東北被災地訪問プログラム 現地速報
第2日(現地1日目)
長時間のバス旅のためネット回線用の電源とPCの電源が切れたため,アップデートができずご心配をおかけしました。
長時間となるため,2人のドライバーさんが交代で安全運転をしていただき,気仙沼に到着しました。
最初の活動地である八葉水産の清水社長によると,気仙沼の工場地帯は全体的に60〜90cm地盤沈下しており,
工場再建のためには160cm近くの盛り土をしなくてはならず,なかなか再建が進まないそうです。
気仙沼の被害状況や,再建状況のお話をうかがったあと,試食をいただき,生徒たちと引率者全員で,
今年ようやく行われる水産加工品のフェスティバル(?)でお客さんに配布する感謝の手紙とボールペンをラッピングする作業を
行いました。
気仙沼の被害を目の当たりにして
街の様子はまだ基礎がむき出しのまま,昨年からあまり大きくは変わっていません。
阪神淡路大震災とは異なり,復興には程遠く,やはり来ないとなかなか実感できません。
今回宿泊させていただくホストファミリーの方のおうちは,震災の影響で家の前が崩れて大変だったそうです。
昨日ようやく復旧して泊めていただくことができました。建築関係の人手が,街にとられて,なかなか離れた
場所に来ていただけないということで,復興がはじまったものの,街から離れると違った意味で大変な状況だという
ことがわかりました。
生徒たちからのメッセージ
東北ボランティア二日目。
14時間のバス移動で少し疲れた。
気仙沼に到着してから、まずはじめに「リアス・アーク美術館」へ行った。ここでは、東日本大震災及び大津波によってもたらされた、気仙沼市、南三陸町への災害や被害が記録されていた。
実際に流された屋根や自転車などがあり、形も変形し泥まみれで津波の凄まじさが分かった。他にも津波によって流された魚の写真があり、二階まで魚がきて死んでいて驚いた。
その後、八葉水産へ行き昼食をいただき工場見学をさせていただいた。
昼食では塩辛やイカ明太もいただいて、とても美味しかった。
工場見学では塩辛の製造過程を見していただき、またマイナス30℃の冷蔵庫にも入らしていただいて、貴重な経験となった。その後は、粗品の袋詰めのお手伝いをした。
明日はいかだの土嚢作りなので頑張りたい。【小笠原】
昨日の夜8時頃茨木を出発して、14時間ほどバスにゆられ宮城県に到着しました。
朝、南三陸町の防災庁舎やその周りの家の基礎だけが残っている光景をみました。メディアでは何度もみた光景でしたが、やはり実際にみてみると心にずんと来るものがありました。その後行ったリアスアーク美術館では、ことばや写真、被害にあった実際のものなどが展示されていて、噂やにおいやフラッシュバックなど今後調べる課題もたくさんみつかりました。
海産物の加工をされている八葉水産でいただいたいかの塩辛、お世話になっている高田さんに晩ご飯で出していただいたカツオのお刺身など気仙沼の海の幸もたくさん食べられて大満足の1日でした。
ホストファミリーの高田家のおっちゃん、おばちゃん、おばあちゃんもみんないい人でよかったです!(飼っている犬もいい犬)【津口】
14時間バスに乗ったあと、やっと気仙沼市に到着しました。
福島県を通っているときは畑や田んぼがいっぱいあって、でも宮城県に入るにつれて景色から建物が消えて、更地になっていくのを見て、改めて津波の怖さを知りました。
家の基礎だけ残っているっていうのはテレビのニュースで聞いたことあったけど、
実際目の当たりにすると家の基礎というかコンクリート片しかなくて、津波前にそこに家がたっていたということさえ信じられませんでした。
始め、リアスアーク美術館に行きました。
「アーク」とは、神話の『ノアの方舟』に出てくる方舟の名前で、文化の継承の意が込められているそうです。
被災された方々の言葉や、当時の写真などが飾ってありました。
その中で1番心に残ったのは、パネルに書いてあった「ガレキではなく、被災物と呼んでほしい」という言葉でした。
壊れた家の柱や車…それらはただの「ガレキ」ではなく、誰かの思いでのつまった大切なものだから。
被災された方々はどんな気持ちで、アナウンサーが言う「ガレキ」という言葉を聞いていたのかと思うとつらい気持ちになりました。
その後訪れた八葉水産(株)では、粗品をつめるお手伝いをしました。昼食の時には、塩辛や子持ちめかぶの試食をさせていただきました。初めて食べたけどとても美味しかったので、お土産に買って帰ろうと思います!
魚市場と復幸マルシェにも行きました。
復幸の「幸」の字が、「興」でなく「幸せ」という漢字が当てられているのをみて、被災地の人々の気持ちが少しだけわかったような気がしました。
ホストファミリーの高田さんご夫婦はとても優しくて、ご飯もとても美味しくて、久しぶりの布団はとても落ち着きました。
奥さんが、「実は昨日も地震があってね、でもここは昔海だったからね。東日本の地震のときも何も落ちなかったし、安心して休んでね」と言ってくれました。でもそれを聞いて私は、あの地震が起こって二年半が経った今も余震がひんぱんにあって、被災地の人々は毎日どんな気持ちで過ごしているんだろう、と思いました。
【小谷】
大阪からバスで14時間かけ、ようやく気仙沼に着きました。気仙沼は肌寒いくらいの気温で、風も気持ち良かったです。
町の中は復興の業者がたくさんいて作業が続けられていました。震災直後からはかなり復興が進んだかな、という印象でした。
しかし、それでもがれきはまだまだあり、家もほとんどなく、草が生え放題な状況でした。
リアス・アーク美術館で展示されている写真からは震災や津波が町を破壊した凄まじさが伝わりました。
その中でとても印象に残っている文章があります。『黙とうは2時46分にするけど、私は3時33分にする。人が亡くなったのはその時間のほうが多いだろうから。』
(正確な文章ではないです)私にはぐっときた言葉です。
私達が訪れた八葉水産は100本のくいを地下に埋めていたため、1年で復興を成し遂げました。
そしてそこの人が言うには、これから気仙沼に、工場がどんどん建っていくそうです。そんな喜ばしい話も聞くことができました。
第18共徳丸は今でもはっきりと覚えています。あれほどテレビで見ているのに、やはり実際に自分の目で見ると、迫力がありました。
私が意見する立場ではありませんが、そのまま残して欲しい、そしてもっとたくさんの人に見て欲しいと思いました。
訪れた場所の人々、ホームステイのおじさんおばさん、みなさんとても温かく迎えてくれました。
そして、さすが!と驚くほど頂いたご飯はどれも美味しいかったです。
活動としては1日目なのに既にめちゃくちゃ疲れました。でも本番はこれから。明日もがんばります!
【吉田】
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