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教育相談
子育てのヒント

子育てのヒント




○ 子育てに生かせるカウンセリングの考え方

  はじめに
  1.聴くこと
  2.共感性を育てる
  3.エネルギーを与える
  4.幅の狭い価値感を押しつけない
  5.しかり方を考える
  6.相談できる相手を持つ

○ 子育て・親子関係にかかわる対応の基本

  はじめに
  1.子育ての流れについて
  2.何度も問題が発生するときの、かかわりの変え方
  3.思春期の子どもとの「切れた関係」の修復について
  4.夫婦で子どもへの指導を一致させるということ
  5.子どもにとって必要な保護と不必要な保護(過保護)
  6.子どもにとって必要な干渉と不必要な干渉(過干渉)
  7.しつけが虐待にならないために
  8.「良い子の息切れ」と対応の基本
  9.「ひきこもり」と対応の基本
  10.子どもを信頼すること、任せること
  11.子どもへの期待の仕方
  12.子どもからの不満やいらだちのサインと、その対応


子育てに生かせるカウンセリングの考え方

はじめに



 聴く姿勢を大切にすること、共感すること、視点を変えて相手の立場から物事をふりかえってみること、それらはカウンセリングの現場で、相談に来た人にエネルギーを与え自分で決断して踏み出してもらえる力となります。
 それらカウンセリングの考え方が有効なのは、カウンセリングの現場だけに限りません。日常生活の中で実践してみても、人間関係が良くなっていくことを実感できます。こちらからの受容的な優しさが、いつの間にか相手からもかえってくるようになっている事に驚かされます。
 それは、職場の人間関係にも、夫婦関係にも当てはまります。そして、特に親子の関係「子育て」に、不思議な大きな威力を発揮するのです。
 ぜひ、カウンセリングの考え方について、ご一読ください。もちろん、完全に取り入れるのは無理ですから、いくつか参考にしてみようという気楽な気持ちで、どうぞ。


1.聴くこと

 「聴くこと」が、カウンセリングそのものといえます。

 悩みの相談にこられる保護者の方の中には、一方的にお話になられてほとんどこちらの話を聴かれない方もおられます。あふれる思いを話されて、それはカウンセリングとしては、良いことなのです。
 しかし、心配になることもあります。おうちでは、子どもさんの話をじっくり聴いておられるのだろうか。子どもさんは十分に話ができているのだろうか、次第にあきらめてしゃべらなくなってはいないかと。
 「子どもが何を考えているんだか、本当にわかりません」と、おっしゃる方もおられます。基本的に、わからないことがあれば当人に聴くことです。しかし、それは「どういうことなの」「何を考えているの」と次々と問いただすことではありません。じっくり、ゆっくり耳を傾けることです。途中で何か思っても、たとえ腹が立っても、とりあえず最後まで口を挟まず、まず聴いてみる。そこで、何かの発見があったり、新しい関係が始まったりします。それが、カウンセリングでいう「傾聴」です。

 聴きながら、「聴いているよ」ということを伝えるのが大切です。その方法をまとめてみます。

 ○うなずき
 タイミングよく(早すぎず、遅すぎず)話にあわせて「うなずく」ことが、子どもを元気づけ、話す意欲を育てます。子どもが幼いほど、顔を近づけて目を見て、大きくゆっくりうなずいて話を聴いてあげてください。思春期の子どもに対しても、言うことがいちいち気に障っても、とりあえずうなずいて最後まで話を聴いてあげて下さい。

 ○くりかえし
 子どもの話す言葉の一部をそのままくりかえしてあげてください。そのまま受けとめてくれていることが伝わり、もっと話したい気持ちになったり、子ども自身が自分の言ったことを確認し、ふりかえることもできます。

 ○共感
 子どもの立場になって感じ、その気持ちを自然な言葉で伝えてあげてください。子どもは受け入れられたと感じ、緊張感を和らげます。

 子「学校で○○くんから、・・・って言われた。」
 親「・・・そんなん、いややねぇ」

 ○沈黙
 子どもの言葉がとぎれたときにも、しばらく黙ったままで待ってあげてください。子どもは言葉を探したり考えを深めたりしているかもしれません。あせっていろいろ問いかけず、ゆっくりうなずきながら待ってあげてください。子どもも自分の心のうちを見つめたり何かに気づいたりできるかもしれません。また、ゆっくり待ってもらえることで、受けとめられ許されていることを実感できるものです。

 とにかく、あせらず、あわてず、ねばり強く、です。


2.共感性を育てる


 共感というのはカウンセリングの基本です。しかし、カウンセラーでなくても共感性豊かな人はたくさんいます。共感性の高い人は他人の思いを自分のことのように感じることのできる人です。他人の喜びや幸せを共有できる人です。それは、他人の悲しみや痛みを想像し共有できるということでもあります。

 そのため、共感性の高い人は他人の物を盗ったり傷つけたり差別したりということのできにくい人だと言えます。物を失った人の悲しみや傷ついた人の痛みを自分のことのように感じ、それを想像することができるからです。

 他人を傷つけたりすることを避けようという心の働きは、傷ついた人の痛みや怒りやその家族の悲しみが想像でき、さらにそれを感じる自分の心の痛みやそのことを知った自分の周囲の人々の悲しみまでを、経験的に感じるところからくるものです。それを感じることのできない人には、「人を傷つけたら、やり返されるよ」「人を傷つけたら、罪になるよ」という脅しや法律で、行動を束縛していくことが必要になります。

 しかし、理屈や法律だけで束縛しているならば、「誰にも見つからない」と本人が思い込んだときの歯止めにはなりません。「別に法律に違反しているわけではない」という開き直りも出てきます。

 ところが、共感性は、どのような状況においても攻撃性や利己主義の歯止めになります。子どもには、「人を傷つけるのは悪いことだ」と理屈で教えるよりも、「傷つけられた人の気持ちになれる」共感性を育てることの方が、まず大切です。

 そして、共感性を育てておくことが、「人の迷惑にならない、決まりを破らない」態度を身につけさせ、共同生活のルールやマナーを教え、社会生活に適応させていくことの基礎になります。

 それでは、子どもの共感性はどのようにすれば育つのでしょうか。共感性というのは観察学習によって身に付くものだと言われています。自分の身近な人が共感性を持って生活している姿を見て、それを自分の行動の中に取り入れるのです。まさしく、見て学ぶ、「子は親の鏡」という部分です。その中にも、二つの側面があります。

 一つは、親が自分に共感してくれているという経験です。

 乳児の頃、不快で泣いていればそれを理解して快適な状態にしてくれたという信頼感の芽生えから始まり、幼児の頃に十分に言葉で伝え切れない自分の気持ちを受けとめ理解してくれたという体験、そして成長に従い様々な形でぶつかる問題や悩みでつらい思いをしている自分の痛みを理解してもらえたという満足、それらが積み重なって子どもの中に共感性を育てていきます。

 親自身が子どもに対して共感性を持って接しているかどうか、自分でふりかえってみるのは難しいものです。それをふりかえる一つのヒントとして、次のような場面を考えて下さい。



 「小学4年生の自分の子どもが河原の岩の上をピョンピョン飛んでいます。岩がグラグラしていて危ない感じなので、『危ないからやめとき』と声をかけます。それでもやめないので、もう一度声をかけたら『平気、平気』と言って飛び続けています。心配で見ていたらやっぱり岩から滑って落ちました。だから言ってるのにと思いながら、そばに走りよってみると、膝をすりむいて血が少し流れ泣きべそをかいています」

 このときあなたは、まず 何と 声をかけますか。



 「心配やから、『大丈夫か』と言うに決まっている」と思う人は、共感性を持って子どもに接していることと思います。

 言うことを聞かなかったことに腹を立ながら「だからやめときと言ったやろ」と、まずしかる人は、子どもに対しての共感的なかかわりをもう少し意識してみるほうがいいかもしれません。子どもの気持ちになって接することを心がけられることです。特に両親とも後者のタイプの場合には、子どもはつらいでしょう。

 子どもの共感性を育てるために必要なもう一つは、親自身が小さな生き物の命を慈しみ、隣近所の不幸に心を痛め、テレビなどで知る遠方の地の災害などに対しても悲しみと同情を持つ姿を見せていることです。これらの姿を子どもは文字通り「見習う」のです。親が小さな生き物や動物の命をどう扱うのか、「命」「金銭」「その他の欲望」のいずれに比重を置くのか、また他人の不幸にまず好奇心を持つのか同情心を抱くのか、それらについての親の姿を、子どもは自分の行動の中に取り入れていきます。

 以上の二つの側面を満たされた子どもが共感性豊かに育つのです。そういう子どもが簡単に人の心を踏みにじったり、生命を奪ったりできるはずがありません。そして、また自分も共感性豊かな子どもを育てることができるのです。


3.エネルギーを与える



 ルールを守るとか生活習慣を身に付けさせるというのは、子どもにとって「我慢や忍耐」や「苦痛」を強いる要素があります。また、子どもも成長するにつれて、誘惑や怠惰に負けてしつけの縛りから逃れようとする思いも芽生えてきます。そこで、そういう誘惑に負けない心のエネルギーを養っておく必要があります。

 カウンセリングにおいてクライエントにエネルギーを与えるのは、保証や受容です。それは、「大丈夫です」とか「そのままでいいのです」「ここにいていいです」「また来て下さい」という姿勢です。

 子育てにおいての保証というのは、子どもをまず肯定的に見ることでしょう。肯定的に見るというのは、「子どもの成長する力を信じる」ということです。「おまえにはそんなことはできない」「おまえはだめだ」という否定的な接し方をすると、子どもは自信も意欲も失っていきます。そして、自己否定感や攻撃性が強くなっていきます。

 子どもの成長する力を信じる以上、励ましと期待はもちろん必要ですが、子どもの実際の姿や能力を超えた過度な期待は逆効果となります。過度な期待は、いつかそれに応え切れないことに子どもが気付きます。そのとき、子どもにとってそのことが「親の期待を裏切った」という罪の意識となったり、「期待に応えられない自分がここにいていいのだろうか」という不安になったりもします。さらに、「生きていていいのか」という存在の不安にまでなっていくことさえあります。

 保証というのは、「期待に応えてくれるからお前が必要なのではなく、お前の存在そのものが大切なのだ」という思いを子どもに伝えてあげることです。それは「ここにいていい」という安心を与えることでもあります。

 いい子であり続けること、期待に応え続けることができなくなり、精も根も尽き果てたという感じで、学校にも行けなくなって家にこもる子どももいます。特にそういう子どもにとっては、「もう無理をしなくてもこのまま家にいていいのだよ」という保証を本気で与えられたと感じたときに、逆に外に向けての一歩を踏み出すエネルギーが生まれるようです。

 子どもにとって「自分は不必要な存在なのではないか」という不安は大変つらいものです。よく、子どもにも家事を分担させようとか家庭での役割を与えようと言われるのは、何か家の中での役割を担っているという意識が「子どもに自分の存在意義を形で実感させることの一つ」であるからです。

 また、受容というのは「見守る」「受けとめる」ことです。幼児も親が自分を見守ってくれていないと感じると不満と不安を感じ、かえって親のそばから離れなくなります。まず、関心を持って子どもの行動を見守ることです。先に口を出したり手助けしたりせず時間がかかっても待つこと、そして結果がどうであれ、努力したり挑戦しようとしたことをほめることです。

 「受けとめる」ことはカウンセリングそのものです。例えば、子どもの話は真剣に集中して最後まで聴くことです。いい加減に聞いていたり、途中で反論したりしていると子どもは確実に心を閉ざしていきます。そうなってから「話してくれない」「何を考えているのかわからない」と思っても遅いのです。

 保証と受容を十分に与えられないと、子どもはそれを求めてかえって幼い頃から「いい子」を演じ続けることもあります。しかし、エネルギーが不足してほとんど思春期で息切れしてしまいます。前述のように不登校や引きこもりなどという形で休息することにもなります。そういうケースでも、思春期に完全に動けなくなってしまう前に小学校や中学校で何度か子どもはサインを出していることが多いのです。

 しかし、小学校の頃に身体の不調や原因不明のしんどさを訴えて学校を休み、「今のままでは私は息切れしてしまう」とサインを出してきても、強引に学校へ連れて行ったり誰かに迎えに来てもらったりして表面的に乗り切ってしまうこともあります。そのときに、親子関係を見直したりじっくり子どもと向き合ってみることが必要なのです。説得や力で乗り切ってしまった場合、高校などで本格的に動けなくなることが多いものです。

 高校で動けなくなった子どもには、力づくや脅しや説得はもう効果がありません。幼児期からの育て直しをするくらいの覚悟で付き合わねばなりません。「受容」と「保証」の付き合いです。小学校のときのサインに応えるよりも、はるかに時間と労力のいる付き合いです。


4.幅の狭い価値感を押しつけない



 カウンセラーがクライエントに自分の意見を押しつけることはまずありません。積極的に意見を言うことさえ少ないのです。

 しかし、親子の場合はまた違います。親が子どもに対して積極的に意見を言わない場合、子どもの方で「自分は期待されていない」「自分は関心を持たれていない」と感じる場合もあります。子どもを見守り、必要に応じて意見や助言をすることは重要です。

 ただし、子どもへのしつけとして教えるルールやマナーなどは、社会通念とずれていないものでなければいけません。各家庭によって内容が大きく違って、親の好き嫌いや都合や趣味を押しつけるものであってはなりません。

 子どもの成長とともに自分とは違う独立した人格であることを認め、一方的に自分の価値観を押しつけないことも必要です。

 例えば、中学を受験するため小学校から塾に通って余裕のない生活をしている子どももいます。これは、大抵の場合親の側からの「中学受験合格=将来の幸福」という価値観によるものです。もちろん「子どもの将来の幸福を願う親心」もあるのでしょうが、どこかに「自分たちのできなかったことを果たしたいという代償心理」や「自分たちの見栄」という部分はないでしょうか。そういうこともふりかえりつつ、「お金もかかっている」と恩に着せたり重圧をかけすぎたりしないことと、子どもに逃げ道を作っておいてあげることが必要です。

 逃げ道を作っておくというのは、「中学受験に合格しなければ幸福になれない」「有名大学に進めなければ幸福になれない」という一つだけの価値感を、子どもの中に刷り込んでしまわないことです。それを刷り込まれてしまって受験を失敗した子どもは、悲劇です。中学生にして、自分は幸福のレールから外れてしまっているという挫折感を持って生活していかねばなりません。また、幸いにして合格したとしても、もちろん内部で順位は1番から最下位まであるのです。学習についていけないと感じたときに、「もうこれで幸福の道はない。人生は終わった」と感じたとしたら、それも悲劇です。

 「勉強することで自分の人生の選択の幅を広げるのだ」という教えはよいとしても、「勉強ができなければ幸福にはなれない」という教えは、子どもが挫折したり限界を感じたときの救いをなくさせてしまいます。

 その他、子どもの人生の幅を狭いものにしてしまうような価値観の押しつけは決して子どもの幸福にはつながりません。

 例えば、差別的な人権感覚や偏見を子どもに伝えることは、社会での交際の幅を狭くさせ孤立させてしまうことにもつながります。これからの「ちがいを認め合い、共に生きる」社会においては、家柄・国籍・人種・民族にこだわり、偏見を持ち続けることは、その人自身が楽しく幅広い人生を送れない状況につながっていくと思われます。


5.しかり方を考える



 しかるよりもほめること、欠点をなくすより長所を伸ばすこと、そう心がけるのが大原則ですが、わかっていてもできないのが親子関係です。本気でしかるべきときはもちろんありますし、本気で怒る・しかる・説教する・話してきかせることも避けては通れない道です。また、感情的になるなと言われても「今までこれだけ面倒みてきたのに」とか「これだけ言ってきたのに」とか「自分の子がどうして」等々、怒りが込み上げてきて爆発してしまう気持ちもわかります。普段から子どもとしっかり向き合っているのならば、それもまた親子関係の一つと思えます。

 それでは、しかるときの留意点について考えてみましょう。

 まず、殴ったり蹴ったりの暴力を使わないことです。

 暴力というのは麻薬のようなもので、一度使い出すと止まらなくなります。初めに子どもが何か悪いことをして一回殴ったとします。次にもう少し悪いことをしたら、二回殴ることになります。子どもは成長とともに起こす事件や問題や失敗も当然大きくなっていきますから、それに合わせて暴力も拡大していかねばなりません。そして、とうとうとんでもなく悪い行為をしてきたとき(例えば、一方的に人を傷つけてきたとか)すでに、親の暴力が限界に近い所へ達しているならば、それ以上親は何ができるのでしょう。

 また、暴力的な子どもは必ず親から暴力を受けて育ってきています。怒りの感情爆発させ方も、子どもは親をモデルにしています。例えば、不登校などから家庭内暴力になる子どもの場合も、やはり過去に親から暴力を受けていることがほとんどです。親から直接暴力を受けたことがないのに家庭内暴力になっているケースでは、子どもは家具や物を壊して暴れているだけで直接親を殴ったりはしていないことが多いのです。

 親の常習的な、あるいは気分次第の気まぐれな暴力から、子どもの反省や意欲や向上心が生まれることはありません。生み出すのは、恐怖やいしゅくや反抗、憎悪だけです。親の暴力への憎悪や不満は、自分より弱い者への攻撃となって表れてくることもあります。そして、暴力的に育てられた子どもはまた自分の子どもを暴力的に育ててしまうことが多いようです。


 兄と弟がけんかをしています。兄が弟をたたいたので、父親が口を出します。「こら、暴力はやめろ」

 兄が言います。「こいつが悪いんや」 父親は、「口で注意したらいいやろ。 とにかく暴力はいかん」と言います。

 その後、また兄が弟をたたいています。父親が「こら、たたいたりするな」と怒ります。兄はふくれています。

 そして、三度目に兄が弟の足をけっているのを見て、父親は爆発します。「暴力はあかんと何度言ったらわかるんや」と怒鳴りながら、兄の方を殴りつけます。

 家族の中の「抜け出せない暴力のパラドックス」です。


 気分次第で、自分がイライラしているとき、ついつまらないことでも子どもを怒鳴りつけてしまう殴ってしまうと反省されている方は、そのときに後悔した気持ちを文章に書いておくとよいでしょう。さらにその文章には、子どもがしてくれて嬉しかったこととか、いい子だなと思ったこととかも書いておくといいのです。一度書いておくといちいち見なくても内容は思い出すものですから、爆発の歯止めになることもあるでしょう。

 子どもとの信頼感や良い関係は一度つぶすと回復に時間がかかります。やっと回復しかけたときに、不要な爆発をしてしまうという悪循環ができていることも多いようです。自分がイライラしていると思うときには子どもの様子から目をそらしておくというのも一つの方法です。

 しかるときに気をつけたいのは、「具体的に、短く」しかるということです。「何が悪いのか」をはっきり指摘して、どうしてそうなってしまったのかという経過や心情を問いかけます。

 その後で、本人に「どうすればよかったのか」という具体的な方法や考えを示します。

 こういう子どもとのやりとりには、できれば一人よりも、しかり役(指摘役)と聴き役(調整役)との二人がいることが望ましいのです。

 一対一のときには、「もうそのへんで」「もうわかってるよね」と切り上げるタイミングを与えてくれる人がいません。一人のときは、自分一人でしかしかり役ととりなし役の両方を演じることを意識の中に置いておかねばなりません。

 また、親の側には「本当にわかったのか」という不安があり、ついくどくどと繰り返し、最後は「恩着せ」や「愚痴」になってしまうこともあるので、注意が必要です。くどくど繰り返しているうちに感情的になってしまい、「勝手にせえ、もう知らん」とか「出て行け」と怒鳴って、それまでの話し合いを一気に無効にしてしまいかねないからです。

 愚痴を繰り返さず、投げ出さず、一歩手前で切り上げるというのも重要です。


 しかり方の十か条をまとめておきます。

 ○ いけないことはいけないと、わかりやすく本気でいう

 ○ 一回で治らなければ次の機会にも、粘り強く

 ○ 子どもの人格そのものを否定するのでなく、行為を否定する

 ○ 日によってしかったりしからなかったり、気分次第にならない、一貫性を持つ

 ○ 何がいけないことなのか、夫婦で一致させる

 ○ どうしてほしいのか、具体的に示す

 ○ 他の子との比較やいやみを避ける

 ○ ひとつのことについてしかり、話を広げない

 ○ 反省がみられたらくどくど繰り返さず、引き際を早く

 ○ 暴力は子どもとの関係を破壊してしまうことを忘れずに


6.相談できる相手を持つ



 カウンセラーも、いつも人の悩みを受け止めていると疲れてきます。また、自分自身のした対応に不安を感じたり悩んだりすることもあります。そういうときに、カウンセラーの話を聴き、助言もしてくれるのがスーパーバイザーです。

 家庭での子育てにおいて親もスーパーバイザーを持てればどんなに精神的に楽かと思います。かつては、近所のもう子育てを終えた女性が若い親にとってのスーパーバイザーであったり、家庭の中でも祖父母がその役を果たしていたりしていました。しかし、核家族化と近隣の人間関係の稀薄化から、子育てに関して親は外からの情報に振り回されつつ孤独に悩むという状態を余儀なくされています。

 そんな状況の中で、父親が子育てに参加せず母親一人に押しつけるならば、母親は孤独感から過保護になるか、不安感からヒステリックになるか、無力感から甘くなるか、いずれにしてもよい結果を望むのは難しいでしょう。たとえ一方の親が仕事に忙しく直接子どもと触れ合う機会が少ない場合でも、せめて育児の相談役として、十分に共感と受容と関心を持って日々の話を聴く必要があります。 そして、それはただ話を聴いてもらえば気がすむという問題でない場合も多く、共に悩み共に考えるべきことがたくさんあるはずです。

 望ましいのは、父親と母親が二人で子どもに向き合い、触れ合って、子育てをしていくことです。子育てや子どもの状態について常に話し合い、「子どもをどう育てたいか」「何を守らせたいか」などについて二人の考えを一致させていく必要があります。

 よく、父親と母親の態度がバラバラではいけないと言われますが、それは子育ての考え方や家庭のルールについて一致させておかねばならないということです。父親が激しくしかっているときには母親も一緒に激しくしからねばならない、ということではありません。核家族において、両親が一緒に厳しく迫れば、子どもには逃げ道や救いがありません。

 一方が厳しく激しく子どもに迫っているときに、もう一方が子どもの聴き役に回ったりタイミングを見て助け舟を出したり、事態を治める方向に動くのも大切です。

 そして、その後にこれからの方針や展開について、両親が二人でゆっくり話し合うことが重要なのです。子どもに対する見方が違うところもある、それぞれ異なった環境で育った夫婦が、それぞれの経験や考えを出し合っていくことで子育ての幅を広げることになります。そのような夫婦の関係ができていれば、それぞれがお互いにとってのスーパーバイザーとなれるのです。

 子育ては夫婦の共同作業です。それをまず両親がしっかりと自覚していることが重要です。

 そして、一人で子育てをしている場合は、ぜひ相談相手を持ちたいものです。子育ての不安や悩みを話すだけでも、少しは気が楽になります。

 よければ、「すこやか教育相談」もご利用いただければと思います。

 まず、いろいろな思いを気軽に話していただけるということでは、電話相談(さわやかホットライン 06−6607−7362、 FAX06−6607−9826)をおすすめいたします。





○ 子育て・親子関係にかかわる対応の基本

はじめに


 このページを読んでいただいている方は、子どもさんのことに関心を持って、あるいは何かの不安を抱いて、「自分の考えと一致しているか」「何か新しい手立てはないものか」と考えておられることと思います。

 もし、何か悩んでおられる場合には、「子どもとのかかわり方を少し変えてみる」「発想を変えてみる」ことができれば、子どもさんとの関係が良い方向に変わるかもしれません。

 ここでは、子どもの育ちや親子関係に関して「何かヒントがほしい」と思ってこられた保護者の方へのアドバイスのための、基本的な考え方を整理しています。これも、完全に取り入れようと無理をすると、かえってしんどくなる場合があります。「納得できたら、少し変えてみようか」くらいの気持ちでお読みください。

 また、今現在、自信を失ったり疲れ悩んで苦しい状態であれば、どうぞ当センター「すこやか教育相談」の「電話相談」「メール相談」「面接相談」もご利用ください。


1.子育ての流れについて



 乳児の頃は、親は心と時間を十分に使い(自分の時間や生活が全て奪われるように感じても、その状態はいつまでも続くものではないのだと思って)受けいれ、共感し、守り育てながら、親子の信頼関係、人間への信頼感、心のエネルギーを育てます。

 そして、子どもの発達段階に合わせて「心と時間に余裕を持って」いろいろなルールや約束を、あせらず急がず繰り返し教えていきます。そのルールや約束は、親の勝手な都合による押しつけではなく、子どもが社会に出て自立していくために必要なもの(社会生活のために身に付けておくべきもの)であることです。

 それから、成長に応じて、自分で選んだり、自分で考えたりする機会を与え、自分でできることは自分でさせていきます。手間がかかっても不安があっても任せてみてやらせてみて、それを見守ります。失敗したときには、具体的な助言と励ましを伝えます。うまくいったときには十分にほめてあげます。必要なときには本気でしかります。

 そうして、思春期に入った頃から「子どもを信じて、子どもに任せる」という幅を、どんどん意識して拡大していくことです。

 その成長の過程で子どもが親に問題を突きつけてきたときには(どうもうまくいかないと繰り返し強く感じるときには)、それまでのかかわり方を見直してみる柔軟さも必要です。


2.何度も問題が発生するときの、かかわりの変え方



 子どもとのかかわり方を変えるといっても、「親としての、あなたのかかわりが間違っていた」というより「かかわり方が、その子には合わなくなっているのかもしれない」ということです。実際、ほかの兄弟にはそれで問題なかったということもあります。

 子どもへのかかわりで、もっと手を出していけばいいのか手を出さずに見守ってやればよいのか判断に苦しむ場合、それまでの道のりをふりかえってみることです。

 それまで、自分が子どもに任せ、手を出すのを控えてきたのならば、ここ一番乗りだして守って戦って走り回ることが良いかもしれません。

 それまで、子どもにいろいろ口を出し、守り走り回ってきたのならば、ここはじっくり「待つ」べき「見守る」べきところかもしれません。もちろん突き放すということではなくて、本人の話は十分聴いてあげることで寄り添って黙って見てあげようという覚悟をすることです。共感できるところは共感し、でも、あなたの力でなんとかするのを見守っているよという姿勢です。

 どちらにしても急に極端に変えようと努力しすぎると、子どもも混乱するかもしれないし、親にもストレスがかかります。

 それまでのかかわり方を少し変えることを心がけてみるだけでも、子どもの中の何かが変化していくことを感じられることも多いのです。


3.思春期の子どもとの「切れた関係」の修復について



 家庭の空気を変える(空気の緊張を緩める)

 @ 名前を呼ぶときに、やわらかく優しい気持ちで

 切れた関係になっている親子の間では、親が子どもの名前を呼ぶときもいつしか険のある声音やマイナス感情の入った響きになっているものです。何か、始めからけんか腰という感じだったりします。基本的に家庭の空気がピリピリした感じになっています。

 まず、名前を呼ぶときに優しい響き、おだやかな気持ちを込めて呼びましょう。(ある方からこんな話を聞きました。部屋の掃除をしていたら子どもの小さかった頃の写真が出てきたそうです。「ああ、こんなかわいいときがあったんだ」と、思い出されていました。すると、その日、子どもの方から話しかけてきたそうです。なつかしい、優しい雰囲気がその方の表情の中に生まれていたのかもしれません。)

 子どもが幼くかわいらしかったときを思い出して、その当時の気持ちで呼びましょう。始めは、かえって気持ち悪がられたり文句を言われるかもしれませんが、それでも続けていれば子どもも慣れていきます。

 空気が少し変わるはずです。

 行き詰まったときに、「初心に帰る」、つまり家族の始まり・原点に帰ることが、何か動かす力となるかもしれません。

 A あいさつを復活させましょう

 険しい関係になっている親子の間では、「おはよう」「いただきます」のあいさつもされなくなっていることがほとんどです。(それが、なされていればかなり大丈夫。家族のつながりや力は残っています。)

 つながりの回復策のひとつとして、あいさつの声かけをしましょう。かといって、いきなり「おはよう」「おかえり」と言っても、無視されたり、かえって「かまうな」と文句を言われて、こちらも不愉快になります。

 声かけは、「行ってらっしゃい」か「気をつけて」と、出かける後姿にさらっとかけるのが一番です。すぐに戻ってきてまで文句も言わないでしょう。無視して行かれても、それはそれで流れとして自然です。かかわりたい、つながりたいという気持ちは伝わります。それは、思春期の子どもにとって、うるさいけどうれしいことなのです。

 続けることで、空気が少し変わるはずです。

 B うなずいて、話を最後まで聴くことを心がけましょう

 思春期の子どもの話は、なかなかうなずいて聴けない内容や調子のものが多いです。しかし、とりあえず最後まで口を挟まずに聴いてみることを実践してみましょう。黙って聴いていることは「許している」ようで不安になり、つい途中で口を挟んでしまうのです。しかし、「理解する」ことと「許すこと」は、違うのです。

 まず、理解するために最後まで聴くのだ、そう意識しましょう。「子どもが何を考えているのかわからない」とおっしゃる人ほど、「わかるためにじっくり聴く」ことが少ないのです。「わからないことは、まず当人に聞け」ということです。

 聴く姿勢が伝われば、空気が少し変わるはずです。


4.夫婦で子どもへの指導を一致させるということ



 夫婦で子どもへの指導を一致させるというのは、「何が良いことで、何が悪いことなのかという基準」や、「うちの家庭にとって大切なこと」などの共通理解を十分にしておくということです。そこがずれていると、子どもにとって「何が正しいのか」の混乱が生まれます。

 悪いことをしたときの対応などは、一人が厳しく指導して一人がフォローしたり、子どもへの当たり方は違っていて当然です。かえって、二人とも配慮しすぎて「あいまいにならないよう」二人とも迫りすぎて「追い詰めすぎないよう」二人がバランスよく接することができればすばらしい。

 そして、これだけは許せないという事をしたときには、二人して本気で迫るのです。

 普段から十分に話や意思疎通がないと、問題が起きたときに、1+1=0.5の力しか出ないこともあります。理解や協力があれば、1+1=5の力にもなるのです。


5.子どもにとって必要な保護と不必要な保護(過保護)



 「保護」というのは主に「守り、与える」ことです。具体的には、たとえば次のようなものです。

 @ 子どもの存在や生命を大切でかけがえのないものとして受け入れ、守る

 A 十分な愛情表現をし、子どもと過ごす時間を持つ

 B 適切な内容と量の食べ物を与える

 C 寒暖に応じた快適な環境・衣服を整える

 D 家庭生活、社会生活を送るために必要な物資を与える

 E 子どもの要求に応じた物資を与える

 @やAは、精神的保護です。愛情面での保護とも言えます。これは、子どもの精神を安定させ情緒面を育てます。

 精神的保護が、人間に対する信頼感を育て共感性を高める鍵となります。それは、「抱きしめる」ことや「笑いかける、話しかける」ことから始まり、成長に応じて「認める、ほめる」「聴く、受けとめる」ということなどで表現されます。

 精神的保護を十分に受け、満たされて育った子どもは、成長するにつれ、親からの表面的な愛情表現を常には求めなくなります。それは自立への自然な動きです。

 精神的保護が充足されずに育った子どもは、「物」を「要求すること」で親の愛情を確かめようとすることがあります。あるいは、小学校に入ってから退行(赤ちゃん返り)したり、思春期に入ってから親に限度を超えた要求をしたり、必要以上に甘えたりすることもあります。

 このとき、子どもが本当に求めているものをわからず、要求されたとおりの「物」を与え続けていくだけでは、子どもの心は満たされません。その要求は次第に、親が持て余すものとなっていきます。子ども自身にも、なぜ自分がそんな要求をしてしまうのか、本当の理由がわからなくなっています。自分なりの理由を思いついたり、親以外の人や社会に責任があるかのように思い込んだりもします。このとき子どもが本当に求めているものは、愛情なのです。これまでの育ちの中で十分に満たされてこなかった「保護され、受け入れられたい」という思いに、応えることが必要なのです。親がそのことに気づいたなら、「育て直し」を始められます。

 BやCDは、物質的保護です。環境面での保護とも言えます。これは、子どもの健康を守り体力面を育てます。

 生きるため必要な物質的保護は、子どもの生命を守る必要最小限の保護です。この保護さえ与えないのは、「虐待」の一つの形です。

 Eについてはどうでしょう。

 これは、子どもの生命を守り保護するため必要な最小限の物資以外の、主に遊びや娯楽にまつわる嗜好品・贅沢品と言えます。

 今の社会には、子どもにとって便利で楽しい物がたくさんあります。目新しい品物も次々と発売されます。子どもの求めに応じ次々と品物を買い与えていく親もいます。「みんな持っているから」と言われたら、親は弱いものです。「仲間外れにされたらかわいそう」と自分なりに納得して、与えてしまいます。子どもは大した苦労も工夫もなく、「みんな持っている」流行の品を手に入れることが多いのです。

 「精神的保護」を十分に受け満たされて育った子どもは、成長するにつれ、親からの表面的な愛情表現を常には求めなくなる、と述べました。自然な自立心の育ちとともに、親から与えられる保護をむしろ拒否する方向に向かっていくのです。

 それでは、自分の求めに応じた「物質的保護」を十分に受け、満たされて育った子どもは、同じように、成長するにつれて親から与えられることをやがて拒否し始めるのでしょうか。

 そうとは言えません。

 自分の欲しい物を与えられ続ける状態は、子どもにとって快適です。与え続ける限り、当然のこととして受け取り続け、感謝することもないでしょう。

 その結果、物の不足を自分の工夫で補ったり、自分の努力で手に入れたりということがなくなります。我慢や忍耐も学べず、充足の喜びを知る、という体験もできません。自分にとって本当に必要な物、価値ある物は何なのかという判断をくだす能力も育ちません。常に新しい物・流行の品物に囲まれていなければ満足できないという状態になってしまうかもしれません。

 幼い頃の子どもの要求に応えるのは金銭的にも大した負担ではないから、無制限に応じていると、成長とともに要求も大きくなっていきます。そこで親が渋り始めたとき、「学校へ行かない」「勉強しない」などの脅しによって言うことをきかせるという経験をすれば、それが生き方にも影響していきます。

 最近の事件などで目につく、相手の気持ちを無視した自分中心の「あきらめの悪さ、我慢のなさ」「しつこさや脅し」で自分の思いを通そうとする生き方の、原点にあるものではないかと思います。

 子どもの成長とともに「何が一番必要か自分で選ばせる」「絶対に必要な物かどうかを考えさせる」「自分で手に入れる体験や努力をさせる」ことが必要です。不足し、求めるところに親子の間に会話と対決が生じ、受容と制限が生まれていきます。「選ぶこと」「我慢すること」を身につけさせる大切な機会だと考えます。このトレーニングが不足すると、大人になったとき、計画性もなく欲しい物は何でもローンですぐ手に入れるという生活スタイルにつながっていきかねません。

 求めた物は全て簡単に与えられる……そのような生活体験の繰り返しからは、選ぶ力も忍耐我慢の力も身につきません。自分の思い通りにならないことがあるということが学べなくなります。

 十分に物を与え続けることが親の愛情の証明にはなりません。特に、子どもと過ごす時間が十分にとれないことや、子どもに受容や共感を十分表現できないことの代償として、必要以上に物を与え続けることは間違いです。愛情不足や、愛情欲求を埋めるものは、精神的な受容や共感でしかあり得ないのです。


 「保護」の姿勢の中で、親が子どもに対して「自分でさせてみる」ことが不足するなら、それも大きな問題となります。

 例えば、入浴について考えてみましょう。

 乳児のときは、もちろん全て親が面倒を見ています。しかし、幼児になると少し親の手を離れて自分で身体を洗いたがるようになります。ところが、自分で洗わせてみると時間はかかるし、そのくせ不十分で後かたづけにもかえって手がかかります。ここで手間を惜しんで、まだまだ無理だと決めつけ親が洗い続けてしまうと、いつの間にか子どもにとってそれは当然のこととなり、いつまでたっても「自分でしてみる、その結果、自分でできた」という喜びと達成感を持てなくなります。

 これは入浴だけに限ったことではありません。日常のあらゆる生活場面の中で見られがちなことです。「自分でしたい」という子どもの、自立への芽を親が自分の都合で摘んでしまっていると言えます。そういうことの繰り返しの結果、かなりの年齢になっても、既に自分でできるようになっていることを相変わらず親に頼り、親にさせているという状態が続いていくことになります。親も、自分が甘やかしたり面倒を見すぎたりしていることに気付きながら、「うちの子はいつまでも幼くて」「心配だから、頼りないから」と世話を焼き続けます。大人の親と一人前の子どもが、互いに不必要にもたれ合った親子関係です。過保護といわれる状態です。

 与え続ける保護は、決して子どもの自立心を育てることにはなりません。


6.子どもにとって必要な干渉と不必要な干渉(過干渉)



 干渉には二つの側面があると言えます。

 一つには、「教え、しつける」ための、正当な干渉です。

 一つには、「押しつける」だけの、不当な干渉です。

 まず、「教え、しつける」ための干渉について考えてみます。

 子どもが将来、仲間集団に入ったとき、自分勝手な行動で周囲をかき乱したり、集団生活に適応できなかったりすることのないように、あるいは、社会に受け入れられ自立して生きていけるように、人としてのマナーや社会的ルール、生活上のきまりや約束ごと、役割分担などを、子どもの成長発達に応じて教えていくことが必要です。

 「教え、しつける」干渉は、子どもが社会で生きていくために必要なことを身に付けさせていく大切な作業です。保護することから結ばれた親子のきずなと信頼関係のもとに、幼いときから積み重ねて繰り返し教えていくものです。

 子どもには、様々なルールや約束ごとを教えていく必要があります。

 学校でなされる生活指導は、そういう観点でなされているものです。子どもにとって集団生活の中のルールを学ぶために耐えなければならないこともあります。ルールだけでなく耐えることを学ぶことも大切です。黙って見守っていても乗り越えていけるならば、すぐに親が助け舟を出さないほうが良いでしょう。

 親にとっての「教え、しつける」作業というのは、子どもが小さければ小さいほど、比較的行いやすいものです。小さい子どもにとっての親はまだ絶対的な力を持っていますから、理屈はわからなくとも、とりあえず親の言いつけとして守らなければならないという気持ちがあります。年を経るにつれ、このような親の干渉に子どもが反発してくることも増えてきます。

 少なくとも日常の生活習慣などに関する決まりごとなどは、できるだけ、子どもの小さいうちに、自然な習慣として身につけさせてしまうべきでしょう。どのようなしつけも遅すぎるということはありませんが、遅くなれば遅くなるほど、子どもの身に付きにくくなるということは言えるでしょう。

 (ただし、勉強や学習はまた違います。内容に応じて、適切な学習年齢というものがあります。何でも幼いうちに、早ければ早いほど、というものではありません。)

 また、「教え、しつける」ということは、大変根気のいる作業です。日常のあらゆる生活場面の中で、子どもとかかわりながら身に付けさせていかなければなりません。

 「教え、しつける」のに大切なのは「余裕を持つ」こと、子どもの動作には時間がかかるということをしっかり念頭において「焦らず待つ」こと、短気をおこさないこと、根気を持ってあきらめないことです。

 食べ残しをしないように一生懸命食べようとしている子どものそばから、「早く、早く」とうるさくせかせれば、子どもは、食べた方がよいのか食べずに終わらせる方がよいのか、わからなくなってしまいます。子どもが、言いつけを守ろうとして頑張っているときは、焦らず見守ってあげることが大切です。

 また、教えても教えてもなかなか決まりや約束を守れない、ということももちろんあります。あきらめずに教え続けましょう。「今すぐにできなくても、そのうちできるようになる」と信じて教え続けることです。どうせできないと決めつけてしまうのは禁物です。

 言わなければできないと決めてかかって、子どもが何をしようとしているかを見る余裕もなく、次々と口やかましく指示したり怒ったりしていると、子どもは萎縮してしまいます。結局、自分で考えて動くことを止め、親の指示を待ってその指示通りに動くことしかできないようになってしまいます。その結果、「うちの子は頼りないから」と、さらに口やかましく、あれこれ言い続けることの繰り返しになります。

 そのままで思春期になると、子どもが強く反発してきて親子関係が大変難しくなってしまうか、子どもが無気力になってほとんど自発的には動けなくなってしまうかすることも多いのです。親の「過干渉」がもたらした深刻な状況と言えます。


7.しつけが虐待にならないために



 親の子どもに対するしつけの基本は「愛情」と「忍耐」です。しつけは親の勝手な都合に子どもを無理に合わさせるためにするものではありません。深夜のディスコに連れて行った幼い子が眠くてむずがるのをしかっているのは、しつけではありません。しつけは親のイライラや不満を子どもにぶつけるものではありません。

 いろいろなルールを守ることや他人を思いやることを教えるのは,子どもが社会生活の中で困ったり排除されたりしないようにという親心です。そこには親としての「愛情」があります。それで子どもも「自分のために教えてくれている」と実感できます。

 いろいろなきまりは、一度で身に付くものではありません。繰り返しねばり強く教える必要があります。そこに必要なのが、「忍耐」です。忍耐をもって接してくれる姿勢も子どもは学んでいきます。

 親が「教え、しつけている」つもりで、子どもの発達段階も考えずに思いつきや気分次第でいろいろ要求したりしかったりしている場合があります。もちろん「焦らず待つ」余裕もなく、子どもの失敗に対してすぐに怒りを爆発させます。そして、激しい言葉や暴力で子どもを傷つけます。子どもはどんどん萎縮し、さらに失敗を重ね、暴力を受けます。それが典型的な「虐待」の形です。しつけをする中で、自分の思い通りにならない子どもに我慢ができずにすぐ暴力をふるい、あとで罪の意識にとらわれるものの、カッとなるとやはり同じことを繰り返してしまう、そういう場合もあります。また、自分の欲求不満やイライラを子どもにぶつけているだけという、しつけの意識も全くない場合もあります。いずれにしても、子どもは心に深い傷を負います。

 親の真剣な気持ちの表現が体罰になってしまうこともあるでしょう。それを全て否定はできないとは思います。そこには、親の祈るような願いや悲しみや苦しみを伝えたいという強い思いがあるはずです。虐待の暴力には、その瞬間ただ「怒り」や「憎しみ」だけに満ちた心があるのです。

 子どもが成長して、虐待した親に対し反発・反撃し、親を乗り越えて飛び出していける場合は、救いがあります。問題になるのは、虐待された子どもが「自分が悪い子だから親に愛されず暴力をふるわれる」というように思いこんでしまうことです。その思いに縛られて「罪の意識」にとらわれ、社会や人に対して対等な気持ちで接することができず、自分を無力で卑屈なものとしてとらえ続けてしまいます。そして、その悲しさや怒りや不満は、自分より弱い、自分と同じ罪や弱点を持っているはずの自分の子どもに向けられてしまうこともあります。そのような親子関係の持ち方しか学んでいないのだと言えるでしょう。

 親の感情や都合の押し付けとマナーや生活習慣を身に付けさせることの違い,しつけと虐待の違いについて考えてみましょう


 あなたが、新車を買いました。ピカピカの車で、小学校1年生の兄と幼稚園の弟の2人を連れてドライブに行きました。

 兄弟が、「何か飲ませて」と言うので、道路端の自動販売機の前に車を停めました。そこには、紙コップの飲み物しかありません。それも、熱いコーヒー・紅茶です。

 あなたは「こぼすからやめとくか」と言い、

 兄弟は声をそろえて「大丈夫」とこたえました。

 あなたは「気をつけてや」と、車に持ち込んで飲むことを許しました。
 少し走ったところで、弟は真っ白の座席にコーヒーをこぼしてしまいます。その横で兄は弟にあきれつつ、空になった紙コップを窓から捨てます。

 あなたは、まず兄弟どちらにどのようなかかわりをしますか。


 弟のしたことは、過失(わざとしたのではない)です。親に迷惑がかかっています。社会には迷惑をかけていません。このことに暴力をふるうようであれば、虐待が心配です。

 兄のしたことは、故意(自分の意志でしている)です。社会に迷惑がかかっています。親には迷惑をかけていませんが、このことを放置していて、しつけはできません。

 子どもをしかったり、何かを教え込もうとするとき、親の都合や感情を優先させているのか、社会で生きていけるためのルールやマナーを身に付けさせることを中心にしているのか、それが虐待としつけのスタートの違いの一つです。

 「兄に紙コップを拾いに行かせ、弟と一緒に車のシートを拭く。」それが、一つの答えです。

 しかし、一番望まれる答えは、まず弟に(熱い飲み物をこぼしているのだから)「やけどしてないか、大丈夫か」と声をかけることです。子どもの体への心配がまず優先されている親の接し方、それが、子どもたちの共感性を育てるのです。(共感性を育てることの大切さについては、「子育てに生かせるカウンセリングの考え方」の「二.共感性を育てる」で述べています。まだお読みでなければ、ぜひお読みください。)

 次に、「押しつける」だけの干渉について、考えてみましょう。

 親一人一人には、それぞれの「価値観」があります。

 幸せとは何か。人はどのように生きるべきか。人の心はどうあるべきか。このような、人の生き方や幸せの意味、お金への比重のかけ方など、人が人として生きていく上で大切にしなければならないものの考え方に関して、それぞれの思いがあります。それを「価値観」と呼びます。

 親が子どもを育てるのに、自分自身の価値観に基づいて、教え、語るのは当然のことです。「おまえの親の信念はこうなのだ」という毅然とした態度が、子どもに、親への信頼と畏怖を育てるとも言えます。

 しかし、その親の価値観が、社会的にあまりに偏り狭いものであったり、余裕のないせっぱ詰まった生き方を子どもに強いるものであったりした場合はどうでしょう。

 自分の価値観だけを信じて他の可能性を見ようせず、「これしかない」というあとさきのない迫り方で子どもの生き方を決めつけるのが「押しつけ」の干渉です。


8.「良い子の息切れ」と対応の基本



 弟や妹が生まれたとき、子どもに「あなたはおにいちゃんだから」「もうおねえちゃんだから」と教え聞かせるのはよくあることです。子どもの自覚を促したり励ましたりする意味において、それは大切なことだと言えます。おにいちゃん、おねえちゃんとしての新しい立場や役割は、思いもかけない成長と進歩を子どもにもたらすものです。

 しかし、おにいちゃん、おねえちゃんとしてのしっかりした「良い子」の役割だけを親があまりにも期待しすぎると、それは知らず知らずのうちに、子どもにとって大きな重荷や負担になっていくおそれがあります。

 また、親自身の都合や問題で、家庭生活を維持していくには子どもの側がしっかりせざるを得ないという家庭の場合、あるいは、夫婦の仲が険悪で子どもがわがままを言ったり甘えたりしている余裕がなく、おとなしく振る舞わざるを得ないという家庭の場合など、それは、「手のかからない、問題のない、親にとってあつかいやすい良い子」の役割を、親の都合と事情で一方的に子どもに押しつけている状態であると言えます。そのような押しつけは、子どもにとって大きな重荷や負担です。

 「良い子」の役割を押しつけられた子どもが、長年その役割を忠実に引き受けているうち、もうこれ以上は引き受けきれないという限界に達することがあります。それが「良い子の息切れ」です。

 弟や妹の面倒をみなくなる、家事をしなくなる、学校へも行かなくなる、など、まさに、ガソリンが切れ、エネルギーが切れ、息が切れた状態です。

 自分も甘えたい、わがままも言いたいという欲求を抑え込み、親の期待通りの「良い子」であり続けようとしてきた子どもほど、大人を目前にした思春期にさしかかって突然に息切れた状態になります。「自分も甘えたかった、わがままも言いたかった」という心の表れだとも言えます。

 そういう子どもに対して、「おまえだけは信頼していたのに」「裏切られた」と怒って責めたてるべきではありません。それは、息切れして倒れている子どもを無理矢理引き起こし、またすぐに走らせようとするのと同じことです。「よく頑張ってきたね。大変だったね。おまえも大切な子どもだよ。ゆっくり休んでいいよ」そのような気持ちを十分に表現し、受け止めましょう。それまでの子どものつらかった思いを十分に聴いてあげ、時間をあげましょう。

  休ませてあげれば息切れは治ります。

  治れば再び、自分で歩き出すことができます。


9.「ひきこもり」と対応の基本



 ここでいう「ひきこもり」とは、親の過剰な期待や過干渉に応じて精一杯走ってきた子どもの「息切れ」と、過保護による未成熟が複雑に絡まり、自分の中に完全に閉じこもってしまった状態を指します。

 「ひきこもり」には、気楽にのんびりという雰囲気がありません。緊張、怒り、孤独感などが強く漂っています。特に感じられるのが、人とのかかわりへの拒絶感です。しかし、彼らは自分から世間や人とのかかわりを拒絶しているというよりは、自分が世間や人々から拒絶されていると感じているのだと言えます。

 密着した親子関係の中で守られ与え続けられ育った子どもにとって、自分の家庭とは比べものにならないほど制限や我慢の多い居心地の悪い社会や他人とのかかわりは、とても厳しいものです。人との距離の取り方や付き合い方が不器用で、人間関係の持ち方にも不安を感じています。そういう彼らを支えているのは、親から与え続けられる保護と、その見返りとして親からの過剰な期待に応えているという満足感です。

 しかし、親の期待や要求に応じる形で入った学校や会社の中で、さらに続けて期待通りの成績を収め続けられないと感じたときには、支えを失ってしまいます。

 また、周囲との人間関係作りに失敗して、自分は受け入れられない存在であると感じたときにも、無力感に満たされます。

 自信を失い、親を裏切ったと思い、周囲からの強烈な孤独感を覚えます。完全にできなくてもそれなりの状態でいいじゃないかという柔軟性がありません。全ての努力を放棄してしまいます。そして、社会から拒絶されたという思いを持って、自分の世界に閉じこもってしまうのです。



 長い閉じこもりの中で、自分に向けられていた失望や怒りは、そういう自分に育てた親に対してぶつけられていきます。さらに、自分を拒絶した社会へと怒りや不満が鬱積していき、突然自分より弱い者への攻撃となって表れたりすることもあります。

 そのようにならないためには、「ひきこもり」の中で、自分や社会への失望と怒りをふくらませていくのではなく、自分の本当の力や姿や願いを見つめ直し、生き方を考える期間にしていくことです。

   ・ 自分と同じような人がいることを知り、つながりを持つ機会が得られる。
   ・ 自分にはこういうことができる、人の役に立てる、人から必要とされるということに気付く。
   ・ 幸せは一つの形だけでなく、いろいろな人がいろいろな形で幸せを感じていることを知る。(例えば、自分にあった仕事ややりがいのある仕事こだわらなくても、働くことで手に入るお金で何かができることも幸せと感じられることを知る。)

 これらに気付くことが、再び第一歩を踏み出していくきっかけを与えてくれます。「・・・でないといけない」という縛りから開放されることが、元気をもたらせてくれます。

 同時に、まず保護者自身がこれらに気付くことが必要かもしれません。そして、「はげまし」や「説得」をすることに重点をおかず、「あせらず、あわてず」じっくり話を聴くこと、本人の現状を受け止めて見つめることから始めることです。

 直接に人とかかわるということが難しければ、インターネットなどを利用した外部とのつながりの回復という手段もあります。もちろん、それも親が教え、与えるという形ではなく、周囲からの情報や助言から、本人が選び決定していくべきことです。(そういう状態の中で、「すこやか教育相談」のメール相談を利用してくれている人もいます。それらも、社会とのつながりの一つの始まりです。)

 そして、それらの行動のエネルギーになるのは、「こんな自分でも、親は受け入れてくれるのだ」「こんな自分も親にとって大切なものなのだ」と感じられることです。「親の都合に合わせる自分であったり、役に立つ自分でなくても、大切に感じてくれているのだ」と実感できることです。

 「役に立たないけれども大切なもの」、そんなものがあるとすれば、それは何かの思い出の品とか自分の心に何かの熱い思いとともにしまわれているものです。そこにあるのは、「愛着」とか「愛情」です。自分に向けられた「愛着」や「愛情」を実感できることが、動けなくなっている子どもにエネルギーを与えるのです。そして、役に立たなくても大切と思われていることの喜びから、役に立てる自分の姿や力の発見への意欲も生まれてくるのです。


10.子どもを信頼すること、任せること



 「子どもに任せる」という親の姿勢が、子どもの「自分で考えよう」「自分で生きていこう」という力を育てることにつながります。

 子どもに任せる「任せ方」には、二種類の形が考えられます。

 一つは、子どもの力や判断を信じて「見守りながら」任せている形です。

 一つは、子どもの力や判断に大して興味もなく、「見放して」任せている(好きにさせている)形です。

 前者が「信頼」、後者が「放任」です。

 子どもがある程度の年齢に達してきた頃には、子どもの自立に向けて、思い切って子どもに任せてみるという姿勢をとることが、大変重要です。

 子どもの力や判断を信じるということは、親にとってなかなか難しい勇気のいることです。大人の目から見て、子どもの力や判断力はいつまでたっても、おぼつかない、あてにならないもののような気がします。それでも、いつまでも任せることを避けていると、子どもは、何歳になっても自分自身の判断で動けない、常に親の意見と意向にお伺いを立てながらでしか行動できない、「指示待ち」人間になってしまいかねません。

 子どもの判断が妥当で、親としても大人としても容認できるものになっているかどうかということは、これまでの育ちの結果の表れだと言えます。正しい判断を下せるだけの、知恵と知識と感性をこれまでに養ってくることができたかどうか、親自身が試されているのだとも言えます。子どもの判断を信頼するということは、自分の子育てを信頼するということにもつながります。

 しかし、ここでも忘れてならないことは、前にも述べた「子どもの成長に応じて次第に」信頼していくということです。

 発達段階によって、子どもの判断能力は異なります。全面的には任せることのできない年齢というのが、無論あります。

 信頼ということについて、もう少し考えてみます。

 「私は自分の子を信じている」「子どもの判断を信頼したい」……そういう言葉を親から聞くことはよくあります。多くの場合、それは、子どもを勇気づけたり励ましたり、前向きで自立的な方向へ導く働きをするものです。

 しかし、中には、そのような成長をかえって妨げる方向で使われてしまっている場合があります。

 例えば、子どもの行為について他人から問題を指摘されたとき、子どもや親自身の誤りを正面から見つめることをせず、責任逃れをするため「信じている」と言っているに過ぎない場合です。

 これは、子どもの責任を曖昧にし、子どもにとっても自分のしたことへの善悪の判断を混乱させます。自分が悪くても強引に認めないで済ませてしまうという姿勢も学ばせます。

 子どもの行為について他人から問題を指摘されたときは、防衛的になったり感情的になったりせず、行為の是非については冷静に判断していくことが必要です。

 自分の子どもに非があるのであれば、「したことの悪い点については悪いと認める。本人に責任もとらせる。それでも、大切な自分の子であることは間違いない。親として、子どもと一緒に償うべきことは償いたい」という姿勢が大切です。信頼と身びいきは、別物です。


11.子どもへの期待について



 子どもは、生まれながらにして人としての感情や規範を身に付けているわけではありません。親や周囲に「守られ、教えられ、育てられる」ことで、次第にそれらを学び、身に付けていきます。また、その育ちと能力に応じて期待し、信頼し、任せていくことで、さらに前向きに自立的に成長もしていけます。

 しかし、何の期待もかけず、信頼もせず、「どうせできない」という見方でいつまでも親が接していると、どうでしょう。子どもは次第に「やる気」をなくしていきます。

 逆に、「これくらいはできるはずだ」とあまりに高い期待を持ちすぎるとどうでしょう。これは、子どもに大きな負担を強い、限界に達したとき突然全てを投げ出す「息切れ」の状態を招くおそれがあります。

 子どもが努力すれば何とか届きそうな期待をし、それを成し遂げる子ども自身の力を信頼し、見守ることが大切です。

 そのためには、日頃から、子どもの興味や適性、力などをよく理解しておくことです。それまでの、十分に「守り、教え、育てる」過程の中で、子どもへの客観的な理解を深めておきます。集団の中での子どもの様子や、学校生活での様子など、家庭の外での子どもの姿を見ることのできる機会を数多く持っておくことも必要です。地域の子ども会活動やPTA活動などに参加していく意味が、そこにもあります。

 また、子どもの現実を知るためには、たとえ親にとってどんなにつらい話でも、学校の先生などからじっくり冷静に聴く姿勢も必要です。


12.子どもからの不満やいらだちのサインと、その対応


 自分に対する親のかかわり方に、子どもが不満やいらだちを持っているとき、その不満やいらだちがサインとなって表に出てくることがあります。

 ただのわがままとは異なり、親が不意をつかれて驚いたり、不安になったりするような行為となって表れます。チックの症状であったり、盗みという行為であったり、学校へ行かないという意志表示であったり、それらは自分に対するかかわり方を変えてほしいという子どもの訴えであることが多いのです。

 すぐばれるような問題行動を繰り返す、どんどん自分の不利な状況を作り出していく、そういう「自分自身(家族)をどんどん破滅に追い込んでいく」ような行動です。それらは「ずっと厳しくうるさく干渉されて、もう神経が疲れてしまった」「もっとかまってほしい、もっと抱きしめてほしい」そんな、子どもたちの悲鳴であるかもしれません。

 しかし、そういう心の声に耳を貸さず、表面の行為だけにとらわれて問題解決を図ってしまうことも多いのです。説教をしたり、理屈でごまかしたり、力づくで押さえ込んだりして、表面的に解決しようとするのです。子どもが小さければ小さいほど、それで一見、問題は解決したと思えることもありますが、子どもの心の中のイライラや寂しさは残ります。

 そのことをきっかけに、親が子どもとのかかわりを見直してみることがなければ、思春期になって、再びもっと大きな爆発をすることになります。そのときには、もう説得や力づくではどうしようもない事態になっているでしょう。親は、子どもとのかかわり方を見直さざるを得ないようになります。

 過保護・過干渉で育てられた子どもが、もうこれ以上親の言う通り期待する通りには生きられないと不登校になって自分の中に閉じこもってしまった場合(不登校は、言葉で表現できないものを身体が表現しているサインなのです)、あるがままの子どもの姿と行動を受け入れ、子どもが自分で動こうとするまで待つことが必要になります。

 一方、甘やかされ、何不自由なく育てられた子どもが、わがままの延長として学校へ行かずに、自分のしたいことだけしかしないようになった場合、「学校へ行くか、働いて自分の力で生きていくか」親が子どもと本気で対決することが必要になります。

 それぞれの対応の基本が、保護・干渉と信頼・放任のバランスや、甘さと厳しさのバランスを転換してみて、子どもとかかわるということです。

 小さいうちから子どものサインを見逃さず、子どもとのかかわり方を見直したり、夫婦で、あるいは誰かと、語り合うことが重要です。

 もちろん、「すこやか教育相談」も気軽にご利用ください。

  ◇電話・面接相談・・・月曜日〜金曜日 午前9時30分〜午後5時30分 
               (祝日、年末年始は休みです)

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      ◎子どもからの相談(すこやかホットライン)
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 子どもと親のかかわりも、結局は人と人とのつきあいです。人とのつきあいにおいては、そのノウハウを本で学ぶより「かかわろう、知ろう」という気持ちが大切です。親子においても「子どもとかかわろう、子どものことを知ろう」という気持ちが、まず大切です。

 その思いは、まず「耳を傾ける」「共感する」ことから表現されていくのです。

 その中から、何か方向が見えてきます。



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