ガンジーと非暴力

北川 隼


「はじめに」

 ガンジーを知ったのは、2年生の『エスニック講座』という選択授業のときでした。それ以前からガンジーという名前ぐらいは知っていましたが、具体的な非暴力運動については、ほとんど知りませんでした。そして、授業で「塩の行進」などの代表的な運動を知った時、自分には到底出来ないな、という気がして、ガンジーが遠くに感じられました。でもそれと同時に、一人の人物が、何億人もの人々を動かす力になったという事実や、その結果、インドという国が独立した、などという事実には驚き、感心しました。
 そして昨年、そういったガンジーの“力”を改めて思い知らされる出来事がありました。アジア・アフリカ地域で活動しているJVC(国際ボランティアセンター)というNPOの方からパレスチナでの子供平和図書館など活動報告を聞いた時です。パレスチナでは、イスラエル軍の支配に対して投石する、インティファーダと呼ばれる抵抗運動に子供たちも参加しましたが、イスラエル軍による鎮圧のために、多くの子供たちまでもが亡くなっている状況でした。その状況を変えるために、JVCの方はガンジーの非暴力の精神でひとつの生き方として絵本などを通して知ってもらおうと考えました。軍車に抵抗して子供が石を投げる行為が、暴力的であるかといえば、そうでないかもしれません。しかし、JVCの方たちは、その投石行為により、命を失ってほしくはなかったのです。現地の人は最初、JVCの方からガンジーについて知ることを拒否していましたが、徐々に受け入れ始め、その後平和のデモ行進もしたそうです。
 その話しを聞いたとき、ガンジーの“力”はガンジーが生きていた過去だけではなく、ガンジーが亡くなった現在でも通用する偉大なものであると気づくことが出来ました。また、そうして時代を超えて伝えられているガンジーの「精神」に自分も触れてみたい、と感じました。
 ガンジーについて調べるきっかけとして、もうひとつ『非戦』という本との出会いがありました。その本には2001年9月11日アメリカで起きたテロ事件と、それに対して行われた「報復」について様々な意見が載せられ、中にはガンジーの非暴力の精神が基になっていると考えられるような意見もありました。そこでもガンジーが生き続けていたのです。また、平和行進や平和の意思表示としてイエローリボンなどの様々な運動が起こっていることも知ることができ、そして「自分も何か始めなければならない」と考えるきっかけにできました。
 私は松原高校で、ピースワークショップなどに参加し、様々な人との出会いから「平和とは何か」を考える機会をたくさん持つことができました。そして今回、ガンジーや非暴力について調べることでもまた、平和について考える機会にしたいと思っています。それから、「平和とは何か」を考える時にいつも平行して、「自分には何が出来るか」を考えてきたように、ガンジーや非暴力を調べていくなかで「自分にとって非暴力とは何か」「自分に出来る非暴力運動は何か」を考えていきたいです。

第1章 ガンジーの生涯

 今回課題研究では、ガンジーを中心に「非暴力の精神などを主に調べたいと思っていますが、最初にガンジーの生涯について紹介します。ガンジーは「あなたのメッセージは何ですか」という問いに対して「私の生涯そのものです」と答えました。このことからも分かるように、ガンジーノ生涯をまず知る事が、ガンジーやまた非暴力の精神を知る第一歩になると思います。
<第1節>生まれ〜ロンドンへ
 ガンジーの祖父ウッタムチャンド・ガンジーはポルバンダル国(インド西部カチアワル地方)の首相でした。その息子カラムチャンド・ガンジーもまた首相で、彼がガンジーの父です。ガンジー(モハンダス・カラムチャンド・ガンジー)は、1869年10月2日生まれました。1882年、13歳でカストゥルバと結婚しました。1888年には、弁護士を目指してロンドンに渡り、インナー・テンプル法学院に入りました。
 1889年には『バガヴァッド・ギーター』の英訳を読みました。これは「神の歌」意味する宗教叙事詩で、インドの宗教や哲学思想の根本をよくまとめていて、ヒンドゥ教の聖典ともされています。その中の一節、
― 人もし
その官能の対象に執着すれば、対象の魅力おのずから湧かん
魅力から欲望の生じ来たるあり 欲望はやがて激熱の炎と燃え 情熱は無分別の種を宿すにいたる
かくて追憶 ― すべてはかなき ― に高き望みは失われ 心は涸れて ついには志操 心情 身命ともに失われてあらん
はガンジーの心に深い感銘を与えました。ガンジーは、この書物を真実の知識を得るための最もすぐれたものだとみなしています。
<第2節>アフリカ・インドでのサッティヤーグラハ闘争
1891年に弁護士の資格を得て、インドに帰国したガンジーは、1893年にはアフリカのナタルに向かいました。ここで人種差別を受けたガンジーは、ナタル政府のインド人に対する選挙制限に反対運動を起こしました。1906年にはトランスヴァール自治政府のアジア人登録法に反対し、サッティヤーグラハ闘争を開始しました。サッティヤーグラハとはガンジー自ら名づけたこの闘争の原理を指します。真実「サッティヤ」は愛を包含し、堅持「アグラハ」は力を生みます。つまり、「サッティヤーグラハ」には真実と愛、あるいは非暴力から生まれる力という意味が込められているのです。
 1907年もアジア強制登録法(暗黒法)の制定に反対し、サッティヤーグラハ闘争を組織しました。暗黒法はトランスヴァール自治政府がインド人移民の制限と追放をはかり強化したものです。8歳以上のインド人には指紋と特徴を記載した登録証明書の常時携帯が義務付けられ、違反者は、居住権を剥奪され、投獄または国外追放に処せられることになりました。その後も、ガンジーはサッティヤーグラハ運動を行い、その度に逮捕されます。しかし1914年、闘争は勝利に終わり、インド人救済法が成立しました。そして、ガンジーはインドに帰国しました。
1919年、ガンジーはローラット法反対の運動を起こしました。このローラット法とは、第1次世界大戦中高まったインドの民族運動を制圧するために、1919年英国がとった立法措置で、裁判なしでの投獄、令状なしでの逮捕などを可能にしたものです。この闘争は、ガンジーの「ヒマラヤの誤算」という言葉により中止されました。ガンジーは、暴力事件が起こったという状況からも「早すぎた非服従運動だった」「サッティヤーグラハを始める資格をもたないうちに、市民的非服従を呼びかけてしまった」などと感じたのです。
 1930年のイギリスによる塩専売法に反対して行われた「塩行進」でガンジーは逮捕されますが、これにより反英運非服従運動は高まりました。
<第3節>ガンジーと機械文明
翌年釈放されたガンジーは、第2回円卓会議に出席するためにロンドンに向かいました。ここでガンジーは、喜劇王チャップリンと会見しました。話題が機械のことに及び、ガンジーは「機械そのものを否定しているのではなく、失業者を出すような機械の罪悪に反対しているのだ」と話しました。これにチャップリンは非常に感動させられました。この感動の映画が『モダン・タイムズ』の人間と機械の対立を描くに至った、と言われています。
 ガンジーの機械に関する考えがわかりやすく述べられた対話がありました。それは、文豪タゴールのたてたヴァインシュヴァラティ大学ラマチャンドランとの対話です。学生の「あなたはいっさい機械に反対されるのか」と言う質問にガンジーはこのように答えました。「そんなことがどうしてありえようか。自分の肉体が精巧につくられた機械以外の何ものでもない。手紡ぎ車(チャルカ)も機械だ。機械そのものではない機械は労働を節約する、と言う考え方の中にある狂言と闘っているのだ。確かに、数千にのぼる人々が仕事も無く、街頭で飢え死にするほど労働は節約されている。わたしは、人間の一部のみに仕事や生活の安定をもたらすのではなく、すべての人にもたらしたいのである。わたしは、ただ少数の者がすべて犠牲にした上で繁栄するようなことは望まない。現在は、一部の少数者が大衆の搾取によって生活することを機械は助けている。この少数者の行為は、人道や人間愛ではなく、貧欲と欲望である。わたしは全力でこれと闘いたい」このように、ガンジーは機械ではなく、機械の生む貧欲と欲望という罪悪と闘いました。
<第4節>晩年のガンジー
帰国後、ガンジーは不服従運動を開始しました。逮捕された後、1932年ガンジーは、不可触民をほかのインド人から分離して選挙を行う制度の制定に反対して、獄中で7日間の断食をしました。インドには、生まれによって身分が決定ずみのカースト制度がありました。カースト別に職業が一定され、食事、社交についても厳格な規則が定められていました。根強い風習になっているカーストで、不可触民はカースト外に追放され、非人道的扱いを受けました。ガンジーは分業制度としてカーストに絶対反対ではありませんでしたが、この不可触民制度の存在には強く反対していたのです。翌年も、ガンジーは不可触民解放運動を推進するため獄中で3週間の断食をし、釈放後も継続しました。ガンジーは、こうして不可触民制度撤廃のために後半生を捧げました。
 1946年、ガンジーは東ベンガルの村落行脚を開始し、ヒンドゥ、イスラムの宗派騒動に努め、翌年、インド・パキスタンの「二国分割独立」決定にも反対しました。インド独立式典にも参加せず、両教徒の融和のために断食をしました。そして翌1948年、ガンジー78歳のときに、ヒンドゥ第一主義者の青年に暗殺されました。
   

第2章 ガンジーの信条

次に、ガンジーの信条つまり、ガンジーが強く信じたものについて紹介したいと思います。
<第1節>真理
ガンジーの信条としてまず、一つ目に挙げられるものが、「真理」です。ガンジーは真理をこのように捉えました。
 「真理『サティヤ』は、存在すること『サット』に由来します。すなわち真理以外は何も存在しません。また真理のあるところには、まことの知識、真知『チット』があります。そして、真知のあるところには常に歓喜『アーナンダ』があり、悲しみの入る余地はありません。さらに、真理は永遠であるため、そこから出される歓喜もまた永遠です」
 ガンジーは「神」をこれらの「真理」 「真知」 「歓喜」 が三位一体化したものと認識しました。そして、私たちの一挙手一投足が真理に集中し、真理が生命の息吹にならなければならず、真理抜きには、生のいかなる原理も規範も認識できないと信じていました。
 では、真理の法を守るためにはどうすればよいのでしょう。ガンジーは、真実を口にするだけでなく、思いにも、言葉にも、行為にもすべて真理がやどっていなければならず、こうした真理の探求が真の信愛になり、それこそが神に至る道であると考えました。真理としての「神」はガンジーにとって計りがたい貴い宝であり、すべての者にとって神がこのような存在であることをガンジーは願いました。
<第2節>アヒンサー=愛
 次にガンジーが挙げたのは「アヒンサー」です。真理の道が、まっすぐでありながらも狭く険しいように、アヒンサーの道もまた同じです。この道を進むためには、いっそうの集中力が要求されます。
 「この滅びゆく肉体に閉じ込められている限り、完全な真理を悟れない私たちは、それを心象に思い描くことが出来るだけです。結局は信仰に頼らざるえないのです。」とガンジーは考えました。
 古の真理探究者は、「我に苦難をもたらす者たちを赦すべきか、打ちのめすべきか」という問題に直面しました。他を滅ぼそうとするものは、自己身が前進することはありません。これに反して、己に害をなす者を寛恕する人は、自らが前進し、時には敵対するものまでも共に携えていきます。彼は、このことを悟りました。それはアヒンサーの真価に気づいたという事でもあります。その戦いから、己の探求の目標である真理は、自己の外ではなく内にあると学びました。暴力に訴えれば真理から遠くざかりました。なぜなら、外のある時空の敵と戦っている間は、内なる敵を等閑していたからです。
 「盗賊に対しては赦すことが彼らを正気にかえることもあるわけです。しかし、盗賊は赦しても悪に忍従してはなりません。そこで私たちは、一歩進んで新たな道を知り、盗賊の心を捉える方法を考え出さなければなりません。これこそアヒンサーの道です」
 アヒンサーにより、一歩一歩全世界を友とすることを学びます。人の目に映じている生易しいものではありません。生きとし生けるいっさいのものに危害を加えないというのは、アヒンサーの一部には違いないけれども、それはアヒンサーの最小限の表現にすぎず、衆人が必要とするものを独占するのもアヒンサーをする行為です。とはいっても、世間はどうにか生活をつなぎ、食物を必要としています。身の置きどころには幾百万という微生物が棲息しています。私たちがそこにいるだけで被害を受けています。それではどのように身を処すべきでしょう?自殺!?そんなことでは何の解決にもならず、精神と肉体が結ばれている限り、何度肉体が滅びても、精神は新たな肉体を求めてやどるとガンジーは信じました。肉体に対する執着を断ち切ったときのみ、肉体は肉体でなくなりますが、一朝一夕で到達できるものではありません。
 「アヒンサーとは真理は互いに密接に絡み合っているために、そのもつれを解きほぐして、区別できません。それらは一枚の硬貨というよりは、平らな金属盤に似ています。どちらが表面で、裏面であるか言い当てられる人はいません。ただ、アヒンサーは手段で、真理は目的です。それ故、アヒンサーは私たちの最高の義務です。手段から目を離さずにいれば、目的を達するのは必定です。この点を会得すれば、究極の勝利は疑うベもないのです。」
 このアヒンサーという世界を友とし、貧しい者の立場に立ったガンジーの信条が、第4節のも述べている不可触民制度撤廃の真情にもつながっているのでしょう。
<第3節>無所有すなわち清貧
 ガンジーは、信条の一つである「無所有」は不盗と同類で、たとえ、もとは盗んだものでなくとも、必要でないものを所有しているなら、それは盗品とみなされなければならない、と考えました。しかし富者は、要りもしない余計な物をふんだんに貯え、結局はこれをなおざりにし浪費します。一方、幾百万という人が食べるものもなく餓死してゆきます。もし各自が必要なものだけを所有するなら、一人として困窮する人はなく、みんなが満足に暮らしてゆけるでしょう。だから富者は、率先して無所有を励行しなければならず、自分の所有財産をほどほどに制限するだけでも飢えたものが容易に養われ、富者ともども満足することを覚えるだろう、とガンジーは信じました。
 「そもそも文明の本義は、慎重かつ果敢に削減することにあるのです。私たちは奉仕のために肉体を用いることにより、たがてパンでなく奉仕が私たちをささえる生の種となります。ただひたすら食らい、飲み、眠り、目覚めるのです。このような心境が真の幸福をもたらします」
<第4節>不可触民制度の撤廃
 不可触民制度撤廃という信条はこの当時、奇異にも思われていましたが、第1章のガンジーの生涯にも書いたように、ガンジーはこれをきわめて重要であると考えました。不可触民制度とは、特定の身分や家族に生まれたという理由で、その人たちに触れると穢れるというものです。ガンジーはこのような制度を次のように社会の癌だと考えました。  「宗教を装いながら、常に宗教を妨げ、宗教を堕落させるものである。そもそもなんぴとも生まれながらにして触れるも穢らわしいということはありえません。特定の人を生まれつき不可触として扱うのは誤りです。にもかかわらず、掃除人や皮職人など不可殖民として蔑視されています。この人たちも体を洗い、身なりを正し、学問的な職業につくこともできます。それでもなお、彼らは、不可触民であることには変わりありません。これは、紛れもなく宗教否定であり、まさに、根絶に値します」
 そして不可殖民制度の排除は、不可殖民制度がヒンドゥ教の主要な要素ではないばかりか、ヒンドゥ教に災いをなすものであり、それと闘うことがヒンドゥ教徒の課せられた義務であるという信念を世に言明することであると、ガンジーは語っています。それゆえ、不可殖民制度を罪悪であると考えるヒンドゥ教徒は、不可殖民と呼ばれる人たちと、愛と奉仕の精神を持って兄弟の交わりをし、そのような行為によって自らが浄化されることを肝に銘じ、長年の奴隷的境遇に起因する無知をはじめとする悪弊を克服すべく、たゆまず助力し、せめてもの罪のつぐないに服すべきである、とガンジーは考えました。また、この規律の重要性についてこのようにも語っています。
 「この規律の重要性の大きさを理解するとき、打破すべき害悪の範囲が、非圧迫階級に限られていないことが分かります。悪は見る見るうちに増大し、身の置き所までも破壊します。不可殖民の害毒もいまや国の生のすべての分野を侵食しています。ですから、この規律は「不可殖民」と親しく交わるだけでなく、生きとして生けるいっさいのものを己が生命のごとくに愛して、初めて実現されます。」
 ガンジーにとって不可触民制度の排除とは、全世界を愛し、仕えることであり、すなわちアヒンサーと融合するものでした。不可触民制度の排除は人と人との間の障壁を打破し、この世に存在する様々な階級間の障害を打破することに通じるものであったのです。
 「世界中にこのような障壁は存在します。けれども、さしあたってインドにおいては宗教の名の下に是認され、幾百万という人たちを奴隷に似た状態に追いやった制度に主として関心を向けたしだいです。」
 不可触民制度の撤廃とは、この言葉からも分かるように全世界に通じるガンジーのメッセージであったのではないでしょうか。
<第5節>寛容すなわち宗教の平等
 ガンジーは、「寛容」という語には、他人の信仰が自分のものより劣っているといわれのない思い上がりが含まれている一方、「アヒンサー」は他人の宗教心に対して自分の信仰と同じ尊敬を払うべきことを教え、ひいては自分の信仰の不完全さを認めることであると考えた。
 ガンジー自身がま神様を悟得したことがないように、完全な姿において宗教を理解した事はなく、このように人間の考える宗教は不完全であるから、理解を新たにする必要があるとガンジーは感じ、次にようなことを話している。 「人間が考える宗教すべて不完全だとすると、宗教の優劣を比較するといった問題が起ころうはずがない。しかし、他宗教を尊敬するとは言っても、その次点に目をおおう必要はないし、また自分の次点にも敏感でなければなりません。そのためには信仰を放棄するのではなく、欠点をを克服しようと努めなければならない。そして、公正な目で世の様々な宗教を観察するとき、他宗の望ましい特徴はことごとく自分の宗教に採り入れなければならない」
 寛容の必要性については、こう述べている。「ちょうど一本の樹には、幹が一つですが、枝葉が無数にあるように、真正にして完全な宗教は一つですが、それが人間という媒体を通して現れるときには、多となる。その一なる宗教は、一切の言葉を超えたものです。ところが不完全な人々が自分に駆使できる言葉の範囲でそれを表現し、その言葉がまた同じように不完全な他の人たちによって解説されるのです。いずれも解釈が正当だといえるのか?それぞれの人の見解からすれば正しいといえるが、誰もが間違っているといえないこともない。ここに寛容の必要性が生じる。寛容とは自分への信仰への無関心ではなく信仰へのより知的で純粋な愛を意味する。寛容の心は、わたしたちに精神的な見る目を与えてくれる。他宗教に関する寛容の心を養うことは、自分の宗教を理解する事である」
ガンジーはかつて自分の得心のいくようにいろいろな宗教の聖典に目を通して、キリスト教・イスラム教・ゾロアスター教・ユダヤ教・ヒンドゥ教などにじゅうぶん精通した。そして、どの宗教にも敬意を抱き、理解できないこともあったが、それがみんな誤りとは決めつけずにいたことにより、それらが明らかになったこともあったという。公正な判断力が多く難問を解く助けとなるのです。
 こうしたガンジーの宗教を平等に考えた寛容のこころが、インド独立にしスラム教徒のパキスタンとヒンドゥ教とのインドという「二国分割独立」を許さなかったのではないでしょうか。

おわりに

 今回、課題研究で、何冊かの本を通してガンジーについて知る事が出来ました。その中でガンジーや非暴力について感じたことがいくつかあります。ガンジーの偉大さというのもその一つです。その偉大さというのは、ただ単に非暴力運動によって得たものではなく、ガンジーの精神のひとつひとつにあらわれていました。アヒンサーにより世界の人々を友と思い、その限界は果てしないものであること、宗教についてもすべての宗教に尊敬の念を持ち続けたこと、決して上からものを見るのではなく貧しい者との交流のなかから問題を見抜き、人々に呼びかけたこと、それらの一つ一つ、すべてがマハトマ――偉大なる魂でありました。
 そしてガンジーの考えたような非暴力の精神を大切に守らなければならないと感じました。今、非暴力の精神が忘れられ、戦争へと向かう世界の動きが見え隠れしています。このような中で、非暴力の精神を持ち続けることは容易ではありませんが、平和を守り、築く上では非常に重要な事です。非暴力を守るには、ガンジーの精神を学ぶのも一つの手段でがありますが、それだけにとどまらず、自分が非暴力をどのように表すかを見つけ出すことも大切な手段です。でも私自身、まだ見つけ出せてないので、それを目標に残りの研究を続けたいです。
   

参考文献

書籍: 世界名著「ガンジー自伝」 ガンジー著    ・・・ 中央公論者
「わが非暴力の闘い」 「非暴力の精神と対話」
ガンディー著 森本達郎訳  第三文明社
「非戦」 坂本龍一+sustainability for peace監修  幻冬舎
HP JVC活動内容
http://www1.jca.apc.org/jvc/join/palestine_jp.hyml
マハトマ・ガンジー
http://www.ffortune.net./social/people/word-mod/gandhi-m.htm
偉人館―インド独立の父・マハトマ・ガンジー
http://www.infosnow.ne.jp/~uwabe/izinkan9.htm
マハトマ・ガンジー http://www2.justnet.ne.jp/~asia/ganbhi/
knowledge  http://www.lares.dit.ne.jp/~moon3226/Tishiki.htm

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