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1 期生の思い出
友和と若い力 (1973.4〜1976.3)
  
  
学年規模
8クラス 351人
卒業記念品
藤棚
フジ6本
宿泊研修(野外活動)
昭和48年
7月8日〜9日
7月9日〜10日
能勢野外活動センター
修学旅行
昭和49年
10月22日(水)〜10月26日(土)
天城高原・天城峠・韮山・反射炉方面、十国峠・大湧谷方面、熱海・山中湖、日本平・登呂遺跡

担任一覧
学級1学年 担任
1石川 甲
2青木 成夫
3小西 美智子
4柿原 正明
5石井 恵生
6安田 和夫
7城野 道
8稲田 光義
学級2学年 担任
1小西 美智子
2水田 功
3川戸 良夫
4石井 恵生
5稲田 光義
6安田 和夫
7島根 実
8青木 成夫
学級3学年 担任
1水田 功
2石井 恵生
3川戸 良夫
4稲田 光義
5島根 実
6小西 美智子
7安田 和夫
8青木 成夫
主任 石川 甲

創立30周年によせて <1期教員より> 石川 甲

 この冬、あまりにも乱雑になった本棚を2日がかりで整理しました。そこには第2代校長の川上先生の式辞等を まとめた冊子があり、なつかしく、しばらく手をと休めて読みふけりました。

 私は新設校を二つ経験しています。初めは、第77高校として設立された本校であり、次は10年後、大阪府での最後の新設公立高校となった福井高校である。ここでは、教頭として学校運営に当たりましたが、このとき本校での体験が大いに役立ったことに感謝したものです。

 昭和48年4月開校、学年は8学級で、私は学年主任として、学年経営の責任を任されることになった。今でも当時の担任の先生方の顔が頭に浮かんできます。青木、石井、安田、稲田、柿原、小西、城野の各先生方で、教員の総数は約20名、学年では私が一番年長で42才、みんな若かったのです。

 当時、高槻市の高校受験は、いわゆる「高槻方式」と呼ばれたもので、本校には高槻市立第3、4、7、11、柳川中学校の卒業生が集中受験していた。この地元集中方式については、自宅が茨木市内なので、かねてから聞いてはいたが、入試が終了した段階でその実態が明確になった。
 調査書の総合評価の「10」〜「5」までの幅広い学力をもった生徒が入学している。私には、このような生徒をどのように教科(数学)指導していくか、全く経験がなかったので、当初は試行錯誤の連続で、生徒に大変迷惑をかけたことを憶えています。今なら習熟度別の授業を考えるところですが、当時はすべての事について、すべての生徒を「平等」に取り扱うことが前面に押し出されており、現在の教育事情と比較して、隔日の感がないでもない。

 しかし、生徒はみんな明るく、人なつこく、職員室はいつも生徒で賑わっていた。先生を手こずらせた者もいたが、その生徒も既に「不惑」の年、ご多幸を祈ります。

 勤務した学校が統合され姿を消す、何とも言えない寂しさです。




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