あれから25年が経ちました・・・

 今日は、1月17日、25年前の今日、あの阪神淡路大震災が起こりました。もう、25年、四半世紀経ちました。当たり前のことですが、高校生はあの震災を経験していません。今年の阪神淡路大震災に関するニュースも「風化」という言葉が目につくようになりました。保護者の皆さま、できるならば、今日は「あの日、何が起こったか、どんなことを感じ、どんなことを考えたか」を語る日にしませんか?

 私は、当時5時起を日課とし、6時には家を出る毎日でした。いつものように食事をし、出かける準備をしているとき、地震が起こりました。私は大阪府東部に当時住んでいましたから、活断層の影響を直接受けたわけではありません。後で震度を知ると「4」ということでしたので、家屋に被害が出ることはありませんでした。それでも、あの地震の揺れは、恐怖でした。身体が震えるという体験を初めてしました。それほどの揺れだったのです。壁にもたれかかったまま、身動きできませんでした。やっと、揺れがおさまって家族が寝ている2階に駆け上がると、次男が寝ている布団の上には、座敷机が倒れていました。子どもの名前を呼んで「大丈夫か!」と声をかけると、ちょうど机の脚と脚の間に子どもが寝ていて、怪我をすることはありませんでした。

 テレビをつけると、NHK神戸支局の揺れの様子が目に飛び込んできました。震度「7」という表示も出ました。「これは、大変や!」と思い、妻の実家に連絡を入れました。妻の実家は明石方面だからです。実家は、水道管が破裂し水が噴き出しているということで、義母は「どうしたらいいかわからない」ということだったので、元栓から占めることを教え、けがの具合などを確認しました。この電話が通じたのは地震直後だったので通じたのですが、2回目の電話はもう通じませんでした。電話回線が許容量を超えたのです。

 職場に行くと、神戸方面から通勤している先生は、当然来られていません。しばらくして、同年代の先生が学校に来られたので、「大丈夫だった?」と聞くと、その先生は目に涙を浮かべて「大学の時の友人と連絡が取れない。亡くなったかもしれない」と言われました。恥ずかしい話ですが、そのときはじめて実感したのです、「この震災で命を落とした人がいる」ということを。当たり前のようにマスコミでは、被災され命を落とされた人の数が毎日報道されていました。が、やはりそれは画面の向こうの話だったのです。同僚の涙が、「命の尊さ」を私に突き付けてきました。これが、「私」が体験したあの震災でした。

 あれから25年経ちました。今日は、あの日を語る日にしませんか?