大阪府立春日丘高等学校  
 
 
             

 

東北被災地訪問プログラム 現地速報

第4日目
  今日は午前中,街が壊滅的ダメージを受けた陸前高田を訪問し,ガイドの方から説明を受けました。 市街に入って、まず目に入ったのが、異様な長さの橋(ではなく土砂を運ぶベルトコンベア)でした。 ここは被害の大きさから,市街部は盛り土が10m以上必要なため、山を削って盛り土がいたるところで行われています。 この10月に復興住宅の一棟目がようやく完成するそうですが、町の人々はいつになったら戻ってこられるのでしょうか。 神戸の震災と異なる、東北の津波被害の問題です。
 復幸マルシェ(幸という字がよいですね)で各自昼食をとったあと,お土産物を購入しました。「東北の物を購入する 」これも大切な東北支援です。
 午後は,気仙沼高校と交流を行いました。生徒会の生徒から被災状況の説明の後、交流会をしましたが、 「おもてなし」が感じられるすばらしいものでした。そのあと、この3月と来年3月に大阪に招待する野球部と交流しました。 結構真面目に「ケイドロ」をやっていました。高校生は若いですね。


生徒たちより
4日目は陸前高田市へ向かい、震災の語り部を続けてらっしゃる新沼さんから震災の様子を説明していただきました。 震災から3年経った今でも仮設住宅には2000世帯も住んでいるそうで、まだまだ復興への道のりは長いだろうと話していました。 現在は、津波対策として盛り土をしたり堤防を作ったりしています。しかし、地域の方々はこの堤防について様々な思いを抱えているそうです。震災の時の津波の高さに対して、堤防の高さの方が1mほど低いのです。だから、もっと高くするべきではないか、という意見はもちろん出るのですが、反対に高すぎるという意見もあるそうです。その理由としては、海水浴場として賑わっていた美しい景色が見えなくなってしまう、油断して避難しなくなってしまう、などだそうです。 宮城県を含む3県の堤防の補助金は8000億円にものぼります。これに対しても、堤防を作らず避難経路を増やすべきではないだろうか、そのお金を大きなことに使うのではなく、被災された方に寄り添うように使えないだろうか、と意見は様々です。3年経った今の方が貧富の差が問題で辛いと思う方もいるそうです。 早い復興も大事だと思いますが、そこにこれからも住んでいく方々の気持ちにももう少し耳を傾けてほしいと私は思います。 もちろん全く意見が反映されていない訳ではありません。道の駅など全員が助かった4つの施設と奇跡の一本松は震災遺構としてこれからも残していくそうです。 残される震災遺構が後世に震災の恐ろしさを伝えていってくれることでしょう。 午後から気仙沼高校と交流を行いました。気仙沼高校の生徒がとても温かく迎えてくれ、地震のことだけでなく宮城と大阪の違いなどいろんな情報を交換することができ、とても有意義な時間を過ごすことができました。来年の3月には気仙沼高校の野球部を大阪に招待します。これからもこの繋がりを大切にしていきたいです。 【2年岡松】

最終日は、2日間民泊をさせてもらいお世話になったお父さん、お母さんに感謝の意を伝え、別れを惜しみつつ、朝から岩手県の陸前高田市に向かいました。 私たちは語り部の新沼さんという方にガイドをしてもらい、津波で大きな被害を受けた道の駅や、2kmも続く松林で唯一残った松のオブジェ、犠牲者が出なかった4つの建物を残す復興公園の計画などのお話を聞かせていただきました。松林はもともと、防風・防波のために植えられていたそうです。それに加え、その前にあるホテルが防波堤になったにも関わらず、一本しか松が助からなかったと知り、改めてこの大震災の恐ろしさを感じました。新沼さんのお話の中で特に印象に残っていることがあります。もともと陸前高田のこの辺りは県内最大の海水浴場で、市民の皆さんにはこういったにぎやかな風景が頭に残っている方がたくさんいるため、堤防を作るより、震災前の風景を取り戻して欲しいという思っている方が多いということです。他にも、海の景観を失ってしまうから堤防は低く作って欲しい、東日本大震災と同じ規模の津波に耐えられなければならないからもっと高く作って欲しい…このように、沢山の人の意見があり、まだその意向を決定できていないところがたくさんありました。 そして新沼さんは、どんな時も「意識」を持って欲しいとおっしゃっていました。今回の大震災では、海の近くにいた方よりも、山際にいた方の方が多く亡くなっています。それは普段から「津波が来る」という意識をし、必死で逃げたからです。逆に、山際に住んでいて「ここまでは来ないだろう」と意識の低かった方が多く助からなかったのです。このことは、この大津波を経験していない私たちにも反映できると思います。私たちは常に、海では海の、山では山の、家、ホテル、お店”それぞれの場所での意識”を持って行動しなければなりません。今これを読んでいる時に地震が起こったら、あなたはどこに逃げますか? 午後は、気仙沼に戻り、復幸マルシェで昼食をとったのですが、気仙沼の新鮮な鮭とイクラは大阪で食べるものとは全然違ってすごく美味しかったです! そのあとは、気仙沼高校を訪問し、生徒会の皆さん、そして野球部の皆さんと交流しました。震災後の暮らしをスライドで分かりやすく伝えて下さり、勉強になりました。避難所での生活で、NTTが支援して電話を設置し、1人1分という制約はあったけど使えるようにしてくれたということを、今回初めて知りました。知らないところで沢山の方や企業が関わって支援がなされてきており、そのおかげで今回私たちもボランティアで東北の地を訪れることができたのだと実感しました。 【4年脇】

二泊の間お世話になったホームステイ先の人たちとの別れを惜しみながら一路、 陸前高田に向かいました。陸前高田の街に入ると、一面が野原になっていて、 その中をひたすらトラックがバンバン走っていく光景に、不気味さを感じました。 陸前高田に滞在していた間は、ガイドの新沼さんから震災前の陸前高田の街や、 現在の復興状況についてのお話を聞かせていただきました。 新沼さんからお聞きした話の中には、堤防を新たに築くことや、 奇跡の一本松のオブジェに関することで、地元ではかなり揉めていることなど、 普段僕たちが大阪にいて、耳にすることのないことを知ってすごくビックリしました。 その後、午後からは気仙沼に戻って、気仙沼高校との交流を行いました。 交流の後半には野球部のかたとケイドロをしました。最後の挨拶の中で、 部長さんが絆について話されたのですが、これからも僕たち大阪の高校生と、 気仙沼をはじめとする被災地がずっと繋がっていけたらいいなと思いました。 被災地で過ごす最後の1日の4日目は、1番濃密な日だったと思います。 これから大阪に帰り、春日丘高校のみなさんにも被災地について知ってもらうための活動をしていきたいと思います。 【3年高田】

4日目はまず陸前高田市に行きました。初めに行った道の駅は当時のまま残されていてとても私達を驚かせました。 剥がれた木材やレンガ、瓦礫はもちろん一本の木までもが駅の中に生えているかのようにありました。 この木は津波の時に流れてきたそうです。またボランティアガイドさんの新沼さんにも色々とお話を聞くことができました。 陸前高田市に沢山あるベルトコンベアは土を住宅を作る為に山から削りとる為に120億をかけて昨年建設されました。 他にも今、津波対策のために高さ12.5mの防波堤の建設をされています。 しかし、「防波堤を作るより逃げ道を作ってほしい」「防波堤を作ると景色が悪くなるから前のように海水浴場を作ってほしい」 「防波堤を作る為の8000億円という費用を自分達住民に費やしてほしい」など様々な意見もでているようです。 そこに住む住民の方達の意見なども聞いた上で国や市、自治体が判断することが大切だなと思いました。 道の駅をでた後、テレビや新聞などで何度か聞いたこともある「奇跡の一本松」を見ました。 これは本物ではないそうですが、1億5000万円という費用をかけて今もモニュメントが残されています。 その後新沼さんに陸前高田市を案内してもらいました。震災の時だけでなく今も沢山の問題があることを知りました。 また新沼さんがおっしゃっていた中で1番印象に残っているのが常にどこでも意識を高く持っておくことが大切ということです。 今まで私は海沿いの人の方が犠牲者者が多いと思っていましたが意外にも山側の人の方が犠牲者が多かったのです。 なぜなら山側の人の方が海沿いの人より津波に対する「意識」が高かったからです。 いつでも、ここなら大丈夫と思わず常に震災に対して意識を高く持つことが大事だということを改めて感じました。 午後からは気仙沼高校と交流会を行いました。 PowerPointなどを使ってわかりわすく震災前と震災後の様子の違いなどを説明して下さったり、 野球部とは鬼ごっこをしたりしました。体を動かすことを通して少しだけですが気仙沼の人達と1つになれた気がしました。 【1年野村】

           
  ホストファミリーの方ともお別れ   お見送りしていただきました   奇跡の一本松横に巨大ベルトコンベア    
           
    壊滅的被害を受けた道の駅   ボランティアガイドに説明を受ける   ベルトコンベアーの先から土砂が    
           
    町の復興に必要な、13.8Mの盛り土   数日後に移転予定の復幸マルシェ   気仙沼高校生徒会のみなさんと    
           
    生徒会のみなさんと記念写真   野球部のみなさんと交流(ケイドロ)   お見送りをしていただきました