発生した被害地震の発生年代順に、各地震のマグニチュードMの大きさを記入してみ

るとマグニチュードMが8クラスのものは、約100年から150年の間隔で発生していることが分か

る。◎は海底地震で、マグニチュードMが8クラスのものが多い(図6)

 図5と図6で、太平洋側の東海─南海沖で発生したマグニチュードMが8をこす巨大地震のいくつ

かは、短期間に2つ続けて発生していることが読みとれる。しかも、必ず最初は東海沖に発生し、続

いて南海沖に発生している。1096年永長の地震と1099年の康和の地震、1854年の安政東海地震と

1854年の安政南海地震、1944年の東南海地震と1946年の東海地震の3組がこのよい例である。こ

れらのペアーを双子地震ともいっている。

 ◇ 古地震について ◇

   まだ地震計のない時期に発生した地震を古地震と呼んでいる。地震計が使用されだしたのは 

  1900年頃からなので、それ以前の地震ということになる。古地震に関する資料は、奉行所など

  が残した書類、日誌、文筆家の小説や日記などの、いわゆる古文書で、これに記載された場所や

  被害の状況などを手がかりに決められたものである。従って、この決定の精度は地震計の記録か

  らのものよりは当然低い。

   同じ地震に関して可能な限り多数の資料を集めて被害状況を調べ、被害を「気象庁震度階級」

  にあてはめて、被害の程度を震度という数字に直して、その該当地域の地図に記入して震度分布

  図を作成する。この時、ある震度以上の揺れ(地震動)を与えた地域の面積Sとマグニチュード

  Mとの関係を示す実験式が得られている。8)

   いま震度が4以上である地域の面積をS4(km2)とすると、マグニチュードMとは次の関係 

  がある。

          log104=0.82M−1.0 ------------ (1)

  この(1)式よりMが求められる。

   さらに、ここでの面積S4の形が円であるとみなして、(1)式より求めたMから、この円の半径

  R4(km)を求める関係式もでている。

          log104=0.41M−0.75 ----------- (2)

   初めの面積S4の形をこの面積に等しい円とみなしたときの円の中心が震央の位置になるが、

  この正確な決め方については、萩原の文献を参照してほしい。震央とは、震源の真上で地表と交

  わった地点で、この地点を緯度経度で表している。ただし、この地震の発生源となったと推定さ

  れる断層が確認される場合には、この断層の位置が重視されることは当然である。震度が5以上

  の場合についても計算式が求められている。

 

   このような方法で求められたマグニチュードMと震央は、地震計の記録から求めた値よりは当

  然誤差は大きいが、現時点ではこれが最善の方法として利用されている。なお、古地震の震源位

  置の決定精度については、必要な資料の入手ができていないのでふれないでおく。

 

5.兵庫県南部地震 (震災名:阪神淡路大震災)

(1)地震データ

   ・ 日 時 : 平成7年1月17日 午前5時46分52秒

   ・ 震 央 : 緯度 北緯34度36分

            経度 東経135度03分

   ・ 深 さ :     14 km

   ・ マグニチュード : 7.2

   ・ 最大震度 :    7  

 

 人口の密集した大都市の直下に発生した地震(直下型地震)。しかも、これまで無かった震度7

(激震)という最高震度の揺れの地域が帯状に広がり、多数の死傷者がでた上に、ライフライン、建

物、道路など広範にわたって壊滅的な被害をうけた。

 近畿地方は日本でも活断層の多い地方である。とくに、阪神地区では大阪湾を囲むように、淡路島

から神戸、宝塚、生駒山、金剛山、和泉山地などが位置し、これらの山麓はもちろん、平野部には多

数の活断層が分布している。

 今回の地震は六甲山系に属する活断層の活動により、淡路島北西部の野島断層の北東の海底に発生

した。このすぐ西側には80年前の1916年にもM6.1の地震が発生している(図7)。

(2)被害状況

 被害は14府県にわたって発生したが、これらの府県の被害状況をまとめたのが表3である。さら

に、広範囲にわたった被害の項目と簡単な説明が中林によって報告されているので、それを掲載して

おく(表4)。これだけに限らず、被害は多方面にわたっている。

(3)建物の被害

 図8は、神戸市内の建物の被害を、建物の推定建築年が1971年以前のもの、1972年〜1981年の

もの、1982年以降のもの、と3段階に分けて示してある。日本の建築基準法が1950年に制定され 

てから1971年および1981年の2回にわたって改定されたが、これらの改定時期を境にして建てら

れた建物の被害に差がでているのがよく分かる。被害の程度にもいくつかあるが、中でも、1971年

以前に建てられた建物に倒壊または崩壊、そして、大破などが目立っている。

 今回の地震による被害は、これまでに体験しなかった震度7という揺れによるところが大きく、建

築基準法はさらに改定が必要になっている。

(4)阪神高速道路3号神戸線の被害

 阪神高速道路3号線は、全長39.6kmの道路で、1970年の大阪万博に間に合わせるため、昭和41

年から45年にかけて順次共用が開始された。この区間では、橋桁1,075本のうち611本が損傷し、

そのうち150本は撤去が必要になった。

 この高架橋は、景観を配慮したピルツ構造にした道路で、延長約850mあり、18本の橋脚とコン

クリート桁が一体になってつくられていた。このピルツ構造の部分でも神戸市東灘区深江付近が

635mにわたって倒壊した。南北方向の強い揺れによって、この道路が北側へ屏風状に倒壊したので

ある(図9)

 この高架橋の倒壊については、以下のような3つの要因が上げられている。

 a.重いコンクリート橋

 この倒壊橋の道路橋の構造形式は、PC(プレストレスト・コンクリート)ゲルバー桁で、この形

式は3号線ではこの区間のみである。この構造形式はドイツで多く採用され、ピルツ橋ともいわれて

いる。ピルツとは、ドイツ語で“きのこ”の意味で、橋脚と橋桁が一体化した構造がきのこのような

形になっている。この構造形式は、自動車の走行時の騒音や振動が軽減されること、また同じ型枠を

何回も使用できることから工費も安くなる、などの特徴がある。しかし、コンクリート特有の重さか

ら、今回の地震の水平の加速度が400ガル以上(震度7に相当)という強い揺れに耐えられなかった

といわれている(図10上)14)

 b.鉄筋の不足

 この橋脚は直径が3.1mの円形断面の鉄筋コンクリート製で、直径が35mmの主鉄筋が約180本入

り、この主筋を束ねる横方向の帯鉄筋(直径16mm)が20〜30cm間隔で巻かれている。現在の耐

震基準では、橋脚下部の帯鉄筋の間隔は10〜15cmになっている(図11)

 c.段落とし

 鉄筋コンクリート製単柱橋脚の鉄筋がバラバラになったことは、地上から数mのところにある段落

とし部の構造的弱さを示している。橋脚は、下部ほど強くするために鉄筋を多く入れてあるが、上部

になるほど次第に鉄筋を少なくしてある。この鉄筋量を少なくした部分を段落としといっている(図

12)。この段落としは、橋脚にかかる力が小さいところの鉄筋を省く工法で、コストを抑える方法

として設計指針に認められている。今回この部分に破壊が多く発生した。

 ピルツ型高架橋の崩壊過程を推定して描かれたものを図13に示す。

(5)震度分布

 地震直後発表された各地の震度を図14に示す。同じ震度に注意して見ると、震度6の洲本と神

戸、震度5の京都と彦根、震度4を示す地域などが南西─北東方向に分布して、揺れの大きな所が方

向性をもっていることがわかる。ただし、豊岡が震度5を示すのは、この豊岡という観測点は、これ

までの有感地震でも周辺より高い震度を示すことが多く、揺れやすい地点の一つであるという理由に

よる。このような地域を異常震域といっている。

 地震の発生源である断層という破壊は、断層面全体が同時に起こるのではなく、ある1点から始ま

り次々と広がってゆき、あるところまできて終了する。この破壊が始まった点が震源である。

 破壊の進行速度は、S波の速度の8割程度と考えられているが、破壊が進む方向にあたる地域で

は、次々に進む破壊に伴う衝撃が重なり合って、特に強く揺れる傾向がある。今回の地震では、明石

海峡付近から始まった破壊が北東に進行したが、この破壊の前進による強い震動がこの方向に大きな

被害をもたらしたことが、この震度分布からも推定できる。

 【震度7の領域と余震の震央分布】

 気象庁は、各地の震度(図14参照)を発表した後で、現地調査によって震度7というこれまでに

はなかった最高震度の地域を決めて発表した。このように現地調査により詳しく震度分布を決めたの

は、日本では初めてである。図15は、震度7の領域とマグニチュードが3以上の余震の分布を示し

たものである。17)

(6)破壊過程の概略

 横浜市立大学の菊池氏によれば、世界の約20点の地震観測記録を使って計算した今回の地震のメ

カニズムは次の通りである(図16)18)

 淡路島北部付近をスタートした破壊@はまず北東─南西方向に進んだ。割れ目の通った跡には1.5

〜2.5mのくい違い(右横ずれ断層)が生じた。さらに、この北東の端で、折れ曲がったり、枝別れ

したりして北東に進行した。これが断層AとBである。断層Aは逆断層であり、断層Bは断層@と同

じ右横ずれ断層であるという。断層が拡大していく速さは毎秒2〜3kmで、これら3つの断層がで

きるのに要した時間は11秒余りである。 

(7)余震の分布

 一見でたらめに起こっているように見える地震も、時間的・空間的に群をなしていることが多い。

大きな地震に先がけて小さな地震が起こることがあるが、このような地震群を前震、主役の大地震を

本震という。多くの場合は本震に引き続いて、本震の近くに多数の小地震が起こる。この地震群を余

震といっている。

 本震である大地震が地下での急激な断層(震源断層)で発生すると、断層面の周辺では、岩石にか

かる力の状態が変化する。これを調整するためにこの断層面に沿うように多数の小地震(余震)が発

生する。この性質を利用して、余震の分布から地下の震源断層の状況を推定することがある。

 今回の地震では、前震が前日に数回あったことが報告されているが、何といっても多いのは本震後

の余震である。余震の平面分布では、本震を通る北東─南西方向に細長く帯状に分布しているのが大

きな特徴である(図17)。本震の北西側では余震が少なく、この南西の淡路島側の広がり気味の余

震分布に対して神戸側の分布では北東ほど幅が狭くなるような傾向が見られる。参考のために記入し

た震度7の地域とは一致していない。本震と余震の分布を東西断面と南北断面とでも眺めてみるとよ

い。余震の殆どが本震よりも浅いところに発生していることも分かる。

(8)余震分布の立体模型

 この余震の分布図は、観測した機関によって多少の差はあるが、ここでは余震の立体感を出すため

地下の断面図まで発表された京都大学防災研究所地震予知センターの資料を利用する(図18)。こ

の図にも震度7の地域を記入してある。

 この地下断面図の取り方にも2種類あり、余震分布の主軸(または長軸)の方向とこれに直交する

方向の場合、もう一つは地理学的な南北方向の断面と東西断面をとる場合である。ここでは後者の方

を使う。この図18を利用して、この大きさの厚紙に糊で貼りつけ、切り取り線にそって切る。後は

のりしろのところを貼ればよい。平面図だけよりも上下(深さ)方向における分布の特徴をつかんで

ほしい。

(9)震度7の揺れを起こした理由

 震度7の揺れで家屋の崩壊が多かった地域を図19の(a)に黒く塗りつぶして示したが、ここでは本

山第一小と神戸商船大までの南北の幅約1kmの間も被害が多く分布している。同図は南北方向が東

西になるように90度左回りに回転してある(向かって左が山側、右が海側)。20)

 この大きな揺れを明らかにするために、この神戸市東灘区付近の地下構造を人口地震の反射法探査

によって調べた。その結果、基盤岩が南側に2段階で1,000mも落ち込んだ逆断層構造がわかった

(図19(c))。21) この地下構造、すなわち、神戸市の山麓から平地にかけて断層によって南側が急

に落ち込んだ地下の構造が、地震波を市街地の狭い範囲に集中させ、阪神大震災で震度7の「震災の

帯」をもたらしたというのである。21)

 地震の波は基盤岩から地表に向かう実体波(P波とS波)と、地表に達してから地表面を走る表面

波がある。山側は地震波の伝わる速度が速い岩盤が地表近くまで達しているので、地震波は早く着

く。一方、中央部では伝達速度が遅い柔らかい地層(堆積層)が厚いため、地震波の到達に時間がか

かり、山側からの表面波と重なって地震動が増幅する。海側では表面波の到達が遅れてさほど増幅し

ない。

 こうした仕組みに表面の地盤の状態などを加え、各観測点の揺れの速度を計算した。揺れのピーク

はJR東海道と阪神の約500mの区間で現れた(図19(b))。この結果は、揺れが大きくでるという以

前の余震観測からの結果ともほぼ一致した。

 図19の(b)と(c)にある神戸薬科大、本山第一小、福池小、神戸商船大の実際の位置関係は、図19

の(a)に示すように一直線上にはないが、地下構造の断層モデルは、これらの地点の中間を通る東西

方向の地下構造である。

(10)加速度の観測値

 今回の地震ほど加速度値が多数得られたのは珍しい。加速度は地面の揺れの際の力を示すものとし

て最近は多くの観測点で計られるようになってきた。最も大きい加速度は神戸海洋気象台(神戸市中

央区)の値で、南北:818 ガル、東西:617 ガル、上下:332 ガルである。この中で、南北方向の

加速度は818ガルと重力の加速度(980ガル)に近い値である。ただし、1ガル=1cm/sec2であ

る。

 図20は、強震計で観測された最大加速度の分布である。22) 図16に見られる北東─南西方向が示

す震源断層の方向に沿って加速度は大きく、400ガルを越える値を示している。震源から北東方向の

延長線上ではかなり遠くまで大きな加速度が観測されている。この現象は、大阪から京都にかけては

淀川に沿った沖積層の地盤であることや、この付近の断層運動に伴う地震波放射の特性などが考えら

れる。神戸市から西宮市に至る地域でも400〜600ガルもの強い揺れを記録している。この地域は地

震発生直後に気象庁が現地調査して発表した震度7(激震)の地域と一致している。

 ◇地震計の種類 ◇

   地震計は多種多様であるが、ここでは3種類の地震計について述べる。

   地震の発生によって、地面を伝わる揺れ(地震動)では、地面が変位(ずれ)としての振動だ

  けではなく、変位に伴い地面が振動する速度や揺れの向きなどが変化するときの加速度が発生し  

  ている。加速度が働くから、当然として慣性力が発生し、時には建物や地面に被害がでることに

  なる。地面の揺れの変位を観測する地震計を変位型地震計、速度を観測するものを速度型地震

  計、加速度を測定するものを加速度型地震計(または強震計)と呼ぶ。一般に教科書で説明され

  ているのは変位型地震計である。今回の兵庫県南部地震では、これまでになく多くの加速度の観

  測値が得られた。地震計の記録を見る場合には、地面のどの揺れのどれを記録したものかに注意

  しなければならない。地震動の変位、速度、加速度のいずれを観測するかによって地震計の種類

  も異なる。地震計の心臓部である振り子(重り)、バネ、減衰器からなる振動系の中で、とくに

  バネの強さと減衰器の減衰定数に違いをもたせている。詳しくは専門書23)を参照してほしい。

 ◇ 震度 ◇

   誰でも電車に乗って、発車の時や停車の時、後方または前方に倒れそうになったことをよく経 

  験する(図21)。物体に加速度が働くことにより力が発生することは、物理で学習するニュー 

  トンの第二法則:「運動の法則」で知られているが、地震動の伝播時もこの加速度が地盤に伝わ

  り、建物を振動させている。この時の力が慣性力である。

   いま物体の質量をm、加速度をα、慣性力をFとすると、

          F=mα ---------------------------- (3)

  質量のmを一定とすると、慣性力Fは加速度αに比例する。電車の中で体験した目に見えない力

  はこの慣性力なのである。24)これが建物に被害を及ぼす地震力でもある。震度階級の中に加速

  度が入っているのは、この関係が一つの目安になっている。もちろん、加速度の数値だけでは震

  度は決められない。

   震度とは、各地点の揺れ(地震動)の強さを表す尺度(スケール)である。体感や周囲の揺れ

  方、被害の状況を気象庁の震度階級に合わせて0から7までの数値で表す。表6は、従来まで当

  直の観測員が有感地震後に震度を決めるのに使っていた震度階級である。25)

   気象庁ではすでに上述の震度とは別に、1991年から計器観測による震度「計測震度」で発表

  する方法をとっている。計測震度Iは地震動の最大加速度α、そして周期tなどから求めてい

  る。26)

          I=2logα+log(kt)+ 0.7 ----- (4)

       I=0〜7(四捨五入して整数値とする。ただし、右辺が0.5未満のときは

             I=0、6.5 以上のときにはI=7とする)

       α:加速度(ガル=cm/sec2

       t:周期(sec)

       k:係数(k=3)

   現行の震度階級と新しい計測震度の対照表は表7に示すとおりである。

   これまでの「気象庁震度階級表」にかわって「気象庁震度階級関連解説表」が1996年2月        

  に発表されている(表8)。従来の震度階級は0から7までの8つの段階に分かれていたが、新

  しい震度階級では0から7までの数字は同じではあるが、その中で、震度5と震度6がともに2

  つに分けられ、震度5強と震度5弱、震度6強と震度6弱となり、結局10の段階に分けられた

  ことになる。各震度ごとに人間をはじめ、屋内、屋外などの状況の解説を入れ、従来の震度階級  

  よりもきめ細かく作られている。

   すでに、全国の市町村単位で計測震度計が設置され、観測がはじまっているので、地震が発生

  すればこれまでもより多くの場所の震度が発表されることになるだろう。平成8年4月からは、

  有感地震の発生後には、各地の震度として計測震度計で観測した値が発表されるようになってい

  る。

  マグニチュード ◇

   地震の大きさ(規模)を表す値。地震一つに一つの値が決められる。マグニチュード(記号 

  M)を決める方法にはいくつかあるが、ここでは気象庁の観測網で現在標準型の地震計として稼

  働している59型の変位地震計(倍率=100)の記録を使って求める方法を述べる。ただし、震 

  源の深さが60kmよりも浅い地震についての求め方である。この場合には次の計算式を使う;5)

            M=logA+1.73logΔ−0.83 ------- (5)

  ただし、Aは地震記録の水平動2成分の振幅の最大値の合成値、Δは震央距離である。

   3成分ある記録の中で、水平動の2成分(南北動成分と東西動成分)を使い、両者とも記録の

  最大振幅、すなわち、水平動2成分それぞれの最大の揺れLN-S、LE-W(両者とも必ずひと続き

  の山と谷)を読みとる(ここではmm単位で読みとる)(図22)。そして、別々に2で割り、さ

  らに、倍率で割る。この倍率は記録を入手するときに確認しておく。得られた2つの値AN-S

  AE-Wを2乗して加え、平方根に開く。これを最大振幅として、ミクロン(μ)単位で表す(た

  だし、1000mm=1μ)。

            A=√((AN-S2+(AE-W2)   (μ)

   さらに震央距離Δには、気象庁の発表値を使う(単位はkm)。

   これらのAおよびΔの値を前出の(5)式に代入して計算すればマグニチュードMが求められ

  る。マグニチュードMの値は、小数点以下2桁目まで計算し、2桁目を四捨五入して小数以下1

  桁目までにして表す。

 【 実際の地震の記録からマグニチュードMの計算例】

 地震の記録:ここでは今回の地震ではなく古い記録であるが、記録が鮮明で読み取り易く、各種条

件が分かっている記録を使う。29) 1977年9月8日徳島県と高知県の県境に発生した小さな地震

を徳島地方気象台で観測したもの。発表されたマグニチュードMは4.6で、震源の深さは20km。こ

こで使う記録は、各気象台に設置されている59型地震計によるもので、倍率は100倍である。

 3成分の記録のうち、南北(N−S)成分と東西(E−W)成分の2成分を使う(図23)。この

記録は、最初の5秒間は揺れの小さいP波、その後には揺れの大きいS波が鮮明に出ている。読み取

るのはこの中の最大振幅(揺れ)であるから、当然S波の方になる。したがって、S波の最大振幅(

2成分;LN-SおよびLE-W)を決めて読み取る。揺れには多少の円弧ひずみがあるが、ここでは無視

し、mm単位で読み取ることにする。計算は関数付き電卓を利用して行うこと。

 | 最大振幅の合成値Aを求める
成分
最大振幅の大きさ

L(mm)

a=L/2

(mm)

A=a/100

(mm)

A(μ;ミクロン)
N−S成分
N-S (52.0)
N-S (26.0)
N-S(0.260)
N-S(260)
E−W成分
E-W (21.5)
E-W (10.8)
E-W(0.108)
E-W(108)

これより2成分の最大振幅の合成値Aは、

         A=√((AN-S2+(AE-W2) = 281.5 ミクロン  

 } 震央距離    震央距離Δ = 45.2 km(気象庁が発表した値)を使う。

 以上のようにして得られたA=281.5 ミクロンとΔ=45.2 kmを式(5)に代入する;

         M=log(281.5)+ 1.73log(45.2)−0.83

          = 4.483

Mは、小数点以下2桁目を四捨五入して、小数点以下1桁目までを表すので、M=4.5 となる。気象

庁発表の M=4.6 は各観測点で求めたMを平均した値であり、ここで得られたMと一致しなくても

よい。このようにマグニチュードMは、地震の記録を使って求められている。

 ◇ マグニチュードとエネルギー ◇

   マグニチュードMが地震本来の規模の大小測る目盛りである以上、この値と震源から波動と

して送り出される地震のエネルギーEとの間には、何らかの関係がなくてはならない。これまでに

何度かの改訂がなされる中で、一つの地震のマグニチュードMと震源から発生した地震波のエネル

ギーE(単位:erg、エルグ)との間には、次の関係式が求められている。5)

         logE=11.8 +1.5 M ------------------ (6)

 上で求めたマグニチュード M=4.5 を式 (6) に代入して、エネルギーEを求めると

         logE=11.8 + 1.5 × 4.5 = 18.55

         ∴ E = 1018.55 = 3.5 × 1018 エルグ

が得られる。

 式(4)を使って、いくつかのマグニチュードMからエネルギーEを計算すると表9のようになる。

また、式 (6)の関係をグラフで表すと図24のようになる。

 【問題】 兵庫県南部地震(M7.2)のエネルギーEを求めてみよ。右のグラフも参照。

(11)地震記録 

 次の記録は、神戸海洋気象台における変位の南北、東西、上下などの各成分の記録である(図

 25)

(12)揺れの軌跡

 @ 軌跡の求め方

 ここでは、今回の変位の記録の中で水平の2成分(南北成分と東西成分)の記録を合成して水平面

での揺れを描いてみる。すなわち、揺れの軌跡である。地震の記録からの揺れの大きさを読み取る方

法はすでに報告しているが、30) 同一時刻での各成分の揺れの大きさを読み取ることを正確に行えば

よい。図26は、南北成分の記録と東西成分の記録から、この水平面での揺れの軌跡の描き方を示した

ものである。

 A 神戸海洋気象台における揺れの読取値

 南北、東西、上下の3成分の記録の揺れの大きさを0.1秒間隔で読み取ってある(表10)

 B 水平面での軌跡(合成値、図27

 表10で、時刻が5時46分56.4秒P波の揺れが始まったとして59.1秒まで読み取っているが、揺

れが小さいので図27には記入していない。この後の59.2秒では、3成分とも揺れがちょうど0に

なっているのと、これからS波の揺れが始まっていると判断したことから、図27にはこの59.2秒か

ら記入してある。

 原点Oから北西方向に揺れだしたS波の大きな揺れは約19cm程になり、Eの点で急旋回して原点

の近くのIの点に来る。ここからは大きく右回りに先のEの点をかすめるように次第に南東方向に進

み、この長さも原点からは約19cm程になる。神戸海洋気象台のある地点が水平で最大約40cm近

く、ほぼ北西─南東方向に揺れたことが分かる。◯の中の数字は表8の順番の欄で時刻が59.2秒か

らの順番であり、この数字に0.1をかければ、原点からの経過時間を表す。例えば、Eの点は0.6秒に

なる。

 

6.活動した断層

(1) 震源断層の動き

 今回の地震に伴って地表に現れた明瞭な地震断層は、淡路島北西部の野島断層である。この北方延

長では、明石大橋の中央で右ずれに動き、対岸の神戸方面に走った。しかし、神戸側では地表での明

瞭な地震断層は認められず、断層は地表にまで達しなかったらしい。18),31) 野島断層のような、

地震時に地表に現れる断層を総称して地表地震断層と呼んでいる。これに対して、地下深部で地震を

発生させる断層を震源断層と呼び、地表地震断層と区別している。 

 今回の兵庫県南部地震の震源断層のメカニズムについて、5章では菊池氏による震源モデルを示し

たが、ここでは別の解析例を述べてみよう。東京大学の地震研究所の吉田真吾氏によると、まず、明

石海峡の地下14km付近で震源断層の一部が最初に破壊し始めた。この点が震源☆である。 ここから

断層面の破断は、北東の六甲山麓方向と南西の淡路島方向との2方向へそれぞれ進行した。(図28

の ロ、ワ)。32)

 明石海峡から広がった破壊のうち、南西の淡路島側へ延びたものロは、長さが24km、幅が1km

の断層面が想定された。断層面は東へ75度傾き、右横ずれで、断層の東側が隆起する上下の変位を

示した。これは今回の野島断層の動きと適合した運動と見ることができる。

 もう一つの明石海峡から北東側に広がった破断ワは、六甲山麓を通って、長さ36km、幅が16km

の震源断層を形成した。この断層は図28の右下に示したように、西に85度傾斜し、右横ずれで、六

甲山の隆起と調和的な北西側の隆起が想定され、実測によって確かめられている。

(2)野島地震断層

 今回の地震でもっとも顕著に地表にずれが現れた断層が淡路島北西部の野島地震断層である。この

断層は、地震前から知られていた活断層(野島断層)で再活動したものであり、今回の地震に伴って

動いた断層を正確にはとくに野島地震断層という。

 北淡町の江崎から海岸に沿って南西方向に進み、富島付近までの約10kmの区間、ほぼ連続して山

地と丘陵を境する急斜面の基部にずれが現れた(図29)33) この地域には関西新空港の埋立用の

土砂を採取した採土場跡が多数あるが、断層は、その一部で大阪層群を削って平坦な造成地化したと

ころ(同町小倉)(図30上)を横切り、明瞭な段差を出現させた。最大の変位は、北淡町平林(図30下)

で、右横ずれの量が1.7m、南東側上昇量が1.3mにも達した。全体として右横ずれの断層で、上下方

向では南東側が上昇している。

 野島断層は、山地を構成する基盤の花崗岩と、鮮新世から中期更新世(およそ300万〜数十万年

前)に堆積した大阪層群とを境する断層である。山地の尾根の上にも大坂層群が分布して平坦な地形

をつくっている。もともと低地に厚く堆積した大阪層群の分布高度が大きく異なっていることは、同

層が堆積した後、この断層の運動によって、300m以上も上下にくい違ったことを示している。従っ

て山地西縁の急斜面は断層運動でつくられた崖、断層崖なのである(図31)34)

 野島断層のある北淡町平林地区では、これまでの野島断層の動きによって段丘面が切られた低位段

丘が見られる(図32)35)ここでは約2万年前にできた低位段丘面(L面)が断層のところで南東

側(山側)が9.5m高くなり、さらに段丘崖は右に20mずれている。これを基準として、今回の地震

の起こる前から、野島断層の平均変位速度は、鉛直方向に約0.5m/103年、右ずれ方向に約1m/

103年と見積もられていた。35)

 地震後の野島断層のトレンチ調査によれば、野島断層は約2千年前に動いたらしい。今回の断層の

ずれの量が約2mというのは、野島断層の平均変位速度と調和的であり、野島断層はこのような大地

震を何度も繰り返して、山側を隆起させながら右横ずれに動いてきたことを物語っている。

(3)野島地震断層近くの円形井戸の変形 

 野島地震断層の走る北淡町野島蟇ノ浦において、地震断層の付近に位置する家庭用井戸が変形して

いるのが見つかった(図33A、B、図34)。変形は‘ひずみ楕円’状をなし、しかも深さとともに変

形のパターンが規則的に変化する。この井戸の変形は野島地震断層の右横ずれ運動に伴う圧縮によっ

て形成されたと考えられ、横ずれ断層に伴う変形構造の例として紹介する。なお、井戸の敷地にあっ

た木造家屋は地震により全壊した。

 井戸は深さ3.6mで、7段のコンクリート製円環が積み重なっている。そのうち最上部の円環は地

上にあり、変形していないが、地中の6段の円環は各々が4箇所の割れ目によって楕円状に変形して

いる。変形した井戸の円環の実測図を図35aに示す。これは7段の円環の上面の内壁の輪郭を平面図

に表したものである。地中の6段の円環は上部のものほど大きく変形している。非変形のコンクリー

ト製円環の一つの大きさは、内径76cm、外径86cm、コンクリート厚5cm、高さ58cmである。最

も変形の大きい地中1段目の内壁は、‘楕円’の短軸(4つの割れ目の、それぞれ向かい合う2つを

結ぶ線分のうち短い方)の長さが50cm、長軸(同じく長い方)の長さは96cmで、短軸の方向にも

との円環の約2/3に圧縮されている。

 向かい合う割れ目を結ぶ方向は全ての円環でほぼ同じで、短軸の方向は、ほぼN80゜E、長軸は

N10゜Wである。短軸の方向(N80゜E)は最大圧縮主応力(σ1)の方向であり(白矢印)、長軸

の方向(黒矢印)は最小主応力(σ3)の方向を示している。

 変形した井戸の模式的な立体図を図35bに示す。変形した井戸の円環のそれぞれについて、向か

い合う割れ目を結んだ短軸と長軸の長さを楕円のそれとして近似し、変形した円環を楕円柱として描

いた。

 変形した井戸の位置は、井戸の北側の断層の南端と、南側の断層の北端を結んだ線分の方向(ほぼ

N40゜E;これは野島地震断層の一般的な走向でもある)の真上にあり(図34)、井戸の直下に地

震断層の存在が推定できる。変形した井戸の直下をN40゜Eの地震断層が走ると考えると、この断層

の右横ずれ運動によって、井戸に東西方向の圧縮力と南北方向の張力が働き井戸の変形が生じたと解

釈できる(図35a)。

(4)今回の地震での神戸付近での活断層の動き

 神戸付近で明らかになった震度7の分布の帯に関連して、地震直後はその地下に、今回の地震で動

いた活断層が存在するのではないかという推論もあった。しかし、この震度7の帯は余震をあまり伴

わないこと、また、この震度7の帯に直接対応する明瞭な地震断層は認められなかったことなどか

ら、その存在は否定的になった。

 しかし、今回の調査で生じた亀裂の中には、震度7の帯とは一致しないものの、系統的な変位を示

すものも報告されている。37) 図36は六甲山地東麓の既存の活断層およびその延長上の市街地で変

位が確認された断層の分布を示す。これらの変位量は、淡路島の野島断層に比べて1桁小さく(ほぼ

10cm以下)、しかも、その連続性も人工構造物の影響を受けてよくないが、系統的に北東─南西方

向のものは右横ずれ、それと共役な関係にある西北西─東南東方向のものは左横ずれを示す。こうし

たことからこの報告では、地下での震源断層の変位が神戸側でもきわどく地表に達していた可能性が

高いと考えている。

 

7.大阪府内の被害状況

 大阪府の各市町村ごとの被害は、表11の通りである。この表で、大阪市と豊中市は人的にも物的

にも被害が大きく、続いて、池田市、吹田市、高槻市、茨木市、箕面市、東大阪市、堺市、守口市、

高石市などが目立っている。

(1)被害の発生地域

 大阪府内の被害発生の地域は、図37に示すように活断層といわれる北部の仏念寺山断層及び大阪

府内にある上町断層とを境にして、その西側の部分である。建物の被害は、地盤の液状化や側方流動

に伴って発生しているが、そうでなければ断層の近傍に多い。旧河川の地域にも発生している。39)

(2)都市の地下構造と地盤の特性

 今回の地震で被害が集中した地域は、海岸の埋立地や旧河川などの人工地盤で、おびただしい液状

化や側方移動、地滑り、そして大規模な亀裂などが発生した。さらに、断層の近傍に被害が集中し

た。多くの被害が断層の直上ではなく、相対的に落ち込んでいる側に狭く帯状に分布している。すな

わち、地盤そのものと地下構造によって大きな影響を受けたといわれている。

 日本の主要な都市は、沖積平野からなる若い地層の上に形成されて発展してきている。この沖積平

野は分厚い軟弱地盤で構成され、増幅作用、フォーカシング現象などの深刻な問題をかかえている

(図38)

(3)軟弱地盤による増幅作用

 地下深部の硬い岩盤を伝わってきた地震波は、上部の沖積層のような軟弱な地層に入射するに従

い、波の屈折により、進行方向が鉛直方向に近くなってくる。同時に軟弱な地層では波の速度が遅く

なり、この遅くなった分、エネルギーは揺れの振幅の方にまわり、揺れが増幅することになる。さら

に、波が硬い層から軟らかい層に透過するとき、反射を表面層内で繰り返すことにより、一層増幅さ

れる(図39)

 表面の軟らかい地盤の厚さをH、地震波のS波の速度をVSとすると、主として増幅する地盤の振

動周期Tは

             T=4H/V --------------- (7)

で与えられる。

 このように地盤には、地震動を増幅する作用があり、地盤が軟らかいほど大きく、さらに、軟弱層

が厚く堆積しているほど大きくなる。とりわけ、地震動が地盤のもつ固有周期に近づくと、共振とい

う現象が起こり、地盤の揺れが大きくなる。

 工学の分野では、地盤の地震動に対する応答を検討する場合には、S波の伝播速度(図40のせん

断波速度と同じ意味である)が 300 m/s 以上の地層を基盤とみなし、岩盤に準じた扱いをすること

が多い。この層はまた、N値が約50以上をもっていることも理由になっている。これを設計基盤と

いっている(図40)。41) 地盤の増幅度は、この設計基盤への入射波の振動に対する地表面の振動

の倍率をいっている。

 ◇ N値について ◇

 ボーリング調査の中で標準貫入試験と呼ばれる作業を行うことがある。これは、地盤を構成する各

地層の硬さや支持層の深度を求めるために行う原位置試験である。同じ地層では1mほど掘り下げた

時、または、地層が変わった時などに、一定規格の中空のサンプラー(外径51mm、内径35mm、

長さ81cm)を一定の打撃エネルギー(ハンマー質量63.5kg、自由落下高度75cm)で土中に打ち込

んだ場合に、30cm貫入するのに要する打撃回数をN値と呼んでいる。中空になっているのは、パイ

プを地中に打ち込んだ深さの資料が次々と中に入り、地盤が深さの方向にどのような地層から構成さ

れているかを調べるためである。パイプは、資料が取り出しやすいように、二つに割れるようになっ

ている。

 このN値が大きいほど地盤はよく締まっていて強いことになり、N値が小さいほどゆるくて弱く、

軟らかい地盤といわれている。N値はたとえ同じ値であっても砂質地盤と粘土質地盤とではその示す

意味が異なり、直接両者を比較できない。例えば、同じN=20でも砂質地盤ではあまりよく締まっ

た砂とはいえないが、粘土質地盤ではかなりよく締まった粘土層とみられる。しかし、同じ土質の地

層では、N値の大小は相対的にしまり具合を表すとみてよい。杭などで建物を支持する層としては、

砂質地盤でN>50が一般的に要求される。42)

 図41は、土質柱状図であるが、土質概要と標準貫入試験の結果を並べてある。とくに、N値の変

化を注目したい。この例では、深度16mのれきまじりの砂層は、支持層として必ずしも十分なN値

をもたないが、その下の砂れき層ならば支持層としてよさそうである。

(4)フォーカシング現象と地下構造

 地震波は光の場合と同様に速度が変わる境界面で屈折する。

 図42の断面図は、大阪市内で実際に行った反射法地震探査の結果である。上町断層帯と記したと  

ころは、基盤岩である花崗岩(D層)が断層で東側が上昇している。当然の結果として、この上部に

堆積したC層、B層、A層もこの基盤の影響で東側が上昇していることが分かる。反射法は地下構造

が水平な層ではなく、凹凸のある地下構造を調べるのに有効な探査方法として広く利用されている

(反射法の詳細は文献43)を参照)。

 この結果に基づき、上町台地を横切る東西断面を想定し、地震波を伝わる様子をシミュレーション

したのが図43(a)である。基盤のS波の速度は2km/s である。図中の直線群はSH波の伝播経路を

示す。地震波は、明石海峡の地下10 km 付近から到来し、入射角は40度。境界面が湾曲しているこ

とがレンズのような働きをして、断層の西側に波線の集中するゾーンができる。ここでは地震波が集

まって揺れが強くなる。逆にその東側には波線のまばらな領域ができ、ここでは揺れが弱い。図43

(b)は地表に到来する波線の粗密を棒グラフにしたもので、断層のすぐ西側では極端な波の集中がみ

られるが、東側では波の到来が少ない領域がみられる。

 ◇ SH波について ◇

 S波は進行方向に直交する方向に振動しながら進む、すなわち、横波の性質をもつ。その中でも地

面(水平面として)に平行に振動するS波をSH波(S波のHorizontal成分)といっている。これ

に対して上下に振動するS波をSV波(S波のVertical成分)といっている。このSH波は、地震

波が屈折や反射をする境界面(不連続面)で他の波(P波やS波)を発生しないので複雑にならず、

SH波だけで観測ができ、実験がしやすいという観点から、今回のような実験ではよく使われてい

る。このシミュレーションでは、このSH波を発生させて波の伝播経路が分かり易く表示されてい

る。

 

8.液状化現象とその被害

 兵庫県南部地震によって発生した液状化・流動化の被害は、阪神間の沿岸地域だけでなく内陸部を

含めて広範囲に及んだ。44)

(1)沿岸埋立地域の液状化

 沿岸部の被害としては、地盤の液状化に伴う被害である。この液状化被害が最も大きかった地域

は、ポートアイランド及び六甲アイランドをはじめとする阪神間の埋立地である。図44から、神戸

地域から大阪泉佐野地域にかけての大阪湾岸部に液状化・流動化の被害が分布していることが分か

る。神戸から尼崎までの沿岸地域では、ほぼ全域が被災している。また、西宮から大阪の淀川河口ま

での地域には部分的であるが内陸部まで被害を受けている。

 阪神間の大規模な埋立地であるポートアイランドと六甲アイランド、これら2つの人工島は、顕著

な液状化被害を受けた。これらの岸壁は、背後の埋立土砂の液状化だけでなく、コンクリート製の護

岸が海側に回転しながら側方移動し、その背後の埋立地表面が1〜3m程度陥没し、一部は海面下に

没した。護岸の被害だけでなく、この上に構築されていた荷揚げ用のクレーンを倒壊させたり、倉庫

の一部が海中に沈んだり、フェリー桟橋が昨日できなくなったりなど、大きな被害になった。

 また、埋立地へ渡る橋梁(六甲大橋・阪神高速湾岸線西宮大橋など)の橋脚が、埋立地沿岸の側方

移動によって傾斜したために一部は落下し、交通機関に影響をもたらした。埋立地の中央部では広範

囲に地盤沈下が発生した。これは液状化というよりも、それまで緩い状態にあった埋立土砂が地震動

によって締め堅められる効果によるもので、多くの個所で数10cm のほぼ均等な沈下が起こったので

ある。

 これらの被害は、多少にかかわらず尼崎以西の沿岸地域に共通して現れた被害状況である。図44

に示した旧海岸線との対応をみると、大阪南部に至るまで、顕著に液状化現象が現れた個所は、江戸

期の干拓地や明治以降の埋立地であり、人工地盤であることが分かる。

(2)内陸部の液状化被害

 @ 西宮市の内陸部

 図45は西宮市夙川周辺の液状化地域と亀裂集中地域の分布を示す。この図には、新旧の地形図

(平成3年・昭和22年測量の国土地理院の2万5千分の1地形図および旧陸軍測量部の明治18年

2万分の1地形図)の比較から抽出した盛土地域と池の跡地を併記してある。液状化の発生地点の多

くが、軟弱な地層のある谷や溜池跡地に相当している。44)

 また、亀裂集中地域は、盛土地域や傾斜地(多くの場合、小規模な盛土地である場合が多い)が分

布している。特に多くの犠牲者を出した仁川百合野町の崩壊地は、新旧の地形図の比較から明らかな

ように、盛土土であることがわかる。盛土土は、多くの場合、谷部を埋めて造成を行った場所で、盛

土の下部には地下水脈が形成されやすい。このような個所で強い地震動が加わると、地下水の水圧が

異常に増加してその周辺の強度が低下し、極端な場合には盛土の崩壊を招くことになる。仁川の例は

これに相当している。

 公共地の確保のために溜池を埋めて土地をつくり、公共施設が建設されることが多い。西宮周辺の

台地の谷間にあるいくつかの学校では、液状化現象によって、校庭に亀裂が入り、噴砂が発生すると

ともに、部分的に不等沈下が発生した。いずれも溜池の跡地に立地していたためである。

 A 大阪の内陸部での液状化被害

 大阪市内では、淀川の河川沿いを中心にして内陸部の液状化現象が確認されている。図46は液状

化被害及び家屋損壊被害地域の分布と旧河川跡などを示したものである。44)

 明治以降、大阪では多くの河川が埋め立てられた経緯があり、新淀川は明治期に開削された人工川

である。この開削までは、淀川の河口部の分流である中津川が大きく蛇行しながら流下していたので

ある。今回の地震で、新淀川の堤防周辺で大きな被害を受けた個所は、沿岸域の大阪市此花区西島付

近だけでなく、淀川区十三付近や西淀川区花川付近である。これらの地域は、旧中津川河道であっ

て、河川敷だけでなく周辺宅地にも及ぶ広範囲な液状化が発生し、不等沈下も確認されている。ま

た、上流の守口周辺でも、旧淀川河道であった個所で家屋損壊被害が集中した。旧河道跡地は、沿岸

部の埋立地と同様に緩い土砂で埋め立てられ、しかも、現河道から旧河道に沿って表流水は浸透しや

すく、地下水位も高い場所であるために液状化の要因が揃っているところでもある。

 

9.ボランティアの活躍

 今回の震災では、兵庫県内はもとより国内外から多数のボランティアが被災地に駆けつけ、大きな

協力が得られたことが大きな特徴である。その延べ人数は約120万人と推計されている(表12)45)

これらのボランティアの献身的な活動は、震災から力強く立ち上がろうとする被災者一人一人にとっ

て、物心両面にわたって大きな支援となり、何よりの励ましとなった。アンケートによると、その約

7割が30歳未満で、特に学生や生徒が6割を占め、そして、7割が初めてボランティア活動を経験

したということである。また、いろいろな組織、団体、グループ、個人が参加した。

 今回の震災でボランティア活動から得られたことは、

○ 目の前にある困難に対して、臨機応変に創意工夫をして解決していくことが大切であること

○ 被災された住民自身が持っている回復への力を支援するという視点や態度が重要であること

○ 現地に負担をかけずに、自分の力に応じて効果的に活動すること

○ これにより、自分の住んでいる所でもいろいろな活動が可能になること

○ ふだんの地域のなかで、ネットワークやお互いの助け合い、支援ができる態勢にしておくこと

などであり、これらが貴重な教訓ということができる。災害時に慌ててするのではなく、いざという

場合に備えて、日常的な生活の中で、これらのことを身につけておくことが大切である。

 「ボランティアはわが国の福祉における、いわば潤滑油のような役割を果たしている。介護やカウ

ンセリングなどの専門的な技術を必要とされる活動は専門家が受け持つが、ボランティアは人間同士

のつながりを確認し合うことで受ける側に安心感を与えるというソフトな面において重要な役割を果

たしている。専門家とボランティアが足りない所を補い合った連携が大切である。」46)

 

10.西日本の大地震と今後の見通し

 今後、いつ、どこに、どのくらいの規模の地震が発生するのか、という将来の地震予知はまだまだ

難しい。現在の予想方法の一つは、これまでに発生した歴史的に被害の大きい古地震を古文書から調

べて、その発生年代の間隔から発生の周期性を決めて使うというやり方である。

 西日本でも、特に近畿地方に発生した被害地震でマグニチュードが8を超える巨大地震は、いずれ

も紀伊半島沖の南海トラフ沿いの海底に発生している。この付近の1700年以降の巨大地震をあげる

表13のようになる。

 西日本における地震活動の時間的変化を眺めてみる。大地震は、同一の場所で繰り返し発生すると

いわれている。その繰り返しの間隔は、岩盤への歪みの蓄積の速度で著しく違い、海溝沿いの巨大地

震の場合には、数10年から数100年、内陸の地震では、数100年から数1000年程度であるといわれ

ている。

 南海トラフ沿いには、これまで巨大地震が繰り返し発生したが、その繰り返しの間隔は100年〜

200年でかなり規則的である。前回の安政の大地震は1854年、昭和の大地震は1944年及ぴ1946年

で約90年の間隔で起こったことになり、巨大地震の1サイクル(繰り返しの周期)に相当する期間の

近代的な資料となっている。以下は茂木(1982)47)による。

 図47(a)は、1944年東南海地震及ぴ1946年南海地震の前後合わせた95年間を6つの期間に分け

て、M6.0以上でしかも震源の浅い地震の空間分布を示したものである。図47(b)は、 同(a)の地震活

動の活発な領域を網目で表したものである。さらに、図47(c)は、縦軸に活動エネルギーというもの

をとってその時間変化を示している。重複するようであるが、これらを合わせて眺めてみると地震活

動の変化が分かりやすい。各期間の特徴を簡単に説明する。

 @ 1885〜1898年:この14年間は西日本の大部分で応力のレペルが低いので地震は少なく静穏期

  である。ただし、1891年にこの内陸地域の東端に濃尾地震(M8.4)が発生した。

 A 1899〜1923年:この期間には南海トラフ沿いの活動が活発化し、紀伊半島、四国、瀬戸内 

  海、日向灘などでもかなりの地震が発生した。1905年の瀬戸内海の芸予地震(M7.1)もその一

  つである。この活発化は1944年・1946年の大地震からみると約50年前に始まっている。岩盤

  への応力が徐々に増加し始める活動期の開始である。

 B 1924〜1943年:この期間は図47(a)の点線で示した来るべき大地震の震源域が静穏化し、そ

れにひきかえて周辺の日本海沿岸沿いに目だった地震が発生した。1927年の丹後地震(M7.5)

  や1943年の鳥取地震(M7.4)などである。日向灘も引き統き活発である。これは第二種地震空

  白域及ぴドーナツツパターンの出現にあたる。このパターンが現れたのは、大地震の約20年前

  からである。3回のM6クラスの地震が1944年と1946年の大地震の破壊領域付近で起こってい

  る。これは大地震の前10年以内に起こったもので、広義の前震に相当するといわれている。 

  1944年と1946年の震源域の境界には、応力の集中が考えられるからである。

 C 1944〜1947年:1944年に東南海地震、そして、1946年には南海地震という大地震が発生し

  た。この期間には、これらの大地震に続いて、その震源域で多少の余震が発生した。1945年の

  三河地震(M7.1)は東南海地震の余震とみられた。

 D 1948〜1956年:この期間には、震源周辺の広い範囲の活動は静穏化したが、東南海・南海の

  両大地震域の境界付近で3回のM7クラスの大きい地震を含めて活発な活動が続いた。この活発

  な期間がやや長期に続いたのは、二つの巨大地震の発生によって、フィリピン海プレートの潜り

  込みが大きく進行したのに対して、その境界付近に取り残された歪みが残っていたからであろ

  う。この他、1948年の福井地震(M7.3)など福井県を中心にした日本海沿岸に活動がみられ

  た。

 E 1957〜1979年:再ぴ静穏期に入る。ただし、この期間は東南海の東側隣接地域である東海・

  伊豆地方を通る北西一南東方向(プレートの運動方向でもある)の帯状地帯の活動が目立った。

  茂木の報告47)では、対象を西日本ということで話をすすめているが、大地震の主なものは近畿

  地方のものを使っているので、上述の説明は近畿地方の大地震発生のサイクルでもある。

 ◇ 第二種地震空白域について ◇

   地震空白域とは、ある期間に発生したある大きさ以上の地震の震央または震源域を地図に記入

  すると、地震が起こってもおかしくない地域であるにもかかわらず、地震が発生してない地域の

  ことをいっている。

   第二稚地震空白域とは、やがて起こる大地震の前に、ある時期から小地震の活動が顕著に静穏

  化するために現れる空白域をいうもので、大地震発生の前兆現象とみなされている。図47の(a)、

  (b)のCの段階で、1944年の東南海地震と1946年の南海地震という大地震が発生した地域をそ

  の上の同図のBの段階にさかのぼってみると、これら2つの大地震の発生前には、小地震の発生

  が見られない。

   これに対して、第一種地震空白域とは、大地震を起こす能力をもっていながら、最近長い間大

  地震が起こっていない地域をいう。特に、その近隣地域で大地震が次々と発生していて、そこだ

  けが取り残されてるように地域は、近い将来大地震を起こす可能性が高い。

   地震活動が空白であるかどうかを調べるには、あまり小さな地震まで含めると空白がみえなく

  なることがある。例えぱ、1983年日本海中部地震(M7.7)の場合、M4前後以上の地震に注目

  すると、1978年ごろから第二種の空白域が形成されていた。しかし、もっと小さな規模(M2 

  〜3)の地震までを含めると、空白域の存在がわからなくなってしまう。普段めったに地震が起

  こらない所では、ごく小さな地震の活動度を調べる必要があるが、普段からある程度活発な地域

  では、例えぱM5〜6以上の地震に限定して調べた方がよい場合があるという。47、48)

   図48では、被害の大きな地震が続く時期と静かな時期が交互にきているように見える。大き

  く眺めると、1850年ごろと1950年ごろに集中しているのが目立ち、この間隔は約100年。こ

  のようなほぼ決まった年代間隔の半ばでも、例えぱ、1891年には濃尾地震、1995年には今回

  の兵庫県南部地震などのような大きな地震が発生している。この様子が、これまでに繰り返され

  た西日本といってもその中心である近畿地方における大地震発生のパターンと考えられている。

 

11.兵席県南部地震から学ぶこと

・ 震度7(激震)という揺れの大きさ(強さ)

 気象庁の震度階級の最高のランクにある震度7は、これまで適用されたことはなく、観測史上初め

てである。この大きさの揺れの分布が帯状に発生し、多くの古い木造の建物をはじめ、最新の技術を

駆使して建てられた建造物さえも倒壊した。この震度は、今後の建築の耐震設計の目標になることは

確かである。この大きな揺れは、堅い岩盤と軟らかい地層からなる特異な地下構造によることが初め

て分かった。

・ 広範にわたる災害と耐震基準の見直し

 今回の地震による広範で大規模な災害は、「起きてほしくないと思っていた被害がことごとく起き

てしまった悲惨な災害」であるという。確かに、教科書に記載されている地震被害事例のうち、津波

を除く全ての被害が発生したのである。今後、見直しをする事柄は多いが、少なくとも次のことは避

けて通れないだろう。

 ○耐震基準の見直し

 ○液状化現象の防止対策

 ○災害情報の確実な伝達方法の確立

・ 助け含いの大切さ

今回の地震では、多くのボランティアの支援があったことが、大きな支えになった。自分のことは

自分で守ることが一番であるが、これには限界がある。まして、今回のように不意にやってきた大地

震に対しては、殆どの人はどうすることもできず、その瞬間から、お互いに助け合いが必要になる。

このためには、日頃からの準備はもちろん、助け合いができる体制をつくっておかなければならな

い。

・ 宇校周辺の環境と防災について

 本文中では触れなかったが、今回の地震では、多くの学校施設が被害を受けた。各学校における施

設や設備をもう一度ふりかえってみる必要があろう。校舎そのものに空間が多い。窓ガラスが多い。

周囲にはプロック塀が多い。何といっても、学校の立地条件に対する調査・検討が不十分だったこと

が被害に大きく作用したといわれている。

 また、多くの学校が避難場所として利用されたが、今後もこのような利用は十分考えられる。この

ような観点から、教育の場としての建物だけでなく、災害が発生した場合の地域住民の避難場所とし

ての活用も考慮に入れて、可能な限り耐震化を考えていくことが必要であるだろう。

・ 地震に対する備え 一 できることから始めよう

 自然界で起こるさまざまな現象はいつも一定ではない。1年間を通して訪れる四季の変化があるこ

とを人間は小さい時から身につけ、慣れてしまっている。このほぼ一定範囲の変化の中では、その大

部分は恩恵だけを受けて平穏無事に生活を続けていくことができる。ところが、この正常な状態が時

にはくずれ、大雨や洪水、地震の発生や火山の噴火があり、人間生活を脅かすことになる。人間は病

気をすると、この自分のかかった病気についての知識を熱心に勉強し吸収する。自分の体と地球は異

なるが、地球上の現象のしくみについても、災害が起こってから慌ててするのではなく、常日頃から

少しでも身につけておくことが必要ではないだろうか。

 

12.まとめ

 地震の教材という意味から、この「兵庫県南部地震」をまとめたが、範囲を広げ過ぎた感がある。

ここでは、今回の地震に関する基本的なデータがまだ不足していることもあって、一般的な地震教材

としての内容には至らず、地震記録を使った揺れの図示化などに片寄ったものになった。防災の観点

からは特に強調しなかったが、本文の中から少しは汲みとってもらえれば幸いである。

 これまでのことを振り返ってみると、以下のようにまとめることができる。

 (1) 日本列島は、4つのプレートが相互作用して、絶えず地震の発生が続いている世界的にも顕著

  な地震多発地帯に入っていること。地震は日本のいたるところで発生するということを肝に銘じ

  ておかなければならない。

 (2) 近畿地方も、かつては多くの被害地震が発生して大きな被害を受けている。被害地震は内陸に

  も発生したが、紀伊半島の南の沖には、マグニチユードが8の地震が100〜150年の間隔で発生

  していたこと。当然、今後も発生することは問違いない。

 (3) 兵庫県南部地震(M7.2)は、近畿地方としては43年ぷりの被害地震であるが、被害の規模

  をみると1923年に発生した関東地震(M7.9)につぐ程の大きさになった。以前から恐れられて

  いた典型的な大都市直下型の地震で、津波の発生がなかったのは幸いだったが、これ以外の殆ど

  の被害が発生した。

 (4) 今回の地震では、世界各地からの地震記録を使って、3つの断層が形成される過程が明らかに

された。また、断層がもたらした堅い岩盤と軟らかい地層の特別な地下構造による揺れの増幅作

  用が初めて解明された。

 (5) 地震記録の活用によって、地面の実際の揺れの大きさが実感できた。

 (6) 大阪府内の被害は、北の仏年寺山断層から南に続く上町断層が位置する線を境にして西側に

  発生したこと。これには、3つの大きな原因が考えられている; 柔らかい地層での地震波の増

  幅作用、フオーカシング現象、液状化現象などである。

 (7) ボランティアの活躍が大きかったこと。

 (8) 近畿地方では、内陸だけではなく紀伊半島沖の海底での地震発生とそれによる被害も予想し

  なくてはならない。

 (9) 多くの貴重な教訓Iがあったこと。

 

13.おわりに

 「地震動に対して最も敏感に影響を受ける地盤は、埋立地などの人工の地盤なのである。これは今

回の地震だけではなく、新潟地震や宮城県沖地震など従来の大きな地震でも確認されていたことであ

る。しかしながら、今回の地震では、過去の貴重な経験が生かされなかった。

 ある時期までは、人間は自然地形の特性を生かして活用してきたのであるが、土木技術の発達に

よって、大規模な造成・埋立工事が容易にできるようになり、自然地形を改変して、人工的な地盤づ 

くりが進められ、そこに大工場や構想ビルが建ち人間生活が営まれる時代になっている。しかし、こ

の人工の地盤は、自然地盤に比べて強度がかなり低いのである。このような人工の地盤の再検査やそ

の工法を見直し、その特性を十分考慮しながら、耐震を目的として、人工地盤に対する防災対策の根

本的な見直しをすることが必要であろう」。44〉

 地震の多発地帯である日本列島には、一度は震源となった断層が多数分布している。私たちの住居

が立ち、生活の土台でもある地面を含めた地盤は、この多数の断層によって地ならしされたもので、

私たちはまさに断層と共存しているということができる。断層ということにもっと関心をもち、そし

て、これらが分布している地盤についての知識ももっと身につけておく必要があろう。

 断層、地盤、地震およぴその災害などを知るためには、その背景となる地球のしくみをまず身につ

けることが大切である。その学習を担う地学領域の授業でこの内容を学習しなけれぱ、他に取り扱う

ところはない。

 自然の力が、地震という形で襲いかかり、人間が長年かけて造りあげた都市をかくも簡単に破壊し

てしまうという、あまりも大きな力であることをあらためてみせつけてくれた。今回じかに体験した

大都市での直下型地震の恐しさを自覚し、今後このようなことがいつ起こっても最小限の被害ですむ

ように、出来る限り日頃からの備えをしておくことが必要なのである。今回の地震からの数々の貴重

な教訓は、決して無駄にすることがあってはならない。

   (編集発行:科学教育部理科第二室地学

    執筆:室井勲 元科学教育部総括研究員、落合清茂 理科第二室地学(第6章))

 

                参考・引用文献

1)国土庁編:消防白書,大蔵省印刷局(1995)p‐1〜26.

2)毎日新聞:1月18日,1995.

3)朝日新聞社編:緊急増刊アサヒグラフ,2月1日,(1995)p.71.

4)活断層研究会編:新編日本の活断層,東京大学出版会(1991)p.94〜106.

5)国立天文台編:理科年表,丸善(1995)p.822〜853.

6)宇佐美龍夫:資料日本被害地震総覧,東京大学出版会(1975)p.89〜91.

7)室井勲:近畿地方に発生した被害地震とその教材化,大阪と科学教育,8,(1994)p.39〜44.

8〉萩原尊程編:古地震一歴史資料と活断層からさぐる,東京大学出版会(1982)p.35〜38,243〜247.

9)毎日新聞社編:ドキユメント阪神大震災全記録,毎日新聞社(1995)p.158〜159.

10)国土庁防災局:阪神・淡路大震災被害状況,6月9日,(1995).

11)中林一樹:都臨防災から地震災害の軽減を考える,地理,40,no.4,古今書院(1995)p.33〜43.

12)読売新聞:9月27日,1995.

13)大野春雄・荏本孝久:都市型震害に学ぶ市民工学−兵庫県南部地震の現場から−,山海堂(1995)p.7.

14)馬渕浩一郎:つぎの巨大地震はいつ起こる?,ショパン〈1995)p.26〜32.

15)石井一郎:都市の防災阪神大震災と災害に強い町づくり,技術書院(1995)p.22〜25.

16)建設省兵庫県南部地震道路橋震災対策委員会:兵庫県南部地震による道路橋の震災に関する調査中間報告書(1995).

17)吉川澄夫・伊藤秀美:1995年兵庫県南部地震の概要,月刊地球号外no.13,(1995)p.30〜38.

18)菊地正幸:遠地実体波による震源のメカニズム,月刊地球号外no.13,(1995)p.46〜53.

19)京都大学防災研究所地震予知研究センター(1995).

20)日地出版:阪神淡路大震災地図(1995).

21)入倉孝次郎:地面の揺れの大きさとその特徴,阪神・淡路大震災−1995年兵庫県南部地震,朝日新聞社(1996)p.36〜56.

22)土岐憲三・後藤洋三・江尻譲嗣・澤田純男:兵庫県南部地震の震源特性と地盤震動特性,木学会誌,阪神大震災特集−6回−(1995).

23)例えぱ,宇津徳治・他編集:地震の事典,朝倉書店(1987)p.18〜29.

24)土質工学会:土質・基礎工学のための地震・耐震入門(1985)p.42〜44.

25)ここでは,国立天文台編:理科年表,丸善(1989)p.806〜807より.

26)鉢嶺猛:震度の計測化について,験震時報,第52巻,no.3〜4,(1989)p.43〜68.

27)日本経済新聞:11月30日,1995.

28)気象庁地震津波監視課:気象庁震度階級の改訂について,日本地震学会ニユースレター,8,no.1,(1996)p.11〜13.

29)大阪管区気象台提供:徳島・高知県境での地震記録(1977).

30)室井勲:地震記録の調べ方(その4)−地面の揺れ方を描く−,大阪と科学教育,6,(1992)p.43〜48.

31)松田時彦:1995年兵庫県南部地震はどこまで予測されていたか,月刊地球、号外no.13,(1995)p.90〜98.

32)吉田真吾・纐纈一起・芝崎文一郎・鴬谷威・加藤照之・吉田康宏:強震計記録,遠地実体波,地殻変動データの同時インヴァージョンによる兵庫県南部地震の震源過程,日本地震学会1995年度秋季大会講演予稿集,no.2,A76,(1995).

33)粟田泰夫・水野清秀・杉山秀一・下川浩一・井村隆介・木村克己・奥村晃史・佃栄吉:1995年兵庫県南部地震に伴って出現した地震断層,地質ニユース,486,(1995)p.16〜20.

34)池田安隆・島崎邦彦・山崎晴雄:活断層とは何か,東京大学出版会(1996)p.49〜51.

35)水野清秀・服部仁・寒川旭・高橋浩:地域地質研究報告,5万分の1地質図,明石地域の地質,地質調査所(1990).

36)粟田泰夫・水野清秀・杉山雄一・井村隆介・下川浩一・奥村晃史・佃栄吉・木村克己:兵庫県南部地震に伴って淡路島北西岸に出現した地震断層,地震,第2輯,49,(1996)p.113〜124.

37)波田重照・宮田隆夫:地盤はどう動いたか,科学,66,no.2,〈1996)p.98〜104.)

38)大阪府消防防災課提供(1995).

39)中川康一・大阪市立大学阪神大震災学術調査団:震害と地盤災吉,シンポジュウム「阪神大震災と地質環境」論文集,日本地質学会環境地質研究委員会(1995)p.233〜238.

40)金田勝徳・関松太郎・田村和夫・野路利幸・和田章:建築の耐震・耐風入門地震と風を考える,彰国社(1995)p.28〜31.

41)土田肇・井合進:建築技術者のための耐震工学,山海堂(1995)p.98〜111.

42)烏海勲:地盤工学,森北出版(1995)p.2〜5.

43)佐々宏一・芦田譲・菅野強:建設・防災技術者のための物理探査,森北出版株式会社(1993)p.62〜112.

44)三田村宗樹:兵庫県南部地震による液状化被害と地形の人工改変,阪神・淡路大震災−大阪市消防局活動記録,財団法人大阪市消防振興協会(1996)p.162〜172.

45)兵庫県:救援ボランティアに参加して,厚生,7,財団法人厚生問題研究会(1995)p.60〜61.

46)神戸復興新聞:第13号,9月22日,1995.

47)茂木清夫:日本の地震予知,サイエンス社〈1982)p.86〜101,

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48)萩原尊組監修:地震の事典,三省堂(1983)p.148〜149.

49)朝日新聞社:地震科学最前線,科学朝日臨時増刊(1995)p.49〜52.