「大学入学共通テスト」記述式問題導入見送りに際して

 12月18日(水)、新聞各紙は1面で「大学入学共通テスト」における記述式問題導入の見送りを報じた。これで、英語4技能を測定する民間検定試験導入と併せて、大学入試改革の2本の柱が見送られる事になる。このことについて、今宮高校の校長という立場を離れ、日本の後期中等教育に長年携わってきた者として、少し意見を述べたい。

 記述式問題にしろ、英語4技能の問題にしろ、今回の議論を見る限り、本質的な問題と掛け離れたテクニカルな問題が中心的な話題となり、この二つの柱が見送られた。この認識は、全国的にほぼ共有されていることと思う。しかしながら日本の教育にとって本質的な問題が先送りされてしまったことについて、どれほど大きな損失なのかということは国会でもマスコミもあまり大きく取り上げようとしない。

 例えば、OECD 2030 エデュケーションフレームワークをご存じだろうか?次の図に示されるようなフレームワークである。

 ここで議論させているのは、知識・技能に加えて、「態度や価値」、今回の高大接続改革で言えば、「学びに向かう社会性」に相当する要素を加え、全体として向かう方向はコンピテンシーの育成(高大接続改革で使われている用語でいえば、「思考力・判断力・表現力等」)である。なぜ、このような議論がOECDでなされているのか?それは、世界の状況が、VUCAと呼ばれる世界に突入しているからであり、その根底には前期近代から後期近代に世界が突入しているからである。現在世界で進行している様々な事象は、第2次世界大戦が終了してから世界各国が積み上げてきた価値観の崩壊であり、転換である。世界は、まさに先行きが見えない状況にある。だから、世界の教育は、コンピテンシーの育成に大きく舵を切っている。私が3年ほど前にアメリカ・シカゴのアムンゼン高校を訪問した際に目にした授業は、音楽の授業以外すべてアクティブラーニングが導入されていた。日本の授業風景とは大違いであった。

 さらに、教育に大きな影響を及ぼすのが、AIの発展である。AIはこれから加速度的に発展していくだろう。AIが最も得意とするのが、知識の量であり、マニュアル化された作業である。これからマニュアル化された仕事はどんどんAIに取って代わられるというのは、既知のことである。そして、だからこそAIは、マーク試験も得意であることが「東ロボ君」の実験で証明された。AIの「東ロボ君」は、東大合格を諦めたが有名大学の合格圏内までその能力を向上させていた。日本の教育は、いつまでAIと競わそうとするのだろう。勝負は目に見えているのに。AIが不得意とするコンピテンシーの分野にこそ教育は力を注がなければならない。知識は、ネットを検索すれば、いつでも手に入れることができる。重要なことは、その知識にどのような価値を見出し、そして新たな価値を付与し、再構成できるかである。ここにこそ、人間の力が発揮される。

 今回の記述式問題導入の見送りにより、日本の教育が失ったモノはとてつもなく大きい。新学習指導要領でコンピテンシー重視の教科書ができても、入試が変わらなければ知識偏重の教育が高校現場で大勢を占めるだろう。日本の教育の大きな転換点になると考えていたが、残念でならない。現在、学校の現場で教育を行っている教師の多くは、「知識・技能」を中心に教育を受けてきた先生たちである。その先生たちにとって、今回の改革は「未知の世界」であったわけであるが、自分たちが慣れ親しんだ教育を継続できるとなった時、今回の改革に対する揺り戻し、反動もとてつもなく大きいであろう。これで、日本の教育は、世界の中で大きく遅れる。世界で通用する若者はもちろんのこと、グローバル化が押し寄せる日本社会の中でも、海外から日本にきた若者たちと仕事をするうえでも、どれだけ通用する若者が育てられるだろう。今回の二つの柱の見送りにより、失ったモノをもう一度しっかりと見つめなおしてほしいと思う。

 今回の記述式問題では、「採点ミスをゼロにすることはできない」ということや受験生の自己採点の難しさから、受験生が出願する大学を選択する際に支障になるという理由で見送られた。この理由では、100年たっても記述式問題は導入できないだろう。そこで一つ解決策を提案したい。今回の高大接続改革の初期の段階で議論になった大まかなグループで表記する「段階別表示」についてである。この「段階別表示」を行うための前提として、大学の定員の厳格化を緩和することが必須である。現在のように、国公立大学はもちろん、私立大学も定員の厳格化が行われている状況では、最後は「1点刻み」の入試を行わざるを得ず、そこには「公平性」「公正性」が担保されなければならない。しかし、大学入学共通テストが「大学入学への資格試験化」すれば、若干の採点の「ブレ」は気にするほどのものではなくなる。実際、フランスで行われている高校卒業認定試験兼大学入学資格試験であるフランスバカロレアは、記述のみの試験であり、その採点も高校の先生が行う。採点に当たり採点者間の協議や調整は行うが、採点者間の「ブレ」は織り込み済みで、国民はその「ブレ」を許容しているのである。

 ある一定の資質と能力を備えた生徒を大学は受け入れ、大学のカリキュラムポリシーやデュプロマポリシーに則り、学生を鍛え伸ばしていくことを行い、卒業を厳格化していけば、学生の成長にもつながる。

 今回の高大接続改革やそれに続く新学習指導要領は、明治に学制が敷かれた以来の大改革であった。このような形で中途半端に終わってしまっては、日本の損失は計り知れない。そして、大学入試が変わらなければ高校の教育も変わらないのである。知識偏重の教育からAIに負けず世界に通用する若者を育てるコンピテンシー重視の教育を行うために、記述式問題の導入はその入り口であった。文部科学省は、今回の挫折を教訓にして、中途半端に終わることなく、大学入試の「資格試験化」まで踏み込んだ大胆な改革を提起してほしいと思う。

 一旦動かした歯車は、最後まで回さなければ意味をなさない。