地図・アクセス お問い合わせ PTA 同窓会
   秋山 潤(9期生)
   「おもいっきりいってこい。」レスリング部監督、白石俊次先生(現 貝塚南高校)の励ましの声を受けて、それまでの息苦しさから開放され、周りを見る冷静さが蘇った。高校2年生の時の大阪府インターハイ予選。3勝3敗で迎えた団体決勝戦の最終試合。自分の試合で団体優勝が決定する。相手は1学年上の強者。これまで一度も勝ったためしがない。今までの負けた試合が脳裏に浮かぶ。やけに喉が渇きガチガチになっていた自分に、白石先生がかけてくれたこの一声は、改めて自分に、心強い仲間がついてくれている事を思い起こさせてくれた。「よし、おもいっきりやってこよう。」試合は接戦となり、不利な展開もあったが、仲間の後押しを感じながら無我夢中でやっているうちに終了。気付けば勝利者となっていた。体が更に熱くなり、何とも言えない感動に震えた。一体感、とは正にこのような状態を指すのだろう。みんなで素直に喜びあった。大学でもレスリング部で活動し、今もプロレスラーとして体を動かしているが、これも「あの時の感動」をもう一度味わいたいという思いが無意識のうちにはたらいたのではないか、と考えている。高石高校時代に味わった「あの感動」以降、いろいろな感動場面に出会ってきたが、正直なところ、「あの感動」を超える心の揺さぶりにはまだ出会っていない。たぶん「あの感動」はすばらしい仲間(もちろん先生も含めて)に支えられた、多感な時期、高校生であったからこそ味わえたものだったのだろう。今、当時の仲間達の支えを感じながら、プロレスの世界で活動している。今度は感動させる番だ。宝物の思い出と、宝物の仲間との関係を大切にし、より大きな「感動」をプロレスラーとして皆に伝えていきたい。皆さん、リングで会いましょう。
   田野義幸(3期生)
  私が高石高校を卒業して、はや二十二年経とうとしています。現在、父が高石高校に通っています。といっても定年後、たまたま警備の仕事でお世 話になることになったものですが、不思議な縁を感じています。在学中は、一時レスリング部に所属し、綾井先生らと一緒に練習したことも、いまでは懐かしく 思います。卒業時には、なんの目標もなかった私でしたが、三年後に熊取町役場(大阪府泉南郡)へ入ることが出来、それからは土木の技術職として働いていま す。おもに、ため池や水路改修の設計、工事現場の施工管理(監督)などをやっています。残業が多く、比較的体力の必要な公務員職場で、学生時代に少しでも 体力をつけたおかげで、なんとかやれているのかなあと思っています。又、高石高校の4期生と10期生の後輩も同じように建築や土木の専門職で入ってきてま すよ。いろいろありましたが、友人達のおかげで今年結婚することが出来ました。また、遅蒔きながら、十二月に父親になる予定で、楽しみにしているところで す。マイペースながら充実した日々を送っています。
   五十棲由佳子(4期生)
   今、成美高校という新設校に勤務しています。あの当時の恩師の姿を思い浮かべながら皆が誇れる母校を他の先生方と共に目指しています。名門高石の落ちこぼれも息絶え絶え頑張っています
   児嶋 修(6期生)
   卒業して18年。初めて同窓会事務局を利用し、先日(10月19日)にクラス同窓会をしてきました。和歌山南部(みなべ)で、先生家族も含め二十数名でのバーベキュー&温泉・・・。また会えるといいですね。
   大橋真由美(旧姓今口)(10期生)
   ピアノライセンス受験を間近に控え、猛練習中。高校時代に親しんだベートーベンの悲愴に再挑戦。楽しかった高校時代を思いながら弾いてます。「悲愴」より愉快な曲にしたらよかったかな?
   西村 啓(16期生)
  みなさん、お久しぶりです。元気に過ごしてますか。私は一年に一度の秋祭りが終わり、心の中はぽっかりと穴が開いたような状態です。卒業して から早九年、みなさんどう過ごされていますか。私はいろいろとありましたが元気にやってます。久しぶりにみんなと集まって酒でも呑みながらワイワイと過ご したいです。
   武井喜美子(旧姓二宮)(16期生)
  府立千里看護学院に進学し、箕面市立病院集中治療室に就職、平成14年に呼吸療法認定士を取得。私生活ではスノーボードとゴルフ三昧の生活 で、スキー場で知り合った夫と遠距離恋愛の末に結婚し、平成16年1月に第1子出産予定です。夫の仕事の都合で、病院を退職し東京での新生活が始まりま す。
   三浦麻衣子(旧姓北村)(18期生)
  私は今、高石高校に勤務しています。お世話になった先生方に再会できたことを大変嬉しく思います。学校生活の「懐かしい」「新しい」出来事を 日々楽しんでいます。新しい出会いや、再び学ぶ場を与えてくれた高石高校に感謝しています。卒業生として高石高校のために出来ることを頑張っていこうと思 います。
   樽角慶子(21期生)
  3月27日に看護師の国家試験に合格し、4月から国立病院大阪医療センターで働いています。学生時代から患者さんと接し、生と死を目の前にし てきましたが、今はもっとハードに、また慣れない環境で戸惑っています。しかし、自分なりに頑張っている毎日です。
〜以上〜平成15年度同窓会報紙より

私とミュージカル
   葭矢 朱美(1期生)
   卒業して24年、あっという間のような、長かったような。現在の私は40代になりましたが、卒業した頃より夢や希望にあふれ、仕事にも趣味にも好奇心一杯で、いろんな人との出逢いやつながりに感謝する毎日です。 仕事にも、短大を卒業してすぐ就職し、先日勤続20年表彰を受け、係長に昇格いたしました。 また、趣味で続けているダンスのおかげで、今まで観るだけだったミュージカルに、昨年より関わることに!「たかいし市民ミュージカル劇団アプラ」に携わることになり、現在は代表を務めさせていただいております。そこでいろんな人とのつながりに助けられ、偶然なのか?必然なのか?周りには、心の温かい方に囲まれて楽しく過ごしております。 地元にいて、地元で活動しているからかもしれませんが劇団「アプラ」の中にも、お世話になっている高石市民文化会館アプラホール関係者の中にも、我が高石高校の後輩達がたくさん居ります。おかげで特別なことはしなくても何かにつけてスムーズに事業が進んでいるように感じます。 昨年、初めての公演を間近に控えた2月、同窓会にアトラクションで劇団を率いて出演させていただき、誠にありがとうございました。なかなか大舞台での経験は出来るものではありませんから、公演直前の出演は本番に十分に生かすことが出来ました。 おかげさまで、第1回公演「天使の休日」は平成16年3月28日、5日前にチケット完売、ほぼ満席、約700名のお客様に観ていただくことが出来ました。 そして先日も第2回公演のためのオーディションのポスターを、校内に掲示させていただきましたが、在校生も数名、他多数の応募がありました。 現在、第2回公演「This is my song]という作品を今年12月25日、上演に向けてまっしぐらです。 この市民ミュージカル劇団は、現在子供21名を含む46名、5歳から50歳代の老若男女で、アマチュアの人ばかりです。週1回、4時間の稽古はいつも楽しく、あっと言う間に終わってしまいます。経験がなくても、いくつになっても、楽しむことが好きな人ならそして感動する気持ちがあれば、誰でも参加できます。 また、私たちは素人ばかりの市民で気団なので八尾市にあるSHOW-COMPANYという劇団の先生方に毎週指導に来て頂いております。そちらの劇団へも勉強のため市民劇団とは別にオーディションを受け、公演に数回出演させて頂いております。 この劇団の振り付けの先生が、これもまた偶然ではありますが、今年高石高校にダンス講師として赴任されております。 ほんとに不思議な縁のつながりで、現在が成り立っているように感じるこのごろですがこれkらも人のつながりを大切に、感謝の気持ちを忘れないことで、自分を生かしていきたいと思います。 皆さん、12月25日アプラホールでミュージカルを観ながら、クリスマスを過ごしませんか?お待ちしています!
減量が自信に
   阪口 悟(18期生)
   年齢制限。今期負け越せば、将棋をやめないといけない。ここ数期は昇段争いに加わりそうになるがあと一歩足りない。いつも勝負所で負けてしまう。今期も途中まで5勝3敗でここからが昇段争いに加われるが、将棋をやめなければいけなくなるのかのターニングポイントだった。まさか一気に昇段できるなんて自分でも驚いている。将棋の内容は良いとはいえないが、ここからの自分の戦い方は受けの手は選ばず少々強引でも攻めの手を選んだ。それが相手のミスを誘い良い結果につながったと思う。自力になってからは、プレッシャーがかかり精神的にもきつかったが、そんな時に「頑張りや」と言って下さる先輩や応援して下さる人の声が支えになった。 昇段が決まった日は、今まで心配かけた両親に一番に報告したかったのですぐに家に帰った。両親は昇段したことが信じられなくて何度も将棋連盟のホームページを見ていた。その日は私も興奮してほとんど眠れなかった。 奨励会に13才で入って今年で13年目。人生の半分奨励会で過ごしている。その中でもやっぱり三段リーグの4年間が一番大変だった。降級点を取り、「将棋をやめよう」と思ったときもあったが、やりたい仕事がなかったのと、将棋をやめる勇気がなかった。それからは「何か自分を変えないと」と思い125キロあった体重を減らすことにした。1年半ぐらいダイエットをして82キロまで減らした。そうすると将棋の成績もよくなってきて昇段争いできるようになった。今思えばダイエットをして自分に自身がついた事が将棋の成績に反映したと思う。いつまでたってもこの時努力した事を忘れずにこれからも将棋人生を過ごしていきたいと思う。 昇段してもここから勝たなくては意味がない。今は新四段でも勝てない時代なので気が緩めない。しかもそんなに若くないので人一倍頑張らないと上にはいけないと思う。日々精進し、タイトルを取れる棋士を目指したい。 最後になりましたが、私の昇段を応援して下さった方々、心配かけた両親、師匠、将棋を教えて下さった先生方に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
 阪口  悟さんは、平成3年奨励会入会、木下晃七段門下として、この度、四段に昇段されました。得意戦法は振り飛車。この文章は、「四段昇段の記−減量が自身に −」というタイトルで、将棋の専門誌に掲載されたものをご本人の許可を得て、本文そのままの形で載せました。
卒業して・・・
   阪口 慎(25期生代表)
  高石高校を卒業して、半年の月日が経ちました。みなさんはこの間、どのようにして過ごしているんでしょうか。僕は今、夢を実現するために、日々努力しています。しかし、時々ふと楽しかった高校生活を思い出します。僕の3年間の高校生活は、楽しく、時には苦しい事もあったけど、充実した日々を過ごせたと思います。高石高校はクラブ活動が盛んな学校でした。僕も高校3年間サッカー部に所属して、毎日泥だらけになりながら、一生懸命練習しました。おかげで体だけは丈夫になりました。また学校行事も多く、体育祭での応援団活動では、先輩や後輩、先生の立場も関係なく、みんなが盛り上がれてとても楽しかったです。文化祭では準備でみんな夕方遅くまでがんばっていたこともありました。そのみんなのがんばりで文化祭は大成功しました。個人的に残念だったのは修学旅行の思い出が僕には無いことです。高校の一大イベントの、修学旅行に僕は行けなかったのですが、でも、みんなはとても楽しい思い出を作れたと思います。高石高校3年間ではいろいろな先生方にお世話になりました。僕はよく先生に怒られました。時に言い合いになる時もあったけど、先生に誉められた時は、素直に嬉しかったです。今でも時々学校に遊びに行くことがあるんですが、先生の方から「久しぶり」と声を掛けてくれます。その時、「やっぱり高石高校ってええとこやなぁ。」と思います。高石高校で学んだという事は、本当に自分自身にとって、大切でかけがえのないものだったと思います。この高校で培った経験を、胸を張って堂々と社会で生かしていきたいと思っています。
教育実習の感想
   西村 昇(22期生)
  はじめに教育実習校が高石高校でよかったと思います。なぜなら本当に優しい先生方ばかりですし、しっかり指導していただけましたし。僕はすごく緊張しすぎる人なので、生徒達の前に立って大丈夫なのかとずっと心配でした。確かに初めの授業とかはギコちなくて、何を言っているのか自分でもわからない事がよくありました。しかし、最後の方の授業はうまくいかなかったのです。僕の中では落ち着いていたと思います。気持ちだけかもしれませんでしたが。教育実習に行くまでは不安で、行きたくないと言う気持ちになった時もあります。しかし、今では絶対に教育実習に行ってよかったと思っています。校長先生をはじめ、国語科の先生方、他の先生方、生徒達へのご迷惑ははかりしれませんが、僕の将来にとって、とても貴重な2週間になった事は間違いありません。本当にありがとうございました。これからもいろいろ勉強してがんばりたいと思います。
教育実習を終えて
   浅田和彦(22期生)
  平成16年5月31日(月)〜6月11日(金)までの約2週間、高石高校には教育実習でお世話になりました。自分は主に1年生の国語で、古典を2クラスと現国を4クラスの計6クラス担当させてもらいました。実習が始まる前は、「生徒とたくさん話そう」などいろいろ考えていました。しかし、実際始まってみると自分自身が負けました。緊張してしまって生徒となかなか話せませんでした。授業中も上がりっぱなしで生徒の顔をなかなか見ることができなかったり、声が小さくなったりなど終始緊張感に負けていました。改めて思い返してみても「ボロボロだったなあ」と思います。あまりの出来の悪さに落ち込んでもいました。しかし、こんな自分でも生徒は、「先生」とか「おはよう」とかいろいろ声を掛けてくれました。自分は、「こんな自分でも先生と思ってくれている。」と思い正直うれしかったです。そして、「生徒のために出来るだけのことはしよう」と思いました。(けっきょく何が出来たのか分かりませんが。)生徒の優しさが実習を続けられた要因の一つでした。たか高の生徒の一つの事に向けての団結力は、「相変わらずすごい」と思いました。実習の時は、ちょうど体育祭の頃でした。放課後歩いていたら団の練習やクラス旗の製作などを見たりしました。「団結力の強さは自分が高校生の時から何年も変わっていない。」と思い何かうれしかったです。「これも代々受け継がれている力かな。」とも思いました。改めて実習を振り返って自分は緊張感に負けてボロボロでした。しかし、たか高の先生や生徒そして実習仲間と出会えてうれしかったです。本当に良い経験がさせてもらいました。感謝です。
   田中寛子(18期生)
  私は今、高石高校で非常勤講師として、芸術科「書道」を教えています。私が高校二年生の時に芸術として書道に出会い、その後書道教師になる事を決めまし た。今は縁あって母校で書道を担当させて頂くことになり、自分が高校生の時に教えて頂いた書道の楽しさを、今の生徒たちにも知ってもらいたい、感じてもら いたいという気持ちで頑張っています。
   浦山智子(旧姓 武内)(4期生)
 同窓会を担当して下さっている方々、ありがとうございます。私の夫も4期生、仕事場にもお一人卒業生が、主人に弟も卒業生でたいへん嬉しく思っています。 この間、3期生の仲尾さん(篠浦)と一緒に高石高校に行って来ました。久しぶりすぎて、忘れている所がたくさんあって、月日に流れを感じました。 今何期生までいらっしゃるのでしょうか?私もこれから努力して立派な先輩になりたいと思っています。皆さんも頑張っていますか?変な先輩にならないでね。ヨロシクです。
   西澤雅美(旧姓 高場)(3期生)
 ”十年ひと昔”と言いますが、25期生まれが卒業したという事で四半世紀が過ぎたんだなぁと感慨深い気持ちです。私達初代に近い世代は否応なく40歳代になり社会的にもまた家庭内でも一段と責任のある歳になってしまいました。昔と何ら変わらぬタカ高生の通学風景を見るにつけ、悔いなく現在を過ごしやというおばさん心で懐かしく又、うらやましく眺めている今日この頃です。今後益々タカ高が繁栄して若者からじいさんばあさんに至るまで ”ああ我が母校高石高校” を誇りにしていきたいものですね。
  鍵谷 明(3期生)
 3期生の鍵谷です。高石からは遠く離れ、名古屋在住7年になります。家族4人、上は中2、下は小6と皆で仲良く暮らしています。
   久田 傑(16期生)
  卒業して10年経ちます。今でも高石高校で出会った友達と一緒にワイワイしています。これからも、高校で出会った友達を大切にして行きたいです。
  T・K(12期生)
 今は、看護学校で勉強に励んでいます。来年の国家試験突破できるようにがんばります!!
  辻 光輝(6期生)
  卒業して19年。現在は、母校の近くに新居を構えています。色々な噂を耳にしますが、母校の姿、制服を見るたびに懐かしく思います。  自身はひょんな事から、娘のキックボールに携わっています。娘の活躍?には、毎度目を覆いたくなる事がよくあります。
   仲尾武司(3期生)
 結婚して15年、子供も今や中学1年生。制服を着て学校へ行く姿を見ていると、自分が学校へ行っていた頃を思い出します。
  中谷雅行(7期生)
 高石高校を卒業して18年が経ちます。進学して(株)リクルートへ就職し、現在は関西支社で新築マンションの広告を扱う仕事をしています。就職し最初の配属が東京でしたが、94年10月に関西へ転勤になり、そのままずっと関西です。生まれも育ちも高石ですが、今はご縁があり、尼崎は武庫之荘に4人家族で暮らしております。  各世代の友人とのお付き合いを大事にしているつもりですが、高校時代の友人とは一番疎遠になってしまっています。毎年高石のだんじり祭りに今も参加していますが、高校の前を通るだけで、近くて遠い高石高校状態です。  昨年の11月に1年時の同窓会を開きました。大盛況でした。クラスや学年の枠を超え、またお世話になった先生方とも是非また会いたいと思っています。  個人的に野球大好き(当時野球部はありませんでした)なので、野球部頑張れ!です。
  藤原末広(4期生)
 この間、20年ぶりに高石高校の文化祭に行く事ができ僕らの時と違い自由でのびのびと本当に活気あれている姿を見て、少しうらやましく感じました。が、その反面、校舎のゴミが目について「これも時代かなぁー」と感じたしだいでした。
   川井望聖(24期生)
 広告業界を目指して学校行ってます!  大成できるように頑張ります! 何か学生に頼んでもいいよっていう仕事あれば喜んでしますので(サッカーチームのロゴ・会社の名刺など)みなさんよろしくお願い致します。
  大仲翔太(24期生)
 私は現在、不動産業で頑張っています。9月9日に、タカ高の同級生、河合綾葉(24期生)と結婚いたしました。  同期のメンバーと集まる機会があれば、是非、参加したいと思っています。
〜以上〜平成16年度同窓会報紙より

懐かしの南海電車
   守行信司(3期生)
  先日乗った南海電車が緑のツートンカラーの旧塗装の車輪やったんです。物心ついた時から見慣れた”あの車輪”やったんです。懐かしいなぁと何度も何度も思いました。その4〜5日後に高石高校の綾井氏からの封書が届いたんです。「えっ、綾井から・・・。なんやろ、綾井はがんばってるんやろうなぁ」と、中を見ればこの原稿依頼。高校時代の事を思い出し、一人ニヤニヤしてしまいました。また南海電車のこともあり懐かしさに感動もしました。 日頃からバトミントン部OBの一部有志でバドミントンをしたり、キャンプに行った飲みに行ったりして旧交を暖めていますし、海の日には高校でOB会があるので参加もしていますので、卒業生としては高校との縁には恵まれている方だと思っています。綾井氏の次に卒業してから高校を訪れているのが多いのでは・・・、と思ったりもしています。 今の職場が高石市にあるのでしょっちゅうたか高生を目にします。今の一年生は平成生まれなんですよねぇ。来年には30期生が入学するのですねぇ。こない考えてみるとやっぱり歳とったんやなぁ、今年後厄やったんやなぁなどと歳のことばかり気にしてしまいます。 これからもOB連中との付き合いも続くことでしょう。続けたいものです。かけがえの無い私の財産です。いつまでも高校気分のまんまのオッサンでいたいものです。
高校生活を振り返って
   東郷一輝(26期生)
   高校生活が終わり、早いものでもう半年以上が経ちました。みなさんはどうお過ごしでしょうか。新しい生活にはだいぶ慣れていることでしょう。そして、新しい友達もできたことでしょう。しかし、高校生活の中でできたくさんの友達、仲間、それはかけがえのない存在だと思います。クラブ仲間やクラスで一緒にいた友達、今になっても連絡をとりあい、時には遊んだりする人も少なくないと思います。僕もその中の内の一人です。 高校生活の中にいろんな思い出があると思います。一年生の時は、初めての高校生活ということもあり、知らないことも多く、何よりも、クラスでは初めて見る人ばかりで緊張してた人もいることでしょう。なかなか友達ができなくて悩んでいた人もいるでしょう。しかし、二年生になった頃には、すっかり学校に慣れ、友達もでき、楽しい時間をすごすことができたことでしょう。修学旅行では北海道へ行き、熱く語り合った夜もあったと思います。それも一つの思い出です。 そして、高校生活最後の三年生。学校の最高学年ということで、クラブでの後輩もでき、頼られる立場にいたことでしょう。最後の体育祭、最後の文化祭、三年生になると高校生活で最後のことばかりがはじまりました。楽しみな気持ちの中にも、終わるのが淋しい気持ちがあったことでしょう。大学を受験する人は勉強におわれる毎日で、苦しかった日も多かったと思います。そして卒業式。楽しかった高校生活の最後を終え、今、私たちは新しい生活を送っています。 みなさんもたまには高校生活を思い出すことがあると思います。きっともう一度高校に戻りたい、と思う人も多いことでしょう。戻れなくても、みんなで集まって楽しんだりしてみては、いかがでしょうか。
〜以上〜平成17年度同窓会報紙より

おかえりなさい
   根来仁子(1期生)
  昨年、長女が高石高校に入学しました。入学式の日、数十年ぶりに訪れた母校に懐かしさがこみ上げひとりで感激していました。 私たちが中学生のころは、大阪府下に高校がたくさん新設された時期で、高石市に新しい学校が出来ると聞いて、私は直ぐに受験しようと決めました。新しい学校!希望に胸はふくらんだのですが…入学願書を手に始めて学校の門くぐった日、造成された広い敷地にポツンと校舎がひとつ建っていたのを思い出します。「えっ?これが学校!?」新しい学校が出来るというのは大変なことで、私達は、高校生活の三年間を工事中の校舎や体育館で過ごさなくてはなりませんでした。体育館が無ければ体育授業は、ほとんどがマラソンと縄跳び、少々、雨が降っても「高石高校日本晴れ!」と先生に言われて走っていましたね。(笑)先生方もさぞ大変だっただろうと今になって思います。 唯一、一期生の特権は、毎年、完成したばかりのまっさらな教室に入ることでした。机や黒板にかけられたビニールシートをみんなではがして、新学年が始まり、そのたびに私達がこの学校の歴史を作っていくのだという熱意や喜びを感じていたように思います。 今年、親をなり戻った母校が、三十周年を迎えることは、感慨深いものです。長い人生の中で立ち止まり、忙しい毎日に流されて忘れてしまっていた事をいろいろ思い出すことは良いもので楽しい時間でした。 来年の十一月に三十周年の記念行事が催されます。この機会に卒業生の皆さん!どうぞ母校に帰って来て下さい。ちょっとあのころに戻りませんか?生徒数の減少でなくなっていく高校もたくさんあります。けれど高石高校は、いつまでもあの場所に在って卒業生みんなを「おかえりなさい」と迎えてほしいです。何年経っても自由で楽しく活発な高石高校であることを願っています。
高校で見つけた音楽
   佐々木直哉(21期生)
  私の高校生活とは、まさに自分の人生において大きく影響を受け、これからの方向性を決定付ける時期でした。それは、吹奏楽という音楽に出会ったことです。友人に誘われトロンボーンという、縦長のスライドさせる金管楽器に興味を持ったのが、吹奏楽に入るきっかけとなりました。 最初は、ただなんとなく先輩に言われたとおりに練習する日々でした。しかし、音大を卒業した先輩方の影響を受け、高校二年生のころに自分も音楽の道を志したいと思えるようになりました。それからというもの、朝早くからトロンボーンを練習し、昼休みにピアノ練習、夕方にはクラブ、そのほかに勉強と多忙な生活を送りました。充実感があふれていました。その甲斐あって大阪音大に入学し、専門的に学ぶことが出来ました。 お世話になった先生方には大変感謝しています。 高校入学から約十年の歳月が流れた現在、奈良県の中学校で音楽の教師をしています。音楽の素晴らしさを伝えていくことは、困難なこともありますが幸せに感じます。  また、今春、新たに吹奏楽OB会をやっていこうとする話を聞き、会長もさせていただいています。 巽先生の指導する今の吹奏楽部は、私のいた頃よりずいぶんうまくなったものだなあと感心しています。来月一月六日には、現役とOBのバンドによるジョイントコンサートがあり、楽しみにしています。これからも高石高校がますます発展していくよう、微力ですが応援していきます。
近況報告
   高橋 豊(22期生)
    高校時代は、レスリングに明け暮れていました。おかげで、全国大会で入賞し、とても良い思いでとなっています。 高校卒業後、天理大学に進学し、そこで引き続きレスリングを続ける学生生活を送りました。大学では、ロシア語というほかの大学ではあまり触れることの無い言語を選択し、選考することにしました。そして、運世学内の審査が通りモスクワ言語大学に留学することが出来ました。日本にいてはわからないロシア・モスクワの貴重な体験をいろいろ味わう事ができ、ものの考え方など多大な影響を受けたと思います。「何事にも積極的に」という考え方は、このときの経験から身についたものです。今、私は警察官をしておりますが、正直なことをいうと、「警察官になりたい」という強い思いは当初はありませんでした。ただ、試験豪華雨後、警察官を意識すつ日々が続いているうちに「なるべき職業」ではないか、という思いが徐々に強くなっていき、この円を大事にしたいと考えて就職することにしました。現在、警察学校を卒業して半人前ながら、交番で勤務しています。 今、つくづく思うことは、「人の縁」ということについてです。この仕事に就けたのも、高校時代レスリング部の経験が大きいと思っています。肉体的・精神的にとても鍛えられ、苦しいことも踏ん張ってくることも出来ました。その間、いろいろな人との出会いがあり、それが今につながっています。 これからも、高校時代に培ったもので今の仕事をまっとうしていきたいと思っています。
こころおぼえ(在校生の皆さんへ)
   後藤 真(24期生)
    僕は今年ちょうど音楽家の教育実習生として高石高校でお世話になりました。再びこの高校で学べたことを幸せに思っています。 さて冬のマラソンが気がかりな生徒も少なくないころでしょうか、君達はいかがお過ごしでしょうか?学年末が近づき、どの学年の人も次のステップへの意識があるのではないでしょうか? 進路はさまざまですが卒業すれば今より自分と似た目的・目標を持った人が集まった社会に君達は身をおくと思います。一般的と呼ばれる一律した価値観での評価さえる事ががよく問題とされていますが少し視点を変えてみて下さい。狭い見識でのみのため広義的には多種多様な人間模様になっているとします。そこから学級を組織しているのが学校の魅力ではないでしょうか。そう考えれば高校は色んな事を目指している奴がおる最後の場であるように思います。そこで出会った人が旧友へと、出来事が思い出となり現在の僕は高校生活(有り難い授業を含め)全てが基盤となっています。 僕はそんな多くの財産を得たという事実から離れないために同じ学校に通い卒業した、すなわち共通の母校を持つ仲間との関係を大切にしていこうと思うのです。というのも現役の高校生にはピンとこないかもしれません。 だから結局君達に言えることは「今を楽しめ。」…いやいや。「文武両道充実したものにして下さい。」これだけです。そういう僕は教室で寝てばかりいたので上から言える立場ではないですが、みなさまに日々精進していただきたい所存でございます。
〜以上〜平成18年度同窓会報紙より

  ☆★ お世話になった先生方 ★☆  
高石高校の思い出
   若松 宏英 現在 登美丘高校勤務
   同窓会報の原稿を依頼されて、3冊の卒業アルバム(14期生、18期生、20期生)を見て、思い出しながら書いています。私が平成元年に高石高校に赴任したときは、48人学級・12クラス体制であり、始業式での転任者紹介では体育館が生徒で一杯で身動き出来ないような状態でした。教室では机が 一杯一杯で、最前列の生徒の足が教壇の上に乗ってしまい、その足に何度も躓きました。しかし、人が多い分活気にあふれ、教員も若く、私も20歳代でした。男子硬式テニス部の顧問をし、自分自身もテニスの試合や市民マラソンにも出場しました。テニス部のOBたちとは、今も一年に一度会えるのが楽しみです。バブル崩壊、セアカゴケグモ、O-157など、いろんな事件も卒業生たちの顔と共に思い出されてきます。思えば結婚し、子どもができたのも高石高校在任中でした。(18期生1年3組のみなさん、結婚祝いにもらったペアカップは今も大事に使っています。)嫁ハンも仕事をしているため、子育てに忙しくなり、何かと時間が制約されてしまいますが、子どもも小学校に入り、ようやく落ち着いてきました。平成11年4月に第4学区の守口高校という思いがけないところに転勤しましたが、高校統廃合のため、僅か4年で登美丘高校へ転勤となり、再び懐かしい第8学区に舞い戻ってきました。また、近年、思いがけないところで卒業生に「先生」と声をかけられたのに一瞬わからなくて、申し訳ない思いをしたこともあります。高石高校を離れてから、卒業生の告別式に参列するなど悲しいこともありましたが、私にとって高石高校の10年間は最も充実した時期であり、大切な思い出となっています。
高石高校の雨のグランド
   清水 甚太郎 現在 日根野高校勤務
   昭和五十二年。「高石高校はいつも晴れ。小雨でも高石高校は晴れだ」を合言葉に、グランドは体育の先生と白い体操服の若者たちが走っていた。一期生には体育館がなかった。しかし、みんな元気だった。私はいまでも雨の日の体育の時間が気になる。出張の折や旅に出かけた時、学校の近くを歩いているとついつい、グランドを見てしまう癖がある。雨でも走っていると高石高校を思い出す。ラグビーの強い大分舞鶴高校は雨でも走っていた。なぜか嬉しかった。逆にグランドに人の姿がないときは、ガックリきてしまう。テニスコートもなかった。グランドに移動用のネットを張ってから練習を開始する。石ころをトンボで集めてラインの外側に出していると、日が経つにつれて、だんだんコート内が掘れて周りが高くなり、雨上がりのコートは池になった。土がないので、また外側の石混じりの砂をコート内に返してテニスをやっていた。やがて体育館も出来、工事の最後としてテニスコートもつくられた。それは昭和五十五年の年末頃だったかな。一期生はコートでプレーせずに巣立っていった。一期生のみなさん、元気にやっているかな。
〜以上〜平成15年度同窓会報紙より
高石高校での思い出
   伊藤 雅司 現在 佐野工業高校定時制 勤務
  同窓会報への原稿をと綾井先生から依頼を受けて、21期生の卒業アルバムを見ながらこれを書いています。 平成8年4月に、豊かな自然の中にある前々任高から高石高校に転勤し、いろいろな場面でとまどっていたのが、ついこの間のことのように思い出されます。たか高生だったみなさんは、何事にも熱心に取り組んでいましたよね。学習においてはもちろん、行事(特に、コーラス大会や文化祭、体育祭、応援団活動など)にも。遅刻の常習だった人が、朝早くからコーラスの練習をしていたり、先生たちが「もうそろそろ下校してほしいなぁ」と思うような時間まで残って文化祭の準備をしたり、学校から場所を移して、夜遅くまで応援団の練習をしたり、みんなの頑張りには驚かされていました。 先日、21期生の学年同窓会が、堺市民会館の一室を借りて行われました。80数名の卒業生と、私を含めて5名の教員の参加でした。看護士として医療現場で頑張っている者、大学院へ進学し、更に研鑽を積んでいる者、スタイリスト、デザイナー、幼稚園の先生、専門学校の先生など、立派に成長し、それぞれの場で活躍している多くの卒業生たちと久しぶりに再会し、懐かしく、また頼もしくも思い、改めてたか高のすばらしさを感じました。この会を準備してくれたみなさん、ありがとう。この会で会えなかった他の21期生のみんなは、元気にしていますか? 私は、この四月から、佐野工業高校定時制に勤務しています。生活時間帯が変わり、生徒の年齢の幅も広く、またまたとまどうことが多い毎日ですが、私なりに頑張っています。 卒業生のみなさんも健康に留意され、ますますご活躍されることを祈っています。
高石高校の思い出
   上田 和夫 
  高石高校へ転任したのは56歳の時、定年まで4年という時だった。特に老教師という感じで、新しい環境に適応できるかどうか不安であった。しかし、生徒諸君の穏やかな顔に救われ、教職員の皆さんの暖かさが有難かった。最後の教師生活をここで送れると思うとほっとしたものである。時々ボーと船の汽笛が聞こえ海の近さを実感した。 次の年、21期生の諸君を迎え担任をした。にこにことして、かわいらしかった。女生徒二人が夏服のネクタイを、自分で作った格好いいネクタイに変えていた。「担任が認めている」と言ったということで、生徒指導部の先生から担任の私がきついお叱りを受けた。余りによく似合ってかわいらしかったので、黙認していたのである。困った担任であった。 二年生も引き続き担任した。修学旅行は北海道だった。飛行機に初めて乗る諸君も多かった。沼めぐりのトレッキングは距離が長くて大変だった。初冠雪の羊蹄山に十三夜月が美しかった。何度も付き添いをしたが、一番印象深い修学旅行であった。合唱コンクールでは指揮の佐々木君が「今年で定年退職する担任の上田先生に捧ぐ」というような事を言ってくれて、大いに盛り上がった。私は定年までまだ一年余していたのだが。 最後の年は担任をはずしてもらった。就職の係をさせてもらったが、景気が悪くて生徒諸君には気の毒だった。ハローワークへよく通った。卒業式では、思いかけず杉野先生と一緒に定年を祝ってもらった。感激した。 ボート部の手伝いをしていたが、インターハイで遠野へ行ったことが思い出である。 定年退職後、引き続いて嘱託として3年間勤めた。昨年3月で教師生活に別れを告げたのだが、今年2学期から非常勤講師として、また高石高校で お世話になっている。高石高校8年目である。久しぶりの高石高校だが、校門の芙蓉は心よく迎えてくれた。          校門の 芙蓉が咲いて 新学期     和夫
25期生の皆さんへ
   寺田 洋(25期生学年主任) 
   この3月、高石高校を卒業された25期生の皆さん、それぞれの道をしっかり歩んでおられることと思います。 さて、この「道標」に文章をとの依頼を受けて、この3年間を振り返ってみるといろいろな事がありました。まずは、私事で恐縮ですが25期生の一担任として出発するはずが学年主任予定者の先生の突然の転勤により、私がその後を継ぐ事になり皆さんと全く同じ気持ち(不安と期待、もちろん不安の方が大きかったですが)で入学式に臨みました。しかしこの不安は、遠足、体育祭、文化祭等の行事をこなすたびに消えて行き、「25期生はどこまで成長するのであろうか」という期待さえいだかせてくれました。(特にコーラス大会での活躍には目をみはるものがありました。)そしてその後も期待通りに着実に成長をとげ、2年での北海道への修学旅行においても積極的に諸活動に参加し、大成功のうちに終わりました。 3年になると進路の問題が各生徒の前に大きく立ちはだかりましたが、その持ち前の粘り強さで次々とそれらを突破して行き、そして卒業式の日をむかえました。この卒業式という最後にして最大の行事でも皆さんの成長を見せつけ立派な卒業式にして下さいました。 3年間をこの様にふり返ってみると、25期生の大きな特徴が二点ほどうかびあがってくると思います。一点がその結束力の強さそしてもう一点は、多数のリーダーの存在です。この様な25期生を3年間かかわりを持てた(学年主任としても)ことは一生忘れることが無いと思います。 25期生の皆さん、これからも様々な困難にぶつかるでしょうが高校3年間で培ってきたものでその困難を乗り越えられん事を願いまして私の一文 を終わります。  尚、平成16年度の同窓会でお会いできることを楽しみにしています。ぜひご出席下さい。
〜以上〜平成16年度同窓会報紙より
二十年ぶりのクラス会
   若井 悦子
  今年は、なかなかの年であった。  四月、高校の卒業生から突然の電話。「先生、卒業して二十年経ったから、同窓会開いたるよ。連絡取るから待っててね。」しばらくしてから、「僕の名前では信用されへんから、先生の名前で案内出すよ。」大丈夫かいな、と思っていたが、七月に入って返信の葉書きが、徐々に届きだした。  七月三十一日、「この気持ちは何。」というくらい胸をドキドキさせながら正門へ。五、六人が待っていてくれた。会った途端、「誰それさん。」不思議と名前が出て来る。近所に住まいしているが、校内に入るのは数年ぶり。木立ちは、草創の頃とはうって変わり、繁みとなって貫禄を示し、玄関先には、生徒作品の書がパネルに展示され、その活動ぶりがうかがえる。懐かしい国語準備室は、相変わらず狭い、満面笑みの綾井先生に迎えられた。 元生徒達は、用意された教室に入り、お互いに旧交を暖める。この二十年の間、それぞれに色々な経験をして、ここに集い、面影はすぐ高校時代のそれに重なるものの、言葉のひとつひとつに辿って来た道筋の重さを感じさせる。担任した時の私を同年齢になった彼等、家庭の事、仕事の事、よく頑張っているね。皆の経験を合わせたら、どれ程の力になるのだろう。そして「先生、若いね。」「元気そうで安心した。」と声をかけられ、この子達と出会った不思議さ、幸せを思った。教師と生徒、どんな影響を与えたのか、内容はともかく、彼等の心の中にある「先生」の私を大切にしなくてはと思い、後数年の教師生活を、もう少し頑張ってみようかいう気持ちになった。 良い一日を有難う。この紙面を借りて、お礼を言います。今回出席できなかった人も、次回は出席できるといいね。高校時代は今一つと思っている人も、大人になった級友から何か発見できると思います。以上、二十年目の再会は、教師への素敵な贈物となった。
高石高校の思い出
   中村 淳恵
  高石高校を離れ、堺上高校に来て早二年近くがたちました。生徒達の様子、授業中の風景など、一見そう大きな違いはないように見えますが、一歩踏み込むとかなり違うところはあるなぁと感じています。人懐っこいところは同じなのですが、高石の子は素直で、根本には他人に対する信頼の気持ちがあったので、常に暖かい気持ちで接していられたような気がします。”一緒にいると心が安らぐ”というのが、私のたか高生のイメージです。 たか高の学校生活は、行事がたくさんあって、忙しくはありましたが、”行事大好きな人間”の私にとっては、本当に楽しく日々でした。大量の停学者を出した”打ち上げ事件”など、たいへんなこともありましたが、生徒会の子達を中心に、いろんな場で訴えたりして運動を重ね、応援団が復活した時の喜びは今でも忘れられません。他にも、すたれかけていたコーラス大会が、20期生が三年生の時に全クラス出場したことで大きく盛り返したこと、23期生の修学旅行で長い期間をかけて準備してレクのことなど、思い出はつきません。たくさんの先生方に支えられ、生徒達には与えた以上のものをもらって、とても幸せな日々だったなぁと今思い返しています。 上高に来て、二年目でまた生徒会の一員となって、たか高で、私はいかに周りに甘えていたか、自分に甘かったかということを感じています。あの時にもって頑張っていれば・・・。生徒達にも、先生達にも、申し訳ない気持ちでいっぱいです。その悔いを、これからここで、私なりに精一杯返していきたいと思っています。 たか高に行って、コーラス大会や応援団を見ると、今でも胸が高鳴り、元気が出ます。いつまでも、「行事がさかんで、心やさしく活発な生徒達のいるたか高」であって欲しいと願っています。
平和で住みよい社会の形成者・主権者に  ―26期生へのメッセージ―
   渡辺 倬郎
  「心配かけたけど、みんなのおかげで卒業できた。有り難う」の言葉があった。壇上で堂々と「私たちは、勉強を中心に、クラブなど多くのことに頑張ってきました。」と手話を交えながら言い切った旅立ちの言葉があった。校歌、旅立ちの歌の見事なピアノ伴奏があった。卒業生全員がずっと緊張していて大成功だった2005年2月24日のあの感動の卒業式をやってのけた26期生の皆さん久しぶりです。お元気ですか。私は「不完全な人間である教師と、不完全な人間である生徒が、学校をつくり、授業をつくっていく。不完全な者同士だからしっかり対話を重ね、協力していかないと立派なものはできない。しかし、お互いに信頼しあい、ともにつくりあげていくという気持ちをもてば素晴らしいものができる可能性がある」と言いました。「だから良い学校・良い授業をつくりだしていくには先生には勿論責任があるが、生徒にも責任がある」とも。私たちは、世代は違っても同じ社会、同じ時代に生きているのだから、具体的に共同して学習課題を追求していけるのではないか。教育は「人材確保」など何かの手段ではない。高校生活は、それ自体が充実したものではなければならず、高校時代そのものが、何かの手段ではなく、二度とない人生の大切な時期のはずだ。憲法や教育基本法の基本概念(キーワード)「平和、真理と正義、個人の価値、勤労と責任、民主主義、高い文化水準など」を大切にしながら、仲間とともに学習する喜びを感じる人間になってほしい。主権者としてふさわしい力をもってほしい、と願った。そして、皆さんの高石高校の3年間は、教師や保護者の支援を受けながら一定の水準に到達していると思います。「仲間と力をあわせて平和で住み良い社会を形成する主人公になる」のは若い皆さんにとってむしろこれからの生き方です。日本の社会は、今「心自由主義」という考え方で競争と自己責任論が大手を振っています。「勝ち組」になるために手段を選ばないような風潮が強くなっています。それは「仲間と力を合わせる」ことと逆だと思います。また、一国の政府の最高責任者が裁判所から憲法違反の判決(守らなければならない「ルール」に違反)が出ているのに、それを軽視または無視して特定の神社に参拝しているという日本の世の中です。一方で、何が正しいのか?よく見極めながら(学習も必要)、もう一方では、自分を大切に、誇りと自信をもって生きてほしいものです。私事で恐縮ですが、私は2006年3月に定年を迎えます。皆さんは私にとって最後の教え子です。皆さんが最後の教え子となってくれたことに感謝します、わたしは何て幸せな人間だろうと心から思います。最後になりましたが、健康には、十分に気を配ってますます元気に大活躍してください。期待しています。
〜以上〜平成17年度同窓会報紙より
高石高校の思い出
   前田 光男(現久米田高校)
  私は、高石高校の創立時に、新任として着任しました。一年目は、体育館もプールもなく、今ある校舎の三分の一があっただけでした。しかし、全体で三十名弱の職員はとても仲良く、これから新しい学校を創っていく!という清新な雰囲気がありました。 十二年間の在任中に、いっぱい想い出があるのですが、その中で一番に心に浮かんだことは、卓球部のことです。二年目から十一年間卓球部の顧問をさせてもらいました。自分自身が中学校の時、卓球部でしたので、それなりに技術指導もできるつもりでしたが、生徒との関係が上手くいったときも、そうでない時もありました。五年目だった思うのですが、同じ数学に吉田先生という卓球指導のベテランの先生が転勤してこられて、いろいろ指導の仕方を勉強させてもらいました。 多球練習といって、かごの中にたくさんのボールを入れて、次々に球を出して、スマッシュやドライブ、フットワークなどの練習をするのが、基礎を固める上で大変効果があることを知りました。 卓球部で一番想い出に残っているのは、合宿です。五年間くらい連続でやったそうに思いますが、奈良などの民宿に泊まり、近くの体育館を半面借り切って、十台位を並べて集中して練習しました。午前は基礎練習。午後は、男子も女子も顧問模範でなしに、総当りをしました。私も二十試合以上を戦い、ホントに楽しかったです。 男子も女子も大阪府のベスト十六に入りました。特に第一シードの近大付属にあたって、近畿大会まであと一歩で涙をのみました。あのころの卓球部のみんなは元気にしているのかな?今でも卓球を続けているのかな…。一度会ってみたいです。 もうひとつ、想い出に残っているのは、数学のマラソン追試です。一年生の基礎となる十項目の基礎計算(二次方程式を解く、三乗の公式で因数分解する…)を満点で取れるまで、試験を重ね、ついに一年生全員が全問正解することができました。一年きりの実践でしたが、やれば出来る!という体験は、生徒の自信となったように思います。 高石高校は、私にとって『ふるさと』です。 今後とも、高石高校が生徒にとって「この学校にきてよかった!」って思える学校であるように、心から祈っています。
瞳の輝きを忘れずに
   山本孝幸(現砂川高校)
  高石高校から今の高校に転勤して早や六年。遥か遠い昔のように思える。「思い出は?」と聞かれても、すぐには出て来ないほどの時間の長さを感じる。そんな私が、高石高校のことを思い出す出来事が今年あった。大阪府岸和田市で開かれた高校総体である。高石高校で勤務していた時、数年間レスリング部の顧問をし、綾井先生と素直で明るい生徒たちと共に、全国の色々な所へ行った。そんな生徒達と出会う機会が、今年あったのである。私にとって高石高校最後の年、高校一年生であった彼等は、なんと大学四年生になっていた。それだけでも私にとっては驚きだっただが、そんな彼等が私の姿を見つけ出すとすぐに、私の方へ駆け寄って、礼儀正しく挨拶をし、近況を教えてくれた。「立派な大人になったなぁ。」それが私の印象である。そのときの彼らの瞳の輝きが、私にとってはとても嬉しく思えた。表情もとても温和でやさしく、この生徒達と高石高校で時間を共有することが出来たことが本当に喜ばしく思えた。彼らは、補助員として、てきぱき動き、自分に課せられた仕事を着実に果たしていた。すごく立派だった。「レスリングを通じて、彼らは成長したのだなぁー。高石高校に入学したことが、彼らにとって大きなプラスだったのだなぁー。」と実感した 今も、高石高校のレスリングでは、生徒達が瞳を輝かせて練習しているのだと思うとても羨ましく思う。生徒達には、その瞳の輝きを一生持ち続けて欲しいと思う。高石高校は、クラブ活動がとても盛んで、情熱を持った先生が多いので、生徒のみんなは、自分自身を切磋琢磨して、楽しい思い出をたくさん作って欲しいと思う。私自身、長らく足が向かなかったのだが、機会があればまた、高石高校の素晴らしい先生方や生徒達に会いに行きたいと思う。
「育ての親・高石高校」
   西村尚美(現泉北高校)
   今年で教員生活(自分でもびっくりしますが)二十年になります。二十年前、大学を卒業してまったく世間知らずの新米教師であった私を、高石高校の先生方や生徒の皆さんは辛抱強く受け入れてくれました。今思えば赤面してしまうほどつたない授業に、よく耐えてくれたものだと思います。 その当時、三年生だった八期生が想像を超える勢いで「コーラス大会」に燃える姿に感動し、「ここまでひとつの行事にクラス全員が熱くなれるなんて…」と高石高校で教員生活のスタートを切れたことに感謝の思いでいっぱいでした。高石高校での十二年間、音楽の授業や吹奏楽部を通じて多くの個性あふれる生徒の皆さんとかかわりをもてたことで、教師としても成長させてもらい、大きな財産になっていると思います。今でも音楽を仕事とする卒業生の人たちに色んな場面で助けられ、また時折訪ねて来てくれる彼らの活躍ぶりに元気をもらい、そしてこれからも音楽を続ける限りそのご縁は広がっていくことでしょう。 二十期のみんなが卒業する一年前に名残惜しい転勤をして、現在の泉北高校に来て九年になります。今年、初めての行事「合唱コンクール」をこの泉北高校で立ち上げる予定です。たか高の「コーラス大会」がそのモデルです。私の教員生活の原点ともいえるたか高の「コーラス大会」がこの学校でも根付いてくれればと願い、たか高のみんなの姿を思い出しながら、今日も授業で生徒さんたちと歌っています。  
高石高校での思い出
   勇 宇一郎(27期生学年主任)
     二十七期生の皆さん、お元気ですか。 二十七期生は、総合的な学習の時間や情報、世界史の必修など、今、未履修問題などテレビや新聞で話題になっている原子どう要綱のスタートの学年なのです。皆さんも、七時間目の授業があったりして大変だったと思います。その事はともかく、高石高校は行事がさかんで生徒達にとっては、楽しい学校だったのではないでしょうか。 卒業して思い出すのは、授業よりも、コーラス大会であったり、文化祭や体育祭の応援だったり部活動などだと思います。中でも、北海道の修学旅行で函館空港が閉鎖になり、帰阪がに一日遅れるという高石高校始まって以来の出来事は忘れることが出来ません。皆さんの中には一泊余分にとまれることを喜んでいる人もいたと思いますが、我々教師側は三百二十名の宿泊と食事、そして航空券の手配など大変な一日でした。だけどもそれも今は良い思いでの一つです。 最後に、二十七期生の皆さんが健康で、社会の一員として大活躍することを期待しています。  
27期生のみなさんへ
   廣嶋由美
  二十七期生のみなさん、どのようにお過ごしですか。卒業してから早くも八ヶ月が、過ぎようとしています。去年の今頃は、就職が決まった人や、推薦で進学が決まった人は、四月からの新生活に大きな期待と小さな不安を抱きながら、あとは卒業式を待つばかり、一方、一般入試に向け猛勉強中の人は、これからの追い込みと、クラスの中は何となくしっくりいっていなかったように思います。こんな風に私は、この一年、コーラス大会になると、去年のコーラス大会は…。文化祭になると去年の文化祭は…。と、過ぎた時間を振り返ってばかりいます。みなさんは、どんな日々を過ごしているのでしょうか。高校生活を懐かしむなんてもっともっとあとでいいですよね。しっかり前を見つめて、今を充実させて下さい。私も懐かしんでばかりいないで、「今とこれから」を大切に進んでいきたいと思います。(もちろんすべては「今まで」があってこそなのですが) お互いそれぞれの置かれている場所でがんばりましょう  
〜以上〜平成18年度同窓会報紙より

  ☆★ クラス・クラブ会 ★☆  
レスリング部OB会 平成16年2月15日(日)

歴代の顧問の先生方、白石俊次先生・佐藤優邦先生・吉田隆先生・綾井俊行先生をお招きして開催されました。プロレスラーとして活躍中の秋山潤(9期)も忙しい中駆けつけてくれ、盛大に行われました。[報告 山口健二 4期]
写真提供ヨロシクお願いします
21期生 合同同窓会 平成16年10月3日(日)

「無理や〜」とか、「その時、大阪にいてへんで!!」とか言われながら、当日は85名の人が会場に集まってくれました。学年主任の渡辺先生をはじめ、体育科の里村先生、大伴先生、英語科の伊藤(雅)先生、国語科の綾井先生と、5人の担任の先生方も来て下さいました。特賞は「ホームシアター」のビンゴ大会もあり、大いに盛り上がった1日でした。皆さん又、4年後にやります。次も全員、集合して下さいね。[報告 幹事代表 石関 知]
サッカー部OB会 平成17年1月3日(日)

毎年恒例の初蹴りが行われました。17期生以下の卒業生がいなかったことが残念です。来年はたくさんのOBの方に参加してもらいたいと思っています。普 段、高校生達と接する機会も少ないので、サッカーという形で接する事が出来るのは私達にとって非常に貴重な時間だと思います。今回OB会初蹴りに協力して 下さった藤原先生、現役の生徒達、本当にありがとうございました。[報告 三浦 宏輔 18期生]
クラス会・同窓会 平成18年8月19日(日)

去る、八月十九日高石高校にて八期生二年十組の同窓会を行いました。母校での開催ということもあり遠方からも多数参加していただき、総勢二十六名のにぎやかな会となりました。 当時の学級通信に席順が載っていたので、当時を再現しみんなに座ってもらいました。思い出話や近況について盛り上がったところで、文化祭でした”おどろいちゃったカメラ”(ビックリカメラのパロディー)のビデオを見ました。自分たちの二十年前の姿を見て、「そういえばあんな事していたなぁ。」と、忘れていた高校の時の出来事を思い出しました。そのあとは二年十組に関するクイズを出題。学食のメニュー、コーラス大会で歌った曲など、憶えてそうで忘れている問題ばかり出したので、大変盛り上がりました。 楽しく和やかに会えることが出来た同窓会、?年五の会もまた学校で出来ればと思います。この会を開くに当たり同窓会担当の先生方には大変お世話になり有難うございました。 [報告 山越正徳・徳田知子 8期生]

クラブ・クラス同窓会 クラブ・クラス会をされた時は、高石高校までご一報!! あの先生はどうしておられるのか・・・?など、ご要望があればどしどしご意見下さい。