大阪府立春日丘高等学校  
 
 
             

 

東北被災地訪問プログラム 現地速報

第3日目
 今回ボランティア活動としては最大の目的である,気仙沼大島の養殖カキの復興作業です。 当初予定はいかだを固定するための土嚢づくりでしたが,加工場の再建のための建築資材を運ぶ お手伝いをしました。
 東京などからのボランティアの人たちと一緒に作業を行いましたが,重機が 入らない場所で,棟梁たちは特に重い鉄骨をどう運ぶのか悩んでいたところで,私たちの作業で一気に 仕事が進んだそうです。
 東北被災地の現状は、「現地を見るしかない。そしてそれを伝えるのが我々の責任だ」と言われた意味がようやく分かりました。 とはいうものの、どのような言葉でもうまく伝えることができません。参加した生徒たちにとっても文章で表現することに大変苦労しています。 またどうしても長文になってしまいますが、皆さまにも何かが伝われば幸いです。

生徒たちより
 今日は、朝からフェリーで大島へ行った。フェリーではカモメをすぐ近くで見ることができ、餌もあげることができた。 大島に着いてからはバスで海のほうまで送ってもらい、そこでいかだの作業場再建をお手伝いした。木材をたくさん運んだ。  とても重くて大変だったけど、そのあとに牡蠣汁をいただき、とてもおいしかった。
大阪ではあんなに新鮮な牡蠣を食べることが出来ないので、本当においしかった。 昼食では、大島現地でしか売っていない、ピーナツパンをいただいた。地元の味を感じることができた。
 昼食後も木材を運び、そのあとクルージングに連れてっていただいた。初めてのクルージングでとても楽しく、風が気持ちよかった。 クルージングの最中にいかだやいかだに吊るされた牡蠣の養殖の様子を見学させていただいた。 牡蠣は思ったより大きくて、あんなにちかくで見たのは初めだった。あんな風にして自分達が食べている牡蠣が作られているんだなと思った。 牡蠣を大きくするためには10メートル深くまで吊るすことがわかった。 明日は最終日。 気仙沼高校への交流なので、多くの人とか関わりたい。【小笠原】

 今日は1日中大島で牡蠣の加工場の復旧のお手伝いをしました。わたしたちは主に材木を運びました。 けっこう重たいものもあったので久しぶりの体力仕事でしたが、みんなで協力してやるとはやかったし、たのしんで出来ました。
 お昼の時間に新鮮な牡蠣でつくった牡蠣汁をいただきました。とってもおいしかったです。大島の自然は豊かで、海もきれいだし山も空気がきれいでした。
 急遽おとうさん(養殖場の小松さんの)に連れて行ってもらった牡蠣の養殖いかだは立派な牡蠣がたくさんついていました。 吊すロープの長さを調節したり、邪魔になる海藻をおとすためにお湯に一度つけたり、たくさんの工夫をして大きな牡蠣を作っているそうです。 あの美味しい牡蠣はおとうさん達の多くの努力の結晶なのだなと思いました。
 八瀬に戻ってきてからは、おっちゃんとおばちゃんにすてきな笑顔でおかえり!と迎えにきてもらって、また美味しい晩ご飯をごちそうになりました。 今日もぐっすり眠れそうです。 【津口】

 疲れは少し残っていましたが、だいぶとれていました。朝ごはんがこれまた絶品で、かぶりついていました。 たくさんのかもめとともに、船で大島へ行きました。大島では、牡蠣の加工場の復旧の手伝いで、木の板を6時間ほど運び続けました。 頑張ったぶん、とても疲れました。 私が今日できたことは少しかもしれないけど、役に立てたなと実感しました。
 養殖場の小松さんがサプライズで、 船でいかだまで連れて行ってくれました。1つの縄に200sの牡蠣がくっついているとだけあって、迫力が凄かったです。 牡蠣養殖の過程を聞くと、すごく丁寧に、時間をかけていることが分かりました。それもそのはず、お昼に頂いた牡蠣汁の牡蠣の大きさ大きすぎてぷりぷりでびっくりしました。 被災後も、こうして伝統を守ろうとするのはすばらしいことだと思います。
 大島にも、崩れたままの家や流された船、さら地がたくさんありました。まだまだ復興が必要だと、改めて感じました。船の出港の際、小松さん達がずっと手をふってくれてとてもうれしかったです。家に着くと、おいしいご飯が待っていました。どれもおいしすぎてぺろりと食べてしまいた。そして夜におばさんから、友達の被災体験の話を聞きま した。その方は、まさに九死に一生を遂げたという人でした。 でもきっとそんな方がたくさんいるんだと思います。その話を聞いて命の尊さ、 津波の怖さを少しでも分かったような気がします。そして、ぜひ伝えるべきだと思いました。 【吉田】

 6時に起きて朝御飯を食べ、バスとフェリーに乗って向かったのは大島。
今日は東北プロジェクト3日目、大島でのボランティア活動の日でした。 小松さん達は、震災前カキの養殖をしていたのですが、震災時の火災でいかだが焼けてしまったそうです。
 今回は、カキの加工所再建のための木材を運ぶお手伝いをしました。木材には重いものや長いものもあり、男子20人でやっと運べるような金属板もありました。若くて体力のある私たちが運んでも息が切れるのに、年配のお父さんたちが運ぶのは大変だろうと思いました。 昼食の時には、奥さんたちがカキの味噌汁を作ってくれました。汗が乾いて冷えた体にお味噌汁はとても温かく、優しい味がしました。
 昼食の後は、小松さんのお父さんが、船でカキの養殖いかだを見せてくれました。カキのいかだはほっておくと流れてしまうので、土のう袋をつるしておくそうです。1つのいかだに土のう袋が200個ほどいるらしく、それを作るのにも労力がいると話してくださいました。 カキは、ひもに種をつるしてつくるそうで、実際にそのひもを見せてくださいました。 海中2mほどは栄養が多く、カキ以外のものがついて育ってしまったり、カキが大きく育たなかったりするそうです。それを解消するために、カキのついたひもを数秒間お湯につけて要らないものを駆除したり、ひもの上下をひっくり返したりしているそうです。 船長さんは、「数をたくさん作っても、質が落ちたら意味がないからね、損して得取れってな。」と言っていました。その心意気に感動しました。
 お手伝いがおわってフェリーに乗り込むとき、小松さん一家の皆さんが見送りに来てくださいました。フェリーが出港したあともずっと手を振り続けてくれて、機会を見つけられたらまたここに来たいと思いました。
 高田のおばちゃんが、津波にあった友人のお話をしてくださいました。 津波は、家の窓を割って家の中に入り、洗濯機のように渦を巻くので逃げることが出来ないそうです。 おばちゃんは、「津波は、運動神経がよくて、いくら逃げられると思っていても逃げられないものなんだよ。だから海沿いにいくことがあったら、『今津波が来たらどこに逃げればいいか』っていうのをいつも考えててね。それを伝えるのが私の義務だと思ってね。」と教えてくれました。 貴重なお話を聞かせていただいたことは忘れずに、心の中に留めておこうと思いました。 【小谷】

           
  フェリー乗り場 まだ傷跡が   カモメと触れ合う   「海鳳」さんの好意でバス移動    
           
    建築資材を運んでいます   男女関係なく運びます   大きな柱は10人がかかり    
           
    最大の難関 200kの鉄骨   養殖いかだを見学   カキ養殖の大変さを実感    
                
    小松さんやほかのボランティアの方たちと   港まで40分の移動でも,元気でした   ご家族・棟梁たちが港まで見送りに