東北被災地訪問プログラム 現地速報
第2日目
宿泊した大籠小学校では、電波が悪く1日目の様子がアップデートできませんでした。
廃校になった小学校ですが、非常にきれいに整備されており、ボランティアの方々の宿泊所となっているそうです。
校舎内も木の作りで大変おしゃれできれいでした。毛布がたくさん常備してあり、家よりもよく眠れたという引率教員もいました。
気仙沼市内の仮設住宅を訪問
現地のドライバーさんに昨日手配していただき、仮設住宅の支援NPOの方からお話を聞けることになったのです。(ありがとうございます!)
私たちが訪れた仮設住宅にはTree SeedというNPO団体の方たちが2月に始めた、トレーラーハウスがありました。
週替わりでスーパーや衣料品店、パン屋さんが色々なものを販売しに来てくれるそうです。
隣にはマッサージ機を自由に使えるスペースもあり、被災して、様々な場所から移り住んできた方たちの、良いコミュニティーの場になっていました。
物販スペースでは1日30〜40人の方が、マッサージ機がある部屋には15人ぐらいの方が訪れるそうです。
また、この仮設住宅に住む人たちで集まってお祭りなどのイベントを開催したりもしているそうです。
そんなトレーラーハウスで、一人の女性に出会いました。
震災後に母親を病気で亡くされ、今年の5月からこの仮設住宅で暮らしている方です。
今は、集会に出たりテレビを見たりして毎日を過ごしています。
散歩したりトレーラーハウスに行って、人と会話出来ることは、心の癒しになると言っていました。しかし1人暮らしは寂しく、苦痛だとも言っておられました。
私が「被災地以外の場所に住んでいる人に伝えたい事はありますか?」と聞いたところ、
「支援が足りないのは事実。でも政府も大変なのは分かるから、もらってありがたい。」と答えられました。
また、「これからどうなるか、本当に分からない。」という不安の声もありました。
その他には、地元を愛する人たちの中には、「気仙沼のきれいな景色が見られなくなる」と、防波堤を作ることに反対する人が多いと言うことも聞きました。
ご厚意で、仮設住宅の中を見せていただきました。
トイレやお風呂、キッチン、クーラーはもともと設置されており、冷蔵庫、洗濯機、炊飯器、オーブンなどの電機製品は日本赤十字から提供されたもので、
冬に必要なこたつやストーブは、借りているものだそうです。
結露を防ぐために、天井にビニールテープを貼る工夫もなされていたり、あまり不便はないと言っていました。
しかし、やはり1人は苦痛だそうです。
「とにかく、たくさんの人と会話したい。」
争わず、色んな問題を解決してみんなで仲良く暮らしていきたいというのが、今の彼女の思いです。(W)
気仙沼高校訪問
午後から気仙沼高校に行きました。気仙沼高校はESD(持続発展教育)に力を入れている学校です。
気仙沼高校では生徒会と自然科学部の人にお話を聞きました。塩害から農地を回復させるために、ケナフを利用した。自然科学部では「塩害はケナフの成長と共に除去される」という仮説を立て、様々な実験を行った。
・ケナフは塩分濃度が0.5%まで発芽するが1.0%以上は発芽しないことが分かった。
・ケナフの導電率が高いほど(理由食塩水は電気を通すため)、海水を多く吸収している。
・硝酸イオンが検出されたことから土壌がキレイに浄化されたことも分かる。
結論としてわかったこと
・雨が多い6月などにたくさん除塩されていた。→降雨による除塩効果はとても大きい。しかし、雨が少ない8月にも除塩されていた→ケナフも除塩していることが分かる。
2つ目の研究発表は、放射線の測定実験でした。学校内だけでなく周辺を3日間で91箇所の定点観測を行ったそうです。人体への影響はないものの、溝などマイクロホットスポットを発見したそうです。このような報告をパワーポイントにして説明してもらいました。その内容の濃さにただただ感動しました!
他にも、生徒さんからは震災当時の状況を聞くことが出来ました。
震災当時の避難状況や、支援物資の話などを聞きましたが、中でも私が印象に残っている話は、
「みんなに知ってほしいことはありますか?」との質問に対して、
「がれきをなかなか受け入れてくれないことが、自分たちの地元を否定されてるようで悲しい」
「放射線について正しい知識を身に付けてから否定するならしてほしい」「放射線について日本全体で考えてほしい」との答えでした。
がれきは、元は自分たちが住んでいた街や思い出そのものだから愛着があるだろうし、もし自分が逆の立場だったら、と言うのを考えなければならないと思いました。
また、それをたくさんの人に考えてもらいたいと思いました。また、生徒さんは進んで震災の話をしてくださり、
「自分たちは震災の話を言って、みんなに聞いてほしい」とおっしゃっていて、とても話しやすかったです。(Y)
気仙沼の被害を目の当たりにして
テレビで報道される気仙沼は復興が進んでいるように見えていましたが、実際に訪れるとそれは、報道の中だけの印象ではないかと思います。
「復興の兆しが見えた」などの言葉を聞いたことがあると思います。
でもその兆しは細く細く気仙沼のみなさんにとっては見えるほどのものではないと思います。
実際には1年経って、使用できなくなった気仙沼線が運行バス専用の道路に替わる工事が始まった所で、
沿岸部の線路は海に流されたまま。
市内で津波の被害を受けた地域は、石巻同様家の土台しか残っておらず、
津波に運ばれた大型漁船が道端に放置されている。
残っている家は1階または2階がなく、壁がなく中が見える異常な光景。
そんな気仙沼の景色で印象的だったのは、
岩井崎で3.11による大津波によって龍の形をした松の木を見た事です。
周りの防潮林の松の木はもう流されて残っていないけど、その木は形を変えてでも残っていました。
この龍が今後の気仙沼の海を見守っていくと思います。
もう一つ目は、2日目に泊まらせていただいた方の自宅は津波で流されたのですが、近隣の方が撮影された映像を見せていただいた事です。
その中でも、地震や津波を見ている時の人々の静かさです。
泣き叫んだり、大声が入っていると思っていたんですが、何も言わずただただ、ぼうっと眺めていました。
私だったらどうなるか考えてみても想像がつきませんでした。
でも涙は止まりませんでした。(S)
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