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左は、茨木市駅前募金 20190710 右も、茨木市駅前募金 20190710 |
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第一日目 20190712(金) | ||
オリエンテーション | 坂口一美さんからの聞き取り | 整備が進む東北縦貫道路 |
気仙沼ボランティア 北摂つばさ高校2年 Nanayo Kumamoto 私は今回が初めて気仙沼ボランティアに参加させていただきました。なぜ、参加したかと言うと、友達に誘われたからです。私は、友達に誘われるまでこの気仙沼ボランティアには参加しようとは思っていませんでした。でも、私はボランティアが好きだから行ってみようと思いました。 大阪から宮城県までバスで行くのは知っていましたけど、12時間以上、半日以上もかかるなんてすごいなと思いました。 私は、今までこんなに長いことバスに乗ったことがなかったので、酔うかなと思っていましたけど、ワクワクして楽しみすぎて全然酔う気がしませんでした。良かったなって思います。 13日の朝では、予定より早く着いたので南三陸商店街の裏にある土で埋め立てられたところを見に行きました。その震災の時にあった建物も8年経った今もずっと変わらぬままあるんだなって思ったらすごいなって思いました。 そのあと、カキの養殖をしているとこに行きました。カキの養殖のところに行くまで山道を歩いて行きました。最初は45分かかると言われていたけど30分くらいでついたのでびっくりしました。でも、ずっとバス移動だったのでちょうどいい運動になったのかなって思いました。 カキの養殖支援の前に、私の班は環境整備のため枯れた枝を下に降ろす作業しました。でも、優しい男の子が代わってやってくれてとても楽でした。その間休憩していました。そのあと、お昼ご飯に星型のハンバーグ弁当を食べました。とても美味しかったです。 船に乗ってイカダを見たあとに「みきの家」という1日に1組しか泊まれない民泊のとこに行きました。そこで今も行方不明になっている未希さんのご両親のお話を聞くことができました。 ご両親のお話によるとみきさんは、津波が来てずっと放送で「みなさん津波が来ました。今すぐ高台に逃げて下さい。」と、言っていてそのままお家に帰ることができなかったというお話を聞いて何て声をかけたらいいのかなって思いました。 とても貴重なお話が聞けて私たちは本当にある意味でラッキーだったのかなって思いました。そのあと、木造の小学校に行ってみん宿泊先のホストファミリーの方と会いました。そのあと、晩御飯をご馳走になりました。 晩御飯では、今まで食べたことないくらいの量が出てきました。食べるのにとても時間がかかりました。でも、めちゃくちゃ美味しかったです。おせちみたいなお皿に入っていてすごい豪華やなって思いました。 14日では、東日本大震災伝承館に行きました。伝承館では、たくさんの資料を目にしました。その震災当時のまま建てられていて、これからあとに続く世代、まだ東日本大震災の恐ろしさを知らない人たちにぜひ、この伝承館に来て知ってほしいなって思いました。 そのあとに、田んぼの雑草を抜きに行きました。私は、足にキズがあったので入れませんでしたので、カマで雑草を刈りました。刈るにつれてスッキリしていくのが私もとても気持ちよかったです。 田んぼで雑草を抜いている人を見ていたらズボンのお尻のところがめっちゃドロついてる人がいたり、髪の毛に泥が付いていたり、服にもドロドロに汚れていたりして汚れを取るのが大変やろなって思いながら見ていました。 それで、民宿先に帰ってから晩御飯を食べました。晩御飯では、肉じゃががてできました。他にも色々な種類が出てきてとても美味しかったです。その日は帰ってくるのが早くて13日のカキの養殖支援の日よりもだいぶ早く帰ってきたので、早く食べ終わることができました。 食べおわってからお風呂に入ってたくさん喋ってたくさん笑いました。腹筋が割れたんちゃうかと思うくらい笑いました。最後の日だったし友達に一緒に寝よって言われたので友達と一緒に寝ました。 でも、その友達がとても寝相が悪くてビックリしました。朝寒いのに自分が使っていた布団を取られてめっちゃ寒かったです。晩御飯を食べてる時に宿泊先の家のお孫さん、1歳になる前の8ヶ月の女の赤ちゃんを見てめちゃくちゃ可愛かったです。 15日は、朝から気仙沼高校に行きました。気仙沼高校では、アイスブレイカーや学校の校則や学校のあるあるなどを紹介し合いました。気仙沼高校の対応が良く優しい人が多くて良い人達だなって思いました。人見知りの私でもすぐに打ち解けることが出来て良かったなって思いました。 そのあとに海の市に行きました。海の市では、自分の家、おじいちゃんおばあちゃんの家、いとこの家、1番上のお兄ちゃんと2番目のお兄ちゃん夫婦にお土産を買いました。そのあとに、お昼ご飯を「リアスキッチンDELI」というお店で「フカヒレ海鮮まん」と「揚げたこ焼き」を買いました。アツアツでとても美味しかったです。 食べおわったあとに晩御飯のおにぎりとか買おうかなって行ったらおにぎりが売り切れだったので水だけを買いました。そのあとにバスに乗って大阪に向けて出発しました。 でも、バスを出発をするまでの間に色々と誰がいないだのと知らないで先に帰ってしまいそうになりましたが、みんな揃って帰ることができたので良かったと思いました。 | ||
第二日目 20190713(土) | ||
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震災直後の防災庁舎の様子 | かさ上げ後の南三陸町市場から防災庁舎を望む | おばあちゃんが会いに来てくれました |
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12mほど嵩上げされた南三陸町の市場から見える、嵩上げされた堤防と旧防災庁舎の鉄骨の五階部分 20190713 | ||
気仙沼ボランティア 北摂つばさ高校 Natsuna T 今回初めて気仙沼のボランティアに参加しました。初めてで忘れ物とかないかなとか思って緊張していたけれど友達も一緒に参加していたので緊張がほぐれました。車内泊でバスの中でちゃんと寝れるかなとか思っていたけれど、そんな心配はいらなかったくらいぐっすり眠れました。 【2日目】 宮城県に着いてまず南三陸町の高台に行きました。今自分たちが立っているところは12mくらい高くなってるんだよと言われ、そんなに高くまで津波が来たんだなと思いました。去年や一昨年に比べて今年はとても綺麗になったんだよーと言っていて、去年や一昨年を見ていないから分からないけれど、こんなに綺麗になったのは地元の人達が頑張った証拠だなと思いました。 次にヤマヨ水産と言う牡蠣の養殖場を見に行きました。そこまでに45分くらい山登りをしてすごくしんどかったです。小松さんに養殖中の牡蠣を見せていただいた。養殖のイカダに楽々と乗っている人がいて怖そうだなと思いました。 『未希の家』に行きました。そこでは津波で流される直前まで『みなさん津波が来ました。今すぐ高台に逃げて下さい。』と避難放送を流していた未希さんの話を聞きました。話を聞いてついさっきまで声を聞いていて、姿を見たのに急にいなくなるという事はとても辛い事だなと感じた。未希さんのご両親は未希さんは20代という若さでで亡くなって、もっと生きてやりたい事が沢山あったのに亡くなってしまってとても悲しいなと思いました。 震災から8年、『8年という月日は過ぎる前は長くてでも、過ぎてしまったらあっという間』と未希さんのご両親が言っていたから1日1日を大切に生きようと思いました。 『おじいちゃんおばあちゃんを亡くしたら過去を無くすこと、お父さんお母さんを亡くしたら今を無くすこと、子供を亡くしたら未来を無くすこと』と言われ、未希さんのご両親は未来を無くしてしまったんだなぁと思いました。こうして今、朝昼晩食べられていること、お風呂に入れてること、全部が当たり前だけれど被災して朝昼晩しっかりと食られなかったり、お風呂に入れなかったり、当たり前はいつか当たり前じゃなくなるかもしれない。だから今、当たり前ことを大切にしたいと思います。 貴重なお話が聞けて本当に良かったです。 その後、民宿先に行きました。民宿先の方が集合場所の月立小学校まで迎えに来て下さって車で民宿先まで行きました。民宿先の畑がすごく大きかったです。晩ご飯にカツオが出てきてとても美味しかったです。 【3日目】 今日は龍の松を見に行ってから、伝承館に行き、田んぼの雑草抜きをしました。 龍の松では津波によって龍の形のようになった木を見ました。 次に伝承館に行きました。伝承館ではまず震災時の映像を見てから、校舎の中を見せていただいた。震災時の映像を見て、車や家が軽々流されていたり、元の川の流れと反対の流れの津波がすごい勢いで逆流していて、自分の家の近くの川がこんな風になったらと思うととても怖かったです。校舎に津波によって流され教室等に入ってきた車やガレキなどを見せてもらいました。校舎の中はすごく物が散乱していた。車が3階まで来ていてすごい高いところまで来たなと思いました。屋上に上がらせてもらって、水平線の方を見てガイドの人がここには今は土がいっぱいだけど、震災の前は家が沢山あったんだよと言っていて津波の威力はすごかったんだなと思いました。 その後、気仙沼の中学校の卒業式の映像を見ました。その映像では中学3年生の子が答辞を読んでいました。その文章が中学3年生とは思えないくらいしっかりした文で文章力がすごいなと思いました。その答辞を読んだ子の友達や同級生が見つかっていないときに卒業式をやったらしく中学校の卒業式なのに全員揃っていないのはとても悲しいなと思いました。 田んぼの雑草抜きはまず田んぼまでの坂道がしんどかったです。田んぼまで辿り着いて入ろうと思ったら、生き物がたくさんいて踏んでしまいそうだなと思ったけど、踏まないように気を付けて歩きました。田んぼの中でコケてお尻に泥が付いている人や泥を投げ合って髪の毛まで泥が付いている人もいました。足を洗う河瀬の水がすごく冷たかったです。田んぼの雑草抜きはすごく大変でこんな大変なことをお米農家の人はやっているのかと思うとお米を食べれるありがたさを感じました。 民宿先に帰って、泊まりが一緒の子と今日で最後だからと言って写真をたくさん撮って顔が痛くなるくらいまで笑いました。とても楽しかったです。 【4日目】 今日は気仙沼高校と交流をしました。最初はとても緊張していたけれど、気仙沼高校の方々が考えて下さったアイスブレイカーや学校あるあるのおかげでだんだん喋れるようになって、最後別れるときにはとてもまだ話したいなと思った。仲良くなった子とLINEとかを交換しました。野球部の方々が荷物を運んで下さったり、最後までお見送りして下さったりして頂いてとても嬉しかったです。 交流が終わったあと、海の市に行って、お土産を買ったりお昼ご飯を食べたりしました。 地震が起きてから8年、見た感じは復興できているように見えていてもでも、背景ではまだまだ復興できていないというところがあると思います。なので、来年は受験とかがあるので来れるか分からないけれど、このボランティアに来れるのであればぜひ行きたいなととても思いました。 |
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ヤマヨ『水産小松武代表からの聞き取り | 環境整備作業、間伐材を取り除く。 | カキの養殖イカダの体験活動 |
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2011年3月11日の東日本大震災では、すべての養殖イカダが焼失したが、全国からの支援もあり、イカダの数も元の数に戻ってきた。20190713 | ||
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南三陸町の未希の家さんの入口 | 未希さんのお母さんからお話しを伺う | 未希さんのお父さんから話を伺う |
気仙沼ボランティア 北摂つばさ高校 Yukika H 今回の気仙沼のボランティアは初めての参加で、不安もあったのですが、とても楽しくていい思い出が作れたことが嬉しかったです! まず初めに、7月12日金曜日の8時に出発して7時30分くらいに南三陸町に着来ました。そして、防災庁舎を見ました。12mの高さまで土を盛ったと聞いて、あれほどの砂の量を運んで持っていくのはすごく大変だっただろうなと思いました。また、例えると3階まで、津波が上がってきたことに驚きました。最後に津波が起こった直前の写真を見て、バスに乗りました。 次に、牡蠣の養殖をしているヤマヨウ水産に行きました。約45分の山を歩くという長い道のりで上り坂も多くきつくて暑かったのですが着いてから直ぐに枝の除去を開始し始めました。それからお昼ご飯を食べて、その後船に乗って牡蠣の養殖場を見たりなどとても楽しかったです。災害時の状態、牡蠣の養殖場の復興をしていた時の苦労や、前の気仙沼のボランティアの人達のおかげで助かった。など色々なことを聞いて、本当に色々な人の支えや努力があったんだなと思いました。 次に末希の家に行き、未希さんのことについてや、民宿を始めたきっかけや、ご両親の気持ちを聞いて未希さんの人の悪口を言わない性格や、未希さんのことで命を大切にしていこうと決めたいう気持ちを聞いて、凄く貴重な体験をしました。そして命というものについて深く考えさせられました。 それから、民泊先のホストファミリーの方と顔合わせをしました。最初は緊張しましたが、ホストファミリーの方々が話しかけてくれたり、蛍を見せてくれたりととても優しくしてくれたので、緊張も解けてすごくラックス出来ました。また、ホストファミリーの方が、育てた野菜などが夜ご飯に出てきてとても美味しかったです。 2日目は、龍の松という津波の際に、曲がってしまいそれが龍のようにうねっていることから、龍の松と呼ばれているそうです。そこで、集合写真を取りました。 そして伝承館に行きました。そこは、気仙沼海洋高校という学校が元々立っていました。伝承館では津波が実際起きた時の映像、地震が起きた時にぐちゃぐちゃになってしまった校内を見ました。そこで私は、4階まで車が上がってきているものを見て、そこで津波というものは、私が思っている以上に怖いものなのだと思いました。 その次に、はまわらすという場所にに田んぼの掃除の手伝いをしに行きました。お昼ご飯を食べて田んぼへ向かいました。最初は、虫がいっぱいですごく嫌だなと思っていましたが、いざ田んぼの中に足を踏み入れ雑草の掃除をしてみるといつの間にか夢中になって雑草を掃除していました。子供たちが頑張って植えた苗を間違えてとってしまわないようにするのがすごく苦労しました。雑草の掃除が終わったら近くの川で、足をあらってバスに乗り込みました。 そして、ホストファミリーに送ってもらい民泊先に帰って美味しいご飯を食べて、お風呂に入りました。最終日は、テレビの前でホストファミリーとたくさん笑ってたくさん話しました。とても楽しかったです。それから荷造りをして寝ました。 最終日は、ホストファミリーの方に集合場所まで送ってもらいました。最後の記念にと一緒に写真を撮ってもらいバスに乗って気仙沼の人達との交流に向けて出発をしました。 自分はとても人見知りなので、最初は話せるか緊張しました。でも、気仙沼の生徒の人が企画してくれたゲームで、緊張が解けて嬉しかったです。その後も気仙沼と茨木の高校のあるあるゲームなどをして気仙沼の高校は、1.2年生バイト禁止と書いてあるのもあったり、気高まんじゅうというのが体育会の優勝者に配られるとか、スマホを触れないなど、大阪の高校からしたら珍しいことが沢山あって、驚きました。そうやっ気仙沼の生徒達との交流を楽しむことが出来ました。最後は、生徒の方たちが、手を振って、お見送りしてくれたのがとても嬉しかったです。また、野球部の方々が、お見送りとお出迎えで荷物を運ぶのを手伝って下さったことがとても嬉しかったです。 交流が終わると、海市という場所に行って、お土産屋や、お昼ご飯を食べました。サメが有名だと、ホストファミリーに聞いていたので、フカヒレせんべいを買いました。 今回のボランティア活動を通して感じたことは、命の大切さをとても、深く考えさせられました。また、先生も言っていましたが、ほかの地域の人との交流をすることはとても大切なことなんだということも、分かりました。そして、何よりも、思ったことが、津波はとても、危険で自分たちの住んでる地域では津波は来る可能性が低いかもしれないけど、地震が来た時に備えての準備をしておくことはとても大切だと思いました。復興から8年経った今、見た感じは復興しているように見えても、背景ではまだまだ足りないところがあると聞いて来年の気仙沼ボランティアも、行くか考えてみようと思いました。 |
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第三日目 20190714(日) | ||
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東日本大震災伝承館 旧気仙沼向洋高校 | 3階部分に流れてきた自動車の残骸 | 1トン以上ある車が校舎に流れ着いた |
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この壁の向こうに冷凍工場の建物が激突 | 向洋高校の生徒は全員避難し助かった | 校舎の間に流れ着いた残骸が当時のまま |
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当時のままに残された校舎の様子に言葉を失う参加者 20190715 東日本大震災伝承館 | ||
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NPOはまわらす代表からの聞き取り | NPOはまわらすでの記念撮影 | 子どもの植えた田んぼの雑草抜き |
気仙沼ボランティア 北摂つばさ高校 Misa S 私は気仙沼ボランティアにずっと参加したくて友達に誘われて決意を決めて今回初めて参加しました。ボランティアをすることは好きだけど知らない子ばかりだし、何をしたらいいのかもわからず不安ばかりでした、でもその反面で知らない土地、知らない体験、新しい出会いができることに好奇心もありました。 1日目、牡蠣の養殖の場に行きました。そこで小松さんから色々話を伺ったり、見せてもらいました。代々気仙沼に来た北摂つばさの先輩が復興のお手伝いで、天井の支えの二枚の鉄が入った重たい柱を大人数で運んだり、たこ焼きを作った話を聞いて、すごいと尊敬しました。他にも牡蠣の養殖を見せてもらったとき筏に初めて登って歩いて最初は落ちそうで怖かったけど慣れて歩けて、いい体験をできたと思います。数カ月と一年の筏では歩きやすさが全然違いました。牡蠣の大きさも全く違いました。 次に遠藤さんのお宅に行って津波の被害でお亡くなりになられた娘さんの話を聞きました。娘さんの未希さんが無くなったあとの話をしていらっしゃるときに、笑顔のために前向きに生きて日々を大切にと言っていらっしゃって自分も頑張ろうと思いました。未希さんの働く身としての勇敢さというのかわからないけれど、最後まで落ち着いてしっかり避難の言葉をかけていた話を聞いてなんとも言えない気持ちになりました。複雑でした。娘さんの性格の話を聞かれて答えていらっしゃったときは未希さんのお母様が泣いていらっしゃって、自分も泣きそうになるくらい気持ちが伝わってきて苦しかったです。 2日目、伝承館に行きました。押し波、引き波など津波が来たときの映像を見ました。津波が家を運んで持っていってしまったり、数分で陸地に上がってきたのを見て、もし大阪にもこんなことがあったらどうしたらいいのかってことをすごく考えました。悲惨な跡地や映像を見て津波の強さ、怖さがすごく伝わってきました。屋上に残った先生たちの生き残るための努力で考えて上へ上へと登った話を聞いて、机の使い方をそう使って登ったことや生きるための努力がすごいと思いました。そこまで自分なら思いつかなくて諦めてしまいそうだなと思いました。 流されてきた物や壊れた物、車や各部屋の散らかりどれを見ても何も言葉が浮かびませんでした。圧倒された感じがしました。その後の高校の卒業式の映像も見ました。男の子が同じ年でスピーチを苦しみながらも言葉を発しているのを見て、自分があの子達の立場だったらその場に立ててないだろうと思いました。家を流されたり、見つからない友達や自分の制服がない子がいる中沢山のことを含めて話していてすごいと思いました。強くその映像が頭に残っています。 次に浜わらすで畑の雑草抜きをしました。途中までは草むしりを外側でしていました。けれどみんなが楽しそうにしてるのを見たら入りたくなって途中から畑の中に入りました。初めてのことで雑草か稲か区別が難しかったです。でも、とても楽しく、いい体験をさせていただいたと思います。 終わってから民泊でした。民泊先の人も一緒に泊まった春日丘高校の方二人も良い方でとても楽しかったです。二日目の民泊のときは夜に木に桜の木の革を切り抜いたりして貼り付けてストラップも作らせていただきました。とてもいい思い出になりました。民泊で「~したらば」、「~べ」といった方言がすごく印象に残りました。ご飯も美味しくて自然も良くて優しい環境で過ごしやすかったです。夜は疲れて爆睡しました。 3日目、宮城最後の日、民泊先の人とお別れをしました。2日間だけど思い出が沢山あって少し寂しかったです。また機会があるなら来たい、来ようと思いました。その後気仙沼高校で交流をしました。その時にはもうすっかり周りの知らない子とも気軽に話せて、気仙沼高校の同じ班の女の子と趣味の話や学校の話をしました。ゲームも楽しかったです。学校によって規則の厳しさや体育祭の形、教科の形などが違っていて大変だなと思いました。一年生からエリアの代わりにできたコースの話も聞いて自分の学校なのに知らないことも知れて良かったです。 それぞれ学校の個性を聞けて良かったです。全体的に見て、3年のこの最後に気仙沼に来れて良かったと思いました。悩まずにもっと早くから沢山来たかったなと思いました。最高の思い出になったと思います。ボランティアで沢山のことを見て思った気持ちを忘れずに、これからへとつなげて頑張っていきたいと思いました。もっと一日一日を出会いを大切にできたらいいなと思いました。 自分はこれが最後の機会だったけれど、自分の今の気持ちのように良い体験ができるし楽しいのでまだ参加する機会がある人には後悔なく、沢山参加して気仙沼の良さをもっと知ってほしいと思いました。たくさんの人に、震災にあってしまったけど、それを前向きに考えてしっかりと進んでる気仙沼に行ってどんなところなのか体感してほしいと思いました。 |
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第四日目 20190715(月) | ||
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2014年3月に来阪した球児が教員に | 気仙沼高校 狩野秀明校長先生の挨拶 | 大岡成樹団長から義援金の手交 |
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気仙沼高校、春日丘高校、帝塚山泉ヶ丘高校、北摂つばさ高校の生徒交流会 20190715 気仙沼高校 | ||
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野球部も加わっての記念撮影 | 廊下に掲示されていた祈り | 3月の野球に向けての記念撮影 |
活動を終えて 北摂つばさ高校 Sachi K 7月12日の夜に学校を出発し、宮城県気仙沼に着くまで約12時間のバス移動でした。この東日本大地震現地ボランティアに参加するのは今回で2回目になります。毎年3月11日が近くなると大阪でも東日本大地震について報道されますが、それ以外のときにテレビなどで目にする機会はなくなりました。 そんな中で、私が今の東北の状態を知るには現地に行って自分の目で見るしかないと思い参加しています。そして、やはりこちらの様子を見て自分の目で見る大切さを実感させられます。大阪にいたら知り得ないお話を耳にし、復興の進行状況などを目にするととても心が痛くなります。 宮城県に入り始めにさんさん商店街を訪れました。去年、来た時はバスで前を通っただけだったので実際に降りたのは初めてでした。さんさん商店街の裏に見える赤色の鉄筋、それが防災庁舎で自分と同じ高さにあるところが建物の五階部分だったと聞き驚きました。土で地面をかさ上げし、当時の五階部分まで地面が上がっているということ、想像を働かせ考えるしかなく当時の写真と比べることで理解することができました。 次に向かったのが、大島です。去年まではフェリーで大島まで渡っていました。ですが今年は橋がかかり、バスで移動することができました。島民の皆さんが50年願い続けていた橋。開通した初年に、歩いて渡ることもできとても楽しかったです。私まで嬉しくなりました。 その後は、みきの家を訪れました。遠藤みきさんのお話はニュースなどで何度も目にしており、知っていました。震災でご家族を亡くされた方のお話を聞く機会など今まで全くなく、今回初めて耳にしました。生の声で聞くとても悲しいお話に胸が痛くなりました。 冷静に聞こえたみきさんの放送は、みきさんの強さだと知りました。津波が来ると放送し続けて、自分も逃げたい気持ちでいっぱいだったと思います。でも、地域のみなさんのために呼びかけ続けたみきさんはすごくかっこいいです。みきの家を後にするとき、ご両親につばさの3年生でお礼を言いました。するとお父さんは私たちに「強く生きろよ」と笑顔で言ってくださりました。強く生きる、難しいことですが胸に刻まれました。 2日目の朝は伝承館に行きました。当時のまま残された高校の校舎を自分の足で歩き、残されたままの椅子や机、教科書を自分の目で見ました。写真で見るのとは全然違い、衝撃で言葉が出ませんでした。最後の部屋で一番大きなパネルで飾られていた、水を運ぶ少年の写真が一番強く印象に残っています。当時10歳と書かれた文字を見て、私と同い歳だと気付きました。10歳の自分にあの子と同じ行動ができたとは、とても思えません。10歳で人の役に立ちたいと思い家族に内緒にし、怪我をしてまで行い続けた行動に心が痛くなりました。 中学校の卒業式で読まれた答辞の映像も見させてもらいました。いろいろな感情が入り混じっていたのが伝わる答辞でした。涙が出ても拭わず一生懸命に想いを伝える姿にとても感動しました。最後に施設を出て私たちの班の語り部さんにお礼を言いました。すると語り部さんに「頑張って」と言われました。頑張るしかないな、心から思いました。 午後からは、はまわらすの活動に参加させていただきました。田んぼに入り、稲の邪魔になる雑草を取り除く作業でした。私は、18年生きてきて初めて田んぼに入りました。その場にずっと立っていると沈んでしまうぐらいドロドロで初めての感触でした。 初めは、雑草と稲の苗の違いがわからず間違えて抜いてしまいそうになりました。教えていただきながらゆっくりやっていると徐々に見分けられようになり、素早く作業することができるようになりました。ドロドロの感触も気持ち悪く、虫もアメンボもたくさんいて初めは嫌だった作業も慣れた頃には楽しくなっていました。尻もちをついて汚れている子を見てみんなで笑いながらする作業はとても楽しく充実した時間になりました。 3日目は、朝から気仙沼高校におじゃましました。気仙沼高校の方が考えてくださった企画を班ごとに楽しみました。自分の学校と他の学校で違うところ同じところを見つけることができました。去年仲良くなれた子とも再会することができ、今年は今年で新しい友達もできました。インスタを教え合いました。そういう繋がりもいいなと私は思います。 気仙沼高校をバスで出発すると野球部の方が最後の最後まで走って見送ってくれました。すごく嬉しかったです。そのあとは、海の市に行きました。去年と同様、かつお祭りが行われていて人が沢山いました。すごくにぎやかで楽しい雰囲気でした。 私は、高校1年生のとき勇気が出ずこの活動に参加することができませんでした。今になって、そのことをすごく後悔しています。1年のときから参加し、少しでも多く気仙沼を訪れたかったです。気仙沼に来て、私たちにできることはお手伝いだけではないということが参加した今ならわかります。 民泊先の人とたくさんお話し、気仙沼高校の方とも交流して聞いた被災当時のことや自分の目で見た現在の街の様子、それを大阪に帰ってみんなに伝える。それが今の私にできるボランティアの1つだと考えます。 私は3年連続参加 皆勤することができなかったので、ぜひ今年参加してくれた1年生は来年再来年も参加し、この活動を続けていけるよう手伝ってください。大阪府と宮城県は遠く離れています。この活動に参加しなければ出会えなかった人がたくさんいます。去年、今年を振り返り来てよかった、心からそう思えます。 また、機会があればOGとして参加したいです。 |
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第五日目 20190716(火) | ||
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最終日、まとめの集会の後、感想を入力して、 解散しました。 皆様のご理解とご協力、ありがとうございました。 |
春日丘高校生徒会から3月に向け寄付 春日丘高、茨木高、市役所にポスター、チラシ届ける
3月の気仙沼・登米高校の野球部の招待に向けて茨木市市民活動センターとがんばろう!つばさネットワークのコラボレーションによるポスター、チラシが完成しましたので、北摂つばさ高校の生徒が茨木市内に配布して回っています。11月20日は春日丘高校、茨木高校、茨木市役所にお持ちしました。春日丘高校生徒会からは滞在費に活用して、と文化祭での募金17,590円が寄付されました。台風21号で破損した野球のバックネットの補修も11月5日までに完了しました。あとは防球ネットの補修ですが、年度末までのいずれかの段階で補修される予定ですが、日程は未定です。
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がんばろう!つばさネットワーク主催の茨木市駅前募金を11月5日(月)18名、6日(火)16名、9日(金)17名の参加で実施しました。2019年3月23.24.25日に来阪される気仙沼、登米高校野球部の招待に向けて、阪急茨木市駅前で募金をしました。次回の実施は1月29日(火)30日(水)31日(木) で2.3年国際エリア、ユネスコ部を中心に実施します。![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
(Kazuki) 今回の西日本豪雨災害ボランティアを終えて気づいたのはやはり1ヶ月と少しでは何も変わっていないところです。これはどこも同じと言えるでしょうが、気仙沼の時も感じた事でした。今回もめ組JAPANの方のお手伝いをさせていただきました。最初の挨拶など全てが久しぶりだなと思いました。前回一緒にさせていただいた方が僕のことを覚えていてくださり少しお話ししていただきました。最初からとても楽しい気持ちになりました。前回参加させていただいたときは家の必要のない骨組みなどをバールで外す作業でしたが、今回は家の泥を掻き出し元々あった土に戻す作業をさせていただきました。 今回作業させていただく家に着いた時泥はとてつもなく積み重なっていましたが、約6時間活動させていただいた結果最初にあった泥はほとんど無くなり綺麗と言えるところまで泥を搔き集めることはできました。着いてすぐ作業をさせていただいた時は慣れていないという事もあって泥を掻き集めるのにとてつもなく時間を要しました。でも、途中から慣れ始め、すぐに集める事ができ、土嚢袋もすぐにいっぱいになりました。細かいところまで集めておかないと後でその泥の臭いが残るとめ組JAPANの方に教えていただいたので角などの泥にも気をつけながら作業を続けました。作業を続けていると家主さんが来て、綺麗〜と言われたのがとても嬉しかったです。途中から家主さんたちも手伝ってくださり、最後の方は作業がとても早く終わった気がしました。 休憩の最中家主さんやめ組JAPANの方々に作業が終わった場所に対してとても綺麗になってる〜などを言っていただいた時はとてもやりがいを感じました。め組JAPANの方とは色々お話をしながら作業をさせていただいたので、とても楽しみながら作業をすることができました。 家主さんが果物や飲み物をくださり特にみかんが美味しく、とてもいい休憩時間を過ごせたなと思います。 休憩後はやはり集中しながら作業を出来たので時間が経つのもすごく早く感じました。最後の方は土嚢をバケツリレーのように運んだのがいい思い出になりました。土嚢袋で重いものがあったのでそれを運ぶ時は苦労しました。大人の方々は簡単に持っていたので凄いなと思いました。 最後に足場の部分をたわしとブラシでこすり綺麗にする作業は意外に腰がきつかったなと思いました。 今回のボランティア活動では前回と違うことをさせていただき、いい経験をさせていただきました。今後前回、今回の経験が活かせる機会があれば自ら率先して活動していきたいなと思ったと共にまたこのような機会があればどんどん参加していきたいなと思いました。 (Sachi)11月4日私は岡山県倉敷市真備町にボランティアに行きました。災害地ボランティアに行くのは今回が初めてで不安でいっぱいでした。テレビで被災地の情報があまり流れなくなった今、被災地の状態を知るには自分の目で見るのが一番だと思いましたがどういう状況なのかどこまで復興が進んでるのか想像もつかず不安がつのるばかりでした。真備町周辺を車で進むと道路は被災したことがわからないぐらいにまで復興していました。でも、一軒一軒家を見ると窓や戸が外されており中が丸見えで家の中に泥がたまっているのがわかりました。一見なに事もなかったように見える町も家が被災した状況を物語っていました。 今回、私は家の泥かき作業をしました。家のもとの土の上に流れてたまっている泥を掘って土囊袋に入れる作業でした。私は土嚢袋に自分で土を入れる作業自体が初めての経験で土嚢袋の縛り方すら知りませんでした。そんな私にも優しく教えてくださりました。家の一階部分すべての泥を取りました。その作業が終わるとつぎは家の梁などに溜まった砂を取る作業に移りました。梁をたわしでこすり出た砂をほうきで掃くの繰り返しでした。梁をこすってもこすっても砂が出続けました。お話を伺うと「丸二日水に浸かってしまった。」ということでした。その間に染み込んだ泥がなかなか取れないんだとわかりました。 約一時間かけても一辺ぐらいしか進みませんでした。それぐらい時間がかかる作業なんだとわかりました。私はこの一日の目標に「誰かの役に立ちたい」と考えていました。作業を進めているときにそのおうちの方にたくさん「ありがとう」を言っていただきました。私になにができるのかと不安に思っていた中で「ありがとう」と言っていただけたことで「人の役に立てた」と実感しました。作業に専念しすぎて周りの方とあまりコミュニケーションを取ることはできなかったことを後悔しています。ですが自分の決めた目標は達成することができすごく満足しています。 私は今回の被災地ボランティアを通してテレビでは報道されていない被災地のリアルな現状を知ることができました。今の被災地の状態をたくさんの人に知っていただきたいです。私はもっとほかの被災地にも関心を持って調べたり、実際にボランティアに行き自分の目でその状況を確かめたいと思いました。つぎ行ける機会があるかはわからないけどもしまた機会があればボランティアに参加しもっと被災した方にもお話をお伺いしたいなと思いました。 (Alice) 岡山県へボランティアをしにいきました。 朝がめっちゃ早かったので寝坊しないかすごい心配でしたが、ちゃんと起きれたので良かったです。岡山県まで車で連れて行ってもらいました。思った以上に早くついたのでびっくりしました。車からみたら結構家とかも綺麗にみえたけど歩いて一軒一軒みていくと床がなかったりとか、家具が全部なくなっていたりとか、住むことができなくなっている家がたくさんあって改めて復旧できてない家もあるんだなって思いました。 家についたら、家の床の色の濃い土をとる作業をしました。家は木の骨組みしかなくてびっくりしました。岡山県のボランティアは初めてでどうやってやるかとか全くわからなかったけどやり方とかわかりやすく教えてもらえたので黙々とスムーズに作業することができました。ずっとしゃがんだまま作業しないといけなかったり、何回も掘らなあかんかったりして結構しんどかったです。 床の色の濃い土をとらないと家がカビたり腐りやすくなる原因になるらしいです。だからこの作業も大事なんだなと思いました。床の土をとる作業とかあるって知らなくて、この作業もいつも誰かがやってくれてるんだろうなって思うとすごいありがたいなって思いました。すごくいい経験になったなと思いました。つぎに、家の骨組みの土を落としたりしました。何回落としても全然とれなくて、土がずっと残ったままで、すごく大変でした。最初家を見た時綺麗にできるんかな?とか終わる気しないなって思ったけど結構きれいになってよかったです。自分に何か手伝える事とかってあるんかなって思っていたけどその家に住んでた家族のみなさんがすごいありがとうってゆっていただけたり喜んでもらえたので、少しでも役に立てたのかなって思って、頑張ってよかったなって思いました。 今回のボランティアで一番思ったことは前までは普通に暮らせていたのに自分の家で急に暮らせなくなるってゆうのは本当にこわいなって思いました。初めてこのようなボランティアをしてみて、すごい疲れたりとか大変やったけどありがとうとか喜んでいただけたりとかしてすごい嬉しかったです。本当に初めてすることとか貴重な体験をたくさんできて、岡山県にボランティアに来てよかったなって思いました。まだまだ復旧できてない家とかたくさんあるのでまた機会があれば岡山県にボランティアをしにいきたいなって思いました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
茨木LIONS CLUBの10月例会にて、がんばろう!つばさネットワーク藤井事務局長より活動報告をしました。これに対してLIONS CLUB高松順一会長より「これからも若い人の社会貢献活動を応援します。がんばってください。」と寄付をいただきました。高松会長の娘さんは北摂つばさ高校の卒業生で3年間、気仙沼ボランティアに参加され、そのことも親として喜んでいます、と紹介されました。寄付金は3月の気仙沼・登米高校の野球部の招待、滞在費に活用されます。 |
Kazuki.M 今回の岡山県真備町へのボランティア活動を終えて思ったのは、災害から2ヶ月以上経った今でも家の中の泥、砂などを全部片付けきれていない現状を目の当たりにして、集中豪雨で凄く大きな被害を受けたことを確認できたことです。 僕は高校に入って2年間毎年気仙沼ボランティアに行かせていただいています。その時震災から5年以上経っているのにどうして復興していないのだろうと思いました。でも、今回の岡山県真備町に行かせていただいてボランティアをさせてもらってから、どうしてすぐに復興しないかをすぐに理解できました。今回、僕はめ組JAPANの方々と一緒に1つの家に行き、家を支えている柱以外全てバールで外したり下に散らばったままのドロなどをスコップで片付けたりして約5時間片付けを手伝わせていただきました。それだけの時間をやっても1つの家を完全に片付けきることは出来なかったです。僕は今回のようなボランティアは初めてだったので最初は何もわかりませんでした。でも、め組JAPANの方々や一緒にボランティアに行った方々に色々と教えてもらいました。今後も活用できることばかり教えていただき、とてもいい経験になりました。僕はまたこのような機会があれば色々な人を誘い、色々な活動をしていきたいと思いました。 今回の経験を次に活かしたいと思ったのでまた参加したいです。 Shusuke.K 活動内容 ・泥かき ・土嚢袋運び ・土壁壊し 感想 今回、西日本豪雨災害のボランティアに参加したけれどもテレビで放送されてから二カ月くらいたってるけれども全然復興が進んでないなぁと最初見た時に感じました。しかし今回参加して分かったことがありました。それは、作業がなかなか終わらないのです。なぜなら1つの部屋を泥かきをし土壁を壊す作業は一日かかるか、かからないかの量で僕は二カ月でここまでやれたのかと思いました。しかしまだ手の付けられてない家があったのも印象的でした。私は今回、参加して少しでも力になれたらいいなぁと思います。 昼の休憩の時におばさんがお疲れ様と言ってお金を渡してくれました。この書き方は誤解を生むけども、私たちも結構ですと何度も断ったけれど渡してこられ、最後は私たちの近くに置いて立ち去られました。だからありがたく使わせていただきました、近くにいた大学生で私たちと同じくボランティアをしていた人たちとも分けました。 Yudai.K 岡山県で豪雨の被害をうけた方々への復興ボランティア活動に参加してきました。実際に岡山で起きた豪雨はどのくらいの被害をうけたのか想像がつかなくて、到着した時に色んな家を見てみると一軒家の一階部分がすべて浸水していて、泥でいっぱいで木だけになっていました。それをみて、豪雨でもこんなことになってしまうんだ、と驚きました。め組ジャパンの方々が行なっているボランティアに参加させていただき、グループに分かれて、被害をうけた一軒家の一階部分のメインの柱以外の木や泥を取り除く作業を行いました。約20人で作業しましたが、半日で一軒家の掃除が一つ終わるくらいでした。なので、まだまだ時間がかかることを痛感しました。ですが、今までにない体験ができて、とても経験になり、たくさんの方とお話しすることができて、あっという間に時間が過ぎました。また機会があれば、被害をうけた方々のために、ぜひ参加したいなと思いました。これからも、人に喜んでもらえる活動ができたらいいなと思います。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
文化祭では社会科教室で気仙沼ボランティア、ニューヨーク研修の展示報告をしました。 ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
体育祭ではクラブ対抗リレーで男女ともチームを出して、盛り上げに貢献しました。![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
玉島まつりの模擬店のヘルプにユネスコ部員5名が参加しました。 まず、祭りに来ておられた福岡洋一市長とユネスコ部員の記念撮影をしました。3月の野球にも来ていただくようお願いしまし快くOKをいただきました。この後、5人で模擬店のヘルプに入りました。いろいろの差し入れもいただきながら、16:00から始まり19:00に終わるころには、おなかいっぱいで、申し訳ないようなお手伝いでした。でも、皆さんによろこんでいただき充実の半日でした。ありがとうございました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
がんばろう!つばさネットワーク主催で、気仙沼高校の千葉友裕さん、松原高校の2名とともにニューヨークの国連研修にユネスコクラブの2名が参加しました。 国連本部の他、ウォール街、ブロードウェイ・タイムズスクエア、セントラルパーク・ダコタハウス、ブルックリンブリッジ、自由の女神、チャイナタウン、ハーレムなどの視察をしました。詳しくは2018年12月24日のワンワールドフェスティバルforユースの企画の一つで報告します。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
茨木ライオンズクラブの会長に就任された高松順一会長のご厚意で高校生が模擬店のスタッフを務めました。 台風12号の影響で2日の会期が1日に短縮されるも、ドリンクの販売、招待野球のチラシ配布に15人で取り組みました。ありがとうございました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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左は、参加者説明会 20180629 右は、熱中症対策水の買い出し 20180710 |
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第一日目 20180713(金) | ||
オリエンテーション | 坂口一美さんからの聞き取り | 見送りの方からの激励 |
第二日目 20180714(土) | ||
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南三陸町の旧防災庁舎 周辺のかさ上げ | 最高気温29度。大阪は最高気温39度。 | 気仙沼市内 かさ上げで景色が変わっている |
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気仙沼港 各校の代表挨拶 | 暑さ除けの頬かむり | フェリーの中は快適 |
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ウミネコに餌をあげるアトラクション | 大興奮 | |
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嬌声が響き渡る | 大島浦の浜に到着 | 45分の山越えハイク おしゃべりで熊除け |
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いかだの数も戻ってきた | まづは弁当で腹ごしらえ | 小松武さんからの聞き取り |
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続いて作業手順の確認 | カキかごの洗浄 | |
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周辺の草刈り | ミミズや虫が出てくる | でも楽しい |
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見晴らしもすばらしい | カキのいかだの見学 | カキかごの洗浄はつづく |
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おかあちゃんも頑張る | たわしの威力 | 高圧洗浄機にはかないません |
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いかだクルーズは最大のお楽しみ | 毎年同じ場所から写真を撮ると周辺の変化もなんとなくわかるようになってきました。 | |
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熊の取材に来られた新聞記者さん | 山越えのあとフェリーで移動 見送り、見送られの双方でテープの両端をもちます。 | |
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八瀬森の学校に到着しました。 | ||
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ホスト家族とゲスト生徒がご対面。 | ||
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この後、各家庭に移動、民泊スタート。 | ||
第三日目 20180715(日) | ||
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月立小学校で集合の後、健康チェックで問題なしを確認して、バスで移動。 | リアスアーク美術館 | |
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階上地区へ移動。 | 海辺の森を作ろう会 | 菅原信治さんからの聞き取り |
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添え木にくくりながら苗を植える。 | 日光が当たるように除草も欠かせない。 | 慣れない手つきで試行錯誤。 |
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うまくいきました。 | おかあちゃんも頑張る | いい感じです。 |
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こちらもいい感じです。 | こちらも。 | |
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男子は大きな添え木を巨大トンカチで打ち込む | ||
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ひたすら除草をつづける | ||
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花壇に花を植える | ||
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ひたすら除草を続ける | ||
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左の木は、流された人7人が掴まって助かったという木です。 | ||
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民泊先での食事。朝とれた野菜が並びます。 | ||
第四日目 20180716(月) 第五日目 20180717(火) | ||
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月立小学校での集合写真。ホスト家族ともお別れです。 | ||
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二泊を過ごしたホスト家族のみなさんと 距離感が近くなりフィットしてます。 |
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気仙沼高校での交流 |
ニューヨークに行く5人のメンバー | 同じ5名と教員2名と気仙沼高校小山淳校長。 | |
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生徒会からの募金の贈呈。 | 野球部からの募金の贈呈。 | |
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がんばろう!つばさネットワークからの募金。 NYへ行く千葉友裕さん、坂口一美さん、千田健一先生。 回を重ねて10回目となりました。 | ||
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気仙沼高校正門の見送り | 第五日目 20180717(火) | |
海の市にホスト家族が写真を届けてくれました。 | 坂口一美さんの講評の後、振り返り入力、解散。それぞれの学校での授業に向けて移動です。 | |
震災から一週間通常授業に戻った6月25日、昼休みに部会を開きました。6月27日から試験前になるので、2日間でできることとして、気仙沼高校の招待でホスト家族を務めていただいてたお宅を訪問することにしました。![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
2018年6月18日午前7時58分、北摂つばさ高校の東1kmの付近を震源に大阪府北部地震が発生しました。 地震直後の民家の被害(その1) 地震直後の民家の被害(その2) 提供:長田佳久様 ![]() ![]() 下は20180710の茨木市内の様子。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
この日は、朝8時に7名が集合し、小学校低学年のドッチボール6チームのマネージャーを務めました。![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
この日は、葦原小学校のPTAの会長が来校され、ドッチボール大会の依頼に来られました。![]() ![]() ![]() |
今日はお願いがありご連絡させていただきました。今まで3回にわたりフィリピンにてボランティアを行ってきました。 現地の人たちは日本の生活に慣れてる私たちからみると貧しい生活を送っています。でもそんなことを感じさせないくらいの笑顔が子どもたちにはあります。どうかこの笑顔をみつづけれるよう力を貸してください! よろしくお願いします。拡散して貰えば幸いです。みなさんのお力貸してください。クラウドファウンディングはこちら。 |
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この日は新入生を対象にクラブ紹介を行いました。5名でスライドを使って昨年一年間の活動を紹介しました。さて、何人がユネスコクラブの扉をたたいてくれるか。 | |
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3年AMANEさん (3/23) 駐輪場にネームタグを貼ったり気仙沼・登米高の野球部が送迎の時に使う自転車の空気入れをしたりした。 (3/24) この日は朝早くから学校に集合して、バスが到着するのを出迎えました。バスの中から昨年の交流会の時からずっと仲良くしている登米高野球部のみんなが見えてやっと会えたのでとっても嬉しかったです!! そのあと、歓迎セレモニーがあり、私は昨年に引き続き、本田さんと共に1年生の子も一人入れ、司会を務めさせていただきました。セレモニーでは各高校のキャプテンが出てきてお話して下さったり、市長さんからのお言葉もありました。他にはダンス部の皆さんのパフォーマンスや、みんなで集合写真も撮って閉会いたしました。 私たちユネスコ部は綿菓子機の準備をして綺麗な形にできるように練習してました。その頃、各高校はキャッチボール、シートノックをしてから試合開始していました。私は登米高校の試合しかちゃんと見れなかったのですが、どの試合もとても面白くて、どちらのチームも強さを高め合っていて見ている側も凄くて力が入りました!そして、私は集会所に泊まる登米高校野球部を送迎する担当だったので、夜ごはんは食堂で食べて、それから集会所へ向かいました。 (3/25) この日も朝早くからお迎えに行って、集会所の人達は食堂で朝ごはんを食べました。そして、この日はまだシートノックまで時間があって、気仙沼高校、登米高校野球部が北つばの周りをゴミ拾いをしに行っていました。それを見て本当に優しい方々だなと改めて感じました。 そして戻ってきた後に昨年の交流会では話せなかった登米高野球部の皆に話しかけて、話し出すと止まらくなって本当に楽しかったです。お互い、いろんな話をしすぎて方言とかも移ってきちゃっててとても親近感が湧きました。そのあと試合が始まってからはネット裏に行って、北つばを応援したり、登米高校、気仙沼高校を応援したりどちらも応援しながら楽しく見ていました。監督さんにコーヒーを作って持って行ったりなどと他にもお水を組みに行ったりとお手伝いをしました。 そして夕方、また同じように食堂でご飯を食べて駐輪場に行って集会所に向かいました。駐輪場で待機している時にも、登米高野球部の仲いいグループでずっと輪になって話してました。楽しくて楽しくて話が終わらなくて、もう交流会終わるのか…と思うと辛くなりました。 (3/26) 朝、国際エリア、ユネスコ部、ダンス部がバスのお見送りをしました。その時に昨年は気仙沼高校、登米高校からミサンガを貰ったのですが今年はお守りのようなものをもらってまた宝物が増えました。ありがとうございました。 それから私と本田さんは金光大阪に向かいました。そして金光大阪であ~、今日で最後なんだ…あと数時間で宮城に帰っちゃうんだ。って実感がだんだん湧いてきて、本当に悲しかったです。ずっと試合を見てるとじわじわといろんな思い出がフラッシュバックしてきそうだったので、少しだけ試合を見て金光大阪を出ました。ですが、やっぱり最後のお別れはちゃんとしっかりしておきたいな。と思ったので、金光大阪の門の横に立って最後までお見送りさせていただきました。 本当にたくさんの思い出をありがとうございました。昨年の交流会とは比べものにならないくらい楽しかったしまさかの手紙を送ってくれるなんて思いもしなかったので本当に嬉しかったです。お別れの時は涙が止まらずにちゃんと目を合わせてバイバイすることができなかったのがとても後悔です。また来年会おうと約束をしたのでまた逢う日までお互い頑張っていきたいと思います。 |
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3年 REIさん 本来24日、25日が活動日でしたが試合が被ってしまい、参加できませんでした。そのため、代わりに23日に集会所に泊まる学生の分の布団を運びました。去年に続き気仙沼の高校生の送迎をすることができず、全く交流できなかったので少しばかり後悔が残りましたが、最終日にお迎えができて良かったなと思います。 23日は朝から遅刻してしまって、先生やユネスコ部の方達には迷惑を掛けてしまい申し訳ない思いでした。ですが当日、集会所の掃除をしたりみんなでリレー形式のようにして布団を運んで行ったのが本当に楽しかったです。また1軒目の集会所では何度も階段を上り下りしてたくさん布団を運んで疲れるはずやのに楽しさが勝ってすごい笑顔でできた。 布団が終わってから学校に戻ると、つぎはつばさネットワークで使われていた自転車の整備をしました。そこにあった5台の自転車は5台とも埃まみれでとてもじゃないけど気仙沼の高校生に使っていただくには汚いものでした。見たときは「これは綺麗にならんやろう」と思っていましたが、やってみると埃にまみれていた自転車を少しでも綺麗にすることができ、また藤井先生に褒めていただくことができ嬉しかったです。 国際理解エリアとして、直接気仙沼の大阪遠征のために関わることは出来ませんでしたが存分に楽しむことができて良かったです。 また機会があれば微力ではありますが力になりたいなと思います。 |
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3年 AKIHOさん ダンス部としてのオープニングの演技 ・オープニング後の歓迎の言葉 ・気仙沼西高校、気仙沼高校、登米高校の方々の歓迎、開会式 ・ホストファミリーの元へ送り迎えをしました。 一日目はダンス部としてのオープニングに出させてもらい、去年同様楽しかったです。オープニング後の挨拶はめちゃくちゃ恥ずかしかったけど、ちゃんとみんな笑顔で聞いてくれて嬉しかったです。でも目の前に去年仲良くなった友達もいて嬉しかったです。一日目の午後に去年、送迎させてもらった気仙沼,登米高校の野球部さんとまた同じ人を送迎させてもらえました。一年ぶりに会ったけどみんな変わってなくて、ひさびさに会えて覚えててくれて嬉しかったです。面白い人が1人いて、変なことばっかしてて、たぶん野球部のムードメーカーなんだろうなと思いました。面白さは全国共通でした! 二日目も朝はやくから迎えにいき、午後も送りに行きました。朝早いのは辛かったけど、一日目よりみんな喋れるようになって楽しかったです。でも朝は元気がなかったけど野球部の人たちが朝から楽しそうで元気をもらえました。大阪弁で自分たちが話している内容がわからんって言ってたりして、やっぱり方言とかはなす速度が全然違うなと思いました。宮城のひとははなす速度はめっちゃくちゃ遅くて、大阪人はやっぱりせっかちなのかなと思いました。それでも分からないなりにも話ができるから面白かったです。登米高校の野球部さんはほぼみんなバイクで登校してると聞いてびっくりしました。でもバイクでも20分かかるといってて、すごく遠いなとおもいました。 三日目は最後の日で、また朝早くから迎えに行きました。送迎させてもらった野球部さんとも写真もとれて良かったです。全部の送迎が終わってから、気仙沼,登米高校の人から、お礼として手作りのお守りと手紙を貰いました。去年はミサンガをもらって今年もまた手作りのものをもらって嬉しかったし、素敵だなぁと思いました。最後の最後になって、もっといろんな人と話したり写真を撮ったりしてたら良かったと思っていました。最後に全員で写真を撮って、国際理解の挨拶やユネスコの挨拶や各野球部のキャプテンの挨拶をしていました。各野球部のキャプテンの挨拶はみんな堂々とハキハキしてて、かっこいいなぁと思ったし、ゆう言葉もすごくかっこよかったです。その後野球部さんがバスに乗り込んだ時に、もう二年生は来年がないので、すごく悲しくなりました。もっと去年から仲良くなってたら良かったなぁとも思いました。バスの中から手振ってくれたり、話してくれたり、写真撮ってくれて嬉しかったです。みんな笑顔でバイバイできて素敵でした!最後の最後まで喋らなかった人もいたりしたけど、たくさん関われて三日間ぜんぶ、すごく楽しかったし、交流できて仲良くなれて友達ができてすごくいい経験になりました。 今年の気仙沼ボランティアで次はこっちが宮城に会いに行きたかったけど、部活でいけないのがショックです。でもまた他の機会で行きたいと思います。宮城にも友達がおる感じがすごく不思議で嬉しいです。またいつか会いたいと思います。最後の気仙沼交流楽しめて良かったです!あと1週間くらい大阪にいて欲しかったしもっともっと仲良くなれたんじゃないかなとおもいました!国際エリアだから交流ができているので、感謝だなぁと思いました。これからもいろんな人ともっと関わりが広がっていきたいなとおもいました!初めて知れたこともあったり感じたこともあって充実してました!本当に楽しかったです! |
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この日は北摂つばさ高校12期生の入学試験の合格発表でした。 14時からの合格者説明会に向けて、13時からSAKIHO,AMANE,NATSU,SACHIの4名が他のクラブの生と共に、大きな声を出して、チラシ配りをしました。 チラシ配りに先立って3月15日の終業式の日には、ポスター作りもおこないました。 ポスター作りは、SAKIHO,AMANE,MIMINI,TSUGUMIの4人でやってくれました。 12期生の皆さん。 来たれ。ユネスコクラブへ。 |
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この日は東日本大震災からちょうど7年目となる日です。大震災を忘れないという趣旨でNPO市民活動フォーラムみのお主催で東日本大震災復興支援イベントが開催されました。 そのうちの一つが箕面ユネスコ協会会長である坂口一美さんがコーディネートされた高校生シンポジウムです。坂口さんは北摂つばさ高校や春日丘高校の震災復興活動のほとんどすべてに関わっていただいている方です。 MIOさんとKAZUKIさんはパネリストとして13:30-16:00の2時間半にわたって行われたシンポジウムに出演し、気仙沼ボランティアに参加してみよう、と考えたプロセス、実際に現地に行ってみて感じたことなどをスライドを使って説明してくれました。 春日丘高校、アサンプション国際高校の方と共に、市民に高校生の活動を紹介しました。今後も震災復興支援活動が持続する可能性を高校生の立場から高めてくれました。 |
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この日は試験返却の登校日、ホームルームでの作業の後、野球部、ダンス部、ユネスコクラブ、国際エリア10期生、11期生が社会科教室に集まりました。 金一宣久校長が参加者に檄を飛ばしたあと、実務的な集合時刻、場所、活動内容が確認された後、それぞれのグループから決意がのべられ、受け入れに向けての準備が整いました。 | |||
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3月1日。この日は9期生の卒業式でした。 卒業式とHRの後、ユネスコクラブの1.2年生から卒業する先輩に色紙と記念品を贈るセレモニーをしました。泣き出す生徒も多く感動的なセレモニーでした。卒業生から3年間の振り返りを寄せてもらいました。 ちひろ ユネスコ部を卒業した瞬間に私が1番に思ったことは、「ユネスコ部に入っていなかったら私の高校生活はどんな風になっていたのだろうか」と。 そう思うほど私はユネスコ部に入部したおかげで高校生活だけでなく自分の人生にまで多くの経験を与えてくれました。 1年生の時、ただ個人的に参加していた東日本大震災現地ボランティアをきっかけに藤井先生が声をかけてくださり、友人からの誘いもあり半分勢いでユネスコ部に入ったも同然でした。 しかし、今となればその勢いがなかったらと思うと鳥肌がたつほど、高校生活のほとんどはユネスコ部一色に染まっていました。 東日本大震災現地ボランティアに3年連続で参加することができたのも、たくさんの募金活動に参加し人の優しさ、ありがたさに気づいたことも、人権作文で賞を獲得できたのも、私の思いが届き国際交流で海外にまで飛ぶことができたのも全てこの北摂つばさ高校の生徒であり、ユネスコ部であったからだ、と心から感謝しています。そして藤井先生に出会っていなかったらなんの輝きもなく。ただただ普通の高校生活を送っていたと思います。 そして私は、先生だけでなく後輩達にも卒業した先輩達にも同期皆にも出会うことができユネスコ部は、私に繋がりも与えてくれました。この経験全て輝き続ける私の宝物です。 みやび 私はユネスコ部に入って日常生活で変わったことがあります。困っている人に気軽に声をかけれるようになったことです。 ユネスコ部として募金活動や何かのお手伝いなどをしてきました。その中で誰かに〝ありがとう″と声かけてもらえるやりがいを感じました。 その経験から通学の電車で困っている人を見つけたら気軽に声をかけれるようになりました。本当にユネスコ部に入って色んな経験ができ成長も出来てよかったと思いました! 誰かのために何かをすることの大切さも知り、これからもボランティア活動に積極的に参加したり1つ1つの経験を大切にして行きたいです! ゆきの ユネスコ部の皆さん今日まで有難うございました。1年の時1人で入部してとても不安でしたが、ユネスコ部が北つばに入ってよかったと思わせてくれる思い出になりました。 先生、先輩、後輩達も面白くていい人ばかりで本当に楽しかったです。やれることはやりきったと思います。 後は後輩、頼んだ!!藤井先生の無茶ぶりを上手くチャンスに変えてくださいw貴方達にとって良い経験になりますように。3年間有難うございました。 さやか 募金活動や小学校のイベントの手伝いなど、誰かのために活動できたことをとても光栄に思います。1人で行動に移すのには勇気がいるけれど、ユネスコ部の仲間と積極的にボランティアに参加できたことは、自分自身も成長できてとてもいい経験になりました。 りお 先生、ユネスコ部のみんなへ 今日はプレゼントに贈る言葉ほんまにありがとうございました。部長として全然頑張れてなかったけれど、先生と後輩に出会えて活動できた事は私にとって貴重な財産です。進学してからは看護に進むけれど看護師になりたいと考えたのもユネスコがきっかけです。 一年のときに新しい事を始めたいのと藤井先生の圧に負けて悦と入部したけれどあの時入部して良かったと今心の底から思います。みんなにとってもユネスコ部での活動はきっと貴重な財産になると思います。 藤井先生、末岡先生、佐藤先生と本当に素晴らしい先生たちの元で素敵な経験を沢山してね。みんなの活躍を楽しみにしています。 今とても胸いっぱいでまだまだ本当はこの気持ちを話してたい!笑 先生にもみんなにも感謝の言葉が言い足りん!!笑 でも文才もないし目がチカチカすると思うのでこの辺で??3年間ありがとうございました。 ゆきね ユネスコ部のみなさん 2年半ほどありがとうございました。ボランティア活動を通して何が大切なのかがわかりました。ユネスコ部に入って沢山のことを体験させていただいて自分の視野が広がったと思います。今日もこんなステキな後輩や先生方に送り出してもらえて心の底から嬉しかったです。今までありがとうございました! りょう 3年間お世話になりました。副部長やのに全然ボランティアに参加できずすいませんでした。みんな4月から新しいスタート切るけど、りょうも負けてられへんし一年分の遅れを取り戻して、追いついて追い越す勢いで頑張ります。 右の写真は卒業式の予行(20180228)の後、ベストマナー賞を受賞している7名の一人、さやかさん。 |
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この日は立命館大学大阪茨木キャンパスのグランドホールにて国際理解エリアの発表をしました。3年のAyaneさん、Riku君が発表してくれました。 Ayaneさんは小学校5年生の時にテレビで見た大震災の様子が忘れられず、中学校の時に、絶対に気仙沼に行こうとつばさ高校を受験したそうです。そこから5年がたった高1の夏休みに被災地に行った時の衝撃など7年間の思いを話してくれました。去年の3月には歓迎行事でダンスを披露し、自分自身ができることをしようと心を新たにしたとのことでした。 Rikuくんは野球部として初めて気仙沼高校・登米高校と試合をした2016年3月に二連勝したことが吉兆となって高2の時の2016年夏の府大会ベスト16になった経過を持っています。実は2014年2015年三月は雨でつばさ高校のみ、試合ができなかったのです。他校の野球関係者からは、人にいいことをしていたら、自分にいいことが返ってくる、これ、すなわち「おかげさま」という、と教えていただきました。 |
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この日は大阪府ユネスコ連絡協議会、公益財社団法人日本ユネスコ協会連盟が主催する、ユネスコ協会ESDパスポート体験発表会が開催されました。 大阪府下でESDパスポートを導入している小中高校から児童生徒があつまって、各学校で取り組まれてきた1年間の活動を報告するとともに、「ボランティアを通して、自分がどう変わったか」についてグループで意見交換をします。 学校報告では、北摂つばさからはMiminiさん、Tsugumiさんがスライドを使って報告しました。 |
![]() 北摂つばさのMiminiさん、Tsugumiさん |
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![]() グループ討論、YukaさんとKazumiさん |
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![]() グループ討論のまとめを発表する Yuranaさん |
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この日は高校生83名、教員13名、ユネスコ協会6名で102名が参加しました。そのうち、北摂つばさ高校からは、生徒28名、教員4名が参加しました。 この日の運営は追手門学院中学校高等学校の皆さん、帝塚山学院泉ヶ丘中学校高等学校の皆さんが担って下さいました。 グループ討論では、各グループは他校の生徒と交流できるように工夫され、他校の生徒からも刺激をいただきました。 最後に大阪府ユネスコ連絡協議会の中馬弘毅会長から、30ボランの認定証を、本校のYukinさんが授与されました。 |
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参加した学校: 大阪市立清明丘小学校、 大阪市立鶴見橋中学校、 大阪府立今宮高等学校、 追手門学院中学校高等学校、 大阪府立春日丘高等学校、 コリア国際学園中等部高等部、 大阪府立佐野高等学校、 大阪府立泉北高等学校、 帝塚山学院泉ヶ丘中学校高等学校、大阪府立北摂つばさ高等学校、 大阪府立松原高等学校、 以上、 1小学校、4中学校、9高等学校 合計14校。 皆さん、ご参加いただき、ありがとうございました。 |
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午後は、アジアユースサミットの活動報告会が開催され、Sakihoさんが春日丘高校と共に発表 この日の午後はSakihoさんが春日丘高校と共に発表してくれました。ありがとうございました。 |
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私はいま、学生ボランティア団体の一員として活動しています。今までにフィリピンで2回、現地の子ども達との交流に励んできました。来年の春、3回目の出発に向けて日々様々な計画をたてているところです。多くの方に私たちの活動を知ってもらい、支援してもらうために一つのプロジェクトを立てました。詳しくはこちらに記載させてもらっています。 【フィリピンの孤児院に住む子ども達に笑顔と物資を届けます!】 支援とまでは言いません。拡散のご協力をしていただくだけでも幸いです。 写真は在学中の短期大学で海外留学に向けて奮闘するMariyaさんとYukiさん。 |
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この日11月3日、気仙沼高校生徒会メンバー11名の来阪を受けて、春日丘高校10名、松原高校6名、北摂つばさ高校8名の生徒が、三ノ宮でお出向かえして、総勢40名の神戸フィールドワークをしました。また夜はホスト家族を務めていただいた保護者が経営する「ありがとう」にて牛タンカレーなど豪華な夕食に舌鼓を打つとともに、茨木市の真砂玉島台の自治会館をお借りして宿泊していただきました。 11月4日には北摂つばさ高校にて、北摂つばさ高校生徒10名とホスト家族、自治会の役員の方々と交流するとともに、梅田で食事、探索を楽しんでいただきました。次の再会を約束して、新大阪から出発されました。 |
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気仙沼高校との交流会 2年 Yurana 私は、今回の気仙沼高校との交流をすごく楽しみにしていました。 今年の7月、私は東日本大震災被災地支援ボランティア活動で宮城の気仙沼市に行き、震災学習や牡蠣の養殖などお手伝いをしに行きました。その時、東日本大震災で被災した気仙沼高校に招待してもらい、ゲームなど楽しい交流会をしていただきました。 私は、今回の気仙沼高校受け入れの話を先生から聞き、次は私たちが気仙沼高校の人たちを楽しめるように、神戸や梅田、楽しいところに案内できたらいいなと思いました。 11月3日、神戸三宮で北摂つばさ高校、松原高校、春日丘高校の三校が集合し、気仙沼高校を出迎えました。それぞれの高校1名ずつ入ったグループを作り、たくさんの人と交流できるようにしました。はじめましての人が多くてすごく緊張したけど、すぐに打ち解けていろんな話をして盛り上がることが出来ました。 阪神淡路大震災で被害を受けた神戸へ行き、阪神淡路大震災の震災学習をしました。 阪神淡路大震災は、22年前に起こった地震で、特に神戸は大きい地震がこないと思われていて、充分に地震への備えがされてなく無防備だったので、地震に弱い構造の建物が多く、多くの犠牲者が倒産した建物の下敷きとなり亡くなってしまう被害が大きかったみたいです。 22年前ということは私はまだ生まれてきていなくて、お父さんやお母さん、おばあちゃんに聞いて、少しわかるくらいでした。なので実際、阪神淡路大震災がどのような被害だったのか、どのくらいの規模の大きい地震があったのか、あまり知りませんでした。だから、今回の震災学習はわたしにもすごくためになり、阪神淡路大震災などの震災のことについて考えれる時間になりました。次に、南京町に行って小籠包を頂きました。とても美味しくて気仙沼の人たちもすごく驚いていました。満足してくれたようで良かったです。 私は大阪に住んでて地震や津波の経験などあまりなく、どーゆーものかあまりわかっていなかったけど大阪にも地震や津波がくる可能性もあるとゆう事を忘れず、被災地にも貢献していきたいです。 気仙沼高校との交流 2年Mio 気仙沼交流会ではいろいろな体験ができました。 11月3日、神戸三宮駅で松原高校、春日丘高校、気仙沼高校 3校と合流し神戸市役所に行きました。エレベーターで上の階へと上がり神戸市内の景色や阪神淡路大震災の震源地のこと、その当時の避難所のことなどを教えて頂きました。 そこから下を眺めたところに阪神淡路大震災の時の止まったままの時計が置いてありました。1.17 希望の灯りや神戸市内で亡くなられた方々の名前が書かれた建物がありました。その名前の数もほんのわずかで、ほかにもたくさんの方々が亡くなられたんだと思うと悲しくなりました。 そこから徒歩でメリケンパークへ向かいました。そこには地震で崩れたままの状態の波止場60mが保存されていました。当時の震災のすさまじさを物語っており、肌で感じることが出来ました。 次に南京町へと行きました。気仙沼高校の生徒とバディーを組み自由散策をしました。初めて来た場所でとても興奮しており私も初めて来た時のような楽しさがありました。いろんなお話ができ、30分がとても短く感じられました。 その後は淡路へ向かうために電車に乗りました。電車の中でもみんな楽しそうで良かったです。十三に着き、つばさ生とお別れの時間になりました。「今日は1日ありがとうございました」と言い解散という形になりました。私は十三へ帰り道が一緒だったので淡路まで一緒に帰りました。松原高校と春日丘高校は3日だけの参加だったので別れるのが惜しかったです。 「会えてよかった」と言ってくれて涙がこぼれそうになりました。こちらこそ楽しい1日を過ごせてありがとうと思いました。11月4日、朝から気仙沼高校との交流を行ないました。集会所へ迎えに行きその後地域のゴミをしました。気仙沼高校が朝にゴミ拾いをしたらしくあまり落ちていなかったです。ですが、お話できてよかったです。 10時からつばさ高校で地域の方やホストファミリーとの交流をしました。なぜホストファミリーになってくれたのか聞けてとてもいい方だなと思いました。気仙沼高校からの東日本大震災の様子、どれだけ被災したか辛かったか、そしてその支援がどれだけ必要か知ることができました。より一層募金活動も頑張ろうと思えました。 梅田に行き一時間の自由散策を行いました。行くところが多すぎて、走り回ったり笑ったり、たくさんの良い思い出ができました。帰り際には気仙沼のお土産やクリアファイル、色紙を頂き、手から手へとちゃんと受けるとることができてやはりこの活動は最高な活動だと身に染みて感じられました。 来年までまだまだ長い時間ですが、それまで募金活動などの支援できる活動を行えればなと想います。 気仙沼高校のみなさん、ありがとうございました。 |
2017年11月3日(金・祝) 震災フィールドワークと南京町 | |
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2017年11月4日(土) 地域清掃と生徒交流、地域・ホスト家族交流会 | ||
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気仙沼交流 1年 Kazuki 僕は今回、気仙沼高校との交流を楽しみにしていました。神戸の街を巡る時、バディを組みました。最初は、神戸市役所へ行きました。市役所では、半田さんのお話を聞きその後市役所の上から神戸の街を色々な角度で見ました。 市役所内を見学した後、慰霊と復興のモニュメントという所に行きました。そこでは、震災で亡くなった方、行方不明になった方の名前が五十音順で並んでいました。その場でしか分かることの無い名前の多さでどれだけの方が亡くなったのかが、よく理解できました。 その次に港へ行きました。神戸港震災メモリアルパークという場所に、地震の影響で割れた地面などがそのまま残されていました。でも、今現在の港を見渡す限りは新しくとても綺麗でした。港でも、半田さんの話を聞きました。 3日の最後には、南京町でバディのメンバーと30分しか無かったけれども、南京町を巡りながら交流を深めることが出来ました。 そして帰りも電車の中で喋ったり出来たのでとても楽しかったです。 大半の人とは淡路まで一緒に帰り、僕と友達は銭湯まで見送ってから1日目を終えました。3日の神戸を巡り通して思ったのは阪神・淡路大震災そして東日本大震災の被害の大きさを再認識し、これからどうすればいいかなどを考えていくことということです。 4日は朝から地域の清掃をし、北摂つばさでホストファミリーと気仙沼高校の生徒で交流しました。交流の時には気仙沼の方々が当時の状態を写真と言葉で僕達に丁寧に伝えてくれました。 交流の後、梅田に行きお昼を食べ1時間ほどバディで梅田を散策しました。あまり行く場所なども考えてなかったので適当に巡ってたけど、最終的に楽しかったと言われて嬉しかったです。最後に色紙とお土産も貰えてとても嬉しかったです。 僕はこれからもこういう機会を大切にし、色々なことに参加していきたいと思いました。 |
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この日は、葦原コミュニティセンターで葦原自主防災会の主催で防災集会が行われました。 4名の生徒が参加して、集会で3月の気仙沼高校、登米高校を招待しての野球試合についてアピールするとともに、チラシを配布して、募金をさせていただきました。集まった募金16,590円は3月の受け入れに活用されます。 次回は1月21日の自主防災集会において活動報告をする予定です。 |
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この日は、鶴橋の御幸森市場(コリアタウン)一帯で行われるコリアタウンフェスティバルのスタッフに4名の生徒が参加しました。 大阪府ユネスコ連絡協議会からの呼びかけで佐野高校と北摂つばさ高校から参加しました。 台風22号の影響で準備が大変でしたが、楽しい一日でした。 |
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AYANO 初めてのボランティア活動で、緊張や不安もありましたが、説明も丁寧で、みなさん優しくて、他の学校から参加された学生さんたちとも交流が出来てとても楽しかったです。K-POPカバーダンスの方もとてもかっこよくて、一つ一つの振りを教えてくれたのでとても楽しくダンスが出来ました。 MIE 私もボランティアは初めてだったので不安でしたが、みなさんとても優しく話しかけてくれたり、雨の中大変だったけれど楽しくて充実した1日でした。他にもダンスや、折り紙で鶴をおったり、知らなかったことも知れてよかったです。はじめてのボランティアが今回のコリアタウンでのお手伝いで本当によかったです。ありがとうございました。 HAL こんなに本格的にボランティアに参加したのは初めてで、不安もありましたが、皆さんが優しくて、わかりやすく説明してくれたので楽しみながら参加することができました。他の学生さんたちとも交流できてすごく良い経験になったと思っています。 また、このような機会があれば参加したいなと思いました。ありがとうございました。 YUNA イベントにスタッフとして関わるようなボランティアは今回が初めてでした。ボランティアスタッフとして楽しみながらも、安全で楽しいイベントにするために行われている裏側の努力を知ることができ、いい社会勉強になったと思います。生憎の天気によりイベント場所が変更されたりと対応に追われることはありましたが、肌寒さにも負けない活気溢れるコリアタウンでの1日は素敵な思い出となりました。 |
この日は、木市男女共生推進センター(ローズWAM)にて、NPO素材探検隊の主催で開催されたタイ交流の報告会で、HALさんが報告をしました。 HALさんは20170728-0806の日程でタイに派遣され、福井高校のメンバーと共にいくつもの高校を訪問して交流を深めてきました。その模様をスライドを使って報告してくれました。 台風21号の影響で強風と大雨の中、福井高校の富永校長先生もお越しになり、和やかな報告会でした。 次回は11月18日10時からの、茨木市クリエイトセンターでの環境フェスタでの報告です。 |
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秋雨前線が日本列島に停滞する中、天気アプリとにらめっこうしながら、の阪急茨木市駅前にて、がんばろう!つばさネットワーク主催駅前募金を展開しました。 つばさ高校のユネスコクラブ、国際エリア、夏の気仙沼ボランティア参加者から20171018は13人、20171019は18人が参加しました。 募金していただいた18日の8,835円、19日の16,831円の合計25,666円は全額、3月の気仙沼高校、登米高校の招待に活用されます。 |
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三年生の部員の皆さん、お疲れ様でした。この日、部員全員で、引退記念の写真を兼ねて卒業アルバムの写真を撮影しました。 次の日に1.2年生でミーティングをして、新部長にSakihoさん、副部長にTsugumiさん、Mioさんの三人体制で活動していくことを確認しました。また、新入部員が一名、入部することになりました。 今後も頑張って活動しましょう。 |
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Sakihoさんのプレゼンのスライド | 英語版のプロジェクトフォーマット | 日本語版のプロジェクトフォーマット | |
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私はこの度、素材探検隊の高校生交流事業で、タイに行くチャンスをいただき、7月28日から8月6日の日程でタイに行ってまいりました。 タイでは、現地1日目の7月29日は象に乗り、日本から持って行った傘貼りをしたり、民族村に行きました。 2日目の7月30日はサンデーマーケットやタイの学生とショッピングに行きました。 3日目の7月31日はレジなの学校に行きました。「お元気ですか」というゲームをしました。 4日目の8月1日はプレイに行き、ユパラート学校へ行きました。ここでも「お元気ですか」というゲームをしました。 5日目の8月2日はロングワン学校へ行きました。ここでは「お元気ですか」ゲームと紙芝居をしました。 6日目の8月3日はピリヤライ学校へ行きました。自己紹介ゲームや「お元気ですが」ゲームをしました。 7日目の8月4日はナリラットへ行って観光しました。 最終日の8月5日はピリヤライへ行きました。紙芝居をして、その後、フリータイムでした。学生たちとサッカーをしたり、ギターを弾いたりしてすごしました。 盛りだくさんでした。ピリヤライには3回行きました。 一番印象に残っているのは、学校に行ってタイの学生たちと交流したことです。タイの学生たちと交流をしていくうちに仲良くなって、私はタイ語が全く分からないのに、必死に日本語と英語で伝えようとしてくれたのが、すごくうれしかったです。コミュニケーションがうまく取れて、すごくいい経験になりました。 貴重な体験の機会をいただき、ありがとうございました。今年度の後半は、この経験を伝える活動に全力を挙げていきます。 |
2日連続の白川祭りのスタッフを務めました。8月5日は12名が参加しました。この日は15時前後に茨木市付近は大雨が降るという天候でしたが、連絡網を準備していたおかげで、難なく対応できました。 また、8月6日は28名が参加して、前日同様、焼き鳥とヨーヨーの販売スタッフを務めて、地域の皆さんに喜んでいいただきました。 |
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第一日 2017年7月14日(金)18:00集合 | 第二日 2017年7月15日(土)10:30 リアスアーク美術館 聞き取り 見学 | |
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聞き取り 記念撮影 この後バス旅14時間! | 到着後、リアスアーク美術館で山内宏泰様より聞き取り、この後、見学。 | |
第二日 2017年7月15日(土)12:30 気仙沼市階上地区 聞き取り 見学 植林活動 | ||
階上地区の岬の祠の前にある木に8名が掴まり、津波をやり過ごした。海岸沿いに植林して松原の復活を目指す。菅原信治さん。 | ||
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気仙沼市階上地区の住宅地は津波で平原となり、かさ上げ工事中である。海辺に森を作ろう会に協力して、50名で100本の木を植林している。 | ||
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雑草が伸びて日光を遮ると、苗は光合成できず根をはれず、枯れてしまう。木を育てるために、人海戦術による雑草の除草が大変喜ばれる。 | ||
気仙沼ボランティア Matsukura Yoshie 私は高校3年生になって、初めて気仙沼ボランティアに参加しました。大阪へ帰っている今私が思っていることは「どうして今まで参加しなかったんだろう」ということです。それくらい大阪にいては経験することの出来ないようなことを経験させてもらいました。 震災当時私は小学生で、大阪でも結構揺れたなという印象でした。テレビでは連日津波の映像が流れていまりした。それから7年が経ち、正直ほとんど復興していると思っていました。確かに復興しているところも沢山あって普通に生活している部分もあると思いますが、実際に見るとまだかさ上げの途中の部分がたくさんありました。何かあった部分に何もなくなっている、大阪に住んでいる私にとっては身近に感じることが出来ていませんでしたが「ああまだ復興は終わってないんだな」と感じました。 まず1日目にはリアスアーク美術館へ行きました。そこで写真を撮った方の話を聞かせてもらいました。テレビでは津波で流されたもののことを“ガレキ”と言います。だから私もそれを“ガレキ”だと思っていました。けれど話を聞いて被災された方が流されたもののこもを“ガレキ”と呼ばれることが嫌なことを知りました。瓦礫の意味は「役にたたないもの、価値のないもの」という意味だそうです。自分たちの町のもの、そこに確かにあった生活物を“意味のないもの”と言われたらどんなにつらいだろうと思いました。私は2度と“ガレキ”と呼びたくないと思います。 次に海辺の森を作ろうの会で植林活動に参加させてもらいました。当時木に捕まって助かった人が何人もいるということで未来に繋げる木を植える活動だそうです。少し移動して海側に行くと実際に人が助かったケヤキの木を間近で見ました。海が近いのにそこでしっかりと根をはり何人もの人を助けた立派な木でした。気仙沼では約40年に1度津波が来るそうです。私はその頻度にとても驚きました。平均寿命が80を過ぎているとはいえ人生で1度か2度は津波がくる恐れがあるということだからです。木が人を助けれるまでにはたくさんの時間が必要ですが、それをずっとずっと未来に繋げることが出来る活動に参加出来ることが出来てとても良かったです。 2日目は陸前高田へ行きました。震災の被害をそのまま残した道の駅は色々なものが歪んだり中がぐちゃぐちゃになっていて自分がここにいたらどうなっていただろうと怖くなりました。津波の高さは14m~15mきていてその高さの波が来ていて冷静に判断出来ることが出来るのだろうかと感じました。その後河野さんのガイドで奇跡の一本松などの説明をしていただきました。残っている一本松はレプリカだそうで、1億5000万円かけて作られたそうです。ガイドさんも言ってはったけど、確かにそれが残ることは意味があることなのかもしれないけれどその1億5000万円があればもっと他のことにお金を使えたのではないかな?と私も疑問にも感じました。また、河野さんのお話で印象的だった話があります。それは小学生の子供が津波が迫って逃げている危ないときに後ろからおばあさんが背中を押して助けてその後に流されていってしまったという話です。もし自分がおばあさんだったら自分よりもその小学生を助けれるのか、もし自分がその小学生だったら自分を助けて流されていく人を見てその後どう思うのか。私には想像も出来ないことでした。 次にフェリーで大島に移動して牡蠣の養殖のお手伝いをさせてもらいました。初めて牡蠣を食べさせてもらったり、船に乗りどんな風に養殖しているのかを見せてもらいました。草刈りをしたりシール貼りをしたり、少しでも力になれていたら嬉しいなと思います。 2日間民泊させていただいたお家では、美味しいご飯をたくさんご馳走になりました。出てきた料理には裏の畑で作られた野菜がたくさん使われていてどれも新鮮でとてもおいしかったです。またフラダンスを教えてもらったりしました。フラダンスをしたのは初めてで踊りの内容が手話になっていたのがとても面白いなと感じました。お父さんお母さんはとても優しくて自分の家のように落ち着いたし、帰るときはとても寂しくて、また来れたらいいなと感じれる温かいお家でした。 3日目は気仙沼高校との交流でした。短い間でしたが「夏」をテーマにグループワークをしたり人間知恵の輪をしたりしました。その土地のお祭りの話が出来たり、知恵の輪では凄く苦戦したけど一つの円になることが出来ました!気仙沼高校の人達は凄くしっかりしていてとても良くしてもらいました。気仙沼と大阪はとても離れていてなかなか会えるような距離ではないけどこの交流で出会うことが出来たのはほんとに凄いことだなと思います。 気仙沼ボランティアを通してたくさんのことを経験させてもらいました。現地の方にたくさん元気をもらうばかりで、力になれたりしたことは少ないかもしれないけど今回参加させてもらえてとても良かったと思います。初めて宮城を訪れ、美味しいものをたくさん食べてカモメに直接かっぱえびせんをあげたり楽しいこともたくさん出来ました。 高校生のうちにもう気仙沼ボランティアに参加することは出来ないのがとても残念だけど、また卒業してから個人的に訪れることが出来たらいいなと感じました。まだまだ元通りまでにはなっていないと思うので自分が出来ることをこれからもしたいと思います。気仙沼の方達に感謝でいっぱいのあっという間の現地2泊3日でした。 |
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気仙沼ボランティアに参加して Iwane Nanami 今回私はこの気仙沼ボランティアに初めて参加しました。友達の勧めや先生の勧めで、実際に現地に行ってみると思っていたよりも過酷で辛い話、そして美術館などでみた写真や当時の物をみてとても衝撃をうけました。 1日目では美術館にいき震災に遭われた方にお話を聞くことができました。今まで`死骸や`瓦礫など私たちが使っていた言葉は被災者の方々にとっては気づつく言いまわしになっていた事を知りとても恥ずかしくなりました。展示されている人形やビデオカメラ、その他たくさんの物へ1つ1つ持ち主の方の思いが書かれていて思い入れのある物なのに展示を許してくれたのは美術館に訪れる観光客や私たちのようなボランティアに来た人に当時がどんな風だったのか、今後どうすればいいのか、などを伝えたかったんだと思うと今回参加しなかった人にもボランティアに参加してほしいと思ったし私もがんばろうと思いました。 その後は海辺の森を守ろう会の方々に協力してもらい果物の木を植えました。三年生の中には木の成長が見れてよかったなど言っている人もいました。何回も参加していて凄いと思い私も来年もいけたらいいなと思いました。その後は実際津波の時に11人ほど助けたという奇跡の一本松を見ることができました。 民泊先では優しく陽気なご夫婦で、とても気持ちよく泊まることができました。そのなかでもお母さんが作る唐揚げはとても絶品でみんな夢中になって食べていました。 2日目は朝から船にのり大島に行きました。牡蠣の養殖をしている家族の所にいき草むしりやシール貼りや船に乗らせてもらい、蒸された牡蠣も食べることができ色々な体験ができて楽しかったです。行きも帰りも山を40分くらい歩ききつかったけど帰りは雨が少し降っていたので涼しく歩きやすかったのでがんばれました。その後また船にのり行き道と同様かもめにかっぱえびせんをあげれて楽しかったです。 民泊先では焼肉だったのですか1人1パックお肉がでてきて大阪とはやっぱり違うんだなと感じました。お父さんの作る春雨サラダやシメのやきそばもとても美味しかったです。最終日は気仙沼高校の生徒さんとの交流でしたが私は体調が悪く交流できなかったので残念でした。でもバスのお見送りの時に向こうの生徒さんがとても元気そうな顔を見ることができてよかったです。帰りのバスでは熱がでて椅子を譲ってもらったり薬を買ってきてもらったりと周りの友達に迷惑をかけてしまいとても申し訳ないと思ったし感謝でしかないです。 今回の気仙沼ボランティアに参加して普段では味わえないような事ができいい経験になったので向こうで感じた事などを周りの人に伝えて、より多くの人に知ってほしいとおもったしより多くの人にボランティアに参加してほしいなと思いました。2泊5日間お疲れ様でした。 |
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気仙沼ボランティア Kusano Sakura 第9回気仙沼現地ボランティアに初めて参加してきました。この東北プロジェクトは1年の時から知っていましたが、なかなか勇気が出ず参加することができませんでした。3年生になってやっと行くことが出来て本当に良かったなと、とてもいい経験に関わることが出来たなと思いました。 今回現地に行くまでは今どうなっているか全く分かっていなかったし、被災地の状況は約6,7年前のテレビで見る映像しか正直覚えていませんでした。私は当時小学5年生で歌の練習をしている時に起こった地震の事が今でも頭から離れません。大阪では割とすぐに揺れはおさまりましたが、家に帰って地震のニュースを見て驚きしかなかったのを覚えています。 1日目は、南三陸に行きました。バスに乗りながら外を見ると津波で姿を変えた建物がまだいくつか残っていて、震災遺構として残すと聞きました。そしてあちこちにかさ上げしているのを見ました。私はもっと復興作業は進んでいると思っていたけど、実際はそんなに進んでいるわけではなくて、説明してくれた人によるとまた3年半はかかると聞いて地震の爪痕がこんなにも深いんだなと改めて思いました。 次に、当時のリアルな被災状況が展示されているリアス・アーク美術館に向かいました。最初に展示されている写真を撮った学芸員さんのお話を聞きました。テレビやネットの情報だけではきっと知ることが出来ていなかった事を聞くことができました。1番被害がひどい地域でその場にいた方のお話は凄く胸にささりました。写真の横に書いてあった被災者の方々の資料もひとつひとつ言葉に表せないような気持ちになりました。 この日最後に植林活動をしました。津波が来ている間ケヤキの木に掴まって10人の命が助かった、だからそれから植林活動を続けていると知りました。私も2本友達と一緒に植えさせていただきました。来年は来ることができないけど元気に育ってくれたらいいなと思いました。その後ケヤキの木を見に行きましたが、その道中もまだあまり復興が出来ていませんでした。 2日目はまず陸前高田の旧道の駅に行きました。まずそれぞれで黙祷をしました。壁には震災前と後の写真が比較として貼られていました。私は道の駅を見るのが初めてだったので、衝撃でした。どれだけの高さの津波だったかのボードが貼ってありましたが、14.5mという数字を見て信じられませんでした。あんな高い波がきたら助かる確率はほぼないんじゃないかと思いました。旧道の駅の前の入口の所が全てもぎ取られて、中に大きい流木が流されて引っ掛かっているのも見る事ができました。しばらく見たあとガイドの河野さんが来て色々なお話をしてくれました。津波にのまれた小学校の生徒が後ろからおばあさんに「早く行きなさい」と背中を押されてふと後ろを振り返ったら仰向けになって流されていった姿を見てしまったという話は凄く胸が痛みました。小学生の時にそんな経験をしてしまうなんてどれだけ辛かったんだろうと思いました。そしてバスで奇跡の一本松を遠くから見に行きました。今はもう当時のものは枯れてしまったから1億5千万をかけて幹の外側を残しレプリカを作ったという話を聞きました。思い出すという意味で残すのはいいけどもっと他にも使い道があったのではないかとガイドさんも少し話していました。 そして次にフェリーで大島へ移動しました。大島ではカキの養殖場でお手伝いをさせていただきました。カキの試食や袋へのシール貼り、小船に乗ってカキが吊るされているイカダを見に行ったりしました。あんなに間近で養殖途中のカキを見ることは無かったので楽しかったです。フェリーで帰る時に養殖場の方が見えなくなるまで見送ってくださったのが印象的でした。 この日は民泊最後の日でした。民泊というかたちは初めてだったのでほんの少しの不安がありましたが、とても美味しいご飯を用意してくれて、しっかり休憩をとり、とても楽しい2日間をお家で過ごすことができました。お父さんと急遽2人できゅうりを取ったり、お母さんにはフラダンスを教えていただきました。2人ともとても優しくて暖かく接してくれて本当のおじいちゃんおばあちゃんの家に帰ったような気持ちになりました。お見送りをしてもらった時とても寂しくなりました。 3日目は気仙沼高校の生徒との交流をしました。グループワークではみんなもちろん初めて会うのに優しく接してくれてとても話しやすくとても楽しかったです。フリータイムには人間知恵の輪をしました、本番ですぐ解くことができて凄く楽しむ事ができました。バスで帰るとき何人か走って見送ってくれたのは嬉しかったです。 今回3年生で初めて参加することができて本当に良かったです。凄く充実した3日間を過ごすことができました。1日1日が終わるたびに友達と1年生の時から来たらよかったなあと何回もぼやいていました。被災地の現状を知り、約7年前の事も振り返り、まだまだ復興はしきってないけどこれからも私達の世代が出来ることがあればできる限りしたいです。もう来年このボランティアに参加することはできないけど、現地の人が言ってくれたようにまた来たいなと強く思いました。 |
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第三日 2017年7月16日(日)9:30 岩手県陸前高田市 聞き取り 見学 | ||
陸前高田市観光ボランティアの 河野正義さんからの聞き取り 陸前高田復興まちづくり情報館にて。 | ||
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松原7万本のうち残った、奇跡の一本松 | 旧・道の駅「高田松原」にて | かつて岩手県最大の海水浴場だった |
気仙沼現地ボランティア Hashiguchi Amane 1日目 車中泊しました。 2日目 一番最初に南三陸町の防災庁舎を見学してまずガイドさんが教えてくださったのが東日本大震災で15.7mもの津波が押し寄せてきて低い土地の村などにすぐ波が来てのみ込まれてしまったので震災後は10m土地を盛り上げて村を作り上げているそうで何度も何度も工事していて毎回南三陸町の道を通るたびに道の路線が変わっているそうです。そしてそのあとリアスアーク美術館へ被災状況の学習をしに見学に行きました。 そこでは震災の状況はニュースとかモノクロの新聞でしか見たことがなかったので実際に被害にあった場所で実際にこの目で写真館をみてとても胸が痛くなることがただただありました。まず、実際に被災された山内さんのお話を聞いてとにかく話を聞いてると自然の涙が出てきて実際に津波が来たのを見たことない私にも怖さや市民の人とも助け合いがあってこその避難など、あとはもし自分の友達が家族が大事な人が亡くなってしまったのを目にしたらあなたはどうしますか?死んだことを信じきれないくて立ちなおれていない中ニュースや新聞などで悲しい、受け入れられないという状況で周りの知らない人に死体があるとか言われてどういう気持ちになりますか?と言われた時とても胸が痛みました。自分がその立場になったら絶対に立ち直ることに時間がかかると思います。ですが山内さんは違いました。立ち直ることよりもほかの人を助けることに専念してとてもすごい人だと思いました。写真館で特に胸が痛くなったものが一つだけあり、その1つは小さな女の子が津波に流されて亡くなって見つかった時しっかり抱いていたクマのぬいぐるみを実際にみてもうそれをみただけで頭の中で状況が想像できるような感じがして涙が止まりませんでした。 このあとバスに乗り、気仙沼市階上地区海辺の森を作ろう会にて植林活動をしました。そこではまず最初にお昼ごはんを近くの地福寺で食べました。食べてからまず、イチジクの木の苗を20数本手作業で手分けしてグループごとにして1人2本植えました。次に草刈りで私は草の近くにいくと目が充血して作業が出来なくなってしまうので今回はやめておきました。植林活動をおえ、八瀬へ出発してこの日は終わりました。 3日目 集合場所の月舘小学校に歩いていきました。そしてバスに乗り陸前高田にいき、高田物産協会のガイドさんに一本松などのお話をお話してもらう予定が藤井先生の手違いで送ったFAXが次の日になってしまっていたので数分遅れてガイドさんが来てお話されました。あまりお話しする時間がなく終わってしまったのでもっとちゃんとお話ききたかったです。そのあとフェリーに乗り、カモメにかっぱえびせんあげて楽しんでいるとあっという間に大島浦ノ浜に到着してそれから荷物を牡蠣の養殖をする場所の人がお迎えに来ていて、そのトラックに荷物を乗せてもらい、私たちは歩いて山を越え降りていきました。すごい坂が多くてキツいなって思うことがただただありましたが、いい運動になりました。そのあと販売する牡蠣の商品の袋にシールを貼る流れ作業をしました。そのあと草刈りをしてたくさん草を刈りました。そのあとは舟に乗って牡蠣を育ててる網を見に行きました。そして新鮮な牡蠣を食べてとてもほっぺが落ちそうでした。そしてまた山を越え降りました。で、フェリーに乗って浦ノ浜に戻りました。バスの中でお弁当をたべました。そのあと八瀬に戻って民泊先に帰りました。 4日目 月舘小学校に集合して気仙沼市内のバスで出発しました。気仙沼高校に着いてからまずくじを引いてABCDEFのグループに分かれて座りました。そして班ごとに夏といえば…というテーマで話し合って仲を深めることが出来ました。生徒副会長の人と仲良くなれてめっちゃ優しくておもしろくて私が入ったDグループはみんな明るいメンバーで楽しかったです!Dグループで撮った写真もめっちゃ謎のポーズ考えてくれて面白かったです。気仙沼高校の方と交流できて本当に良かったです。 また機会があれば是非、参加したいと思います。 |
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気仙沼ボランティア Honda Sakiho 初日はリアスアーク美術館に行き震災が起こった時の写真や展示物などがあり一番に思ったのはテレビでしかみたことなかった光景を実際に震災があった後に撮った写真などがあってテレビ越しでみるよりも感じるものがたくさんありました。流れてきた生活用品や電子レンジなどの展示もあり衝撃を受けることもありました。 その後バスを乗り換え地福寺でお弁当を食べさせてもらいそっから植林活動をしました。いちじくの木をみんなで植えて来年以降まで育つようにとそのような思いで植えました。その後草刈りをする予定でしたが花粉症で酷くてできなかったです。個室の部屋に移って中から草刈りしてるところを見てたら現地の農家の人の5人ぐらいのおじいちゃんおばあちゃんが来て海の特産物や農家のことや震災の事を色々聞かせてもらいました。マンボウは食べると味がなにもしないと聞き驚きました。ホヤは甘い味がすると聞きました。草刈りができなかった分とてもいい話を聞けて良かったです。 その後八瀬の森にいき民泊に移動しました。家とても近くでかさに驚き旅館かと思うぐらいでかい部屋が10部屋ぐらいあり探検しました。とりあえず鞄などキャリー置いてから採れたてほやほやの、もろこしをゆがいてもらい食べました。その後も夜ご飯を食べとりあえずお米がとても美味しかったです。食べてる時とても会話が弾んですごく楽しい1日目でした。 二日前は民泊先から月舘小学校に集合しばすで陸前高田へいき駅で陸前高田物産協会ガイドの人から震災があって一本松の木が残った場所までいきお話を少しききました。市内見学などもしました。その後フェリーに乗りカモメにかっぱえびせんをあげました。カモメの胴体やくちばしが手に当たることがないので結構楽しみながらいくことが出来ました。最初はカモメにえさをあげるのが怖いとか思ってましたが慣れたら楽しめました。 大島浦ノ浜に着きお弁当を食べました。その後店に出すシール貼りをし綺麗に貼れない部分もありました。隣でシール貼りしていた子供が可愛すぎました。それから草刈りをしました。マスクでしたのでまだまっしでした。後に舟で牡蠣の養殖してるところまだ行きました。目の前でみるのが初めてだったのですごいという気持ちがありました。舟の上無視だらけでした。舟を降りてからゆがいた牡蠣をたべさせてもらいました。鍋の牡蠣とは全然違い美味しかったです。また浦ノ浜に戻りフェリーに乗りカモメ見ながら帰りました。バスで月舘小学校まで行き民泊に行きました。おばあちゃんが待ち構えてくれていてめっちゃ嬉しかったです。お風呂を先に入り夜ご飯食べ家庭菜園してる野菜がいっぱいでてきて美味しかったので家庭菜園したいと思いました。2日目は色々な体験ができたと思いました。 3日目は朝起きて朝ごはんもたべて民泊最終日の朝はみんなで写真をとり春日丘生と北つば生で、手紙を書き渡しました。喜んでくれてよかっです。とても優しいおばあちゃんおじいちゃんでした。卒業したら絶対また行きたいです。最後のお別れの時が一番寂しく感じました。その後月舘小学校からバスで気仙沼高校に移動し交流会をしました。どんな交流会か楽しみでした。生徒会の人などばらばらになり楽しみながら1年2年関係なく笑いながら喋ってました。最後人間ちえなわなどし写真も最後みんなで撮れてわいわいしてました。その後は海の市に行きお昼ご飯とお土産を買いました。色々な人と関われた3日目でした。 この3日目気仙沼現地ボランティアに行ってテレビでみて感じることを実際その場にいた人の撮った写真などで感じることの方が大きかったです。気仙沼の若い人からお年寄りまで色々な人にかかわりたくさんのおはなしをきかせてもらえて来て良かったなと思いました。普段できない体験などをさせてもらったら民泊をしたり他の学校の生徒などと仲良くなれてよかったです。 |
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第三日 2017年7月16日(日)11:40フェリーに乗船 気仙沼大島にわたって カキ養殖 被災・復興の聞き取り 見学 支援作業 | ||
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フェリーの20分間はカモメにえびせんをあげる | カキの殻剥き体験のあと、実食!殻付きは初めてという参加者も多く、みんな感激。 | |
気仙沼大島は三陸海岸で最大の島。津波で島の中央部が水没し島が二つになった。アメリカ海兵隊が浜を埋め尽くした漂流物を除去してくれた。 | ||
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6年間で復元してきたカキ養殖いかだ | むき身カキのビニール袋にシール貼り | 殻剥き作業の後の味見に感激 |
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養殖いかだまで5往復して全員が見学 | カキ小屋周辺の除草作業 | 小松武さんからの聞き取り |
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大阪府ユネスコ連絡協議会中馬弘毅会長 | 中馬弘毅会長を囲んで記念撮影 | フェリーで小松さん家族にお別れ |
初めての気仙沼ボランティア Kanata Yudai 今回、東日本大震災復興支援活動に参加させていただきました。僕は高校1年生ですが、中学3年生の時から地域への活動やボランティア活動や、そして今回の東日本大震災の復興支援活動に参加したいと思っていました。まだ高校を決めていなくて、どこを選ぶか決めていたときに北摂つばさ高校のパンフレットを見ました。それを見ると、すごく良い学校だなと思ったのですが、とくに1番、すごいと思ったのが地域への活動や、ボランティア活動をたくさん行なっているということです。学校もすごくよくて、かつ、僕のやりたいことがあったのでその高校を選びました。それがきっかけで参加したいと思うようになりました。入学してからは被災地への募金活動にも参加してきました。そして、宮城県へ行くことができました。2泊5日、たくさんの経験、学ぶことができ、濃い5日間になりました。 1日目、出発の夜、バスで15時間かけ、宮城県へ行きました。これは旅行ではない、学ぶために行くんだと思いながらバスへ乗りました。バスで長時間乗るのも、東北へ行くのも初めてでした。なので疲れはありました。 ようやく到着して、2日目。外に出ると、大阪にはない景色が広がっていました。東日本大震災が起きてから6年経ってもまだ完全に復興していない町をみて、どれだけ津波や地震が恐ろしいことなのかと驚きました。地震が起きた当時、どんな状況だったのかと、知るため、リアスアーク美術館に行きました。そこには、写真と文章や被災物があります。それを見る前に被災してすぐ危険な状況で写真を撮った、山内さんのお話を聞きました。被災した当時、どんな状況だったのか、お話しした20分間、すごく心にひびいた20分間でした。携帯で録音しとけばよかったと後悔しているくらいです。本当に大切なお話しが聞けました。そして、写真や文章などを見て、もし自分もこうなっていたら、自分はどうしていたのかとか、想像して見ることができ、本当に心にひびきました。 次に気仙沼市階上地区にて植林活動をやりました。菅原さんのお話しを聞きました。津波が来た時、木にしがみついて命が助かったということを言っていました。だからいつ津波がくるかわからないがもっとたくさんの人が、1人でも助かるようにこの活動を始めたと言っていました。そしてたくさんの木を植えました。それで2日目の活動は終了しました。 そして、民泊先へ熊谷つる子さんの家へ行きました。僕は民泊というのは初めてで、すごく心配していたのですが、今思えばなんでこんな心配してたのだろうってくらい、本当に楽しい時間を過ごせました。犬もいたのですがすごく可愛がったです。夜ご飯はBBQでした。まさかBBQと思っていなかったので驚きました。食べ終わってからは、蛍を見に行きました。電灯が1つもない外は星も綺麗で蛍も輝いていました。最高のものを見れました。そして就寝して3日目の朝5時半、外に行くと、大阪にはない最高の自然と景色が見えました。すごく気持ちよかったです。 朝ごはんも美味しくいただいて、2日目の最初は陸前高田旧道の駅へ行きました。旧道の駅は被災したまま残っている建物です。建物を見ると津波がどれくらいの高さで来たのか書いてありました。14.5メートルと書いてあって驚きました。建物の中はボロボロで当時の状況がどれだけすごいことか、感じました。そのあと、協会ガイドで説明を聞きながら奇跡の一本松や被災してそのままの高校を見ました。 次に大島浦ノ浜へ牡蠣の養殖活動をしました。そこでは小松さんのお話や、養殖活動のお手伝いをしました。そして民泊先へ戻り、美味しいお魚料理を食べ3日目が終了しました。そして宮城県最後の日、最後は気仙沼高校へ交流会をしました。最初は緊張して中々話せなかったけど慣れるとものすごく楽しくて、時間が足りないくらい、楽しい時間を過ごせました。そして、お見上げを買い、無事に大阪へと帰りました。2泊5日。最高の思い出、経験、学び、その被災した当時の感触を味わうことができました。活動ではたくさんの方のお話しを聞けることができて、たくさんの体験をさせていただきました。学習では当時の写真や被災物を見てどれだけ津波が恐ろしいものなんだとすごく怖い気持ちでいっぱいになりました。 民泊では本当に楽しい2日目でした。豪華なご飯、そして民泊させていただいた方は優しさに満ち溢れていました。ずっと泊まりたかったです。感謝の気持ちでいっぱいです。東日本大震災が起きて6年が経ちました。6年経った今でもまだ完全に復興していません。今回被災地へ行って地震、津波の恐ろしさや怖さをものすごく実感しました。これから先、いつ地震、津波が起きるかわかりません。いつ来ても大丈夫なように。すぐに逃げれるように。みんな、全員が助かってほしいです。なんなら地震なんて来てほしくないです。今回、東日本大震災復興支援活動に参加し、宮城県の被災地へたずさわることができて、本当に良い思い出を作る、一生忘れられない、心に残るものができました。 また、来年もこの活動はあるといっていたので、ぜひまたみなさんの役に立てたら良いなと思い、また参加したいと思います。 |
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気仙沼ボランティア Ishizaki Yu 私は今回初めての参加でした。ボランティアに参加していい経験が出来たしすごく勉強になりました。 1日はバスに乗ってすごく楽しかったし友達とお菓子を食べながら喋っていました。私はバスの中ですぐ寝れました。サービスエリアに止まった時に起きたら首が痛かったです。サービスエリアでご飯も食べました。サービスエリアで降りてタヌキがおったので一緒に写真を撮りました。 気仙沼に着いて2日はリアスアーク美術館に行って災害の学習をしました。向こうの人に災害の話をしてくれました。すごく心に響きました。展示を見ました。いろいろあってすごく当時の写真とかを見れました。私はテレビとかしか見たことなかったんですけど当時の写真を見て凄く心に響くものがありました。災害の写真もありました。いろいろあったので見て回りました。でも私は津波のことをあまり詳しくなかったのでここで学ぶことが出来ました。 海辺の森を作ろうって所に行きました。菅原さんの話を聞いて木に登って助かった人がおるって言って何人かが助かったって言っていました。だからみんなで木を植え人を助けてらいいなって思います。みんなでいっぱい木を植えました。木が元気に育ててくれたらいいなって思いました。その後は海に行って木が人を助けたって話をしてくれました。津波に襲われている人を見つけて気に登っていた人が助けたって言う話も聞きました。松の木が人を助けたって言ってました。 それが終わったら民泊に行きました。民泊は8人で行きました。民泊はちょっと緊張していたんですけど民泊の人に優しくしていただいて凄く嬉しかったです。気さくに話しかけくださって凄く緊張が和らぎました。民泊は凄く楽しかったしいろいろしてもらって嬉しかったです。 3日は民泊の人に小学校まで送ってもらってバスに乗って陸前高田に行きました。そこでガイドさんに災害の話をしてもらいました。いろいろ災害のことを教えてもらいました。ここまで波が来たとかを教えてもらいました。たてものが崩れているままで置いてあったりとか木がここまで飛んできたって言う話をしました。いろいろ教えて貰って凄く勉強になりました。その話が終わったあとにフェリーに乗りに行きました。フェリーで大島で行きました。フェリーでカモメが飛んでいてカッパえびせんを買ってカモメにあげてもいいよって言っていました。すごくカモメが飛んでいてカッパえびせんをあげるとめっちゃ食べていました。フェリーが動くとカモメも一緒について来ました。めっちゃいっぱいいました。 フェリーを降りて山登りをしました。友達と喋りながら山登りしました。凄くしんどかったけど頑張って登りました。いろいろ喋りながら登ってちょっと迷子になったけど凄く楽しかったです。それから向こうの人の話を聞いてから昼ごはんを食べました。食べてると雨が降ってきてびしょびしょになりました。それから雨の中で草むしりをしたりシールはりをしたり船で貝の養殖を見たいとかをしました。カモメもいました。船で友達と写真を撮ったりしてました。船で話を聞いたりしてました。船から帰ってきて貝を食べました。私はちょっと苦手でした。それが終わったらまた山をくだりました。雨が降っていて友達と喋りながらゆっくり帰ってました。しんどいなって言いながら帰ってました。凄く楽しかったです。 それが終わったらお茶を買いました。それが終わってフェリーを乗って帰りました。フェリーを降りたらバスに乗って小学校に行きました。民泊の人がいました。それから民泊の家に行きました。いろいろみんな喋っていました。ご飯を食べながら喋りながら食べで凄く楽しかっです。みんなで喋りながら楽しく過ごしました。民泊の人に小学校まで送ってもらってもう民泊は最後だったのでお別れの時に民泊の人が涙目でこっちも凄く泣きそうになりました。泣いているこもいました。民泊の人にまた来てねって言われた時に凄くなきそうなりました。また機会があれば行きたいと思いました。お別れの時はほんまに凄く泣きそうになりました。バスに乗って一生懸命バイバイしました。 気仙沼高校生との交流会に行きました。班はくじ引きやって私は友達と離れたんですけど知っている先輩がいたので良かったです。そこでいろいろなゲームをしました。自己紹介をしたりポスターをしたいととかすごく楽しかったです。人間知恵の輪もしました。凄く楽しかったです。気仙沼高校生の人たちと仲良くなれて凄く楽しかったです。楽しすぎて時間が経つは早かったです。まだ一緒にいたかったって思いました。また機会があれば行きたいなって思います。バスに乗って気仙沼高校生の人にバイバイをしました。バスに乗って昼ごはんやお土産も買いました。凄くお土産を買いました。友達と選びました。凄く選んでる時は凄く楽しかったです。それが終わったらバスで帰りました。サービスエリアに着いていろいろ買いました。食べ物も食べました。凄く美味しかったです。 気仙沼ボランティアに行って気仙沼の人たちと関わって凄く暖かい人だと思いました。また機会があれば行きたいしまたいろんな話を聞きたいなって思いました。 |
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気仙沼ボランティアに参加して Tamura Suou 今年で3回目の参加でした。1年生のころは親に「言ってみたら?」と言われて参加しましたが2年生からは自分で親に行きたいと言いました。初めての参加の時に楽しかったのも1つの理由ですがまた来年の気仙沼の状況を知りたいと思ったからです。少しでも復興のお手伝いをして現地の方達のお役に立てたらなと思いました。そして今年も参加しましたが本当にいい経験になったなと思いました。 気仙沼1日目で今年が初めてのリアスアーク美術館に行きましたがすごく衝撃をうけました。山内さんが命懸けで撮った写真がたくさんありましたが1つ1つにその時の状況や山内さんが感じたことが書かれていたので自分もその時どんな状況だったのかと考えるきっかけになりました。特に当時津波に流された家の扉や木材などがそのままの状態で展示として置いてあって被害の大きさがよくわかりました。南海トラフ地震がきたら同じ状況になる可能性があるので他人事ではないしもっといろんな人に知ってもらいたいと思いました。山内さんが言っていましたが津波で流された家や壊れた家を瓦礫とは言わないでほしいと言っていて理由を聞くとすごく納得しました。元は自分たちの住んでいた町であり、家であったと。それは瓦礫ではなく自分たちの住んでいた場所だと言っておりました。 リアスアーク美術館の後は海辺の森を作ろう会で木を植えました。粘土土で成長しないで枯れてしまう木もあるそうで悲しいですが少しでも多く成長してまた以前のように戻ってほしいと思いました。成長した木をまた見にこれたらいいなと思います。去年は行きませんでしたが海の近くまで行き、命を救った木を見に行きました。1年の頃来た時とほとんど変わっていませんでした。なので懐かしいなと思いました。 その夜は佐藤さんのお宅に泊まりました。優しい方達でお話ができてよかったです。体を休めることができたので感謝の気持ちでいっぱいです。 気仙沼2日目は陸前高田に行きました。前に来た時よりもだいぶ盛り土が増えていました。ベルトコンベアも2年前は全然残っていて1年前は少し残っていたのが今年は全てなくなっていました。少しずつ復興してきているのを実感しました。12mほどの高い防潮堤を作ってると聞きビックリしましたが当時きた津波は15mなのでそれでも超えてくると思うとすごく怖いです。奇跡の一本松も毎年見に行ってますが目の前で見てみたいと思いました。 陸前高田の後は毎年お世話になっている大島の牡蠣の養殖場に行きました。行くまでの40分ぐらいの山登りがなかなかきついですが上からの眺めもよくて着いた時に海が目の前に見えるのでテンションが上がります。雨が降っていたので今回は牡蠣の入れる袋のシール貼りをやりましたが少しバイトしている感覚がありました。船に乗って牡蠣を見に行くのは毎年とても楽しいです。自分が住んでいる近くには海がないので余計だと思います。昔抱っこされていた子供がもう歩いていたので大っきくなったなと思いました。 大島に行った後は民泊先に戻りました。ご飯はとても美味しかったです。お米は自家栽培らしいです。2日と短い間でしたがとても楽しくて交流もできていい経験だと思いました。 気仙沼3日目は気仙沼高校との交流会でした。野球部がいなかったのは残念ですが試合に勝ったと聞いたのでとても嬉しいです。 交流会での班では仲の良い友達はいませんでしたがいろいろ話すことができたのでよかったです。方言の違いや手遊びで盛り上がりましたし、人間知恵の輪では手を繋いで喋りながらやらないとできないので交流するのにいいゲームだと思いました。気仙沼高校の方達はとても優しくて笑顔でいい人たちでした。短い時間ではなくもっと交流して仲良くなりたいと思いました。私は3年なので来年はもうないですがまた何かの機会で会いに行きたいと思います。お別れの時は少し悲しかったです。 お昼は海のいちに行き、マグロ丼を食べましたがすごく美味しくて去年も食べればよかったと思いました。 気仙沼ボランティアに毎年参加して本当によかったと思っています。もう被災してから6年経っていますがまだ復興があまりできてないところもあれば1年間の間でかなり変わっている場所もありました。去年は盛り土しているところで今年はもう盛り土が終わり新しいお店や道路ができているところがありました。そういうことは自分の目でみないとわからないことですし直接現地の方達とコミュニケーションをとることとテレビでみたりすることとは全然違います。なので3回とも参加したのはとてもいい経験ができたと思いますしまだ行ったことのない人たちや1回参加した人たちには是非続けて参加してほしいなと思いました。行きたいと思ってる人はとりあえず1回参加してみてほしいです。 |
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気仙沼ボランティア Motoki Aika 今回このボランティアに行くのは2回目やけど今回もいっぱい学んだことがたくさんありました。 まず1日目に震災のミュージアムに行って震災の写真や震災の体験談の話をしてくださって聞いてるだけでもとても悲しくなったし津波の恐ろしさを改めて実感しました。私たちはニュースだけでしか震災の被害を見たことがなかったけど、直接その場に行き話を聞くことでニュースとはまったく違う情報が聞けてよかったなと思いました。その体験談の話をしてくれた方は家に帰ろうとしたら家どころか町がなくなっていたと言っていました。話を聞くだけで悲しいです。 その後に木を植えに行きました。震災の時に木に捕まって助かった人が何人かいたということで、もしまた津波が来たときに木で助かるように「海辺に森を作ろうの会」というプロジェクトに参加しました。一生懸命植えました。そしてその後に海辺まで行って津波のときの話を聞きました。 それが全部終わってから民泊先の方々の家に行きました。民泊先の方々は温かくお出迎えしてくれてとても嬉しかったです。はるおさんとこうこさんはとても面白くてこの民泊先でよかったなと思いました。その日の夜ご飯はからあげと酢豚でした!すごく美味しかったです!! 2日目は朝から陸前高田市に行き、「奇跡の一本松」のところや道の駅、ガソリンスタンドに行きました。15mもの津波がそこにはきていたという印があって2回目やけど衝撃すぎて言葉が出ませんでした。 その後フェリーに乗りました。フェリーではみんなでカモメにかっぱえびせんをあげて楽しかったです。降りてから50分の山登りをして牡蠣の養殖の場所まで行きました。ついてから牡蠣を出荷する袋のシール貼り、草刈り、船に乗って養殖場まで行く、牡蠣試食をしました。大変やったけど牡蠣がめっちゃ美味しかったです!! そしてまた民泊先の家に行きました。その日の夜ごはんは焼肉でした!めっちゃ嬉しかったです! 3日目は民泊先の方々とお別れでした。はるおさんがお別れの時に泣いていてこっちまで泣いてしまいました。お別れするのがすごく辛かったです。めっちゃいい思い出になりました。お別れしてから気仙沼高校に行って気仙沼高校の生徒の方々とゲームをしたり話をして交流をしました。仲良くなって写真を撮ったり連絡先交換したりして楽しかったです。 その後にお昼ご飯やお土産を買いに行きました。海鮮丼が美味しかったです!!この4日間で色々な人と交流でき、震災のことも学べて行って良かったなとすごく思いました!また来年も行きたいです! |
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第四日 2017年7月17日(月)8:45 月舘小学校 八瀬森の学校のホスト家族とお別れ | ||
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八瀬 森の学校のホスト家族の皆さん 心温まるおもてなしありがとうございました。 |
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第四日 2017年7月17日(月)9:30 気仙沼高校 高校生交流 | ||
気仙沼高校生徒会からの挨拶の後、ワークショップの説明 80名の生徒が交流を楽しみにしていた。 | ||
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気仙沼高校、春日丘高校、松原高校、北摂つばさ高校の4校によるワークショップ、和気あいあい。 | 大岡団長から義援金12万円を手交 | |
第五日 2017年7月18日(火)4:30 北摂つばさ高校 まとめ、解散 | ||
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第9回気仙沼現地ボランティアを終えて 2017年7月18日 今回は、自分自身の参加が叶わず失礼しました。 大岡成樹団長、無事の帰阪、誠にありがとうございました。 今年は日本のユネスコ活動70周年ということで仙台での記念の全国大会のあと、大阪府ユネスコ連絡協議会から中馬弘毅会長ご夫妻、坂口一美副会長、が気仙沼に駆けつけ激励いただきました。ありがとうございました。 今年もバス1台50名で気仙沼現地ボランティアを開催することができましのも、春日丘高校、松原高校、北摂つばさ高校をはじめユネスコ協会ESDパスポート実践校の先生方が教育活動としての現地ボランティアを位置付けて取り組んでいただいているおかげです。 その意味でユネスコ協会の営みに感謝いたします。誠にありがとうございます。 気仙沼、陸前高田の様子もすこしずつ変わってきていることと思いますが、復興というにはまだまだである旨の報告を受けています。双方向の交流によって復興がさらに進むように、また両方の地域で高校生の心に親切や優しさの灯をともし続けられるように、この取り組みを続けたいと思います。今後とも、皆様のご理解とご協力をお願いいたします。 代表 松野 雅一 |
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帰阪後、各校授業なので、万一に備えて4:00に到着、まとめのあと、振り返りのパソコン入力。完了した人から解散となりました。 みなさん、本当にお疲れ様でした。 |
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気仙沼ボランティアを通して Wada Tsugumi 今回の気仙沼ボランティアでは1年間でどれぐらい復興ができているのかが分かりました。私は作年の気仙沼ボランティアにも参加させていただきました、そのときはなかった建物やたくさんの盛土がありました。震災が起こった年から6年ほどがたった今は元通りというわけではないですが、少しずつ復興しているのが見て分かりました。 まず、初日の15日に南三陸町に防災庁舎行きました。たくさんの被害にあった場所で、建物はほとんどありませんでした。高いところから見廻す南三陸町はたくさんの盛土ができていました。まだ、家などはなかったですが復興に向けて進んでいることが分かりました。次は南三陸町から気仙沼市に行きました。 気仙沼市ではリアス・アーク美術館を訪ねました。リアス・アーク美術館も被害を受けていましたが今は東日本大震災の記録を写真や被災物を展示していたり、リアス地域の歴史についての展示もしています。リアス・アーク美術館に展示されているものは自衛隊が動く前の写真や客観的ではなく主観的な解説が写真や被災物にされていて、人事ではないし、もし自分がそうなったらどうして、どう思うのだろうかなどを考えることができました。私は被災してなくなった家の煉瓦などを「ガレキ」と呼ばないで「被災物」と言うようにしているという話の理由にとても共感しました。他人から見た家の欠片はガレキでも自分からすれば大切な思い出がたくさん詰まったものだからガレキなんかじゃない、その言葉がとても深く心にささりました。 そして、初日最後は海辺の森を作ろうの会の皆さんと植林活動をしました。今回の植林活動で植えたのはイチヂクやブルーベリーです。この植えた木が大きくなって誰かの命をまた救うことができたらいいなと思いながら植えました。植林活動の後は実際にその木に掴まって助かった人がいたという木を見に行きました。その後は八瀬の森にて民泊先に行きました。 2日目16日はまず最初に陸前高田に行きました。陸前高田市も被害がとても大きくたくさんの方が亡くなりました。私たちは陸前高田旧道の駅に行きました。そこには道の駅の中に津波の勢いになぎ倒された松の木が1本入り込んでいました。普通ならありえない光景でした。それだけ津波の勢いが凄かったということを物語ってします。そしてその後は語り部さんの話を聴きながらバスで一本松を見に行きました。一本松はたくさんあった松の木の中から残った最後の松の木でした。ですが、どうしても木がだめになってしまったので今は葉っぱなど人工的につけているそうです。私も一本松はずっと残していってほしいと思います。陸前高田には津波の勢いを今見て分かるほどの損傷がある建物が残されています。けど、それはあの日のことを忘れないために必要だと思いました。 その次はフェリーにて大島の牡蠣の養殖所に行きました。今回はフェリーを使いましたが地域の方とフェリーの待ち時間の間話をしていたら、橋ができたからフェリーはなくなると聞いたので少し寂しいと思いました。フェリーでは大島へ行く他の方とも色々な話を聞くことができました。 牡蠣の養殖所までは歩いて山登りで行きました。着いてからは4班に別れて4つの作業をしました。まずは生食牡蠣用の牡蠣を入れる袋にシールを貼る作業でした。この作業は人手が足りないと時間が凄くかかると思いました。次に草刈りをしました。草刈りをした場所は斜面が少し急でちょっと危ないなと思いました。その次は船に乗って牡蠣がどのように養殖されて、どのように育っているのかを見に行きました。ひとつのロープにたくさんの牡蠣が着いていて、ワカメもたくさん着いていましたがワカメは自然と落ちるそうです。あと牡蠣は最初は雌雄があるらしいですが、途中から中性になると聞いて驚きました。次は船から降りて牡蠣の養殖所の方が作って下さった蒸しガキを食べさしてもらいました。その場で出来立ての蒸しガキを食べるのは家で食べるよりも美味しく感じました帰りも同じ道の山登りをしてフェリーで帰りました。作年はほとんどが草刈りだったので新しいことができてよかったですし、もっと何かしたいと思いました。 最終日の17日は気仙沼高校の方との交流会です。大阪と気仙沼では話していてもあまり変わらないですが、ゲームなどをすると言い方が違ったりして勉強になりましたし、面白かったです。班で行った交流では夏休みについてでした。私が1番驚いたのは学校帰りに海によると答えていたので、大阪ではまず無いなと思いました。あとは、アイスやお祭りなど私たちと変わりませんでした。今回の交流では知らなかったことを知ることができましたし、もっともっと力になってあげられたらいいなと思いました。 今回の気仙沼ボランティアで私は出来ることを探すではなく、私たちがやるべきことをするを心に思って参加しました。私は来年も参加しようと思っているのでもっと宮城の方力になれるよう頑張っていきたいと思います。 |
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これまでの気仙沼ボランティアを通じて Etsu Yukino 一番最初に思ったのは前よりかなり風景が変わったなと思いました。2年生の時は1年前と変わってないと書きましたが、今回はかなり変わってました。特に今まで無かったスーパーやコンビニは勿論、土だけの所が嵩上げされて建物が建っていたりしていました。砂利道がちゃんと道路になっていたり、細かいところまで変わっていました。今回で復興した、という実感は見受けられました。 1日目はリアスアースで当時の気仙沼の写真などを見せて頂きました。1つ1つの写真に撮った人の解説、心情が書いてました。とても心にくるものがありました。今まで瓦礫と言っていたものを何故被災物というのか、それは1つ1つに愛着があり、本当に大切なものだったということです。普段使っているため、考えを改め直す機会にもなりました。もっと早くに訪れたかったです。 続きで、植林のお手伝いをさせていただき、1年、2年の時に植えた木を見ることができました。そして今回はご好意で梅の木も植えさせていただきました。3年はこの梅の花が咲くのを見ることができませんが、2年生に託しました。もっと木が沢山生えたら、もし津波が来てもこの私達が植えた木で助かる人が1人でも多くいれば、植えた甲斐があると思います。いや、その前に嵩上げなど行っていますので、津波は来ないでほしいです。津波対策のためにではなく、自然が多い街としていてほしいです。 2日目は奇跡の一本松の所に行き、講演会を聞きました。今年からまた松の木を植えて、震災前の姿に戻そうという話を聞き、それは一年前よりも前進していると思いました。木の成長とともに、人々も成長していく姿が見受けられました。50年後になるみたいなので生きてるうちに見たいです。綺麗な砂浜と海、ボランティア行ったときとは違うな、震災前の姿だなとこの目で見たいです。そして、いつもお世話になってる大島の牡蠣の養殖に行きました。娘さんが大きく育った姿を見てほっこりました。いつもよくして頂き、最後まで手を振ってお見送りをして下さりました。もう中々会えないので、せめて牡蠣の購入をしたいと思います。それが私ができるものと思いました。 3日目の朝、2日間お世話になったホストファミリーの吉田さんとお別れしました。3年になったため、もう気仙沼に行くこと、皆さんとなかなか会えないと考えたら心寂しかったです。しかし私達が行かなくてもいい時が来たら、それは復興したといっていいと思います。気仙沼高校さんとも交流をさせて頂き、明るい生徒さんが多く、大切なひと時となりました。お土産の笹かまを買う時、気仙沼高校の男の子が、友達が笹かまを作ってると聞き、そこで作られてる笹かまを買いました。それが少しでもものになればと思います。 今回で気仙沼ボランティアは私は終わりですが、気仙沼以外にも北九州のボランティアに行きたいと思います。その思いは何故出てきたのかといいますと、3年間ずっとユネスコ部として、1人の人間として役に立ちたいと思ったからです。これからボランティアは何処でやればいいのか分かりませんでしたが、箕面のユネスコ協会があると聞いて興味を持ちました。私がこれまで培った経験を生かし、更に役に立てればと思いました。 こうやってボランティアをするにあたり、人の温かみを知るのは大変素晴らしい機会となりました。もしどこかで誰が募金活動やボランティア活動を行っている際は、気持ち程度になるかもしれないですが、協力させて頂こうと思うようになりました。大学生になったら海外に留学に行きたいのですが、もし可能であれば海外でもボランティア活動をを行い、それを日本で伝え、日本でも日本で必要としているボランティアがあればそこに行きたいです。 それと、今回のボランティアに関係ないかと思いますが私が嬉しかったことがあります。それは後輩と沢山話せたことです。ボランティアを通じてこんなにも仲良くなれたのは大変喜ばしいことでした。そして後輩に来年も行くのか聞くと、行きますという声が多かったことです。3年間ずっと行ってきて、今回受験があるからやめておこうと思いました。しかし、民泊で寝る前にやったりして時間はあったので、3年間貫き通すというのが私の中ではとても大切なものになりました。今2年連続で行っている後輩には是非とも3年間行ってほしいですし、2年からの参加でも3年生になっても行ってほしいです。そして先頭を切って皆を引っ張っていってほしいです。 |
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気仙沼ボランティア Dote Mimini 今回、私は2回目の参加だったけど、去年とは違うことを感じました。民宿先が違うってゆうのはもちろんあったけど、それ以外にもバスから見える風景とかがすごく変化しているなって思いました。去年は盛土してなかった所が、盛土されていたり、防潮堤が出来ていて海が見えなくなっていたりその他にもたくさんの場所が変わっていました。防潮堤で海が見えなくなっていたのはすこし残念でした。でも、また津波が来たらって考えたらやっぱり必要なのかなとも思いました。 去年は行かなかったリアス・アーク美術館に行った時に主観的な意見が載っていてその文章を読みながら確かにこんなことになったらそう思うなっていうものが多くありました。もし、震災が来て家が流されて家族がいなくなって…って考えたらすごく悲しいしもう立ち直れないなって思いました。なのでそんなすごい被害にあっているのに立ち直っているのがすごいなって思いました。でも、その展示の中で「内面と外面は違う」って書いてある文章があってそこに、「ボランティアに行った人達が被災地の人たちに元気をもらったと言っていました。」って書いてる文章があってその下に「でも、それは外面で、内面は違うこともある。」って書いてあって、やっぱりそうだろうなって思った。家族とか家がなくなったのにいくらボランティアで来てくれた人達だといってもにこにこした笑顔を振りまけるわけがないと思いました。自分やったら笑うことも出来なくなるだろうなって思いました。 「海辺の森を作ろう会」の植林活動では、去年とは違うところに木を植えて、去年の木が成長している姿を見ることができてよかったです。今年植えた木も来年行った時にどれだけ成長してるか楽しみです。民宿先では、家も広くてとても楽しく過ごさせてもらいました。美恵子さんと、お父さんとの交流もいっぱい出来て楽しかったです。みんなでトランプしたりとか色々学校の話とかして本当におばあちゃん家に来てるみたいで楽しかったです。ブルーベリーを収穫させてもらって、それを食べさせてもらって美味しいのとか酸っぱいのとかいろんな品種のものがあって美味しかったです。カモシカの話とかニホンジカの話とかもしてもらって色々知れました。ご飯もとても美味しかったです。また来てねって言ってくれて本当にまた行こうと思いました。本当に色々優しくしていただいて楽しく過ごせました。ありがとうございました。 3日目は陸前高田でガイドさんの話を聞き、奇跡の一本松を見たあとフェリーに乗って大島に行きました。大島の橋が完成したら、フェリーが無くなるから乗れるのはこれが最後になるのかな?って思いながらフェリーに乗りました。カモメにカッパえびせんをあげたら手を噛まれたりとかしたけど可愛かったし楽しかったです。牡蠣の養殖場は、雨が降っていたので去年しなかったシール貼りの仕事があって楽しかったです。でも、あの作業をずっとしてたら疲れるし飽きるだろうなって思いました。去年たべれなかった牡蠣が食べれて美味しかったです。牡蠣のイカダが竹のものよりプラスティックのものの方が7か、8倍の値段だって聞いた時は高!って思いました。その他にも牡蠣の事を知れてへぇーって思うことがありました。 4日目は気仙沼高校に交流をしに行きました。去年はなんかよくわからなくてどうしたらいいのか分からずみ、え?ってなりながら終わってしまってあんまりいい思い出じゃなかったけど今年はアイスブレイクの時からいろんな人としゃべれて楽しかったです。夏といえばって言うテーマでみんなで意見を出し合うやつはよく考えたら夏って言われて思いつくものってそんなにないかもって思いました。でも、みんな違う意見があって思った以上に夏についてのものがあってびっくりしました。方弁とかでこれわかりますか?とか言って遊んでる時にいっせーのーで!ってやるゲームの話が出て向こうではチュンチュンって言うって聞いてびっくりした。それで、9人でやってみたら思った以上に合わなくてなかなか終わらなかった。でも、合わないことが逆に面白くて楽しかった。今年は気仙沼高校との交流がいい思い出になってよかったなって思いました。 最後に、今回の気仙沼現地ボランティアで思ったことは6年ぐらい経って景色も風景も変わってただ、開拓してる街にしか見えないような感じだけど、行方不明の人もいるし家が流されてまだ自分の家に住んでない人もいる事がとても悲しいことだなって思いました。いくら復興してるって言ってもやっぱりまだまだ復興してないのかなって思いました。むこうの人が笑顔で話しかけてくれたり、震災のこととか教えてくれたりするけどその中にはまだ、傷が癒えていない人がいるんだなって思いました。これからも自分がなんの役に立つか分からないけど少しでも何かの役に立てたらいいなと思って色々なことに取り組んでいこうと思います。 |
ESDパスポートの実施校において、アジア協会アジア友の会が主催するAsia Youth
Forumへの参加が呼びかけられています。これについて校内で呼びかけたところ、ユネスコクラブのSakihoさんとAmaneさんがエントリーしてくれました。先日5月29日には春日丘高校にて、打ち合わせをしました。 7月11日にはアジア協会アジア友の会に行って、打ち合わせをします。 |
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茨木自立支援センターと連携して、自然観察のボランティアに参加しました。内容は、安威川と茨木川との合流地点で、アユが遡上しているかどうかを確認するというボランティアでした。 この日は5名のユネスコ部員が参加しました。 残念ながら、アユの遡上は確認できませんでしたが、小学生と一緒に楽しい1日になりました。 ![]() |
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がんばろう!つばさネットワーク主催の募金活動に参加しました。7月の気仙沼現地ボランティア参加メンバー、国際エリア2.3年生と共に3月の気仙沼・登米高校野球部の招待に向けて募金活動を展開しました。 20170525は参加生徒46名、20170526は参加生徒40名、集まった支援金は全額、年度末の招待試合のバス代に充てられます。高校生の親切行動を支援し募金を入れてく下さった皆様、ありがとうございました。 写真は全て20170525および26 阪急茨木市駅前 がんばろう!つばさネットワーク |
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第7回目ESD国際交流プログラムに全国のユネスコスクールから101名の応募があり、本校から応募した荒木千尋さんの作文が見事選出され、3月24-30日の日程でインドネシアに派遣されました。 「有色人種による世界初の国際会議」と言われたアジア・アフリカ会議(バンドン会議)が1955年に開かれたバンドンでは、英語で東日本大震災の復興支援活動を報告しました。その短縮バージョンを発表してもらいました。 そして、インドネシアでの体験をまとめたプレゼンテーションをしてもらいました。 今年、気仙沼に参加する3年生の草野さくらさんによる気仙沼ボランティアの呼びかけの後、荒木さんが自分の言葉で気仙沼ボランティアを再度呼びかけました。 |
![]() 20170430 ユネスコ全校研修の最後に、気仙沼ボランティアの参加を呼びかける荒木千尋さん |
東日本大震災が発生して6年が経過しました。 その間、ユネスコクラブでは、2011年8月に気仙沼高校の生徒会メンバー、2012年8月の気仙沼高校、志津川高校の生徒会、気仙沼高校のダンス部のメンバーの招待を経て、2014年3月、2015年3月に気仙沼高校野球部を、2016年3月には気仙沼高校、登米高校の野球部を招待して、被災地との交流を深めてきました。 この度、6回目となる大阪招待を前に、参加者集会を開催しました。 松浦英二校長が参加者全員に檄を飛ばしました。 野球部、ダンス部、国際エリア1.2年、ユネスコクラブの代表から、それぞれの気持ちを述べて、やり遂げようという、みんなの気持ちを可視化して確認することができたと思います。 ![]() |
![]() 20170323 真砂玉島台自治会会館への布団の搬入をサポートする ![]() 20170323 送迎で活用する自転車の整備。鍵を付け替えに行きました。 ![]() |
第7回目ESD国際交流プログラムに全国のユネスコスクールから101名の応募があり、本校から応募した荒木千尋さんの作文が見事選出され、3月にインドネシアに派遣される、という20170131付の通知が届きました。このプログラムは公益社団法人日本ユネスコ協会連盟が主催し、第4回の同プログラムでは本校生徒がパリのユネスコ本部に派遣されています。 昨年はパリのテロ事件で中止となり、今年、行き先をインドネシアに変更して募集されました。インドネシアでは1955年に「有色人種による初めての世界会議」と言われたアジア・アフリカ会議が開かれたバンドンを中心に訪問し研修する予定です。 ユネスコクラブで活動している荒木千尋さんは、提出した作文で茨木市人権作文社会人の部で入選し、2016年12月20日に表彰されていました。今回はその作文を手直しして応募し、全国から101名が応募する中、見事、全国12名のうちの1人に選出されました。前回のパリ報告と同様、帰国後、いろいろな機会で報告してくれることと思います。 |
![]() 20170201 選考結果を聞いて アジア・アフリカ会議(バンドン会議) についてはこちら 世界史の窓 Wikipedia |
20161223 終業式を前日に終えた、本校からは、ユネスコクラブ、ユネスコ協会ESDパスポートボランティア認定証受賞者など、25名のメンバーが3つの企画に参加し、3本のレポートを発表しました。 10:40から行われた「ユネスコ協会ESDパスポート体験発表会」は、大阪府下から、清明丘小学校、鶴見橋中学校、今宮高校、追手門中高校、春日丘高校、コリア国際学園中高部、泉北高校、帝塚山学院泉ヶ丘高校、羽衣学園高校、北摂つばさ高校、松原高校から高校生82名、社会人35名の117名が参加して、各校代表によるスライド発表、グループ討論の後、ボランティア認定証受賞式が行われました。 |
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本校からは25名が参加、石橋幸音さん、西岡涼さんが1週間かけて作ったスライドで発表するとともに、9名がボランティア認定証を受賞しました。受賞者は3年成富安祐子さん、葉山真凡さん、吉田怜矢さん、2年福山里桜さん、石橋幸音さん、西岡涼さん、森本七帆さん、荒木千尋さん、後藤彩音さん、友成知里さんです。 13:30から行われた「韓中日ユネスコ国際ユースフォーラム報告、小さな外交官プロジェクト報告」は、高校生27名、社会人24名の51名の参加で実施され、佐野高校、春日丘高校、北摂つばさ高校の3名が発表しました。本校からは3年の藤原千尋さんが7月の城南訪問について、報告してくれました。 |
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東アジア3か国の若い世代の連携が平和に向けての大きな力になりうる、ということを確認する機会になりました。各主催団体である、日本ユネスコ協会連盟の長倉義信様、元コリア国際学園のオム・チャンジュン様からコメントをいただき、非常に大きな学びの機会になりました。 15:00から行われた「気仙沼現地ボランティア報告会」は、高校生27名、社会人24名の51名の参加で実施され、現地に行った7校のうち、北摂つばさ高校2年の荒木千尋さん、福山里桜さんが全体活動の流れを、柴島高校、住吉高校、春日丘高校、帝塚山泉ヶ丘高校、松原高校からは気仙沼に行って感じたこと考えたこと、を、それぞれ参加者の言葉で6校の生徒が話してくれました。 現地ボランティアに参加し高校生をサポートし続けている大阪市立大学大学院の修了生阪野修様ご夫妻からのコメントをいただくとともに、司会は、現地ボランティアに4回参加した北摂つばさ高校の西田怜央さんが務めるなど、活動の広がりを確認する機会にもなりました。最後は本校の松浦英二校長から「震災復興の駅前ボランティアを続けている高校生を見ていると嬉しくて自分たちも救われる気がする。皆さんは茨木市民の誇りです。」という趣旨の、市民からの激励の手紙が紹介され、迷っている人はどんどん参加してほしい、と激励をいただきました。 |
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20161209の3日間、募金した春日丘高校、北摂つばさ高校の2校を代表して義援金を届ける この日は2学期の期末試験の最終日。2校を代表して2年生の悦さんが日本ユネスコ協会連盟理事の坂口一美さんとともに倉吉農業高校を訪問し、11月に茨木市駅前で募った募金をお届けしました。 倉吉農業高校の周辺にはブルーシートで屋根を覆った家が多数、見られ、震災の被害をうかがわせる光景が広がっていました。校長先生から学校の説明を受けるとともに、3日間で集まった義援金90,433円を生徒代表にお渡ししました。 |
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倉吉農業高校からは、お米甲子園で全国優勝した倉吉農高のお米が記念品として贈られました。 大役を果たした悦さんは「こんな機会をあたえていただき、とてもいい体験ができました」と話してくれています。お疲れさまでした。 写真下は学校周辺のブルーシートに覆われた家並み、ロールオーバー写真は倉吉農高のお米。 |
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20161109.15.17の3日間 春日丘高校、北摂つばさ高校の2校で鳥取地震の義援金募金 この日は阪急茨木市駅前で、がんばろう!つばさネットワークの主催の鳥取地震の義援金募金を実施しました。国際エリアのメンバー、ユネスココーディネータの募集によるメンバーなどが参加しました。 9日は48名が参加し45分で30,096円の義援金が集まりました。15日は39名が参加し29,683円、17日は47名が参加し30、654円の募金が集まりました。合計90,433円の募金は全額義援金としてユネスコ協会を通じて鳥取の被災地にお送りします。春日丘高校からの生徒を引率してこられた先生からは「北摂つばさ高校の皆さんの活動で茨木市が明るくなる。ありがとう。」と激励の言葉をいただきました。参加してくれた生徒の皆さん、ありがとうございました。 |
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20160910 つばさフェスティバルで気仙沼ボランティアの展示と缶バッチ配付 この日は北摂つばさ高校の文化祭でがんばろう!つばさネットワークの協力による、気仙沼ボランティアの展示と缶バッチ配付を行いました。写真は真砂玉島台の自治会長の洗さんファミリーと事前のミーティングの様子です。ご来場いただきました皆様、ありがとうございました。 |
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20160820 玉島地区の夏祭りでポップコーンの模擬店で大活躍 この日はユネスコクラブのメンバー5人で参加しました。ポップコーンの販売直後はぼちぼちの売上でしたが、夕方の6時をまわるとお客さんの列が途切れず、大盛況でした。売上は全額、玉島地区の子ども会活動などに活用されます。 |
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20160806.07 白川地区の夏祭りで焼き鳥、ヨーヨー、かき氷の模擬店で大活躍 この日は白川地区の夏祭りに福祉エリア・国際エリアのメンバーとユネスコクラブのメンバーで連日20名以上で参加しました。焼き鳥は販売開始から、ボランティア終了時刻を越えても長蛇の列が続き、その間、焼き続けていました。ヨーヨー、かき氷も長蛇の列で汗だくになりながらも、楽しいひとときでした。 |
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20160723-28 ユネスコ韓日中国際ユースフォーラム 20160726-30 城南(Seongnam)スタディツアー ユネスコ協会ESDパスポートの実施校に2016年の夏に韓国での交流に二つのチャンスがまわってきました。一つは日本ユネスコ協会連盟が主催するソウルでのユネスコ韓日中国際ユースフォーラム、もう一つは韓国京機道城南(Seongnam)市青少年財団盆唐板橋青少年修練館が主催する板橋(Pangyo)でのスタディツアーでした。 北摂つばさ高校ユネスコクラブのChihiroさんが城南スタディツアーに参加しました。参加生徒はコリア国際学園高、北摂つばさ高、春日丘高、帝塚山泉ヶ丘高、佐野高、羽衣高からの女子10名でした。 26日はホスト家族となる高校生徒とのアイスブレイクで打ち解けました。 27日はグループごとにソウル市内の視察でした。韓国製の美容用品を買いたいと思っていた人が多く、ショッピングで有名な明洞に行ってショッピングするグループが多かった様です。大人は鐘路洞、パゴダ公園、昌徳宮、青瓦台(大統領府)、さらに明洞大聖堂、韓国ユネスコ本部にまわりユネスコ韓中日ユースフォーラムに参加している松原高、春日丘高、帝塚山泉ヶ丘高、コリア国際高のメンバーを激励しました。夜は南山タワーに集合し、夜景を楽しんだ後、タワーからソウル、板橋へと路線バスを乗り継いで、ホスト家族宅に戻りました。 28日は全体での歴史ツアーでした。この日はソウル大学大学院生等で作るHologramという歴史研究グループが指導者となって歴史学習をしました。Hologramは韓国、日本、ベトナムの教科書、博物館を研究して、各国が歴史の一面のみを強調してないか、という観点から実証研究をしています。 ナヌムの家という元従軍慰安婦の方々が暮らしている施設に行き歴史資料館の見学と元従軍慰安婦の方々からのお話を伺いました。当事者の高齢化により直接話を聞く機会は困難になると思われるので、貴重な機会となりました。 続いて、ソウル市内の戦争博物館に行きました。ここはかつての韓国陸軍本部、米韓統合本部、在韓米軍本部などがあったそうです。在韓米軍本部を除いて移転するとともに、戦争博物館に改修したそうです。ここでは文禄・慶長の役、朝鮮戦争、ベトナム戦争の資料を見学しました。Hologramの方から博物館の展示を見ながら、自国のベトナム戦争での加害性や慰安婦について展示していない、と説明をしていただきました。日本、韓国、ベトナムがそれぞれ自国の加害性と被害性をともに展示し直視することで相互和解の関係ができるのではないか、との説明に、非常に考えさせられる研修となりました。 この後、建て替え工事中の日本大使館の前にある従軍慰安婦少女像の見学に行きました。テレビでは時々見る像ですが、実際の像を前に、参加者はいろいろ思いを巡らせたことと思います。 29日は全体での城南ツアーでした。集合のあと、近くの店舗に場所を変えて韓国料理体験をしました。トッポッキを作ってみんなで食べました。 路線バスを使って、この地域で発掘された遺跡を展示していました。青銅器、土器などもありました。午後からはWEBZENという企業を見学しました。城南市はソウルに収まりきれなかった人口を吸収すると共に、アメリカ・サンノゼのような世界的なIT企業の集積地を目指している板橋テクノバレーの中心都市でもあります。ゲームソフトの制作オフィスをまわりました。見学記念にスマホの充電器をいただきました。 この日は最終日でもあり、バーベキューを楽しむとともに、ゲストである日本からの高校生とホストである韓国の生徒の全員が修練館に宿泊して最後の交流を楽しみました。 30日、修練館、金浦空港で名残を惜しみつつ関西空港へ。なかなかできないツアーでした。 関係者の皆様、ありがとうございました。 |
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参加者のREVIEW(振り返り) Chihiro さん 今回私が<welcome to ソンナム>に参加したきっかけは、本当は違う子が行く予定だったのに行けなくなってしまい、先生から声がかかり、参加させていただきました。韓国での活動はすべて楽しくソウルツアーでは、ミュージアムへ行ったり明洞でのショッピングなど写真もいっぱい撮って、パートナーとの仲がとても深まりました。 歴史ツアーでは、ホログラムの方たちにいろいろな場所の案内をしてもらい、今までまったく知らなかった日本と韓国の関係や、韓国の歴史を教えていただきました。ナヌムの家では、実際にハルモニのお話を聞かせてもらいましたが、まだ日本に対しての怒りで私たちが行ったら嫌じゃないかとても不安でした。ですが、お話の中で「日本に住んでいるみんなが悪いわけじゃない」と言っていて少しほっとしました。当時は15歳、現在は90歳そんなにも年月が経っているのに今でも日韓関係が良くないのがとても不思議です。韓国人は日本語を勉強したりするし、日本人の友達は韓国語を喋れて、旅行に何回も行く子もいます。私の学校には韓国の授業もあり、すぐ行ける場所で私たちは韓国に嫌なイメージはないのに、政府同士まだ問題が続いているのがとても気になりました。歴史ツアーはとても考えるいい経験でした。 そして私は、参加するにあたって2つのことを知り考えたいと決めていました。 1つ目は、ホームステイをして韓国の日常生活や食生活を知りたいと思っていました。実際にホームステイをして、ホームステイをしてみないとわからないことがたくさんありました。家族みんなで夜食を食べたり、お風呂の入るタイミングや湯船にはつからないなどご飯の食べ方も全然違いとても驚く事がたくさんありました。私のホームステイ先は、とても優しい人たちで韓国のお菓子をたくさん食べさせてくれたりお土産もたくさん頂きました。そして、今まで自分の国の生活しか知らなかったけど他国の日常文化を知り、自分の世界は狭いと感じました。 2つ目は、私は高校3年生で受験生です。みんなも受験生なのになんで参加してるのかなと思ったかもしれないけど、進路に迷っていて何か参考になればと思い参加することを決めました。1年生のときに国際交流としてユネスコスクール世界大会のスタッフとして、フィリピンの人たちと交流する機会があり、他国の人と関わることにとても興味を持ちました。そして今回の韓国の人たちと交流して、留学したいという夢ができ進路も決めることができました。 しかし、1つ後悔があります。それは韓国語をまったく喋れずに行ったことです。私のパートナーはとても日本語が上手で周りの日本人の友達にも通訳してもらい会話に困らなかったけど、私が韓国語を喋れたらもっと楽しくお喋りできたのかな、、と思いました。せっかく行ったのに、日本語ばかり使ってしまい帰ってきてからはとても後悔しました。でも、これからもっと勉強しようと思えたし、語学にも興味がもてました。 今回の経験を生かして今後、夢である留学をしていろいろなことを学び経験をして自分の世界を広げたいです。そして、いろいろな視点から観れる人間になりたいと強く思いました。今回の参加はとても私にとって意味のあるものになりました。 パートナー韓国の友達日本の友達先生やホログラムの方たち皆さんに感謝です。高校生の間に貴重な体験ができました。ありがとうございました。 |
20160715-19 第7回気仙沼ボランティア 北摂つばさ高校、春日丘高校、松原高校 他2校、計5校の高校生42名 20160720-24 第8回気仙沼ボランティア 北摂つばさ高校、帝塚山泉ヶ丘高校、コリア国際学園 住吉高校、柴島高校、計5校の高校生69名 今年の気仙沼現地ボランティアは希望者が北摂つばさ高校だけで80名を超えましたので、2回に分けて、合計バス3台で実施しました。 基本的な日程は初日の20:00に北摂つばさ高校を出発し、第二日の朝からフェリーで大島に渡ってカキ養殖の復興を支援します。第三日は陸前高田の視察、聞き取りと海岸沿いの植林作業を行いました。第四日は気仙沼高校との交流となり、買い物をしたあと、バスで出発、第五日に大阪に戻ります。 ユネスコクラブのメンバーはリピーターが多く、3年連続3回目の参加者も珍しくありません。他校の生徒もほとんどはユネスコスクールの学校の方達です。 12月23日にはワンワールドフェスティバル(会場:大阪国際交流センター)で発表する予定です。 |
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右上: 気仙沼港と浦の濱 右中: 大島カキ養殖場 右下: 気仙沼高校交流 左左: 陸前高田と海の市 左: 階上地区での植林 |
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参加者のREVIEW(振り返り) 2年生 AMIさん (初参加) 7月20日の20時に北摂つばさ高校を出発しました。初めは、バスの中で楽しくみんなといろんな話をして盛り上がってほんまに楽しかったです。最初のサービスエリアでラーメンを食べてお腹いっぱいになって眠たくなったので寝ようとしたけどなかなか寝る体勢が決まらず全然寝れませんでした。2回目のサービスエリアでトイレ休憩してから出発して、ちょっといってから寝れる体勢が見つかりそっから爆睡でした。バスの中が1番きつい、しんどいと聞いてて自分も10時間以上のバスでの移動は初めてやったからちゃんと寝れるか不安でしかなかったけど余裕で爆睡できたので良かったです 21日になり、最後のサービスエリアを予定時間より早めに乗り場に出発しましたが、着いた頃にはちょうど船が出発する時間で間に合いませんでした。1時間後の船に乗り大島まで行きました。海の上では、ウミネコにかっぱえびせんをあげて盛り上がってました。はじめ、手であげるのが怖かったけど、みんなやってるのを見て手であげて、こんど慣れてきたので口にくわえてかっぱえびせんをあげました。むっちゃ楽しかったです。 大島に着いてみんなで山登りをしました。3年生の先輩と喋りながら登りました。途中で走ったりしてとても楽しかったです。山登りを終えた後、お弁当を食べてからボランティア活動をしました。宮城県にきて最初のボランティアは草刈りでした。山での草刈りはほんとに大変で、虫がたくさん出てきてびっくりしました。ほぼミミズばっかりでてきました。 牡蠣の養殖も見せてもらいました。どうやって牡蠣の養殖をしてるのかとか、どうできているのかとかのお話を聞きました。人生初の生きてるウニを自分で割って食べました。とても大好きなウニを自分で割って食べれることができてとても嬉しかったです。 時間が来たので山道を歩いて戻りました。帰りも先輩と楽しく喋りながら帰りました。帰りの船も鳥にかっぱえびせんをあげました。行きの時足りなかったので、もらったやつと自分で買ったやつの2袋あげました。帰りの方が盛り上がってました。 そのあと、1号車はホテル2号車は民泊先に行きました。私は1号車なのでホテルまで歩いて行きました。天皇が泊まったことあるホテルに泊まれて嬉しかったです。部屋は和室でとても心地よかったです。ご飯は、とても美味しかったです。お造りが食べれて良かったです。22時までみんなでUNOで遊んでました。おもしろすぎてずっと笑っててむっちゃ楽しかったです。夜は、山登りで疲れていたのですぐ寝ちゃいました。 22日、朝ごはんが6時45分でとめも早かったので5時半に起きました。朝ごはんはバイキングで好きなものを選んで食べました。 8時半にバスに乗り陸前高田に行きました。着いてすぐ亡くなった人に手を合わせました。目の前に津波で破壊された道の駅があり、それを見たとき津波の恐ろしさを感じました。ガイドさんに当時の事などいろんな話を聞きました。被災直後ほんとに大変だったんだなって改めて思いました。 そのあと移動して木を植えました。来年までにどれくらい成長してるのかとても楽しみです。そして、またまた草刈りをしました。山よりは虫が少なかったので良かったです。 作業が終わったので2号車がホテル、1号車が民泊先に移動しました。民泊先のお家がとても大きくてびっくりしました。お父さんもお母さんも、とても優しい方でいろんななお話をしました。お家で飼ってる猫ちゃんを触らしてもらいました。とても可愛かったです。ご飯はとても豪華でとても美味しかったです。お米は家で作ってるお米やからいっぱい食べていいよって言われたのでいっぱい食べました。3人お風呂から出てUNOで遊んでました。あとからお父さんも入って4人で遊びました。最後のゲームで初心者のお父さんが1番にあがったのでびっくりしました。そのあと、布団に潜りちょっと喋ってから寝ました。 23日、朝ごはんがとても豪華で食べれるか心配なぐらいの量だったけど完食できました。朝は時間が過ぎるのがとめも早くゆっくりお話する暇もなく家を出る時間になりました。玄関で写真を撮りました。ほんとに優しくしてもらい、美味しいご飯をいっぱい食べさせてくれたお父さん、お母さんに感謝の気持ちでいっぱいです。 この日は気仙沼高校との交流でとても楽しみでした。着いて部屋に入ると野球部の人達やいろんな人が出迎えてくれました。交流では、総理大臣になったら何をしたいかを班で話し合いました。みんな真面目に考えていて楽しかったです。短時間でいろんな人と仲良くなれて良かったです。帰り際に写真を撮ってもらいました。 交流を終えて、海の市に行きお昼ご飯を食べました。私はマグロ丼を食べました。びっくりするくらい美味しかったです。食べ終わったあとは、お土産を買いました。たくさんの食べ物やキーホルダーとかが売ってありました。14時に海の市を出発しました。バスの中はみんなすぐ寝てました。行きと同じ10時間以上バスの中で過ごしました。行きよりは疲れていたのもありすぐ寝ることができました。 この復興支援のボランティアに参加して、最初はただボランティアをするだけだと思っていたけどそうではなく、被災された方の話を直接聞くことができたり、壊れた建物の跡や放置されたままの建物やいろんなものを見ることができたし、貴重な体験をたくさんさせてもらいました。ほんとに気仙沼ボランティアに参加して良かったととても思い、去年も参加してたら良かった、と後悔しました。来年も絶対気仙沼ボランティアに参加しようと思います! 行ったことない人は是非行った方がいいと思います!大阪では体験できないことやいろんなことを知ることができ自分のためにもこの経験は役立つと思います。ほんとに楽しかったし、ボランティアで人の役に立つことができて良かったです。 |
20160708 気仙沼現地ボランティアの説明会 雨の中での阪急茨木市駅前募金 1学期の期末試験が終わったこの日、2交代制で80人を超える気仙沼ボランティアの参加者集会が行われました。ユネスコクラブのメンバーが参加し、詳細な計画を確認しました。 また、この日の17時からは小雨のなか、春日丘高校、コリア国際高校の気仙沼ボランティアの参加者による阪急茨木市駅前募金を行いました。茨木市民の皆様のご協力によって3月の気仙沼、登米、両校の招待が成り立っていることに感謝しつつ、支援金を募らせていただきました。 |
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20160617 全校生徒の模擬投票にむけて10名で投票所を設営 北摂つばさ高校で6月20日から取り組まれる参議院議院選挙の模擬投票にむけて、ユネスコクラブと現代社会を勉強している1年生、あわせて10名で模擬投票所を設営しました。 投票所の資材は茨木市選挙管理委員会の協力により、お借りしています。場所は1階の記念室を改造して設営します。1時間もかからないうちに、立派な投票所が完成しました。 この日は、読売新聞の取材もあり、インタビューに答えていた3年松浪愛樹さん、成富安佑子さん、1年森優楽菜さん、山下美緒さんをはじめ、パワープレイを発揮してくれた岡本睦月さん、門川心さん、鈴木遥子さん、藤吉舞さん、松村新一さん、森川楓菜さん、お疲れ様でした。 |
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20160611 9名が各班の監督として参加 茨木市立葦原小学校にて同校PTA主催のドッチボール大会でお姉さん役としてサポートをしました。きょうだいのいない小学生もいるので、ひっついて離れてくれない小学生もいて、なかなか大変でした。 終わった後は、PTAの皆さんがカレーを用意していただいており、充実の1日でした。 3年生の 赤見茉里耶さん、麻生侑希さん、秋田早紀さん、永田亜美さん、元木梨華さん、2年生の冬頭愛さん、森本七帆さん、谷彩葉さん、清家碧美さん、お疲れ様でした。 |
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20160515 8名で子どもに綿菓子を振る舞う 茨木市市民活動センター(奈良平典子センター長)の要請をうけて、防災フェスタへの全校生徒に募ったところ、3年成富安佑子さん、2年宮里楓乃さん、谷彩葉さん、森本七帆さん、冬頭愛さん、田村朱芳さん、1年森優楽菜さん、山下美緒さん8名が参加して、子ども達に無料で綿菓子を振る舞いました。同時に熊本募金を実施したところ、25,125円は熊本県西原村で避難所の炊き出しを担っておられる、たんぽぽハウスに送る予定です。 |
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熊本地震の支援募金に春日丘高校と連携して取り組む 20160425.26ユネスココーディネータ 4月14.16日に震度7を超える揺れが発生し、大きな被害がでている熊本地震の被災状況が、マスコミを通じて流れるようになると、生徒から「何かしたい」という声が上がりました。奇しくも4月14日の全校集会で5年前の気仙沼の震災ボランティアの映像を視聴したこともあったのか、生徒の士気も高く、4/25.26の2日間で59人が募金に取り組みました。大きな声での呼び掛けが続き、多くの市民の皆さんの協力を得ることができました。4/26には春日丘高校からも10名が合流、募金は2日間で304,063円になりました。4/27.28は残念ながら雨で募金を中止しましたが、実施していれば追手門学院高校生徒会が合流する予定になっていました。茨木市内のユネスコスクール3校の取り組みとなる予定でしたので、次の機会にコラボレーションが実現することと思います。 |
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11月以降、4つの小学校で現地ボランティアについて生徒がプレゼンをします。 今年に入って、震災ボランティアについて生徒がプレゼンしていただきたいという外部からの依頼が増えています。 2015年2月26日の毎日小学生新聞に震災ボランティアについてのつばさ生のプレゼンについて記事が掲載され、小学校の関係者が読まれたことも影響しているようです。 充実したプレゼンになるように、今後の生徒の奮闘に期待します。 20150606 阪大サイエンスFES プレゼン (7)梅垣由梨亜、(8)山本拓哉、黒田竜之介、川城和大 (9)悦雪乃、福山茄乃、江戸啓一郎 20150625 市岡高等学校 総合の時間 (7)梅垣由梨亜、(8)山本拓哉、黒田竜之介、川城和大 以上、実施分。以下、今後の計画。 20151106 箕面市立中小学校 総合の時間 (8)山本拓哉、葉山真凡 20151112 茨木市立葦原小学校 総合の時間 (9)福山里桜、友成知里、後藤彩音、(8)山本拓哉 20160122 箕面市立とどろみの森学園小学校 総合の時間 (8)元木梨華、黒田竜之介 20160126 玉島小学校 総合の時間 3クラス 国際エリア2年24人 |
葦原祭り 白川祭り 玉島祭り 7/31~8/22までの5日間で計84名が参加 保育・福祉エリア 国際エリア ダンス部 ユネスコクラブ ユネスコスクールコーディネータ 2つのエリア、2つのクラブ、ユネスコスクールコーディネータの募集により、多数の生徒が近隣の夏祭りのスタッフとして参加してくれました。 葦原祭りでは舞台のスタッフ、白川祭りでは模擬店のスタッフ、玉島祭りではダンスの披露、ブースでの募金、と様々な役割を担ってくれました。 それぞれの地域の夏祭り実行委員会、連合自治会などの代表からたくさんの感謝の言葉をいただきました。 |
ユネスコスクールコーディネータ 3月の気仙沼高校、登米高校の大阪招待にむけて、8月6日にJR茨木駅の駅長さんのご厚意とがんばろう! つばさネットワークの提供により、北摂つばさ高校の横断幕を設置させていただきました。設営作業はユネスコクラブの協力により30分で完了。 駅長さんからドリンクの差し入れをいただきました。感謝。 (備考 金光大阪高グランド改修のため、20160327実施場所の北摂つばさ高校への変更が8/31までに確定しています。近日、横断幕を差し替える予定です。) |
市岡高校2年生に震災出前授業、2.3年生4名がプレゼン
20150625 ユネスコスクールコーディネータ 市岡高校が2学期に実施される東北修学旅行の事前学習として、本校生徒4名(3年梅垣由梨亜さん、2年山本拓哉さん、黒田竜之介さん、川城和大さん) が総合学習で35分のプレゼンを行い、川城さんが生徒に分け入って10分間の質疑応答をコーディネートしました。届いた320人の感想の一部を紹介します。 「同じ府立高校の生徒でもやってることが違いすぎるな、と思いました。震災から4年もたってだんだんと私も忘れかけたりしてたけど、まだまだ復興には時間がかかるんだなと改めて実感できました。 私も、もしそういう機会があったら参加してみたいなと思いました。(Yさん。女子)」「私はボランティア活動に興味がありました。 でも、一人じゃできないと思っていて、今日の話を聞いて学校でそんなことを企画してくれるなんて良いなと思いました。簡単なことじゃないのは分かっているけど、市岡高校でもしてくれたら良いな、と思いました。(Bさん。女子)」 「自分もボランティアが大切であることは分かっていたけど、実際に映像や話を聞いて思っていたよりもずっと現実的で鳥肌が立ちました。ありがとうございました。(Kさん。女子)」 今後も、依頼があれば積極的に出かけて行きたいと思います。 |
2016年3月の気仙沼高校、登米高校の招待に向けて駅前募金を実施しました。5/27は83名、5/28は137名7/8は105名、7/9は94名が通行される市民の皆さんに協力を求めました。 阪急茨木市駅前で募金活動を行いました。最初に熱中症対策のための水、さらに説明をきいてチラシをもらいました。 僕はチラシ配りは二回めで緊張はしなかったのですが、全然人が来なくてチラシが減りませんでした。 音楽聴いている人や自転車を乗っている人には受け取ってもらえませんでしたが、ご老人の人などにうけとってもらいました。楽しかったです。 途中からチラシじゃなく募金箱を持っていました。お金を入れてもらえるとチラシよりも嬉しかったです。(3年 松本拓真さん) |
7月17日の20時に土砂降りの大阪から気仙沼に向かってバス2台で出発しました。7月18日朝、フェリーで大島に移動、45分の山越えでカキの養殖場に移動。 そこで養殖小屋のための材木運搬をしました。その後、カキのイカダを見せてもらうクルーズをさせてもらうなど色々な体験をさせていただきました。 7月19日は木に登って津波のとき助かった人がいた、木が人を守ってくれた、ということから、階上地区で「海辺に森を作る」活動に取り組みました。 4階まで水没し、船が4階に突き刺さったという気仙沼向洋高校の校舎の残骸の見える、市街地のあった平原で植林をしました。 その後、岩井崎というかつての景勝地で木に掴まって8人が助かったという現場を確認しに行きました。 7月20日は陸前高田の被災地視察、気仙沼高校との交流をしました。 二泊の宿泊は二班に分かれて、民泊と早稲谷鹿踊伝承館という公民館での避難所体験をしました。 参加者は北摂つばさ、春日丘、コリア国際、松原、帝塚山学院泉ヶ丘、住吉、および鶴見橋中学の7つのユネスコスクールの生徒です。 感想の一部です。 「気仙沼に行って思った事は、現地に行かないとわからないものがあるという事です。実際僕も小学生のころ東北の津波をテレビで見ていて、大阪に来なくてよかったと思っていました。 気仙沼に来てすごく残酷だなと思いました。僕は、気仙沼に来てよかったです。すごくいい勉強になりました。もっともっと被災地のために協力できるようにがんばります。来年も気仙沼に行ってボランティアに行きたいです。」 (2年長友 瀬正さん) |
2011年の震災復興支援活動が認められて、2012年7月に北摂つばさ高校はパリのユネスコ本部からユネスコスクールに認定されたのを契機に、ユネスコクラブの活動の幅も大きく広がりました。 大阪府下19校のユネスコスクールとともに取り組んでいる高校生世界フォーラムは、毎月1回、大阪府立大学に集まって、世界の高校生とともに地球全体の持続可能な発展にむけて何ができるか討議するための準備を行っています。世界大会は2014年11月5-7日に岡山で開催されます。 また、大阪府下8校のユネスコスクールとともに進めているESDパスポートの交流会にも参加しています。 これらの成果は、いくつもの成果を生んでいます。2014年3月にはユネスコクラブの活動が認められて、パリのユネスコ本部に招待された部員もいます。2013年にはアメリカの国際ゾンタ協会から若い女性のための社会貢献奨励金1,000ドルを受賞した部員もいます。(彼女は受賞した1,000ドルをその後、全額を気仙沼ボランティア活動に寄付しました。) |
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2011年5月と12月、2012年5月、2013年7月と過去4回、気仙沼に現地ボランティアに参加しています。 2014年は7月21-25日の日程で気仙沼ボランティアに参加します。現地では2011年は公園にたまったヘドロ除去に取り組み、2012月以降は、おもにカキの養殖イカダを復興させるためのアンカー(おもり)作りやカキの殻むきの作業場の移設作業に取り組んできました。また、2011年夏、2012年夏、2014年春に気仙沼の高校生を大阪に招待し、交流をしています。 2015年の春には硬式野球部を大阪に招待し、茨木市内で茨木高校、春日丘高校、金光大阪高校と交流試合をすることになっていますので、国際エリアや硬式野球部のメンバー、更にはホスト家族と連携して、受け入れを担うことになっています。 |
20130727.28 茨木フェスティバルの茨木ローズライオンズクラブの模擬店をお手伝いしました。国際エリア2.3年、時事問題3年E・F群のメンバーが協力し2日で67名が参加。 |
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20130817.18 アジア・ユース・フォーラム準備会議(大阪府立大学)に2年渡邉歩、水津沙紀、岡村捺那、丸山滉司、岡本一志の5名が参加しました。大阪岡山の生徒300名近くが参加。 |
20130824 オープンスクールで気仙沼ボランティアのことをアピール(2年渡邊歩)しました。 20130914 文化祭で気仙沼ボランティアの写真展を開催しました。国際エリア2.3年、時事問題3年E・F群のメンバー合計71名で分担・協力し企画を成功させました。 20130919 4期生・田中莉奈さんがZonta Club(本部シカゴ)主催のYWPAを受賞 気仙沼ボランティアで活躍した田中莉奈さん(4期生)は、高校3年生の時にノミネートされた「若い女性のための社会活動賞」(Young Women in Public Affairs Award 略称YWPA)を受賞しました。この日、田中さんは山﨑校長とともにリーガロイヤルホテルで開催された大阪ⅠZonta Clubの定例会に出席し授賞式への出席が要請されました。11月岡山で開催されるZonta全国大会で正式に表彰状が授与される予定です。 国際ゾンタとは、1919年にアメリカ合衆国ニューヨーク州バッファロー市で創設された、女性の事業経営者や専門職の人々による団体です。奉仕と支持・支援を通して女性の地位向上のために協力し合い、友好・団結により世界平和を推進することを目的として、国連とタイアップして様々な活動を展開しています。全世界では1,200のクラブがあり、約32,000人(日本では約1,000人)が加入しています。「ゾンタ」とは、アメリカインディアン・スー族の言葉で「正直」「信頼」という意味です。 |