大阪府立春日丘高等学校

事前研修(6/22) 神戸市立「人とみらい防災センター」・神戸市内フィールドワーク

神戸市内での研修 〜地震の被害・復興について〜
               
防災センター玄関にて 阪神淡路の資料 30cmの津波を体感
震災遺構:被災したモニュメント 震災遺構:阪神高速橋脚 震災遺構:メリケンパーク


2年松澤
今回学んだことは前回とはまた違った観点で興味深かったです。 阪神・淡路大震災は20年ほど前実際に起きた地震ですが、その時の再現動画を見て、これは大袈裟なんじゃないかと何回も疑ってしまいました。 でもその後実際にぐちゃぐちゃになった街の写真を見て本当に起こったことがわかってすごく驚きました。私の父は当時神戸に住んでいて、被災しました。 亡くなった友達もいて、その話を聞く度にあぁあの時父が死んでいたら自分はいないんやなと思うと、阪神・淡路大震災はとても身近なものに思えます。 でもそれを教訓として日本全体で減災という意識が高まって今があるということを私たちは覚えておかないといけないなと思いました。 こないだとは違い、いろんな場所を歩きながらの研修でしたが、実際に見ないと分からないことがたくさん知れて面白かったです。 チームの人とも前よりさらに仲良くなれて、最後の南京町はすごく楽しかったです。

2年大森
6月22日、神戸へフィールドワークに行った。人と防災未来センターでまず初めに目に付いたのは「南海トラフ地震がきたときに想定される並の高さ」と言う文字と、赤色の印だった。 津波の高さは約34メートル、大きなビルの4分の3を飲み込むことになる。 センターで津波の中を歩いたときのシュミレーションをしたが、たった10センチの津波でも手すりを掴んで歩くのが精一杯だった。それが34メートル、 飲み込まれたら助かることは不可能だと感じた。センター内では阪神・淡路大震災の当時の再現映像、被災者の話、震災後の復興や復興しても残る数多くの問題について学んだ。 直視できなかった。たった20年前に、こんな素敵な街で災害が起こったということが信じられなかった。 でも、それと同時に災害が起こったことを思わせない程に街を復興させる人間の力は凄いと思った。その街が好きでないと出来ないことだ。 その後、神戸の街を歩いたが災害の跡はほとんど残っていなかった。災害の爪痕を残すのか、それとも復興と同時に片付けてしまうのか。今の東北が直面している問題でもある。 1度だけ淡路島に行ったとき、記念館に保存されている断層を実際に見た。小さい頃に、何も知識もなく見に行ったので怖かった、という印象が強かったが、 今は見れてよかったという思いが強い。私は災害の跡を残して欲しいと思う、再現映像やレプリカだけでは伝わらない何かがあると思うからだ。

2年加藤
防災センターの壁に書いてあった34.4mの津波予想は高すぎてどれくらい高いのかよく分からなかった。 ただ、あの津波が来た時に平地にいたのでは絶対に助からないと感じた。 映像は小学校の頃から見たことはあったけれど、改めて建物が潰れたり倒れていく映像を見て、どこに居るから安全なんて物は存在しないのだなと思った。 生き残った人の俳句は短いけれど、後悔や希望が詰まっていて胸に刺さった。 また、日記やドキュメンタリー映像で、ボランティアの人々の言葉や行動で救われたと言っている人が多くいた。私もその1人になれたらと思う。 津波体験ブースでは、歩けるほどの津波ということで体験したが、手すりもあり体験だとわかっていたからそれなりに歩けたものの、 実際に津波が来たらパニックや周りの人への思いなどで歩けるものではない様に思った。