気仙沼高校生徒会を受け入れ 20171103-04 神戸フィールドワーク 気仙沼高校生徒の振り返り 20171130 ![]() この日11月3日、気仙沼高校生徒会メンバー11名の来阪を受けて、春日丘高校10名、松原高校6名、北摂つばさ高校8名の生徒が、三ノ宮でお出向かえして、総勢40名の神戸フィールドワークをしました。また夜はホスト家族を務めていただいた保護者が経営する「ありがとう」にて牛タンカレーなど豪華な夕食に舌鼓を打つとともに、茨木市の真砂玉島台の自治会館をお借りして宿泊していただきました。 11月4日には北摂つばさ高校にて、北摂つばさ高校生徒10名とホスト家族、自治会の役員の方々と交流するとともに、梅田で食事、探索を楽しんでいただきました。次の再会を約束して、新大阪から出発されました。 |
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交流会について 春日丘高校 MIYA 私が、気仙沼高校の方や先生の話を聞いて感じたことを記します。 まず、パターン1のグループでのことを記したいと思います。私が、このグループで話していて一番印象に残った話は、気仙沼高校の方の「関西の人は、阪神淡路大震災について、どのようなかたちで学ぶのか」という質問です。この質問の答えを考えると、私は中学生の時の校外学習で「人とみらい防災センター」を訪れたことしか思いつきませんでした。思っているより私たちが震災について学ぶ機会は少ないのだと感じました。関西の高校生は大きな地震を経験していないため、どうしても地震に対する危機感はうすれがちだと私は考えます。危機感をもってもらうためにも、これから、地震について伝え、未来に向けてどうすればいいのかということを多くの人に伝えたいと思いました。現在、高校生である私としては高校生に震災について発信していきたいです。 パターン2のグループでは、気仙沼高校の方が震災の遺構を残すという取り組みをいいなとおっしゃっていたことがとても印象に残っています。詳しく話を伺うと気仙沼ではどんどん復興が進んで、震災の遺構を残すという取り組みはほとんど行われていないようでした。遺構を残すことに反対の人もいるが、私は記憶を風化させないためにも残すべきだとおっしゃっていました。新聞やニュースで遺構を残すということに関して特集をされているものを見てもどこか他人事のような気持でしたが、この話を聞いてから身近な問題となりました。 最後に、私は東北のボランティアに行く意味をちゃんと見いだせてなかったのですが、半田先生の震災について覚えていますよということを東北に行くことで伝えるだけで充分だという話を聞いて、胸にすとんと落ちました。来年も東北のボランティアに参加することができたら、このことと心のケアについて考えることで、今年とは違う新しい視点から東北を見たいです。最初は、不安しかありませんでしたが最終的にはとても楽しかったです。また来年、再来年と続けることができることを願います。 阪神淡路大震災フィールドワーク 松原高校 NATSUHO 11月3日気仙沼高校高校と交流したのは、2回目だったのですが、久しぶりで最初は緊張しましたが慣れてきたらいろいろなことを話すことができました。一番印象に残った話は、今どんなボランティアをしているのかについてです。 私は、去年松原高校のPTAの社会見学に参加して人と未来防災センターというところに行きました。そこで学んだことは、阪神淡路大震災の時刻は、1月17日5時46分でマグニチュードは、7.3でとても大きな地震で神戸の人は、鉄道も動かないし、高速道路も使えないので電車や車の移動もできないくらい大変だなって思いました。死者は、6634人ととても多いので近畿では、めっちゃ大きい地震で食べ物もないくらいかわいそうだなって思いました。 東北や阪神淡路大震災のボランティアの経験を生かしてこれからは、いつ何が起こるかわからないので自分の身は、自分で守っていかないといけないと思いました。東北や阪神淡路大震災のボランティアで経験したことを学校の仲間や周りの人に伝えていきたいです。また、来年も東北のボランティアに行けたらまたいろいろなことを経験してもっと、成長していきたいです。 気仙沼高校 生徒との交流11月3日 北摂つばさ高校 AMANE 私たちは新神戸駅で気仙沼の生徒さんが来るのを待ちました。気仙沼の生徒さんに挨拶をしてそのあと3人のバディを組みました。 バディを組んだあと、神戸市役所に行き、阪神淡路大震災の頃の土地柄やここに遊園地があったから今この名前が付いている。などといろんなお話を聞きました。 展望台まで行き、上から神戸を見渡しました!初めてみた神戸だったので改めて高い高層ビルが多いなあと思いました。気仙沼の人は上から神戸を見て思ったことはとにかく道が綺麗でおしゃれな街と言っていました。 そのあと、東遊園地に行きMARIA像や亡くなられた方々の名前が記されている地下の展示を見に行きました。 次にポートタワーの近くの港に行きました。そこで説明してくれてる人が「今の神戸はどんどん進化して綺麗でおしゃれな街になってきているが震災で大切な人、家族、友人などをなくされた方々の時間は止まっていてフリーズしている。」ということを聞いてやはり、そういう震災で被害を受けた方々、大事な人のなくされた方々、の助けになる、その人の為になることはただ一つだと思いました。それはその人のそばにいてあげることです。話を聞いてあげたり、相談に乗ってあげる、ただそれだけでいいと思いました。 次に南京町に行って食べ歩きをしながら気仙沼の一年生と関西弁で話したり宮城弁を教えてもらったりして仲を深めることが出来ました。 学年関係なく、タメ口で話してとても楽しかったです。気仙沼現地ボランティアに行った時に同じ班だった男の子ともたくさん話せて嬉しかったです。これからもこの交流が続いていけば良いなと思いました。 気仙沼交流会part2 北摂つばさ高校 AMANE 11月4日 2日目は朝からほとんどの北つば生が集会所に気仙沼の生徒を迎えに行き、私と本田さんは学校で待機していました。 その後みんなが集まり、本格的な気仙沼と北摂つばさの交流会がはじまり、まずなぜこの交流が始まったのか、気仙沼の当時の様子と現在の様子などを生徒会の皆さんがスクリーンを使って紹介してくださいました。 そのスクリーンの映像を見て、え、っと何度か驚くところがありました。ですがわたしたちとは全く違い、仙沼の皆さんは、宮城県の皆さんはとても真面目で冷静で震災の後復興支援物資がたくさん送られてきたとのことでお礼がしたいとのことでわざわざ大阪まで来られて、、とてもこころがほっこりしました。 そしてみんなで梅田に行き、お昼ご飯に6人を三つに分けグループを作り、そこで海鮮丼を食べました。 そのあと梅田自由探索しました。 その時同じバディだった京介くんにどこ行きたいとかある?って聞いたけど行きたいところ決めてない!と言われたので私たちはとりあえず無我夢中に走ってHEPに行きました。 最初とても見てわかるほど京介くんは緊張してて話すときもすごくガタガタでした笑 だけど、HEPに行ってアトラクションに乗ると京介くんが笑顔になりました!そのとき私はとても嬉しかったです。アトラクションが終わると集合時間まであと15分あったのでプリクラを撮りに行きました。するとあと5分だったのでまた集合場所に全力疾走で走っていきました笑 普段運動してないから転けそうで転けそうで仕方なかったです。京介くんだけめちゃ早かったことしか覚えてないです(笑)そして私たちだけ遅れてJR大阪駅に到着し、無事に見送ることが出来ました。気仙沼の生徒何人かとは卒業後にまた会うと約束したのでそれまでこの関係が続けていきたいと思いました。 |
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気仙沼交流 北摂つばさ高校 KAZUKI 僕は今回、気仙沼高校との交流を楽しみにしていました。神戸の街を巡る時、バディを組みました。最初は、神戸市役所へ行きました。市役所では、半田さんのお話を聞きその後、市役所の上から神戸の街を色々な角度で見ました。 市役所内を見学した後、慰霊と復興のモニュメントという所に行きました。そこでは、震災で亡くなった方、行方不明になった方の名前が五十音順で並んでいました。その場でしか分かることの無い名前の多さでどれだけの方が亡くなったのかが、よく理解できました。 その次に港へ行きました。神戸港震災メモリアルパークという場所に、地震の影響で割れた地面などがそのまま残されていました。でも、今現在の港を見渡す限りは新しくとても綺麗でした。港でも半田さんの話を聞きました。 3日の最後には、南京町でバディのメンバーと30分しか無かったけれども、南京町を巡りながら交流を深めることが出来ました。そして帰りも電車の中で喋ったり出来たのでとても楽しかったです。 大半の人とは淡路まで一緒に帰り、僕と友達は銭湯まで見送ってから1日目を終えました。3日の神戸を巡り通して思ったのは阪神・淡路大震災そして東日本大震災の被害の大きさを再認識し、これからどうすればいいかなどを考えていくことということです。 4日は朝から地域の清掃をし、北摂つばさでホストファミリーと気仙沼高校の生徒で交流しました。交流の時には気仙沼の方々が当時の状態を写真と言葉で僕達に丁寧に伝えてくれました。 交流の後、梅田に行きお昼を食べ1時間ほどバディで梅田を散策しました。あまり行く場所なども考えてなかったので適当に巡ってたけど、最終的に楽しかったと言われて嬉しかったです。 最後に色紙とお土産も貰えてとても嬉しかったです。僕はこれからもこういう機会を大切にし、色々なことに参加していきたいと思いました。 11.3 神戸での発見 春日丘高校 YUUNA 初めに、今回疑問に思ったことをいくつか記そうと思います。 まず最初になぜ阪神淡路大震災の後、神戸港の貿易出荷額が震災前に戻らないのか、ということについてです。震災が起きると、電力の不足、人的損失、生産設備や道路、港湾の破壊が起こり、必然的に供給する能力は低下します。これは、阪神淡路大震災だけではなく、東日本大震災や熊本地震でも同じようなことが起こり、被災地の港の出荷額は低迷しています。しかし阪神淡路大震災では地震が起こったと同時に新興国の港が動き始めたため、神戸港の体制が戻らないうちに荷物をその他の港に移されてしまい、以後そのままなのだそうです。 次に、慰霊のモニュメントの名前についてです。見学したモニュメントに記されていた名前の中に一つ、もともとあった名前を塗りつぶしたようなものがありました。残念ながらそれについては理由は分からなかったのですが、追々調べていきたいと思います。 今回のテーマは絆。絆とは何たるかを学び、私の中でずっとくすぶっていたものがなくなったような気がします。以前、誰かがCMでよく言われていた絆、という言葉を「連帯責任」だといわれているようだ、言ったのを聞いたことをきっかけに、私はその言葉の真意が分からなくなっていました。 しか「絆」は固い意味ではありませんでした。握手会をするような、包み込むような柔らかい関係こそが絆であると聞いた時、心の中にあったわだかまりが分解されたように感じました。見学後に全員の感想を聞いた時にも、同じような感覚になりました。それは、気仙沼高校の人が地震について聞いてくれて嬉しかった、と言っていたことや皆のそれぞれの絆についての考えを聞いた時です。すでに知っていた絆という言葉の意味がさらに深まるのと同時に、こういった関係が大事なのだと思いました。同じボランティア活動に参加していただけの緩い繋がりでも、それこそが将来、日本や世界を動かすのだと思います。 11.3 交流会 春日丘高校 AZUMI 私は東北プロジェクト3日目の気仙沼高校との交流で心残りがありました。なぜなら人見知りをして同じ班にいた同じ高校の子に助けを求め、ほとんど他校の、気仙沼の生徒の方にも話しかけることができなかったからです。今回の神戸のフィールドワークに行く前、グループ行動で同じ高校の人がまったくいないと聞いてまた交流ができなかったり、ほかの人の迷惑になったりしたらどうしようと考えとても不安になりました。しかし、第一グループから三人という難しい人数のグループにも関わらず、話しかけてもらうことができて緊張がほぐれて多くの話を聞くことができました。会話をしているうちに、相手のことを知るとその人と近づくことができると思いました。今回は他校との交流という面では目標を達成できたと思います。 神戸のフィールドワークは二回目でしたが、市役所やフラワーロードに行くのは初めてでした。シティーホールの最上階から見た町はとても発展していて震災当時はどのようになっていたのか想像するのが困難なほどでした。町が一つ復興するのには多大な時間や労力、その他にも大切なことが沢山あると思います。その中で復興してきた神戸の街並みに驚きました。次に行った慰霊碑は沢山の方の名前が刻まれていて、その多さが視覚によって伝わりました。 メリケンパークで聞いた話、「絆は強く結ぶのは大変で長く続きにくいけれど、ゆるく結ぶのはいつまでも続けられる」この言葉は今回の参加者すべての人に残った言葉だと思います。私は今まで絆は固いほうが良いという考えしか聞いたことが無かったのでとても意外な発想でした。しかし実際に握手をしたり、今までの経験を思い出したりして、その意見にとても納得しました。これからは長く続く絆を構築して、助け合うという目標を心に刻み付けていきたいです。 気仙沼高校との交流会 北摂つばさ高校 YURANA 私は、今回の気仙沼高校との交流をすごく楽しみにしていました。今年の7月、私は東日本大震災被災地支援ボランティア活動で宮城の気仙沼市に行き、震災学習や牡蠣の養殖などお手伝いをしに行きました。その時、東日本大震災で被災した気仙沼高校に招待してもらい、ゲームなど楽しい交流会をしていただきました。 私は、今回の気仙沼高校受け入れの話を先生から聞き、次は私たちが気仙沼高校の人たちを楽しめるように、神戸や梅田、楽しいところに案内できたらいいなと思いました。11月3日、神戸三宮で北摂つばさ高校、松原高校、春日丘高校の三校が集合し、気仙沼高校を出迎えました。それぞれの高校1名ずつ入ったグループを作り、たくさんの人と交流できるようにしました。はじめましての人が多くてすごく緊張したけど、すぐに打ち解けていろんな話をして盛り上がることが出来ました。 阪神淡路大震災で被害を受けた神戸へ行き、阪神淡路大震災の震災学習をしました。阪神淡路大震災は、22年前に起こった地震で、特に神戸は大きい地震がこないと思われていて、充分に地震への備えがされてなく無防備だったので、地震に弱い構造の建物が多く、多くの犠牲者が倒産した建物の下敷きとなり亡くなってしまう被害が大きかったみたいです。 22年前ということは私はまだ生まれてきていなくて、お父さんやお母さん、おばあちゃんに聞いて、少しわかるくらいでした。なので実際、阪神淡路大震災がどのような被害だったのか、どのくらいの規模の大きい地震があったのか、あまり知りませんでした。だから、今回の震災学習はわたしにもすごくためになり、阪神淡路大震災などの震災のことについて考えれる時間になりました。次に、南京町に行って小籠包を頂きました。とても美味しくて気仙沼の人たちもすごく驚いていました。満足してくれたようで良かったです。 私は大阪に住んでて地震や津波の経験などあまりなく、どーゆーものかあまりわかっていなかったけど大阪にも地震や津波がくる可能性もあるとゆう事を忘れず、被災地にも貢献していきたいです。 11月3日気仙沼高校交流会で学んだこと 春日丘高校 NANASE 本日、遠方から来られた気仙沼高校さんと、松原さん、北摂つばささん、春日丘で交流会をしました。はじめに、神戸の景色を上から見て、改めて本当に発展した都会だと感じました。一度崩壊した街なのにこんなに元に戻すことは大変なことだっただろうと思います。それに私は「神戸の地震の時はすぐに復興した」という話をよく聞いていたのですが、今のような完全な整備は震災から16年たってやっと完成したということを今日知り、やはり一度失われたものを元に戻すのは本当に簡単なことではないと再確認しました。 次に見に行った慰霊碑には、地震で亡くなった方たちの名前が書いていました。あいうえお順で書いてあり、同じ名字や、兄弟のような名前が多く並んでいるのを見て、憶測ですが、家族で亡くなった方が多いのかなと感じました。阪神淡路大震災が起こったのは早朝で、ほとんどの死者は家の倒壊などによる圧死のため、少し納得すると同時に、そのようなことが起こらないよう家の耐震はしっかりあるべきだなと思いました。 次に、神戸の港に行きました。そこには、震災当時の壊れたコンクリートが残されています。何度か見た景色ですが、阪神淡路大震災では揺れでの被害がすごかったことを実感しました。その近くの広場では、かなり大規模なスケボーの大会をしていました。一緒にいた気仙沼高校の方は、「このような若者たちのイベントが自分たちの街でも開けるようになってほしい。そのためにはお金も設備もいるし、街を盛り上げることに興味のある若者もいてほしいし、育てていかないといけない」と言っていました。この話を聞き、復興といっても元の状態に戻すだけでなく、その先のもっと栄えた状態にすることのお手伝いを私もできたらいいなと思いました。 また、そこで半田先生のお話を聞きました。物質的な復興はもちろん大事だけど、それでも震災で親しい人を失った人たちへのサポートがおろそかになっているという話で、それは私が東北にボランティアに行った時にほとんど意識していなかったことでした。そしてお話の中で言っておられた、そのような人たちには「自分たちはこの震災を忘れていない」と横にいて伝えてあげるだけでいいという事が、この交流会に来た中で1番印象に残りました。被災者の方々にとって、こんなにも辛かった震災のことを世間から忘れ去られてしまうことは、なによりも辛いことなのだろうと感じました。直接的で物質的な支援はあまりできずとも、この大阪で各地の震災が忘れ去られることのないよう、色々な場で活動の紹介や東北についての発表などをすることが、今私たちのするべきことなのだろうと感じました。 人との繋がりが、被災者の方々を救う。それがこの交流会で学んだ私にとって1番大切なことです。そして次に東北に行く時、被害について学ぶだけでなく、民宿の方々とのたくさんお話をして交流を深めようという目標を立てることができました。 気仙沼高校との交流 北摂つばさ高校 MIO 気仙沼交流会ではいろいろな体験ができました。 11月3日、神戸三宮駅で松原高校、春日丘高校、気仙沼高校 3校と合流し神戸市役所に行きました。エレベーターで上の階へと上がり神戸市内の景色や阪神淡路大震災の震源地のこと、その当時の避難所のことなどを教えて頂きました。 そこから下を眺めたところに阪神淡路大震災の時の止まったままの時計が置いてありました。1.17 希望の灯りや神戸市内で亡くなられた方々の名前が書かれた建物がありました。その名前の数もほんのわずかで、ほかにもたくさんの方々が亡くなられたんだと思うと悲しくなりました。 そこから徒歩でメリケンパークへ向かいました。そこには地震で崩れたままの状態の波止場60mが保存されていました。当時の震災のすさまじさを物語っており、肌で感じることが出来ました。 次に南京町へと行きました。気仙沼高校の生徒とバディーを組み自由散策をしました。初めて来た場所でとても興奮しており私も初めて来た時のような楽しさがありました。いろんなお話ができ、30分がとても短く感じられました。 その後は淡路へ向かうために電車に乗りました。電車の中でもみんな楽しそうで良かったです。十三に着き、つばさ生とお別れの時間になりました。「今日は1日ありがとうございました」と言い解散という形になりました。私は十三へ帰り道が一緒だったので淡路まで一緒に帰りました。松原高校と春日丘高校は3日だけの参加だったので別れるのが惜しかったです。「会えてよかった」と言ってくれて涙がこぼれそうになりました。こちらこそ楽しい1日を過ごせてありがとうと思いました。 11月4日、朝から気仙沼高校との交流を行ないました。集会所へ迎えに行きその後地域のゴミをしました。気仙沼高校が朝にゴミ拾いをしたらしくあまり落ちていなかったです。ですが、お話できてよかったです。 10時からつばさ高校で地域の方やホストファミリーとの交流をしました。なぜホストファミリーになってくれたのか聞けてとてもいい方だなと思いました。 気仙沼高校からの東日本大震災の様子、どれだけ被災したか辛かったか、そしてその支援がどれだけ必要か知ることができました。より一層募金活動も頑張ろうと思えました。 梅田に行き一時間の自由散策を行いました。行くところが多すぎて、走り回ったり笑ったり、たくさんの良い思い出ができました。帰り際には気仙沼のお土産やクリアファイル、色紙を頂き、手から手へとちゃんと受けるとることができてやはりこの活動は最高な活動だと身に染みて感じられました。 来年までまだまだ長い時間ですが、それまで募金活動などの支援できる活動を行えればなと想います。 気仙沼高校のみなさんありがとうございました。 気仙沼交流会 北摂つばさ高校 MIMINI 私は4日の朝から参加しました。3日に行ってなかったぶん、状況が理解出来ず実感がないままのスタートでしたが公民館に着いて気仙沼高校の生徒が出てきてやっと実感が湧きました。いつもは迎えてもらう側なのに迎える側に回ってとてもウキウキしました。 最初のバディとの掃除は慣れずに少し緊張しましたが、質問を用意してきてくれていてたくさんの質問をしてくれてとても打ち解けられました。 掃除が終わり学校に戻って交流会をしました。気仙沼高校の生徒が作ってきてくれたスライドで地震のことをより深くわかりやすく体験談を含めて教えてくださいました。私がいちばん印象に残ったことは、避難しなくてもよかった場所が浸水して道がなくなったという事を聞いたことです。とてもわかりやすくこれからの事に活かしていきたいと思いました。大阪で地震が起こっても津波は来ないだろうと思っている場所でも話してくれたような事になって津波で浸水してしまうかもしれないので地震が来たらすぐにテレビやラジオを聞いてすぐに行動するようにしていきたいと思いました。1部と2部の間にバディの人とどんな気分やった?とか、どんな感じなん?とかを聞いていて、やっぱり辛い思いをしたり、悲しいことがあってもう何もやる気がなくなったりしたとも言っていました。そんな辛い思いをして今立ち直れているのがすごいことだなと思いました。でも、顔が笑っていても心が傷ついていることも多いだろうなと思いました。 お昼からは、梅田を案内するために梅田に行きました。私はバディの人と2人で色々な店に行きました。趣味が同じで気に入る服などが同じだったり音楽のことについて喋ったり、色々なことを打ち解けて喋れてとても楽しかったです。1時間ぐらいしか無くてもっと喋りたいと思いました。また、来年気仙沼に行った時に会えるといいなと思いました。 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気仙沼高校 生徒 の振り返り 気仙沼高校 1年 Hazuki 今回のつばさネットワーク訪問で,様々な経験をすることができたと思います。 神戸FWでは気仙沼高校生1人に対し,2〜3名の生徒さんがついてくれ,少人数だったのでより深く関わることができ,より仲良くなれ,とてもうれしかったです。また,バディで行動することで,自分が見たい所も見ることができ,少人数であることのメリットを感じることができました。自分の目で地震の痕跡を見ることができ,阪神淡路大震災のすさまじさを再確認することができました 。 2日目の勉強会では,地域の方や先生のお話を聞くことができてとてもためになりました。気仙沼高校の硬式野球部についても楽しみにしていただいていることが聞けて,とても嬉しくなりました。南京町では焼き小籠包やトルコアイスなどを初めて食べることができ,嬉しさと感動も相まって,とてもおいしく,バディの人と楽しく食べることができました。電車での移動では,バディなどで仲良くなれた人とまた話すことができ,移動の時間も楽しく過ごすことができました。 「ありがとう」では美味しいご飯を作って下さり,銭湯では気仙沼ではあまりできないような体験ができました。本当に今回のつばさネットワーク訪問で様々な人に支えられていると感じることができました。 今回の経験を今後の交流会などに活かしていきたいと思います。 気仙沼高校 2年 REN 私は阪神淡路大震災のことをよく知りませんでしたが,1日目のFWでは,当時の様子が少しでも分かるように,今も残っているものがあり迫力がありました。震災の影響で折れた高速道路の柱や止まった時計がおいてあったり,東日本大震災のときにも追悼で用いられた「希望の灯り」があったりしましたが,街並は新しくなっていて,普通に生活していても震災があったことに気付かないような感じでした。だから,震災のことを説明してもらってすごく良かったし,インターネットでは分からないところもたくさんあって,とても参考になりました。 バディとも急に組んで仲良くなれるかなと不安でしたが,オープンな人が多かったり,話しかけてくれたりしてすぐ仲良くなれて良かったです。そのおかげで気になったり,分からなかったことなどをたくさん聞けました。また,メリケンパークでの半田先生の「絆」の話を聞いてすごく感動しました。私は今まで絆とかは固く結ばれるべきものとして考えていましたが,実際は緩い方が長く結ばれるのだと聞き,今までの見方が変わりました。 「ありがとう」へ向かう途中,バディをくんだ女の子から「東日本大震災」のことを聞かれました。私は同じ年代の人が興味を持っていることに驚きました。そして,約6年半たった今でも震災のことを学ぼうとしている姿になぜか分かりませんが,うれしくなりました。 私達は東日本大震災のことを伝える立場としても今回の研修に参加したのに,なかなか言い出せずにいましたが,相手から聞いてくれたのでとても話しやすかったです。話の内容は重い感じでしたが,私の言ったことに対して一緒に考えてくれて,励ましてくれてとてもいい時間を過ごすことができ,本当に参加して良かったなと思いました。そして私は東日本大震災の私自身の体験をこれからも伝えていきたいと思います。 2日目の北摂つばさ高校での交流は藤井先生のお話がすごく印象深かったです。「自分がされて嫌なことを人にしない」という他人に害する,害さないではなく,「自分がされてうれしいことを人にする」という他人に親切にしようというスローガン・目標にすることで、学校が良くなったという話を聞き,少しのニュアンスの違いですが,ポジティブな方に目標を寄せるだけでも印象はガラッと変わるなと思いました。 また,洗さんの「サンタ」のお話では,私たちが変わるチャンスなのかなと思いました。今までは多くの方に来ていただいて支えてもらうという「子ども役」でしたが,これからは人のために何かできるようにしたいという「サンタ」になっていきたいです。 今回のこの研修では大阪の生徒と仲良くなっただけではなく,ありがたいお話や阪神淡路大震災のことなど参加しなかったら得られないものを得ることができました。この研修を温かく迎えてくれた藤井先生をはじめとする多くの方々のおかげです。本当にありがとうございました。これからも気仙沼とつばさネットワークのつながりをゆるくではありますが,大切にしていきたいと思います。これからもよろしくお願いします。 気仙沼高校 2年 Shiori 1日目 ネットや新聞・テレビではわからない神戸の復興後の美しい町並みやしっかりと震災の跡を残していく姿勢を見て気仙沼に希望をもつことができた。ゆるいつながりを少しずつ続けていくことによって,これから起きるかもしれない困難時に助け合ったり,支え合ったりをさらにできるようにしていきたい。震災の痕跡をどう残していくのかについても見習いたい。 つばさネットワークの皆との街散策は話もはずみとても良かったです。 2日目 北摂つばさ高校にお邪魔させていただき,土地やつばさ高校でおこなっている取り組みについて,お話をうかがいました。「良いことをすれば,悪いことがなくなる」はその通りだと思いました。そして気仙沼の事がしっかり伝わったようで,とてもうれしかったです。私も来年スライド作りに参加・発表してみたいと思います。 梅田の街を見るのも,初めての経験なので楽しかったです。色々な人と出会い,コミュニケーションをとれた事にプラスして,震災地の復興ぶりを自分の目で見られたことにより,より一層支え合っていただけていることや震災に関する気づきが得られたとともに,感謝の気持ちでいっぱいになりました。 気仙沼高校 2年 RINA この「つばさネットワーク訪問」が実現すると決まってから実際に訪問する前に事前学習として阪神淡路大震災についてや,「つばさネットワーク」とのこれまでの交流について調べ,大まかなものは把握できていると私は考えていました。ですが,東遊園地や波止場,神戸港震災メモリアルパークなどフィールドワークをしている中で阪神淡路大震災では物理的な被害が大きく,東日本大震災よりもはるかに大きな”ゆれ”であったことを身を持って知ることができました。 また,学校の掲示物には「2011年5月5日ゴールデンウィークに高校生 災害ボランティア」のような題で新聞の紹介がされていることに気がつきました。震災後こんなにも早くからボランティアとして,気仙沼に来ていただいたつながりで,ここまで交流がつづくのだということに感動しました。 その後,ユネスコ協会の坂口さんから「震災直後に被災地に高校生を連れて行くことにすごく反対された。」という話をいただき,そのような中でも気仙沼を助けに来てくれたことに感謝の気持ちでいっぱいになりました。 また”バディ制”ということで生徒同士の交流がとても濃い時間になったと感じました。そこで,バディの方に「阪神淡路大震災についてよく知っているの?どうやって学んだの?」と聞いたところ,「あまりよく知らない。校外学習でやっただけ。」という答えが多いことを感じました。若い人の阪神淡路大震災に関する理解が少ないと感じ,「もっと交流会で,震災に対する意識を深めたい!」と感じました。近年,南海トラフの直下型が心配されているので,災害時,地域にとって高校生は大きな力であり,支えになると思います。この訪問で「高校生が今からできる災害時のはたらきかけ」が大事だとあらためて感じました。 本当に受け入れやこれまでのつながり,ありがとうございました。 気仙沼高校 2年 Kyosuke 私は今回の大阪研修で北摂つばさ高校,春日丘高校,松原高校のみなさんと交流を深めることができ,また,阪神淡路大震災のつめあとを見て,改めて地震の恐ろしさを体感することができました。見るだけではなく現地の方と互いの情報を出し合い,震災の内容,関心を強めることができました。 話をしているとき,私はもっと東日本大震災のことについて知るべきだと思いました。その理由は質問されたときに1度だけ答えられなくなったときがあったからです。自分が経験した震災について答えられなくなるのは正直恥ずかしいことなので,これからの交流会の話し合いで困らないように,もっと調べていこうと思います。 今回の研修で私はコミュニケーション能力や色んな力を成長させることができました。その反面,自分に足りない知識,欠点を見つけることができました。この経験を活かして,気仙沼高校と気仙沼市内をよりよくしていけたらと思います。 気仙沼高校 2年 RIKA 1日目 神戸・三宮FW 震災の爪跡として地盤のずれや止まった時計を見た。→全てを元に戻すのではなく,後世に伝える面で考えると残しておくことは良いと思った。(気仙沼では海から陸に上がった船を解体したので伝えるにはどうすれば良いか考えるきっかけになった。) 心の復興が進んでいない。→自分だけが取り残されている感を持って生活する人々がまだいると知って,気仙沼の問題と同じだと思った。心のケアは目に見えないけど,”側にいてあげる”ことが大切だという言葉が印象的だった。 2日目 交流会 @自分がされて嫌なことを人にしない。A自分がされて嬉しいことを人にする。Aをすれば,意識しなくても@ができる!!がとても印象的。 感想 大阪の生徒さんに東日本大震災を伝えられて良かった。「震災は決して良くないが,それがあって新しいつながりができているし,機会にもめぐまれていると思えるようになった」と伝えたら,「そういう考えもあるのか!」と言ってもらえ,うれしかった。とてもすばらしい機会を作っていただきありがとうございました。 気仙沼高校 1年 Tomohiro 一緒に町中を歩いたりすることで普段の交流会よりコミュニケーションがとれて色々な話題が生まれました。 今の気仙沼の人たちは復興に向けて色々なことを感じながら,考えながら一歩ずつ進んでいますが,その中でも震災についてもっと考え,感じることが大切だと思いました。だから未来の気仙沼に伝えたいです。 関西弁は最強のコミュニケーションツールだと思いました。いつも使っている敬語は初対面の人と仲良くなるのに自然と壁を作っていると思います。でもため口で馴れ馴れしいと思われるのも嫌なのでこれから見極めていきたいです。 時間がない中での交流でしたが仲良くなれて前の交流会のときよりいっぱい話せて,地域のことも知れました。 気仙沼高校 1年 Yamato このつばさネットワーク訪問でまず,自分が反省点として挙げられるのが「注意力」です。「注意力」は一つ一つの行動に対して,これで合っているのかなど注意を払いながら行動できる能力です。 気仙沼から神戸へ行ってまずはじめに「都会だな」と思いました。震災から22年でここまで復興できるのは気仙沼にとって可能性だと思います。しかし,神戸市で先生の話を聞いて神戸市の人口150万人の内半分の75万人近くが震災を知らないということで,逆にたった22年で大震災はこんなに風化してしまうのかと思いました。 ここから気仙沼へつなげられることは,絶対に震災を風化させないということです。大阪には「サンチャイルド」という像がありました。サンチャイルドは福島原発の方向を見ているそうです。先生がおっしゃった「震災は戦争と同じ」という言葉に深く共感しています。私が思うに戦争を学ぶ機会に比べ震災を学ぶという機会は圧倒的に少ないと思いました。 その他にも,griefやリユースの話,相互支援の話,今の気仙沼に必要なお話をたくさん聞くことができました。 私たちの訪問を快く受けて支援して下さった藤井先生,本当にありがとうございました。 気仙沼高校 2年 TOMO 今回の大阪訪問を通して,考え方が変わったことは「つながり・絆」に関するところです。私は今まで,より強いつながりを強い絆と思い,交流会に参加していましたが,今回たくさんのお話を聞いて,やさしく手をとり合うような関係が大切なのだと感じました。やさしく手をとり合えば疲れない,長く手を繋いでいられる。この考え方は今までの私にはなかったので,新たな考えを知ることができ,良い研修になりました。これからもつばさネットワークの皆さんと,やさしく手をとり合う関係を築いていけたらと考えています。 また心のケアの大切さも知りました。震災の傷は時間が解決してくれるものではないということを改めて知ることができました。私は,震災から3,4年後には,もう回復したと思いましたが,高校に入学して,震災の傷が深くなり,映像や写真などを見ることができません。きっと私と同じように,何年か経って,傷が深くなった人もたくさんいると思うので,私も頑張って震災と向き合いながら,まだ傷が癒えない人々の心の復興をお手伝いしていこうと思いました。これから,心の復興をお手伝いできる機会がもっと作れないかとも思いました。 今回の訪問,交流で今まではなかった考えや震災に対する新しい角度からの見方など,様々なことを学ぶことができました。また,つばさネットワークの皆さんに私たち気仙沼高校の生徒の思い,気持ちも伝えることができ,また,たくさんの意見を聞くことができました。有意義な時間を,4校の皆で過ごすことができたのではないかと思います。私たちの大阪訪問を快く引き受けてくださり,本当にありがとうございました。今回学んだことを活かし,これからも気仙沼の復興に向けて頑張っていきます。 気仙沼高校 2年 Ryuto 今回のつばさネットワークの訪問は,東日本大震災以降,継続的に支援を続けて下さった「がんばろう!つばさネットワーク」さんに対しての感謝の気持ちを両校の生徒同士の交流を通じて感謝を伝えることはもちろん。阪神淡路大震災の復興や当時の状況について学ぶ事を目的として活動してきました。 今回の訪問で自分なりの収穫はとても大きい物だと言えます。 1日目の神戸FWでは,東遊園地,ポートタワー周辺を歩いて阪神淡路大震災当時の状況を学びました。FWを監修してくださった半田先生によると「22年たった今でも復興が終わったと言えない。」と話されました。私は「総合的な学習の時間」で東日本大震災による気仙沼の復興について学習していますが,私たちの班は遅くても10年以内には完了していると思っていましたが,東日本大震災より規模が小さかった阪神淡路大震災で22年たっても終わってないとなると,一体、東北はあと何年たったら終えるのかと考えさせられました。 2日目の北摂つばさ高校との交流会で,私は,気仙沼高校の発表をさせて頂きました。私が発表するスライドは写真が多用されており,原稿をそのまま読む予定でしたが,大阪の人にわかりやすく説明できるためには,写真だけを使って,自分の言葉で言った方がわかりやすくなるのではないのかと思い,原稿なしでチャレンジさせて頂きました。発表終了後にユネスコ協会の坂口さん,玉島地区自治会長の長田さんに素晴らしい発表だったと賞賛されたことがなによりものやりとげた結果だったと思います。 私は,今回の訪問に際して藤井先生をはじめとする大阪のみなさんに感謝の気持ちでいっぱいです。これからも両校のつながりの歴史を感じながら過ごしていきたいと思います。ありがとうございました。 気仙沼高校 2年 BANSEI この度は私たち気仙沼高校生を受け入れてくださりありがとうございました。つばさネットワークのみなさんには,いつもご支援していただいている中で,実際に自分達が現地に足を運ぶことで多くの事を学ばせていただき,そして,経験することができました。たくさんの街を色々なバディと散策することで,お互いのことをよく知ることができ,協調性を磨くことができる大きな機会にもなったのでとても楽しかったです。私たちにとっての大阪での経験は初めてなものや,とても新鮮なものばかりでした。 神戸に訪問する前に事前に阪神大震災について調べる機会があったのですが,私たちは東日本大震災を経験している分,被災された方々の気持ちがなんだかわかるような気がしましたが,神戸に行き,自分の目で,実際に震災の痕跡を見てみると,なんだか心の底から込み上げてくるような思いや,改めて自然災害のおそろしさを実感しました。 そして,それと同時にまだ,心の面で復興していない人や,まだ助けを必要としている人々の”力になりたい”と強く思いました。今回の活動で得たこと学んだことは多々ありますが,まずはこの学んだことを,多くの人々に伝え,そしてこれからは,自分達が,色々な活動の中心となれるように常に向上心を持ち,人への思いやりの心,感謝の気持ちを決して忘れず,何事も日々頑張っていきたいと思います。 つばさネットワークのみなさんとのつながりは永久不滅です!!この度は本当にありがとうございました。 PageTopに戻る |
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