山崎正和氏の「地球を読む」

 6月23日の読売新聞に劇作家である山崎正和氏の寄稿文-「個人主義 公徳心と両立」-が掲載されました。読んでいて興味深かったので、読まれた方もおられるかもしれませんが、ここで紹介するとともに私のコメントも添えたいと思います。

 山崎氏は、「明治以降の日本の近代化は、良かれあしかれ拡張主義の歴史であって、『追いつけ追い越せ』の競争心に駆られていた」と指摘しています。それは、敗戦後も変わらず、その指標としてGDPという物量の物差しで測られてきたというのです。

 ところが、1970年初頭から消費の欲求が「量から質への欲求」に転換した。好みの兆候が個性化したと指摘しています。確かにそうですね。高度経済成長の時代は、「大量消費、大量生産」の時代で、画一的な商品が市場に出回り、隣の家が持っている電化製品を、「我が家でも!」と競って買い求めた時代です。

 私は1960年生まれですから、物心ついた頃から高度経済成長を体感していました。小学校に入るまでは藁葺の家で過ごしていましたし、テレビも白黒、冷蔵庫はもちろんなく、井戸でスイカを冷やしていたことを覚えています。小学校の3,4年頃から、だんだん家の様子が変わってきました。

 この高度経済成長の時代を過ぎて、個性化(価値観の多様化という言葉も使われました)が現れてくるのですが、この変化で、「日本国民の心情が大きく変革へと動いたとみることができる」と山崎氏は指摘しています。つまり、「人間関係も自由に選ぶ主体性が芽生えた。近代以前の地縁や血縁の関係、その変形というべき『企業縁』が絶対的な絆でなくなっていった」と言います。

 この大きな変革が、大きな国民の変化として現れたのが、相次ぐ天災に直面した時の日本人の行動、ボランティア活動であると言います。阪神淡路大震災の時は、1年で137万人の人が、ボランティアに駆け付けたと言います。その後も相次ぐ震災では、多くのボランティア活動が展開されました。この現象を山崎氏は、

「個人が自分の意志で公共の利益に奉仕し、個人主義と公徳心を両立させることは、今や日本人の自然な習わしとなった」

と言っています。「なるほどな・・・」と思って読んでいました。私の中学・高校時代は、「三無主義」(無気力・無関心・無責任)などという言葉が流行しました。今から思えば、とても「冷めた」時代を10代を過ごしていました。大学に入学しても、かつて世間を騒がせた学生運動もほぼ下火で、社会への関心も薄れた時代を過ごしました。そんな10代・20代でしたから、この日本人の公徳心というのは、私の中にも徐々に蓄積していたのでしょう。阪神淡路大震災の時は、仕事さえ都合がつけば、ボランティアに行きたい衝動に駆られました。

 そして、今や日本国民は世界の国々とGDPで表される物量で競うのではなく、公徳心で世界に影響を及ぼすことが重要だと山崎氏は述べています。パリで日本人が始めた清掃活動、中国人留学生の投書(日本の住居や公共物の清潔さ)、エジプトの「日本式小学校」-清掃活動の奨励などを例として挙げています。

 ここまで読んで、私はサッカーワールド杯のブラジル大会での日本人の清掃活動を思い出しました。「私」よりも「公」を優先する日本人の美徳が、世界に賞賛された瞬間です。今宮高校の校門には、「磨け、知性、輝け個性!」のスローガンが掲げられています。素晴らしいスローガンです。ただ、これからの時代、知性と個性を「私」に留めることなく、「公」に向けて如何に発揮するかが問われてくると思います。そんな資質をもった今高生に育ってほしいと思います。