東北被災地訪問プログラム 現地速報
第2日(現地1日目)
途中で復興のためのトラック等による渋滞もありましたが、2人のドライバーさんが交代で安全運転をしていただき,気仙沼に到着しました。
宮城県南三陸町の防災対策庁舎跡などを車窓から見ましたが、随所で盛り土がされており、ずいぶんと雰囲気が変わってきました。
予定より1時間近く遅い到着となりましたが、無事到着し、大島にわたって、1日目の支援活動を行いました。
今年は、カキ養殖場付近の草むしりをしました。
震災の影響で3軒しか集落に戻ってこられず、また各家庭に高齢者の方がおられ、
地域の草むしりができない状態ということで、ずいぶんと感謝されました。
養殖場を運営していくためにも、こういった生活支援が重要だということが改めてよくわかりました。
気仙沼に戻り、ホストファミリーのみなさんが、出迎えてくださり、各家庭に送っていただきました。
こちらでのお心づくしを堪能していることでしょう。
気仙沼の被害を目の当たりにして
街の様子ですが、多くの場所で、9m近い盛り土がされていて、ようやく町の復興が始まったと感があります。
毎年訪問していますが、来るたびに道路の位置も変わり、風景が変わっていっています。
が、多くの人々が暮らしていた街だったという姿はそうそうできない状況です。
生徒たちからのメッセージ
気仙沼大島。
牡蛎の養殖場の筏が昨年よりも増え、護岸工事も進んでおり、復興は目に見える速さで進んでいました。
しかし、震災前のように牡蛎を出荷するにはあと2年かかるそうです。
また、震災によって7軒あった集落の民家が3軒に減少したため、人手が足りず、
養殖業を復旧しながら山の環境維持をすることが困難だそうです。以前のような手入れが行き届いた環境での『「普通の生活」が難しい』、
という小松さんの言葉が印象に残っています。町の中心から離れた場所には「外から見えにくい課題」があり、
現地の人にとって大きな負担になっていることを知りました。私達はこのことを決して忘れてはならないし、
現地に足を運んでわかったことを多くの人に伝えるべきだと考えます。【雜賀】
[東北プロジェクト1日目]
東北地震から5年。小学校を卒業しようとしていた自分が、高校を卒業する年になりました。今回、初めて東北プロジェクトに参加して、初めてのことばかりでした。
残っている木や家の高さが一定のところからしかなく、途切れて吹きさらしになっている鉄道橋や橋、電車が走ることのないトンネル、折れてむき出しになった木の根っこ。
津波の被害を物語るようなものがあちこちにありまし。ただ雑草が生え、草の原になっているところには、いったいなにがあったのか。
以前の姿を見ていない私にとっては、どれほどのものがなくなったのかは分かりません。けれど、至るところが工事現場のようで、
自分達が普段生活しているような風景はなく、確実に何かが失われていることを感じました。
反対に、復興が進んでいる所も見ることができました。自分達よりもはるかに高く、家の高さほどある盛り土がたくさんあり、
「ここまで津波が来た」という事を示す看板が坂道にありました。私が1番印象に残っているのは、防災庁舎です。震災当時からテレビで何度も見ていた防災庁舎。
自分の中では、何もなくなったところに防災庁舎だけが建っているイメージでした。ですが、今は周りの盛り土の方が高くなり、その近辺で1番低くなっていることに驚き、
復興を感じました。
牡蠣の養殖場で感じた事は復興の難しさです。いつもと変わらない家で、いつもと変わらない生活が出来ている事がどれほど大切か。
そして「本当の復興」とは何か。私たちに出来る事はほんのわずかですが、改めて考える必要があると思いました。【大竹】
東北活動初日、参加者は、北摂つばさ高校に集合した。緊張や不安もあったが、少しでも被災地の人々役に立てるよう頑張りたいと思った。
バスの道中で、寸断された鉄道や、津波で壊された家の残骸を見た。私が思っているより被害は、大きかった。山や田畑などの自然が多く、
少しずつ家が建っていた。先生から聞いた話から、当時の様子を想像してみた。地震があって不安な中、津波がすぐそこから迫って来て、車や家を呑み込んでいく。
想像するだけで、津波の恐ろしさが伝わってくる。南三陸町の防災庁舎付近では、盛り土が行われていて、復興工事が続けられていた。
まだまだ、復興工事は続けられているということ忘れないで欲しい。
気仙沼市から、フェリーで大島へ。大島では、牡蠣の養殖を営む小松さんから当時の様子を窺い、ボランティア作業をした。
震災があった当時は、津波に流された土砂などにより、船やドラム缶が埋まり、牡蠣の養殖ができるような状態ではなかった。
5年前では、ボランティアで埋まった船やドラム缶を掘り出す作業をした。それから5年が経ち、今では、牡蠣の養殖が出来るようになった。
今回は、手が回らず、伸びきってしまった草を刈った。少しでも被災地の人々の役に立てて嬉しく感じた。
小松さんは、「今までボランティアの作業をしてもらって本当に助かった。」とおっしゃっていた。
私が行って何ができるか不安だったが、被災地に行って、少しでも被災地の現状が良くなるようボランティアをすることが、
被災地の人々にとって、大きな手助けになると思った。作業を終え、今回泊まらせて頂く民家へ向かった。
民家の方々は、優しく出迎えてくれた。身近に起こった当時の様子を詳しく教えてもらった。
【1年 古志】
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