校名三遷の軌跡


 こうして大正も一桁時代を終わろうとする9年12月、大阪府会においては、「教育の統一ならびに内容の充実を期する意味を以って」郡立高等女学校を府費支弁に移管すべしとの建議にもとづき通常郡部会の議決を経て郡立高等女学校3校を府立に移管することを決定している。(『大阪府会史」第3綿下巻第6章く主要事業の概況・大阪府立富田林高等女学校>の項)困みに、この3校とは、河北(現寝屋川高校)、三島(現春日丘高校)、および本校のことである。
 それに先だって一旦、大正9年1月、「大阪府河南高等女学校」に校名を変更し、その翌10年4月1日、「大阪府立河南高等女学校」と改称されたのである。尚、大正12年度より「郡制」が廃止されているので、まさに本校の歴史は時代の変化の象徴だといえる。大正13年5月に迎えた久保田勝彌・新校長のその後4年間のご在任期間中は校名の変化などもなく、この「大阪府立河甫高等女学校」という校名は、その後元号も改まった昭和3年4月1日「大阪府立富田林高等女学校」と名称変更されるまで7年間続いた。

(写真右は久保田勝彌校長 大正12年5月より昭和3年3月)

(文責:山上義太郎)

 

明治初期〜大正期における社会のできごと

明治32 中学校令改正・高等女学校令施行     大正6 ロシア革命

  33 小学校令改正                7 シベリア出兵・米騒動起こる

  37 日露戦争勃発                8 新潟など4地区に高等学校設置・以後4年間に17の官立高等学校を新設

  40 小学校義務教育6年となる          9 第一回メーデー

大正 3 第一次世界大戦勃発             12 関東大震災

   4 第1回全国中等学校野球大会開催

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目次

表紙

校歌

河南高校全景

学校方針・校旗・校章

沿革の概要

創立より大正末期まで

前身校の開校式に向けて

前身校開校の頃の学生生活

新校舎への移転

郡立女学校への改組

高等女学校の授業

河南高校「松原分校」のこと