大阪府立春日丘高等学校  
 
 
             

 

東北被災地訪問プログラム 現地速報

第3日目

伝承館(旧向洋高等学校校舎:震災遺構)

向洋高校は水産高校で津波被害が大きかった場所に建っていました。校舎の4階まで津波が襲い、3階には津波で流された車が突っ込んだり、 近くの家屋が校舎に引っかかって救われた人もいたそうです。
現在遺構として保存され、公開されています。ここで語り部の方からお話を伺い、津波の映像資料や、さまざまな展示資料を見せていただきました。 最後に、この地域の中学生の卒業生答辞映像を見せていただきましたが、生徒も教員も涙なしに見ることができませんでした。

「NPOはまわらす」の田んぼでの草抜き作業

「はま」は浜辺、「わらす」はこどものこと。気仙沼の子供たちは、津波のあと、海辺で遊ぶことができなくなっているそうです。 しかし、うみとともにある地域ですから、子供たちが海で遊べるよう、あるいは海について学んだり、海岸の清掃活動などに取り組んでおられる組織です。
今年震災後8年目にしてようやく海水浴場も海開きできるようにNPOとしても取り組んでいるそうです。 また、子供たちが、自分たちで自給自足できるように、そしてお米の大切さも学んでほしいということで、地域の子供たちと米作りをしているそうです。 今回は子供たちが植えた苗の周りの草抜きのお手伝いをしました。最初は戸惑っていた生徒たちも、しばらくすると、虫やカエルを捕まえながら、楽しそうに作業をしていました。
写真の最初と最後を見比べてみてください。最初は苗の列がわからなかったのが、きれいな列になりました。



           
  校舎の4階まで津波が襲う   校舎内の様子   校舎内3階    
           
    3階には車が突っ込んだまま   校舎の間に6台の車が積み重なる   体育館の跡    
           
    初めて田んぼに入る生徒たち   真ん中の生徒の指先にカエル   足元が危ない⇒こけました    
           
    見分けるのにも慣れてきました   かわいいカエル   引率教員も頑張ってます    
           
    どんどん抜いています   効率よく抜いています   最初の写真と比較してください    


生徒たちより
【1年 竹村】
2日目の今日は気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館に訪れ、津波が押し寄せている時の様子のビデオや、震災の痕跡を実際に見ることができました。学校の方では私たちのような次の世代が地震のことを知れるように、ということでたくさんの写真を撮りました。タンクから出た油によって海が火の海になってしまった時、東京の消防団が案を出しながら火を早く消そうと努力したことに感謝している、と聞きました。このような震災が起こった後、みんなの気持ちが1つになって協力し合ったことが伝わってきて、誰かの役に立つことは誰かの支えになることであり、それ以上の死者を出さないための行動でもあるな、と感じました。階上中学校の生徒である梶原悠太くんが卒業式で答辞を読んでいる映像を見た時、被災して身近に亡くなった人や行方不明者がいるなかで勇気と希望を与えるような文を読めていて、本当に素晴らしいと思いました。辛くて悲しい経験となった東日本大震災はマイナスなことが多くありましたが、それを小さな助け合いからプラスとして積み重ねていったのだと私は思いました。館長さんは今でも津波が街を襲う映像を見るのは極力避けているそうで、やはり忘れられない過去となってしまっているのだな、と分かりました。 はまわらすの田植えの除草も行いました。田んぼに入るのは初めてで、最初は少しためらいもありましたが、子どもたちが植えた田んぼのお手伝いを少しでも多く行いたい、という重いから積極的に除草作業ができました。自然豊かな場所でお米作りを自分たちで行う、というのはとても貴重な体験だったので良かったです。震災後、自給自足の生活は重要なことであり、私たちはそれをボランティア活動などを通して、もっと同じ世代や周りの人たちに伝えて行くべきだと感じました。

【2年 深沢】
東北2日目の今日はまず伝承館に行きました。伝承館という名に相応しく、震災のことを後世にちゃんと伝えることができる資料や遺構がたくさんありました。しかし目で見るだけでは十分伝わりません。写真を見て、その写真にまつわるエピソードを聞くことでより深く当時の状況を知ることが出来ます。だから伝承館には語り部さんの存在も欠かすことができないと思います。今回たまたま案内してくれたのは館長さんでした。何十人もの瓦礫に埋まった人を看取ったという話や、学校の屋上に取り残された人々がどのように生き延びようとしたかという話など、実際体験した人の話だからこそ生々しく、1つひとつの言葉が重たかったです。当時のまま残った校舎についても館長さんの説明があったからこそ、津波が来た時の想像がよりしやすかったです。最後に見たビデオでは今の自分たちと同じぐらいの少年があんなに力強い言葉で、いろんな思いを抱いて答辞を読む姿に、震災を体験していない私にも確かにその思いが伝わってきて、とても感動しました。 午後からははまわらすの田んぼの雑草取りをお手伝いしました。はまわらすの人々が行っているのは、海を知らない子供たちに海に触れてもらおうという活動で、震災がもたらした課題には海が怖いものとしてしか認識できなくなるということもあることに驚きました。この活動はすごく有意義だと思います。やはり少子化が進んでいる現実で、今の子どもたちが海から目を背けていてはいけません。だから今回の雑草取りで、少しでも子供たちが植えた稲がよく成長し、みんなの喜びにつながればいいなと思ってお手伝いすることが出来ました。そして都会から来た私たちにとっても雑草取りは貴重な体験となり、みんなでやったらすごく楽しかったです。

【1年 中川】
今日は初めて被災当時の状態を実際に見て、やっと被害の様子がわかった気がしました。伝承館で教室の様子を見たときは、実際に使われていたのが想像できなくらいの状況で、教科書や作業服などをみることによってそこにも日常があったという実感がわきました。また、車がぐちゃぐちゃになって積み重なっているところ、缶詰め工場がぶつかったところをみるとその威力のすごさがあらためてよくわかりました。 そして、水平線の高さで津波が迫ってきて死を覚悟したというお話を聞いて、そんな状況の中で生きるために瞬時に判断して行動できた人々はすごいなぁと思いました。私は、もし死を覚悟するような状況におちいったらとっさに判断して行動に移せる自信がありません。もっと普段から災害時の避難方法について考える必要があると思いました。 奇跡の龍を見て、津波は多くのものを奪っていったけど、この龍は得たものだから、そう考えるとすごく貴重なものだなと思いました。 田んぼに入って草取りを体験してみて、泥の中はすごく歩きにくいし虫もたくさんいてすごく大変だと思いました。そしてそれと同時にお米を育てる大変さを知り、もっと食べ物をいただくときに感謝しようと思いました。この田んぼでの体験は、あたりまえの裏にある人々のはたらきに気づかされ、あたりまえがあたりまえでないこと、自分が一人では生きていけないことを知るすごく貴重な経験になりました。自分がたくさんの人に支えられてあたりまえの日常を送れていることを忘れずに、感謝の気持ちをしっかりもって生きていこうと思いました。そして、いつか私も多くの人々を支えられる人間になれるように頑張りたいです。

【1年 西村】
2日目は、ぐっすり眠れて朝ごはんの準備をお手伝いさせていただきました。朝食のときに民泊のお父さんがくすのきの枝をくれました。とてもいい匂いで落ち着きました。 伝承館へ行く前に、龍の木を見に行きました。初めはなんのことだかわからなかったけど、木を見てみると龍に見えてびっくりしまた。伝承館では、向洋高校の津波の跡がそのまま残っていました。缶詰の工場が校舎の壁にぶつかったり、家が校舎と校舎の間に挟まったりしていたと聞いてとても驚きました。今まで写真でしか津波の跡を見たことがなかったので、とても衝撃を受けたし、いい経験になりました。 階上中学校の卒業式のビデオでは、梶原ゆうたさんの答辞を見ました。在校生が卒業生に制服を貸していたと知り、とても驚きました。また、当時、まだ見つかっていない友人もいたり、友人を失ってしまったりした中で堂々と答辞を読んでいる姿はとても印象深かったです。館長さんのお話もとても驚くことばかりでした。 どの方も当たり前という言葉をよくおっしゃっていて、やっぱり当たり前というものは大切なんだなと感じました。 はまわらすでは、田んぼの雑草抜きをしました。田んぼには小学生の頃入ったことがあったけれど、最初は少し入るのに抵抗がありました。でも、入っていくうちに少しづつ慣れてきて、休憩の頃にはまだ作業がしたいと思うほどでした。はまわらすの子ども達は小さい頃からこういう風にたくさん自然に触れ合うことができて、とてもうらやましいと思いました。 民泊では、木の幹を使った工作をさせていただきました。桜の幹の皮で好きなデザインを切り取って、丸い木の幹に貼ってストラップにしました。とても貴重な体験をさせていただいてとてもうれしかったです。

【2年 井上】
東日本大震災遺構・伝承館に行って僕は初めて大きな画面で津波の映像を見ました。テレビで見たときは僕は小学2年生で、画面も小さく記憶にあまり残っていません。なので津波の映像はとても怖かったです。波ではなく水の壁が迫ってくる感じでした。津波が当たった校舎を見てとても驚きました。窓が抜けていて、自動車が転がっていて天井が崩れかけていました。校舎の4階まで津波が押し寄せたそうです。屋上で助かった人もいたそうでとても良かったです。12日に行われるはずだった卒業式での答辞を聴いてとても悲しく思いました。当たり前はとてもありがたいことだと思い知りました。 復興支援とは別に現地のNPOの「浜わらす」で自然体験活動をしました。現地の子どもが6月に苗を植えた田んぼの雑草取りをしました。小さい頃に何度か田んぼに入ったことや祖父の家で稲刈りの手伝いをしたことはありましたが、お米を育てる過程での雑草取りをしたことはなかったのでとてもいい経験になりました。泥の中に足を入れることもあまり体験できないので、できてよかったです。お米の作ることはとても大変だとわかりました。これからは食べ物全てに感謝して食べたいと思います。

【1年 高橋】
二日目はまず岩井崎を訪れました。そこには、小さいながらも強い存在感を放つ龍のような木がありました。地域の人々はこの木にたくさんの勇気や、活力をもらっていると聞いて私は、地域の人々とその木の関係は非常に美しいなと感じました。世間では、陸前高田の一本松が有名ですがその他にも、この龍の木のようにそこにあるだけで人々を支えるものがあるというのは素晴らしい事だと感じました。 その次に伝承館を訪れました。この伝承館は元々高校で、ここでは当時の写真や映像を見たりお話を聞かせていただきました。まず当時の映像を見ていて、怖くなりました。こんなにも恐ろしい事が現実に起こるのかと、信じたくありませんでした。ですが、それらを逃れ生き延びている方がいらっしゃるので、災害が起きた時にはまず生きる事が最優先だと改めて肌で感じました。また、被災した当初のままの状態の教室を見学しました。そこでは、平然と3階に車が転がっていたり、4階まで水が浸かっていたりと、生きていられたことが奇跡だと感じました。ガイドの方が多くの方にこのことを知ってもらいたいと、仰っていましたが私もその通りだと思います。自分の目で実際に見ないと震災に対する気持ちがあまりわかないと思うのでたくさんの人が防災・減災の事を考えて行くためにもやはり、伝承館のような場所を訪れるべきだと思いました。 最後にはまわらすにて田んぼの雑草抜きをさせて貰いました。はまわらすとは津波の影響で、海を知らずに育ってきた子どもたちに自然の場を通じて、学びの場を提供することを目的としたNPOです。私はこのような活動は貴重で素晴らしいものだと思っています。はまわらすの方も仰っていたのですが、未来の世代へとつないでいく。これが本当に復興において一番大切になってくることだと思います。

【2年 加藤】
朝見に行った奇跡の龍は、話を聞いた時は言うほどではないのではと思っていたけれど、実際見てみるととても津波が作ったとは思えないくらい細かくしっかり龍で驚いた。縋るという言い方は違うかもしれないけれど、心が少しでも前を向くものなのではないかなと思った。 気仙沼向陽高校、伝承館では東北に来て初めて津波というものを目の当たりにした。映像や写真では何度も見てはいたけれど、比べ物になどならなかった。自分にとって身近で安心を与えてくれる存在である学校が足の踏み場もなく崩れ、車が教室に突っ込み、窓ガラスはなく、何かわからないものにあふれて、絡まり、モノクロ写真のように色がない風景だった。これが町中に広がっていた。想像出来ても想像したくない気がしてしまう。自分が住み好きな町ならなおさら。自然の恐ろしさや惨さがよくわかった。当時中学3年生だった梶原ゆうたさんの卒業式の答辞は、震災への混乱や想いが詰まっていて心が動かされた。館長さんが震災をマイナスと捉えるのではなく、「つながり」を産んでくれたプラスの面もあると捉えるようにしていると仰っていて、前日に私が考えたことと同じだなと思った。 午後は「はまわらす」さんのお手伝いとして田んぼの雑草抜きをさせていただいた。田んぼに入るのは小学生ぶりで緊張したけれど、だんだんと綺麗になっていく田んぼを見てすごく達成感を覚えた。腰が痛くなるような作業でいつも作ってくださっているのだと思うと食べ物の有り難みがよくわかった。「はまわらす」さんは子どもたちが大人がいなくても生きていけるようにという思いで活動をされているそうだ。しかし、今大人がいなくなれば私達は円滑な生活を送ることが出来ないくらい大人が何を行なっているのかを知らない。それを少しでも知っていくことが大切だと思った。気仙沼では高校生の働きかけで今年の夏、震災後初の海開きを行うらしい。私も出来る事を探したい。

【2年 大森】
気仙沼向洋高校の震災の遺構に行った。テレビで報道されていたのを見たことがあり、いつか行ってみたいと思っていたのでとても貴重な体験だった。高校の校舎内は本当に、「そのまま」残っていた。いや、ある意味何も残っていなかった、と言っても正しいかもしれない。例に挙げると、体育館は屋根がなくなり、遺構としては何も残っていなかった。津波は校舎の4階まで到達。4階の棚が下から15cm程まで色が変わっている、つまり津波がきた高さが明確にわかったときに初めて津波が現実であったことをやっと認識した気がした。教室内は雰囲気や瓦礫の多さ、種類(車など)はもちろん、個人的には匂いが印象的でこれは8年という月日が生み出したものなのか、瓦礫個々の匂いなのかは私にはわからない。教室に突っ込む車、散らかる教科書や机、骨組みだけ残り今にも落ちてきそうな天井、何故かどれもレプリカのように思えてしまってならないのは私だけなのだろうか。遺構を見た後、階上中学校の卒業生答辞の映像を見た。本来ならば3月12日に行う予定だった卒業式を10日遅れで挙行したという、かなり有名な話である。彼は家をなくした子、親族をなくした子、そしてもう卒業式には出られない子、この卒業式時点でまだ見つかっていない子の想いを背負い、どんな気持ちで答辞をよんだのか、私たちには到底想像が出来ない世界だ。気仙沼向洋高校はあの日から時間が止まったままだ。けれど階上中学校の子どもたちを始め、生きている人々は前に進まなければならない。人間はこんなにも無力なのかと現実を突きつけられたような感覚だった。

【2年 在田】
二日目は岩井崎の奇跡の龍からはじまりました。松の枝が組み合わさり龍のように見える芸術作品のようなもので、津波の引き波によってできたものだと聞きました。奇跡の龍は昔も今も気仙沼の人々をとても勇気づけていて、津波を忘れないためのシンボルとなっているそうです。龍を実際に見たときとても驚きました。自然の力であれほど龍に見えるものができるということは、自然から私たちへの「何事にも負けず龍のように強く生き抜いていくんだ」というメッセージなのかなと思いました。龍がある横はすぐ海になっているため今にも飛び立っていきそうで、どこにでもいけるという自由さも持ち合わせているのだなと思いました。 その後伝承館にいきました。伝承館は東日本大地震で被害を受けた広洋高校の遺構を公開していて、実際に歩いて見て回ることができました。とても印象的だったのは3階部分に車があったことで、車が衝突して押しつぶしていたのが生徒が使用していたロッカーだということです。普段わたしも広洋高校の生徒さんと同じようにロッカーを使うので、とても身近に感じました。広洋高校の生徒さんがどのような気持ちでこの景色を見たのかと思うと言葉にならない思いでいっぱいでした。体育館と校舎の間に家や車が挟まって、その中にいらっしゃった方が助かったということを聞き、生と死は本当に隣り合わせだと感じました。津波が押し寄せているのを屋上で見ていた方々は死を覚悟したと聞きました。学校の屋上に避難していたら津波の心配はないと思っていたのですが、津波は校舎4階の床から25cmのところまで来たそうで、驚きました。外に出て地上から校舎を見上げましたが、4階までの高さのある津波はどれほど恐ろしいものか、と想像しただけで足がすくみました。広洋高校の生徒さんは避難するのが早かったのが運良く、全員無事だったそうです。そのお話を聞いたとき、避難場所を知っているか、と問われて答えられないことに自分自身驚きました。そして、広洋高校の生徒さんが全員避難場所や避難ルートを一人ひとりが把握していたことが助かる要因だったと知り、私の高校の生徒にも避難場所と避難ルートを知ることの大切さを伝え、もし南海トラフが来た時に助かる命を1つでも増やせるようにしたいと思いました。校舎の見学後は、階上中学校の卒業式で梶原雄太さんが答辞を読む姿を動画で見ました。声から意思の強さや悔しさ、たくさんの想いが伝わってきて、涙が止まらなくなりました。『命の尊さを知るには大きすぎる代償ですが、僕らはこれから強く生きていかなければなりません』という言葉はとても中学三年生の言葉とは思えなくて、感銘を受けました。大震災を経験することで成長する部分が大きくあるのだと思いました。自分の思い、後輩、両親、先生へ向けての言葉、を1つずつ呼吸をおいて話すことで気持ちの整理をつけているようにも見えました。家が流されて制服を用意できなかった生徒が半分ほどいたそうですが、後輩の1、2年生が制服を貸したことで全員が制服を着て卒業することができたそうです。そうした"人の助け合い"が被災地にはたくさんあり、暗い空気の中でこそ、そのような温かいことがなおさら大事だと思いました。 田んぼの雑草抜きでは、素足で田んぼに入って活動しました。初めは、苗と雑草の見分けがつかなかったですが、作業を進めるうちに慣れてきて最後には初めの倍のスピードで雑草を抜けるまでになりました。お米作りの大変さを知ることができたので、これからは食卓にご飯が並ぶまでにたくさんの人の苦労があることをいつも忘れずに、感謝して食べようと思います。はまわらすさんの活動理念は素晴らしく、子どもたちがとても良い環境で育つことで街がより良い街になるのだなと感じました。素晴らしい活動をしているはまわらすさんのような団体の活動を、私にできることならなんでも全力でサポートしようと思いました。

【2年 堀本】
2日目は岩井崎に寄って気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館に行き、津波の映像を見たり向洋高校の遺構を見学したりなどしました。 岩井崎の龍の松は、津波で龍のような形になった木がそのように名付けられ、その木はほぼ90度に曲がっていました。それは津波の脅威さを表していて、改めて津波の強さを実感しました。 向洋高校の遺構を歩いて見てまわると、胸が痛むようなものばかりでした。瓦礫はもちろんのこと色々なものが部屋を埋め尽くしていて、様子の変わりように元の状態が全く想像もつきませんでした。 こんな状態が実際私の前に広がったとき、絶対ショックを受けるんだろうなと思っていましたが、館長さんはショックというよりアッとなるだけとおっしゃっていて、やはり経験していない人にはわからない気持ちや想いがあるのだなと思うと少し悲しかったです。 冷凍工場が端っこにあたっていたから校舎全体が崩れずにすんだことや、仮設校舎がぶつかったところは被害が少なくすんだこと、校舎に引っかかった家の住人が生き延びたこと、そして屋上に逃げた先生方は津波に飲まれなかったことこれら全て話を聞くと、災害というものは運命的なものでありどの人に何が起こるかなど全く分からず、自然の力って恐ろしくひどいものだと感じました。 写真を見るだけではわからない当時の状況などを経験者の説明を添えることで、より理解が深まり、想像しやすいものになりました。 階上中学校の梶原雄太くんの力強い意志や心打たれる答辞の映像は鳥肌がたち自然と涙があふれてきました。「命の大切さを知るにはあまりにも大きな代償ですが、僕はらこれから強く生きていかなければなりません」この言葉は最も印象深い言葉です。震災からわずか10日でこれを言葉にすることができた梶原くんは素晴らしいと思いました。 こうやって当時のままの姿を残してくれることは震災の記録や教訓を私たちに目に見える形として伝承されることになるので、この伝承館は日本だけでなく世界の人にとっても貴重な施設だと思います。 色々な人に訪れてほしい場所です。 午後からははまわらすにて草抜きのお手伝いをさせてもらいました。はまわらすとは東北弁で浜のこどもを意味し、津波の経験から胸に深い傷を負い海に背を向けるようになってしまった子どもたちや復旧復興工事のため簡単に海に近づけない子どもたちに、もっと海を知ってもらう、海と仲良くなってもらうという目的の活動だそうです。子どもたちが海について全く知らないのはもったいないことであり、これから先の未来において子どもたちは不可欠な存在です。最初裸足で田んぼに足を入れのはとても抵抗がありましたが、時間とともに慣れていき作業の手際も良くなっていきました。雑草がたくさん生えて辺り一面緑が広がっていたものから、水面が見えるようになってくると達成感でいっぱいでした。今回はお米ができる工程での作業でしたが、どんな食べ物を作るにもこのような大変な作業をしている方がいると考えると、絶対に食べ物は無駄にしてはいけないし、感謝の気持ちを忘れてはいけないと思いました。