2002年オーストラリア語学研修Daily Report(後半 8日目以降)

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8日目

8日目

 

 早いもので、もうお別れのことを考えなければなりません。さすが河南高生と思わせるのが、ホスト・ペアレンツにぜひとも手料理を食べさせたいと、強く希望していることです。それも男子。コーディネーターさんによれば、他校はほとんどケータリングで済ますとのこと。歌の練習もしているようですし、みんなペアレンツの親切に答えようとしています。単にお祭り好きなだけかもしれないのですが。

 さて、きょうは昼からアボリジニの文化を紹介してもらいに行きます。レッスンもそれに併せて、アボリジニとオーストラリアの文化・歴史についての言葉が中心です。

 昼からは、バスに乗ってシティ南部のカルチュラル・センターに向かいました。美術館や博物館、劇場がならぶ、文化施設の複合体です。ここで、ブリスベン川を眺めながらお昼ご飯です。お昼が終われば、いよいよアボリジナルの文化体験です。みんなで公園の空き地に集まって、芸術や文化、楽器、武器のお話を聞きました。デジャリドゥの演奏を前にして、軽音サークルの面々はちょっと感動の面もちで聞いています。

 アボリジニといえばブーメランを連想するわけですが、やってみるとけっこうこれが面白い。「ブーメランは男のロマンだ」とつぶやく男子生徒。でも、手元に帰ってくるのはまれで、失速したり、地面に激突したり、木にひっかかったり(アボリジニは、「鳥になった」と表現していました)するのがほとんどでした。今でも、エミュー狩りにはブーメランを使っているそうです。アボリジナル・カルチャー・センターで買い物を楽しんだ後、それぞれブーメランをおみやげにもらってバスに乗りました。 

9日目

9日目

   とうとう明日が最後の授業になりました。本当にあっという間に研修が終わろうとしています。このレポートも、デイリーでお送りするのはこれが最後になります。HP担当の吉村先生とコンピュータを快く貸してくれたホランド・パーク高校日本語科のキーラン先生にはお世話になりました。

 今回の研修は大勢の人々の協力で成立しています。日本人の高校生を受け入れてくれている、ホストファミリーのみなさん。日本人との交流に力を入れているホランド・パーク高校の先生方とバディの生徒たち。ビジネスを離れているとしか思えないほど、よく面倒を見てくださったコーディネーターのエイコさん、ヨシエさん。生徒の興味に沿った授業を展開してくれたイボンヌ先生とティム先生。みなさん方に感謝しています。生徒諸君にどれだけ英語の実力がついたかは、個人の努力との関係でそれぞれ違いはあるでしょうが、そうした目に見える力以上のものをいちおうに得たと思います。

 さて、今日のレッスンはお別れパーティの招待状作成です。お世話になったみなさんを招くのですから、みな真剣にとりくんでいました。昼からはバディと一緒に授業に参加しましたが、バディとはこれからが本当のつきあいになるでしょう。海外の友人とのレターのやりとりが英語力アップにつながるとは、ホストファミリーのマセイさんの口癖ですが、本当にその通りだと思います。

 明日は最後の授業とお別れパーティ。翌日と翌々日はファミリーとの最後の休日を過ごすことになります。テーマパークへ行くものやおみやげを買うもの、ピクニックに行くもの。それぞれの休日を楽しむことでしょう。月曜にはシドニーへ移動、火曜日の夜には大阪に帰ってきます。報告は、結局最後まで外海でした。

 

10日目

10日目

 今日は最後の授業です。サンキュー・レターの作成とお別れパーティで披露する歌の練習をしました。WALTZING MATILDAという、オーストラリア人なら誰でも知っているという、いわば国民歌です。ギターの演奏に合わせて何度も歌っているうちに、だんだんとよくなっていきました。

 昼休みは、バディとのお別れパーティです。昨日渡した招待状に対して、返事を日本語で書いてくれたバディもいました。軽音サークル有志の演奏と日本人にはちょっと甘いケーキとでおおいに盛り上がりました。生徒たちは写真を撮ったり住所を聞いたりして別れを惜しんでいました。

 昼からはホストファミリーとのお別れパーティの準備です。学校の会議室をお借りして、稲荷寿司やバゲットを用意しました。80人分を短時間で作るのですから、けっこう疲れました。

 予定の6時をやや過ぎて、パーティは始まりました。1年男子のMCの下、和やかに進みます。稲荷寿司もけっこう評判がいいようですし、バゲットもよく減っていきます。柔道の型の披露や日本の音楽演奏、みんなで練習したWALTZING MATILDAの合唱で、オーストラリア人ともどももりあがりました。音楽の力はすごいものです。修了証の授与式(写真を撮るのが大変だったのですが)の後、一人ずつペアレンツにお礼と感想を述べていきました。ペアレンツさんの表情は、自分の子供を見ているような、暖かさと誇らしさのこもったものでした。最後は蛍のひかりの合唱で語学研修の最後の行事が終わりました。明日からの二日間は、ペアレンツさんとの最後の休日です。習った英語を応用して、ブリスベン最後の日々を過ごしてもらいたいものです。生徒たちの感想は、「まだまだ帰りたくない」「来年も来たい」「ここに住みたい」というものでした。私もそう思います。 パーティの片づけをしているとき、冷蔵庫のケーキを出し忘れていたことに気づいたのですが、それは生徒たちには黙っておきましょう。

11日目

11日目

 今日は、それぞれホストファミリーと休日を楽しんでいます。私も今日一日はお休みをもらって朝からブリスベンを散策してきます。オーストラリアにしては珍しく緑豊かなこの町は、囚人収容施設が町の起こりでありながら、そうした暗さをみじんも感じさせない美しい町です。地元の人たちは保守的な気風だといいますが、それだからこそ、よい意味でのイギリスの伝統が生きているのでしょう。

 初日に訪れたマウント・クーサには植物園があり、そこには日本から贈られた庭園があります。私は、完璧な日本庭園でありながら、大トカゲがはい回り七面鳥が啼くその庭園が見たく、バスに乗りました。日本人はあまり行かないところですが、一見の価値はあると思います。

 マウント・クーサの植物園で軽食をとって引き返した後、クイーンズ・モールの本屋を数件ひやかし、ブリスベン植物園をさまよいつつ、カンガルーポイントを対岸から眺めた後、なぜもっと早く見つけておかなかったのかといいたくなるような古本屋を発見し、しばし至福の時間を過ごしました。

 外海のブリスベン一人歩きでした。

12日目

12日目

 今日は、伊藤先生は早朝から一万人以上が参加するブリスベン・ブリッジマラソンに参加しています。今日の目標は上位千人を切れるかどうかだそうです。私は久しぶりに朝寝をした後、一キロほどの距離を歩いてスーパーで買い物をしました。

 昼過ぎには、マラソンから帰ってきた伊藤先生と合流して、ウィッカム・テラスにあるグッドアースホテルに向かいました。ウィッカム・テラスには、羽根のない風車があります。ブリスベンが囚人収容施設であった頃に作られた歴史的建造物ですが、設計ミスで羽根が回らなかったため、人力でまわさざるを得ず、鞭よりも囚人たちに恐れらられた場所だそうです。

 二時を回った頃から、ホストファミリーに連れられて生徒たちが集まってきます。ホテルのロビーでは、名残を惜しむ姿があちらこちらで見られました。集合した後は夕食までブリスベン最後の買い物をすべく、クイーンズモールに向かいました。私も昨日発見した古本屋で閉店まで過ごしました。

 夜、本校生徒は実におとなしく眠りについたのですが、上の階の中国人がやかましい。窓を開けて怒鳴るは、笑うは、歌い出すはで、さすがの私も怒鳴りつけてやりたくなったそのとき、「Hey, you! Be quiet! 」の声があがり、静かに眠りにつくことができるようになりました。伊藤先生、お疲れのところありがとうございました。

13日目

13日目

 今日はまだ暗いうちにホテルを出発し、ブリスベン空港に向かいました。コーディネーターのエイコさん、ヨシエさんともお別れです。本当にお世話になりました。

 寒いと聞かされていたシドニーですが、思ったよりも暖かく、服を着たり脱いだりしながら空港を後にして市内観光に向かいます。まずはミセス・マクワイヤーの岬。オーストラリアの基盤を作った名総督マクワイヤーが、奥方のために彫らせた石のイスが残っています。ここからのオペラハウスの眺めが絶景です。

 続いてそのオペラハウスに向かいます。帆のような、貝のような独特のタイル張りの建物には、多くの観光客がひきも切らずに訪れます。ぜひとも来年には、ここでの公演見学もプログラムに入れてもらいたいものです。毎日何かの公演が行われているというこの劇場のこと、英語研修の総仕上げに英語劇を見せるのもいいことでしょう。ただし、価格はけっこうするようですから、たぶん無理でしょうが。

 昼食をホテル横のイタリアンレストラン(ちょっとサービスに難点)でとった後、免税店で買い物タイムです。すでに3ドルしかない私は、なすすべもなく近所を散歩していました。でも、この免税店、日本人占有率が異様に高かったため、英語の勉強にはならなかったかもしれません。

 さて、最終日の宿泊は、生徒も思わず歓声を上げた超一流ホテル、フォーポインツシェラトン・シドニーです。また、夕食はあの「美味しんぼ」でも紹介されたという富豪酒楼です。もっとも、団体向けの安いコースだったので、部屋からは海は見えず、料理も名店の実力が発揮されていなかったようなのは残念でした。

 いよいよ、明日は日本に向かいます。

 

 

 

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