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平成15年 10月22日

  校長通信第6号をお届けいたします。

 8月末から9月、10月と大変あわただしい毎日が続きました。8月末は軟式野球部の全国大会がありました。残念ながら1回戦敗退となりましたが、選手諸君の健闘を称えたいと思っています。2年連続の全国大会出場という快挙を成し遂げたのですから。各方面の皆様から様々なご支援を戴きました。厚く御礼申し上げます。軟式野球部の新チームは2年生だけの9人で秋の大阪大会に出場し、2回戦で破れました。この経験を春の大会と夏の大会に生かして、頑張って欲しいと思っています。

 9月当初は体育祭でした。連日の猛暑が続く中、当日も午後からは大変な暑さとなりました。例年と変わらない、いやそれ以上の体育祭としようという生徒諸君の思いは大変なものでした。競技や演技で全力を尽くす姿はすばらしいものでした。気温と思いとで過熱しすぎの面も少々あり、健康面で心配することもありましたが、結果は大成功に終わりました。

 9月20日、21日と文化祭が行われました。一般公開日であった21日の日曜日は朝から雨模様で午後から本降りとなりました。そのため来客の数が伸びず、気温も低かったので、模擬店等では苦労したようです。模擬店に関する制限を緩めたこともあり、本年は模擬店を含め2つの部門に参加するクラスが多くなりました。体育祭と同じく寂しいものにしたくないという思いが、生徒教員ともに精一杯の準備と当日の活動となり、満足のいくものとなりました。

 体育祭と文化祭の間の9月14日には、オーストラリアの姉妹校トゥーンバ高校から、生徒19名、教員3名の短期留学生が来日し、10月2日まで高槻に滞在しました。本年は初めてトゥーンバ高校の分校からの生徒も参加しました。受け入れ側では学校週5日制の下でのホストファミリーの負担や、槻の木高校との合同で受け入れなどの課題がありました。日本の里山体験を目的にした一泊旅行等、新しい企画も盛りだくさんとなりました。今回は、最後の最後まで滞在日程が変更となるハプニングが続きましたが、東京見物を経て、10月5日に成田から無事帰国いたしました。

 軟式野球の全国大会、体育祭、文化祭、国際交流とほぼ一月半にわたり、大イベントが続きました。この間、PTAの皆様のご協力は並大抵のものではありませんでした。その一つひとつを列挙してご紹介すればよいのですが、膨大な量になりますので、土日もなくほとんど毎日のように学校で活動されていたと紹介することで、その大変さを想像いただきたいと存じます。改めて、感謝するとともに御礼を申し上げます。

 トゥーンバ高校が離日し、校内はようやく落ち着いた学習と3年生の進路決定の季節となりました。本年は就職希望の生徒が2名でしたが、2名とも希望先に合格し、さい先の良いスタートとなりました。進学面では推薦入試も始まっています。また、中間考査も20日から始まりました。相次ぐ学校行事の中でしたが、学習面でもしっかり取り組んでくれているものと思っています。日頃の学習の成果を出して欲しいと願っています。

 本校の記念事業委員会を10月18日に立ち上げました。PTA、同窓会、国際交流基金、槻南会からの代表と本校職員代表で構成し、「本校の伝統・実績を新校に引き継ぐため、記録保存事業や記念事業」を行うためのものです。当日は、委員会の設置要綱、会則、役員等を決めていただき、本年度及び来年度を見通した事業計画についてフリートーキングを行いました。今後は、12月までに本年度の事業計画を決定する予定です。

 最後に、残念なお知らせをしなければなりません。去る9月11日に本校体育科U教諭(プライバシーに関わりますのでお名前は伏せさせていただきます)がご逝去になりました。1学期の途中より体調が急に悪化し入院されましたが、薬石効なくご不幸の報に接することになりました。U先生は、本校に11年余りご勤務いただき、この間生徒部長、サッカー部、バスケットボール部の顧問としてご活躍いただきました。特にご専門であるサッカー部については、最後まで気にかけられていました。入院中も、外出が許されたときは、奥様の運転でサッカー部の練習や練習試合を見に来ていただいていました。体調の思わしくない中、「これだけが一番の楽しみですから」とおっしゃっていたことが忘れられません。本年の秋の大会を間近にしたご逝去で、せめて公式戦をご覧いただきたかったとの思いで一杯です。本当に残念でなりません。謹んでご冥福をお祈りいたします。

   平成15年10月22日。