能楽鑑賞:1年生対象。大槻能楽堂に出向いて鑑賞。国語の授業の一環として実施し、
        教材と関連の深いものを主に演目に選んで、狂言と共に鑑賞する。

平成31年 1月17日(木) 73期1年 能楽狂言鑑賞会


 大槻能楽堂で73期生能楽鑑賞会が行われました。当日はまず9名の生徒が舞台に上がり、能楽・狂言体験をさせていただき、その後プロの能楽師・狂言師の方々による狂言「盆山」、能「安達原」を鑑賞しました。
ほとんどの生徒にとって生で能楽を鑑賞することは初めての経験でしたが、その素晴らしさにたくさんの生徒が感動したようで、全ての演目が終了した後自然と拍手が沸き起こり、とても有意義な能楽鑑賞会となりました。以下は生徒の感想です。

◆能、狂言というものは、中学の教科書で少し目にしたぐらいで、名前だけは知っているといったものだった。ただ、正月にテレビで放送している能は何度か目にしたことがあるが、それでも能・狂言は自分にとって遠い存在であった。しかしながら、今日鑑賞をしたことによって大いにその距離が近付いたように感じられた。一番良かったと思うことは、「本物」を見ることができた、ということだ。テレビや教科書はその場にないので、それ自体の存在しか我々は知ることができない。しかし「本物」を見ることによって、今、ここで行っていることを肌で感じられる。
 私は気付いたことが一つある。それは、武道と能・狂言には共通することがあるということである。私は剣道をしていたが、すり足や腰をいれることと、演出前の解説で言われていたことが一致していたことに驚かされた。このように、「本物」を見ることによる気付きもあるので、良い経験ができたと思った。

◆狂言は室町時代の庶民の日常茶飯事な生活を、笑いを通して現代に伝えている伝統的なものだと思った。六〇〇年ほど前の庶民の生活を題材としているが、どこか共感できる部分があった。それは私たちが生まれながらにして持っている、言葉で表現することが難しい不思議な感覚だった。狂言は室町時代の庶民の生活をよく表しているものなので私たちには狂言を後世に伝える使命があると思った。一方、能は一言でいうと舞いによって高められて抽象化された演技と音楽要素が融合したものだと思った。能を演じている人は腕を肘や肩から使い、大きな円運動をしているように感じた。その運動が現代の私たちが話の内容を理解する助けになっていると思った。だからこの伝統的な芸能を受け継いでいる人には、技術の確かさと同時に、気迫と心の働きによる表現が供わっていると思った。能も狂言も何百年もの間大切に保護されてきたおかげで今、私たちは学ぶことができると思う。

大槻能楽堂 狂言の構えの体験 すり足の体験
能面の体験 実際に歩いて視野の狭さを実感