東北被災地訪問プログラム 現地速報
第2日(現地1日目)
長時間となるため,2人のドライバーさんが交代で安全運転をしていただき,気仙沼に到着しました。
宮城県南三陸町の防災対策庁舎を視察したあと、ここで防災無線で避難を呼び掛け続け、犠牲となった遠藤未希さん
のご両親がされている「未希の家」を訪問しました。ご両親から、お話を伺った後、お昼ご飯を頂き、制服に着替えました。
次に、気仙沼市役所を訪問し、副市長と教育長から、被災状況や避難についてのお話を伺うことができました。
このあと、ホストファミリーのみなさんが、出迎えてくださり、各家庭に送っていただきました。
こちらでのお心づくしを堪能していることでしょう。
気仙沼の被害を目の当たりにして
街の様子はまだ基礎がむき出しのままで,一昨年からあまり大きくは変わっていません。ただ、いくつかの場所で、9m近い
盛り土がされていて、ようやく町の復興が始まったというのがわかりました。
生徒たちからのメッセージ
初めてのボランティア活動でしたが初日からとても充実しました。
テレビではどのような様子か見たことがありましたが、やはり実際に見るととても衝撃を受けました。
南三陸町にある防災対策庁舎を見た時は鳥肌がたちました。テレビや新聞では感じとれないことを感じとることができました。
未希の家でもお話を伺うことができました。
未希さんの勇気ある行動の話を聞いて自分も将来未希さんのような人になれるように頑張って行こうと思いました。
また街全体は3年経った今でもまだ全然復興していませんでした。午後から気仙沼の市長さんなどにお話を伺いました。
死者の数や行方不明者の数を聞いた時とても心が痛みました。
震災がもし起こった時の為に避難訓練を数多くしてきた気仙沼でさえここまで死者がでたということは震災は本当に恐ろしいものだと改めて感じました。
残り2日間、ボランティア活動を通してもっと震災について知って、それを大阪に帰って伝えていこうと思います。
【1年 野村】
宮城県に着くと、私たちはまず初めに防災庁舎を訪れました。
津波の凄まじい威力を感じました。恐ろしい現場にいるはずなのに辺りは驚くほど穏やかで、自然と目に涙が浮かびました。
その後、その防災庁舎で避難を呼びかけ続け、津波の被害に遭われた遠藤未希さんのお父様とお母様からお話を伺いました。
そのお話のなかで特に印象に残っているお話があります。
私たちが遠藤さんのお宅にお邪魔したときには家はとてもきれいになっていたのですが、その背景にはたくさんのボランティアの支援活動があったそうです。なんと玄関に上がるまでに3年もかかったそうです。
その過程を知らずに、ずかずかと上がり込んでくるメディアに対して遠藤さんは怒りを覚えたそうです。
そのお話を聞いたとき、私はすごく自分を責めました。私もそんなことは考えず普通に上がってしまったので、とても反省しました。
私たちがボランティアをすることができる環境を作ってきてくださった方々に感謝しなければならないと感じました。
また、移動中のバスの中でも仙台出身の坂口さんからお話を伺いました。
春圃園という老人ホームでは、一ヶ月支援物資が無いなかでたくさんの人が過ごし、直接アメリカに呼びかけて支援を頼だりもしたそうです。
政府が、避難所でない所には救援物資をくれず、理不尽な思いをされた方もいたそうです。
では震災が起こった際に私たちはどうすればよいのでしょうか。
そのことについて気仙沼市教育委員会の方がお話してくださいました。
大切なのは社会からの情報収集、そして避難すること。しかし、闇雲に避難しては逆に危険にさらされる可能性があります。
だから、津波の高さを考えて避難施設を選び、そこへのルートや時間を考えて避難しなければなりません。
「自分は助かる」と思う人が多いと思うのですが、危機感を持っているかいないかでは生き残る割合が随分違います。
例えば気仙沼市では、小学生が自分自身で避難する場所を考えて行動する訓練を行ったり、
陸上での津波の速さで車が走り実際の津波の速さを体感するなど、津波を想定した訓練が行われているそうです。
その結果、気仙沼市の津波の深さと犠牲者率の関係は他の市よりも遥かに低い割合です。
私たちはどうでしょうか?海が近くにあるわけではないので、危機感を持つことは難しいと思います。
しかし、実際に震災を経験した方からお話を聞いたり、資料等で震災のことをよく学ぶことで少しでも危機感をもつことはできると思います。
東日本大震災のときには高校生が、危ないほうへ逃げようとした小学生を学校に押し返したというエピソードもあります。
私たちも実際に地震が起こったときに地域の人たちに正しい避難を呼びかけられるように、正しい知識を得て少しでも危機感を持っていられるようにしたいです。
私たちが今日見たり聞いたことを伝えていき、少しでも多くの人に震災の恐ろしさについて興味を持ってほしいと思います。
震災後、東北を離れた方もいますが、震災を境に東北に住んで支援していこうとされてる方もいます。いつまでも東北のことを忘れず、一緒に頑張ろうという気持ちを忘れずにいたいです。
【2年 岡松】
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