東北被災地訪問プログラム 現地速報
第3日目
今回ボランティア活動としては最長時間の活動である,岩井崎の植林作業です。
東北被災地の現状は、「現地を見るしかない。そしてそれを伝えるのが我々の責任だ」と言われた意味が生徒たちにもようやく分かってきたようです。
とはいうものの、どのような言葉でもうまく伝えることができません。参加した生徒たちにとっても文章で表現することに大変苦労しています。
またどうしても長文になってしまいますが、皆さまにも何かが伝われば幸いです。
生徒たちより
東北プロジェクト二日目は、陸前高田の被災地を訪れ、新沼さんにお話を聞くことから始まりました。
海辺の道の駅の中には引き波によって建物の中に入った大きな松の木があり建物の14.5mの高さの所に赤いラインが引かれていました。
周りの大きな建物を見てみると、ほとんどの建物に津波の到達点が記録されていて、中にはガソリンスタンドの看板を飲み込むような高さのものもありました。
山の方を見ると盛り土のために75mも削られた山がありました。その土地を住宅地にするという計画が進んでいるそうです。
海の方を見ると大きな堤防があり、海は全く見えませんでした。
8000億円以上をかけて作った堤防はたったの60年しか保たないと聞いて、60年たった後の事は私達が決めることになるのかもしれないと思い、
負担がとても大きく感じました。たったの6分で陸前高田という町が1つ消え、約2000人が亡くなったとされていると聞き、
これまでに津波を体験したことのない私は津波の恐ろしさを改めて考えさせられました。午後になって、岩井崎で植林活動のお手伝いをしました。木を植
えた事はなかったので、お話を聞いて木を育てることの難しさを知ることができたと思います。
また、海岸にだけ育つ植物を保護する活動のお手伝いをしました。津波によって植物も流れてしまい、
ハマナデシコなどが一部の地域では準絶滅危惧種に指定されているという事は、直接お話を聞かないと知らなかったことだと思います。
震災当時、木に掴まって命が助かった人もいたと聞きこれまであまり木があることに興味を持っていなかったので木にそんなメリットがあることに驚きました。
二日目の活動を通して、津波の悲惨さと、復興に向けて頑張っている地域の方たちの思いが少しわかった気がします。
【1年 油谷】
3日目の午前は朝のうちに民泊の方に、集合場所の月立小学校まで送っていただき、その後は陸前高田旧道の駅で新沼さんのお話を聞きながら市内をバスで見学しました。
陸前高田旧道の駅付近には、旧道の駅はともかく、校舎全てが津波に覆われた中学校や、最上階以外は大破したアパートなど、至るところに震災の痕跡がありました。
このように建物自体の被害は凄まじいのですが、これらの建物での犠牲者は1人もいなかったそうです。私は今まで海に近い場所の方が犠牲者が多くなるものだと勝手に
思っていたので、海辺の人の方が早く逃げたために犠牲者が少ないと聞いてとても驚きました。しかし、海から離れた人に関しては、指定避難所が海抜の低いところにあるせいで、
すぐに山に登って避難できるはずの人が逆に避難所を目指して海側に降りて来てしまったそうです。また、地震発生から津波到達まで約50分ほどあったせいで、
自宅まで荷物を取りに戻った人も多くいて、
その人々も津波の被害に遭ってしまわれたとも聞きました。そのお話を聞いて、地震などに備えて今のうちから災害時に持って逃げるものを考えておこうと思いました。
午後からは、海辺の森をつくろう会で植林と石拾いと草むしりのボランティアをしました。植林活動では1人1株木の苗を植えました。今はまだ支えに縄で繋いでいる状態ですが、
5年前に植えた木を見ると、よく見る普通の木とほぼ同じ大きさになっていました。私達が植えた木もこれから無事にすくすくと育ってくれることを願います。
石拾いの目的は防波堤が建設されるにあたって居場所を失ってしまう植物を保護するために、植える場所をつくることでした。
今まで私は防波堤建設の良い面ばかり見ていて、生態系へ及ぼす影響について考えていませんでした。
なので、今回は生態系のバランスを守ることの難しさを知るいいきっかけになりました。草むしりは昨日の活動でだいぶ慣れていましたが、昨日より範囲が広かったので、
だいぶやりごたえがありました。しかし、会の方が綿菓子やジュースをくださったり、小まめに休憩するように促してくださったおかげで、辛さをを感じることなく活動できました。
【2年松浦】
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