当時は1学年のクラス数が12あり、学年主任は担任を持たなかった。僕は学年主任として、ほんとに個性的で魅力的な担任の先生方と仕事をしたことを、昨日のように思い出します。高槻南高校の生徒たちは、創立のときから一貫して、明朗、活発であり、先生方との関係が大変フレンドリーであったと思います。その原因の一つに、いつも生徒のことを話題にする、大変個性的で魅力に富んだ先生方が多数居られたことを忘れないでください。
校内に響き渡る大声ときらきら光るまなざしで授業されていた武居先生(数)、温和ではありましたがクールでシャープな若林先生(英)、泰然自若として大家の風貌の樫原先生(書)、いつもどこか型を破った発言と行動が印象に残る各務先生(理)、普段でも柔道着を着て礼儀正しかった木保先生(社)、元気溌剌いつも生徒が圧倒されていた剣道4段中山先生(体)、空手の模範演技で喉をつぶす一方で大変繊細な心根をもたれていた木村先生(国)、バードウォッチングと鳥類研究の権威にして何事にも旺盛な興味を持たれた前田先生(理)、はにかみ屋でロマンチスト「昔の野球少年」高橋先生(国)、明るく優しくていつもにこにこ笑顔の大嶋先生(家)、生徒からはもちろん多くの先生からも慕われていた「しもじい」こと下川先生(美)、サッカーにかける情熱ほとばしり怖かったけれど生徒思いの悦勝先生(体)、ちょっぴり頑固でも常に誠実に正面から生徒に対しておられた九日先生(数)、切れ味鋭く生徒に先生に切り込んでゆく若武者のような武田先生(社)、生徒諸君の卒業後の進路をいつも配慮し続けていただいた軸丸先生(英)、包み込むような暖かさで生徒を見ておられた小川先生(国)、「てか」という発音が妙に人気あった読書家助教授本多先生(社)、・・・なんとバラエティー豊かで愉快な担任団であったことでしょう。
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