Daily Report
21日 |
修学旅行の結団式が行われました。諸注意や、連絡の後、本校音楽科教諭の蛇味線の演奏にあわせて、生徒たちが沖縄の歌を披露しました。 |
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23日 |
朝の関西空港から現地到着までは予定通りである。若干の予定変更はあったが特に大きな変更はなく、順調に予定は進んでいる。 東南植物楽園を見る(画像)
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24日 |
今日は修学旅行2日目で、みんなよく眠れたそうで、よかったよかった。 摩文仁の丘へ行った。たくさんの戦争中になくなった人たちの名前が刻まれた石碑があった。ひめゆり平和資料館では、ひめゆり部隊の亡くなった人たちの顔写真と名前、本当にいっぱいあって信じられなかった。ひめゆり資料館の中には、ひめゆり部隊の人たち、私たちと同じ年齢の人たちがいろいろな体験をした記録があった。それを読むと当時の17歳は私たちみたいに自由にわがままに日々を過ごしていなくて、みんないろいろいやなこと、現実をまっすぐにうけとめて「明日死ぬかもしれない。」「1分後、死ぬかもしれない」という不安を抱きながら一生懸命働いていて、「ヌチドウタカラ」の本当の意味を知っている。すごく一日一日を貴重に生きてきたんだと思った。
昼からは、ガラビガマの中に入った。すごく滑る山道を登って、一人1個懐中電灯を持っていないと歩けない補痔真っ黒で、目をつぶったときも何十倍も暗いところで、、あんなところが病院だったなんて、、、絶対に不衛生だし、看病しにくいだろうし、、話を聞いていると、その頃の状況が浮かんできて、すごく悲惨でこわかった。今そんな世界に入ってしまったら、気が狂ってしまうだろうと思う。私と同じ年の人達が本当にそんな世界にいたのだから、、、 沖縄の話をしてくれた人たちは、みんなこれから私たちの時代だから、戦争がまた起きることがないように、、と言った。
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25日 |
本日は雨風が強く、楽しみにしていたマリンスポーツができなかった。残念である。そのため予定変更組みは海洋博記念公園となった。
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26日 |
全クラスとも午後3時15分には関西空港に到着しました。 昨年にも増して生徒たちは今回の修学旅行に満足していたようで、どの顔も晴れやかに空港を後にしていました。
よき思い出をくださった恩納村のペンションのみなさん、沖縄の皆様、ありがとうございました。 |
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全体を通して |
修学旅行に行く前は長く感じた3泊4日も、行ってしまえばあっという間だった。 23日の朝に関西空港を出発し、正午過ぎに沖縄那覇空港に到着した。大阪と10度も気温差がある沖縄は1月でも、私たちには夏の日のように感じられ、よけいに胸をワクワクさせた。空港を出てまず目に飛び込んできたのは緑色の自然達。大阪では見れない熱帯独特の木や花がその辺に咲いていた。 天気も良く心地よい風が吹き、観光するには最高だった。こうして沖縄観光が始まった。 一日目は安保の丘、米軍基地が目の前に広がっていた。そして東南植物楽園の見たこともないような花や木などの自然がいっぱいで、そこで食べたアイスは最高においしく感じた。 2日目はひめゆりの塔資料館やガマなど、戦争当時の事などを体でひしひしと感じさせられた。 3日目に予定されていたマリンスポーツが中止となったのはすごく残念だったけど、海洋記念講演やネオーパークなども沖縄でしか見れない、感じられない物がたくさんあって、それはそれですごく楽しかった。 4日目は有名な首里城へ。中国文化に似た感じで、別世界を旅しているような気持ちにさせられた。 こうして、沖縄についてなにも知らなかった私たちが、これらの沖縄観光によって楽しく、自然に沖縄について学習することができた、また平和学習でも、ひめゆり学徒だった宮良ルリさんの公園も生で聞くことができ、平和という言葉の重み、生命の尊さを改めて考えさせられた。これは私たちにとっても貴重な経験となり、本当によかったとおもった。 平和学習だけでなく、沖縄観光で感じ取ったもの、現地の人たちとのふれあいなどで、大きな物を得ることができたと思う。 また、53期生同士の仲も、より一層深められたと思うし、やっぱり修学旅行はみんなにとっても人生で最高の思いでとなったと思う。 この沖縄で経験し、得たものをただの思い出とするんじゃなく、これからの生活に生かしていけるように大切にしたいと思った。 (2年生 N.N.) |
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