フランス菓子の歴史

國澤 美雪


「はじめに」

私はお菓子を食べるのも、作るのも大好きです。ずっと前から将来はパティシェになりたいと思っていたし、課題研究ではお菓子について調べようと思っていました。

だけど、いざ具体的にテーマを決めるとなった時、何を調べたいのか分からずにかなり困りました。どうしようかと悩みながら、インターネットのHPでお菓子について見ていた時に、気になる言葉がありました。−パンがないなら、どうしてお菓子を食べないの−。

この言葉は、ルイ16世の王妃マリー・アントワネットの言葉です。これを読んだ時に、「どういう意味なんだろう」と思い調べました。その時に「そういえば、お菓子を作ったり食べたりはするけれど、お菓子の名前の意味とか、歴史は全然知らないなぁ。」と思いました。だから、それを調べようと思い、テーマを「洋菓子の歴史」にすることにしました。きっかけが、フランスで起こった出来事という事、日本でいう洋菓子=フランス菓子という傾向があるらしいので、フランス菓子を調べました。

1789年、フランスの市民たちが王室に「パンが食べられない」と訴えたところ、王妃のマリー・アントワネットは「パンがなければ、お菓子を食べればいいじゃないの。」と言いました。最初この部分だけを読んだ時、「嫌な女だな。」と思いました。が、そうでもないのかもしれません。この話は、権力者と市民との生活感覚があまりに遠くなってしまった話で、王妃は庶民の困苦が全くわからず、とんでもない対応をして庶民の怒りをかってしまったのです。

この場合のお菓子というのは、「ブリオッシュ」というバターと卵がたっぷり入り、軽くふくらんだ贅沢なパンのようなもので、ブリオッシュはお菓子にも料理にも色々使えるそうです。王妃はおそらくブリオッシュを使って作るおいしい料理やお菓子がたくさんあるのを知っていて、ブリオッシュは余っていると勘違いをしたのではないでしょうか。そしてその結果、庶民の怒りをかってしまった王妃はフランス革命で処刑されてしまったのです。
 
洋菓子は大きく分けて、フランス菓子、ウィーン菓子、ドイツ菓子、スイス菓子に分類されます。ここではフランスのお菓子について調べます。どのようにしてフランス菓子ができてきたのか、どんなお菓子があるのか、名前の意味は何なのか。というような事を調べていこうと思います。

フランスのお菓子文化

フランスのお菓子文化は、その周りを取り囲むいくつもの国々の結晶の産物であるといえます。それは、各国からお菓子の文化を集めてそして発達させた場所がフランスだからです。

16世紀半ばに、イタリアはフィレンツェの大富豪メディシス家の姫、カトリーヌ・ド・メディシスがフランスのアンリ2世の元に嫁ぎました。その際、身の回りの世話をする侍女達と一緒に、料理人や菓子職人も連れて行ったため、当時の先進国、イタリアの食文化はフランスに伝わりました。そのおかげで、フランスのお菓子文化は進歩し、17世紀中ごろには現在のお菓子の原型ができたと言われています。

一方、スペインからも姫君の輿入れとともに、門外不出として守られてきたチョコレートの製法が伝わりました。当時のチョコレートはココアのような飲み物で、以後宮廷ではチョコレートを飲む習慣が広まり、上流階級の貴婦人達の間で大流行しました。

また、18世紀にルイ16世の元に嫁いできたマリー・アントワネットもはるばるウィーンから菓子職人を連れて来ました。そして、オーストリア独特の、生地を発酵させた焼き菓子の流れが組み込まれます。このようにして、フランス菓子の基盤が作られました。

ところで、外国のお菓子は日本人の基準からはびっくりしてしまうほど甘いものが多いのですが、これは人種による味覚の違いだけではありません。

フランス菓子の場合、それは気候の違いにも関係しています。パリの緯度は日本の北海道の旭川よりも上にあり、大変寒く、太陽のでる日数も少ないのです。寒いところにいる人ほど甘い物を欲しがるので、糖の度合いもフランスと日本では違いがあるのです。

また、フランス料理では日本料理のように料理中に砂糖を使ったりせず、野菜を使って甘味を出します。フレンチで最後に甘いデザートを摂るのはこのためです。フランス人にとって、お菓子は生活に欠かせない存在であり、このことも、お菓子文化が飛躍的な発展を遂げた理由の一つと言えるでしょう。

次に、フランスのお菓子がどのようにしてできたのか、名前の意味やお菓子にまつわるエピソードについて書いていきたいと思います。

ブリオッシュ

ブリオッシュは前に書いたように、パンのようなものなので、実際にはパン屋でも菓子屋でも売られています。しかし、どちらかと言えば菓子屋の領分になるのです。それはバターをたくさん使うからです。バターを多く使ったパンは菓子屋のほうが使いおしみをしないので美味しいのです。

ブリオッシュの言葉の由来は、ブロワイエ<broyer>「砕く、押しつぶす」のノルマンディーの古い言い方、ブリエ<brier>から来ているのではないかと考えられています。この説明はノルマンディー地方のバター産地であるグルネイ<Gourney>やジゾール<Gisors>のブリオッシュが昔、有名だったところから考えられています。

<brioche>には音楽家たちが使う陰語で「調子はずれ」、転じて「へま、失策」と言う意味もあります。これは17世紀の末、パリのオペラ座が開設されて間もない頃の話です。オーケストラで調子はずれの音を出した団員は罰金を払う事になっていました。このお金を貯めておいて、みんなでブリオッシュを買って分けて食べたというところから来ています。

シュー・ア・ラ・クレーム

一般的に言われている「シュークリーム」という単語は、実際にはありません。フランス語のシューと英語のクリームをくっつけた和製用語で、フランス語では「シュー・ア・ラ・クレーム」と言います。シューとはキャベツのことで、ボコボコッと膨らんで焼けた形がキャベツに似ているところからつけられました。もともとは何か他の料理を作った時、余った生地を捨てるのがもったいないので焼いてみたらできた。と言われています。

エクレール

エクレールは日本で言うエクレアの事で、雷光という意味。天才菓子職人アントナン・カレームが最初にこのお菓子を作りました。カレームはこれにチョコレートではなくカラメルの衣をつけました。名前の由来は、「雷光のごとくあっという間に一口で食べる」というところから来ています。

クレープ・シュゼット

クレープは流動状のタネを薄くちりめんのように焼いたもので、「絹のような」という意味を持っています。語源的には中世の英国のクレスプ<cresp>、またはクリスプ<crisp>から転じたとされていて、フランスでは別にパヌケとも呼ばれています。

1896年1月のある日、英国皇太子−のちのエドワード7世−はモンテカルロで愛人のシュゼット某と食事をして、シェフ・パティシェのエスコフィエにオリジナルのデザートを出すように注文しました。そこで、エスコフィエはクレープを作り、それにお酒とオレンジのジュースをかけました。エスコフィエは美しくはかない女性に敬意を表して、これに「クレープ・シュゼット」と名付けました。

ミルフイユ

日本ではミルフィーユとして売られていますが、正確にはミルフイユ<millefeuille>と言います。ミルとは「千」、フイユとは「葉」、つまり「千枚の葉っぱ」という意味です。何層にも折り重なるパイ生地(実際にパイ生地という単語はなくフイユタージュと言います)を焼くと葉っぱが重なったようだと言うところからこの名前が付けられました。製菓職人のルージェが作ったといいます。ちなみにミルフィーユとミルフイユ、フランス語だと全く違う意味になってしまいます。ミルフィーユは「一千人の娘さん」という意味になるのです。正しい発音はミルフイユなのです。

マドレーヌ

<madeleine>。貝殻の形をしたお菓子です。このお菓子にまつわるエピソードは数多く残っています。その中でも、もっとも有名なのはこの話です。

18世紀中ごろ、当時ロレーヌ地方を治めていた元ポーランド王のスタニスラス・レクチンスキー公が、ある野外パーティーを開いた時、パティシェが料理長と大喧嘩をしてその場を飛び出してしまいました。そこで急遽、メイドのマドレーヌという娘がこのお菓子を焼いたところ大変評判がよく、レクチンスキー公のお気に入りになりました。そして彼は、このお菓子にメイドの名前を付けて愛娘マリーのもとに送ったのです。そしてこの娘・マリーこそルイ15世の妃だったので、マドレーヌは瞬く間に宮中からパリの町まで広がりました。

またロレーヌ地方のコメルシーにはマドレーヌ職人の本拠地があり、毎年6月の第1日曜日にはマドレーヌを祝うお祭りが催されています。

タルト・タタン

フランス版アップルパイとでもいうべきもので、りんごのタルトです。

その昔、オルレアネ地方のラモット・ブーブロンという田舎町にタタンという名の姉妹がいました。彼女たちは小さな旅籠屋を営み、そこにくるハンターたちに食事を提供していました。ある時デザートにりんごのタルトを作り、いざ焼きあがってオーブンから出そうとしたときに、誤ってひっくり返してしまいました。せっかく作ったのにと、がっかりしながら口に入れてびっくり。裏返しになってテンパンで焼けてしまったその表面がカラメル状になり、とてもいい風味がしたのです。

以来このお菓子はわざわざ最初からひっくり返して焼き、タタン姉妹のタルトということで、タルト・タタン<Tarte Tatin>、あるいはタルト・デ・ドモワゼル・タタンと呼ばれ、伝統的なフランス菓子の一つになり、現代に受け継がれています。まさに「災い転じて福となす」とはこのことですね。

クイニャマン

日本では「クイニーアマン」として少し前にブームになったお菓子です。

これはフランス語ではなくブルターニュ地方の古い言葉、ブルトン語でお菓子を指す「クイニー」とバターを指す「アマン」が結びついた名前です。ブルターニュ地方でもっとも古いお菓子と言われています。ブルターニュ地方はバターなどの乳製品を多く産出することで有名です。そしてこの地方では塩作りも盛んなため、有塩バターを使ったお菓子が多いことが特徴です。このお菓子も失敗からできたもので、ドゥアルヌネのパン屋のおかみさんがパン生地の切れ端の上にうっかりバターを放置し、溶かしてしまいました。おかみさんは生地とおいしい塩味のバターを無駄にはしたくなかったので、生地を何度も折りのして砂糖をまぶし焼いたところ、このお菓子ができました。以来それはクイニャマン<Kouign’amann>と呼ばれています。

このお菓子、日本ではポピュラーなものになりましたが、意外にも本場フランスでは知らない人も多いそうです。

マカロン

<macaron>。16世紀にイタリアのフィレンツェからアンリ2世のもとに嫁いできたカトリーヌ・ド・メディシス姫は、フランスに数々のお菓子を伝えましたが、その一つがマカロンです。このお菓子は、イタリアがルーツですが、フランスで花開きました。基本となる材料はアーモンドパウダー、砂糖、卵白というシンプルなものですが、フランスの各地方でさまざまな種類のマカロンが誕生しました。例えば、ロレーヌ地方の「ナンシーのマカロン」、ボルドー地方の「サン・テミリオンのマカロン」、パリの「マカロン・パリジェンヌ」などなど。ところで、マカロンがフランスに伝わった当時は、このお菓子だけでなくパスタ生地の一部もマカロンと呼ばれていました。17世紀に入ってようやくお菓子は「マカロン」、パスタ生地は「マカロニ」と呼ばれるようになりました。

ナンシーのマカロンはロレーヌ地方のナンシーに住み着いたふたりのカルメル会修道女によって、18世紀に大成功をおさめることになります。カルメル会の尼僧たちは17世紀初頭以来、マカロンのレシピを秘蔵していました。しかし1792年、憲法が修道会を廃止したとき、カルメル会修道女のガイヨ修道女とモルロ修道女がある医師の家に逃げ込みました。この二人を助けてかくまってくれた医師に、お礼の替わりに焼いたのが広まったと言われています。このマカロンは砂糖を煮詰めてアーモンドパウダーなどの材料と合わせるのが特色で、平たい形で表面がひび割れています。

サン・テミリオンのマカロンが有名なボルドー地方はワインの産地。そこでサン・テミリオンのマカロンにはワインを加えて作ります。特産のソーテルヌといった甘口のワインを加え、湯銭で温めてつくるのが特徴です。

パリのマカロン「マカロン・パリジェンヌ」は、都会仕立てのふっくらとしてスベスベの表面が特徴。しかも、ピエ「足」と呼ばれるフリルまでついています。他の地方のマカロンは卵白を泡立てませんが、パリのマカロンは卵白に砂糖を加えて泡立てるから、仕上がりがふっくらとするのです。また、二つのマカロンをあわせて、間にバタークリームを挟むのも特色。バニラやフランボワーズ(木苺)、モカなど種類も豊富で、どことなくパリのお洒落で都会的な雰囲気を漂わせています。

ガレット・デ・ロワ

ガレット<galette>とは円形に平たく焼いたお菓子の総称です。お菓子の形態としては最も古く、新石器時代の頃に、砕いた殻粉などを水や動物の乳などで溶き、熱した石の上にのせて焼いたのが始まりと言われています。

ガレットと言う語をつけたお菓子はたくさんありますが、ここでは<galette des Rois>について説明します。

このお菓子は「王様のガレット」という意味で、フランスの新年を祝うのに欠かせないお菓子です。毎年1月6日の主顕節(公現節、エピファニー、三王来朝の祝日とも言います)に食べられるものです。

地方によって多少の違いはありますが、パリ地方のものはアーモンドクリームをパイ生地で包んで焼き上げます。クリームの中には「フェーブ」と呼ばれる陶製の小さな人形を忍ばせておき、切り分けた時にこれに当たった人はその場で男性なら王様、女性なら女王様になって、紙製の王冠をかぶり、周囲の祝福を受けます。

フェーブについては、その起源は古代ローマ時代にまで遡ります。ローマでは投票にそら豆を用いており、また収穫祭でもそら豆を引いた者が王様になるという習わしがありました。後にキリスト教が広まった時、この習慣が主顕節のお菓子に引き継がれ、そら豆はキリストを表すという意味で、その中にもぐり込みました。しかし今から約二百年前、その考えがあまりに冒?的であるという事で陶製の人形に換えられました。

今日では宗教的な面影よりお菓子を食べて楽しむ方が強く、フェーブも人形だけでなく動物やヨットの形をした物などがあるそうです。

オペラ


チョコレートケーキの定番ともいえるオペラ。古くから伝わるお菓子のように思われますが、実は意外に新しいケーキなのです。オペラが初めて世に登場したのは1954年。パリの老舗「ダロワイヨ」のオーナー、ガヴィヨン氏が創作しました。もともとはガヴィヨン氏の親戚であるポール。ヒュガ氏が買い取った名店「クリシー」で1920年に作られたクリシーというお菓子がもとになっているとか。何層にもなっていていかにもオペラ座の夜会にふさわしいゴージャスなケーキで、「ダロワイヨ」の看板商品と言うよりも、パリを代表するお菓子の一つになっています。

クロワッサン


クロワッサン<Croissant>とは「三日月」という意味で、その名のとおり三日月の形をしています。クロワッサンもブリオッシュと同様にパンともお菓子とも言える物ですが、バターをたっぷり使うのでお菓子の部類に入るということにしましょう。

クロワッサンが始めてフランスの宮廷にお目見えしたのは1770年のことですが、その本当の起源は1683年、トルコ軍によるウィーンの攻囲戦まで遡ります。このころ、オーストリア=ハンガリー帝国は強大なオスマン帝国に立ち向かわなければなりませんでした。クロワッサン「三日月」はオスマン・トルコとイスラム教双方の象徴でした。ある日の、夜中(早朝?)パン職人たちがパン生地をこねていると、何やら怪しげな物音が地下からしてきます。「こんな時間にしては不自然だ」と思い軍隊に知らせると、なんとその物音はトルコ軍が攻め込むために地下道を掘っている音だったのです。つまり、パン職人のおかげでトルコ軍の攻撃が阻止できたのです。ポーランド王のヤン・ソヴェスキはウィーン全都のパン屋及びお菓子屋に褒美として、オスマン帝国に対する勝利を祝うために三日月型のプティ・パンを焼く許可を与えたのです。そしてこのクロワッサンは18世紀に王妃マリー・アントワネットによって宮廷にもたらされました。しかし現在のバターを使った生地とは全く違い、ただ形だけが同じでした。バターを使ったクロワッサンが登場するのは1906年になってからです。パリの菓子職人、オギュスト・コロンビエは自分の「ブルジョワ風菓子店」で本物のクロワッサンを作り始め、その後に多くの職人たちが続いたのです。昔からあるように思われるこのお菓子(パン)は実はまだ百年も経っていないのです。

クグロフ


フランスの東北部、ドイツとの国境に位置するアルザス地方。ここのお菓子は種類も多く、フォアグラの産地としても知られています。ドイツに面しているため、長い歴史の中で何度もフランスとドイツとの間の争いに巻き込まれました。そのたびにドイツやフランスに併合された経緯があるため、ドイツの影響が大きく現われています。ドイツやオーストリアは発酵生地を使ったものが多くあり、その代表格がクグロフ<Kouglof>。別名クーゲル・ホフ(Kugelhopf)と呼ばれ、クーゲルとはドイツ語で「丸い、玉」を意味し、ホフはドイツ語でビール酵母を意味します。かつてはその名の通りビール酵母を発酵させて焼いていました。このお菓子は、マリー・アントワネットの大好物で、18世紀に彼女が嫁ぐ際にフランスに持ち込んだと言われています。

ショートケーキ

このケーキは日本では誰もが知ってるとてもポピュラーなケーキですが、なんとフランスで見つけることは至難の技なのです。実はこのケーキは日本人が作り出したものなので、フランスにはありません。

その名の由来はいくつかあり、作り方のポイントさえおさえれば、比較的簡単に短時間で作る事が出来る、つまり作る時間が短い(=ショート)という説や、出来上がってから日持ちがしない、短時間(=ショート)で食べてしまわないといけないからという説もあります。他にも「ショートブレッド」というクッキーのようなイギリスのお菓子にフルーツとホイップクリームを添えたデザートが現在の形に変化してできたお菓子だからと言う説もあります。

フランスでこれに近いお菓子と言えば、フレジエ<Fraisier>。

「ムスリーヌ」というカスタードクリームとバタークリームを混ぜ合わせたものを、スポンジ、いちごと組み合わせたフランスでの一般的な苺のケーキです。やはり、真っ白なホイップクリームに真っ赤な苺のショートケーキとは違うのです。

さて、いくつかのエピソードなどを調べましたが、ここまで調べるのに本当に苦労しました。思ったより資料が少なかったのです。なかには直訳したままの日本語で書いてあり難しい文がたくさんあったり、本によって全く違う事を書いていたりしたので、また他の本を探したりしました。次に苦労したのが歴史。フランスのお菓子と歴史はとても密接な関係で自然と歴史の話が絡んでくるのです。フランスの歴史なんて全くといっていいほど知らなかったので、理解に苦しみました。他にもフランス宮廷の血縁関係は私にとってとてもややこしいものでした。

しかし、フランス菓子を調べたことでフランスの歴史上の出来事、フランス宮廷の事など今まで知らなかった事を学べました。

あとから分かった事でブリオッシュについてマリー・アントワネットが言った言葉、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない。」これは正しくは、「パンがなければブリオッシュを食べればいいじゃない。」と言ったそうです。しかし、この話を日本語に翻訳する時、ブリオッシュという食べ物は当時(今も知らない人は多いと思うけど)全く知られていませんでした。困った翻訳者は結局ブリオッシュを「お菓子」と訳したのです。「お菓子」と一言で言うとパンに近いブリオッシュよりもケーキなどを想像する人が多いでしょう。つまり当時のとんでもない翻訳の結果、王妃は悪役となってしまったのです。

調べていくなかで驚いたのはフランス菓子の種類の多さです。日本で知られているお菓子や私の知ってるお菓子なんて本当にほんの一部で、名前だけを見ても全く分からないものがたくさんありました。それでもどのお菓子にもちゃんと意味や由来があるのです。なかにはユニークなものもありましたが、季節や行事、宗教、伝統、文化などが材料と結びつき、そして名前と結びついているのです。なるほどと思う事がたくさんあり、そんなことを考えだせるフランス人に感心しました。

今まで何も考えずお菓子を食べていましたが、そのお菓子の持つ意味を知って食べるのはただ甘いだけではなく、きっと一層おいしいだろうと思います。みんなもお菓子を食べる時に「あ、これはこんな意味だったなぁ。」と思いながら食べてくれたら嬉しいなと思います。

最後に、このテーマを調べてよかったと思いました。確かに苦労しましたが、自分の好きなことを調べるのは楽しかったし、お菓子のことだけではなくそれに関係する多くの事を学べたからです。少しでもフランスの歴史や伝統を知っておくと、これからも役に立つだろうと思います。調べていく中で、最初に言った「パティシェになる」という私の夢はとても誇らしい事だと思いました。フランス菓子が歴史や伝統と密接な関係でとても奥深いものだと分かったからです。なによりお菓子は人を幸せにします。いつか必ず一人前のパティシェになってたくさんの人を幸せな気分でいっぱいにしたいと思いました。

<参考文献>

名前が語るお菓子の歴史 著者 ニナ・バルビエ エマニュエル・ペレ 北代美和子/訳 1999年 白水社
お菓子の職人 パティシェになりたい 著者 清水敏江 1999年 同文書院
万国お菓子物語 著者 吉田菊次郎 1998年 晶文社
やんごとなき姫君たちの食卓 著者 桐生操 1996年 TOTO出版
ぼくはパリのお菓子屋さん 著者 千葉好男 2000年 中央公論新社
お菓子 プロの隠し技 著者 辻調理師専門学校 1996年 光文社
素材より素材らしく 著者 杉野英実 1998年 柴田書店

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