大阪府立春日丘高等学校  
 
 
             

 

参加した生徒からのメッセージ


1年 中野智貴
 東北プロジェクト2015に参加させてもらって思った事は、みんなが想像している以上に復興はまだ終わっていないという事です。日々確実に進んでいる復興活動ですが、完全に終わるまではまだまだ時間がかかります。そう言われて、何にそんなに時間をかけているのかと思うかも聞かれるかしゃもしれません。私もそう思っていました。しかし、実際東北を訪れることで、その意味が理解できました。まず、盛り土。高い土地に街を作るために、土を盛って土地を上げるその作業は、日々行われていますが、まだ何年もかかります。そして、人手の不足であまり復興が進まない、と言った問題が早い復興を妨げています。それぞれ特別な思いを持っている被災者の話は、一つ一つが胸に響きます。被災地に行って被災地を見て、被災者から話を聞くことが一番よく伝わると思いますが、私も撮ってきた写真を見せながら、できるだけ多くの人に自分が見てきたものを伝えたいと思います。
 東北プロジェクトは、私の東日本大震災(地震、津波)の考え方を一変させるものでした。よく言われる普通に生活できることが幸せという言葉が本当の意味でわかりました。一人でも多くの人に関心を持ってもらえるよう、そしてできるだけ早く完全に復興できるよう、これからも復興支援に携わっていきたいです。

2年 松浦
今回の東北プロジェクトを通して私は『人とのつながり』『言葉の深さ』『忘れない』という事を学びました。『人とのつながり』は民泊の家で聞きました。震災後すぐに駆けつけて来てくれたボランティアの方々、近所の人との関わり、友達などいろいろなつながりがあります。また国内だけではなく外国の方々とのつながりもあります。こんなにも広く、強くつながることが出来るので、人とのつながりを作り強くしていけば、もっと良い世界になると思いました。『言葉の深さ』は普段でも感じることができますが、あまり気にしたことが無いと思います。ひとつの言葉でも人によっては捉え方が違い、感じ方が違うと思います。なので「助かって良かったね」という言葉も相手にどんな事情があるか分からないので、簡単に言ってはいけないという事を学びました。このことは震災だけではなく日常生活の中でも言えることだと思うので大切にしていきたいです。最後の『忘れない』は一番大事だと思います。最初のうちはみんな募金をしたり、ニュースなどでも大きく取り扱っているので記憶 に残っていますが、月日が経つにつれてどんどん忘れていってしまうと思います。もう前の生活が出来ていると思っている人もいるかもしれません。けれどそんなことは無く今も仮設住宅に住み、悲しみと戦っている人もいます。学校ができていない地域もあります。それらを少しでも減らすには全員で協力しないといけません。なので『忘れない』という言葉を忘れないで欲しいです。 今回のプロジェクトで私はたくさんの事を学び、経験しました。しかし私一人だけが知っているのではダメだという事が分かり、『伝える』ということの大切さも知りました。今回の事を家族、友達に伝え、もっと東北並びに全国、世界に関心をもって行動を起こして欲しいです。

1年 塚越
東北へのボランティアはいつかしたいと思っていたので今回の企画に参加できてうれしく思っています。テレビや新聞とは違って、実際に自分の目で現状を確認できました。 初めに見た防災庁舎(最後まで住民に避難を呼び掛けていた所)の周辺は津波で全て流されていて建物が残っていませんでした。家が特に多く集まっていた地域なのにそうしてしまう津波の力は想像以上でした。橋や線路も壊れており、まだまだ人か住める環境でないことを知りました。私は「災害からもう4年も経っているのだから、ある程度街の姿ももどっているだろう。」と思っていて、それを確認するのが参加した理由の一つなのですが、まだまだ復興には時間がかかることが理解できました。例え復興できたとしても、そこに住む人をどう呼んでくるか、これも問題だと思います。 今回ボランティアした、カキの養殖と植樹活動、これらは勉強する機会にもなり、また珍しい体験にもなり、いい経験がてきました。どのひとも被災のことから立ち直り、その土地で未来のことを思いながら仕事をするという、すごい方々でした。というのは、また津波に襲われるかもしれない沿岸部で、次のその時が来た時にその時そこにいるひとたちを救いたいという志を持って活動していたからです。もし自分が同じ立場ならそういったことができるかかんがえましたが、できないとおもいました。すぐにその土地から逃げ、海の見えない陸地の方に移動するでしょう。すごく感銘を受けました。 そういった人たちは他にも多くいました。家に泊まらせてもらった民宿の方々と鹿踊の伝承館の方です。民宿はもともとは町おこしのために各家庭で開く予定だったのが、震災が起こりボランティアの人たち用に変更したものだそうです。豊かな自然がこの地域のいいところだと知りました。伝承館では床にダンボールのような物を引き横になるという震災当時の方法で寝ました。 その体育館といった避難場所には特有の問題があったそうです。食べ物や着る物も当然最初は支給されていないので、日が経つにつれ困っていったそうです。そういった時に協力しあえるかが重要で、阪神淡路大震災ではその状況に耐えられない人たちも出たそうです。しかし今回の場合は一つのおにぎりを4人でわけたりと、みんなで支えあっていたそうです。 これらから、私が学んだのは、東北の人々は強いことです。辛いことや思い出したくないこともたくさんあると思います。被害の話を聞いてると私が泣いてしまいそうなこともありました。しかし実際に被害にあった人たちは、地震と津波の恐ろしさを後世に残していくために頑張っています。その土地に残り仕事を取り戻しています。そういった強さだからこそ私はいつか復興できる日が来ると信じています。

1年 山口
この3日間は、私にとってとても大きなものとなった。初めは、被害の大きさがひしひしと身にしみて、衝撃を受けるばかりだった。しかし、それは次第に、4年が経ったからといって、あの大震災の被害を、決して忘れてはならないのだという思いに変わっていった。一番印象に残ったのは、「てんでんこ」という話だった。これは、自分の命は自分で守るという意味である。また同時にそれは、家族が取り残されていたとしても、危ないところには助けに行ってはならない、という意味も含まれてる。初めは、薄情な話に聞こえた。でも、よく考えてみると、やはりそうするべきなのだと、そうしなくてはならないのだと思った。頭では分かっていても、実際に自分がその場面に追い込まれた時に、そのような行動がとれるかどうかは分からない。家族を失って、自分だけ生き残ってしまった人は、どのような思いでこれからの人生を送るのか。とてつもなく大きな罪悪感が心に宿って、一生消えてはくれないのではないか。震災は、家族や家だけではなく、人の心までもを奪ってしまうのだなと感じた。 今回のボランティア活動で感じ取ったことを、私は一生覚えていようと思う。そして、それを自分のものだけにせず、多くの人に伝えて共有していきたい。皆の薄れてきているあの大震災の記憶をよみがえらせ、もう一度復興への活動をしようと思わせることが、私の役割であると思うからだ。

1年 雜賀
震災を忘れない。その為に自分が被災地で経験したこと、感じたことを伝えようという想いで活動しました。震災について学び、被災地の現状を知り、多くの人に支えられて人の温かさに触れました。研修が終わっても、自分に出来るかたちで東北に関わり続けたいと思いました。今回の研修に参加して自分自身が成長できたと思います。 暖かく迎えてくださった地元の方々、支えてくださった先生方、一緒に頑張った東北プロジェクトの皆、本当にありがとうございました。

1年 小林
この5日間で、大阪に居たらできない体験をたくさんすることができました。 床だけ残った民家、壁の剥がれた野外トイレ、電灯のコードが垂れ下がりがれきで埋め尽くされた道の駅を自分の目で見て、新聞の中の写真からでは伝わらないほどの大きな衝撃を受けました。また、ボランティア作業は自分の体力の無さを痛感するほど大変なものでした。民芸館での雑魚寝は体が痛くなってしまいましたが、災害時は最低こんな感じだと聞いて、災害時の過酷さを実感できたということで、これも良い経験のひとつになりました。その中でも、私たちを受け入れてくださった東北の方々の優しさや美味しいごはんがとても心にしみてきました。民泊先の菅原さんが、「大学生でも、社会人になってでもいいからまた来てね。待ってるからね。」と言って下さったことがとても心に残っています。必ず、またこの場所を訪れよう、と思いました。 この体験をした私ができること、それは感じた衝撃を忘れないこと、伝えること、活かして次の災害に備えること。 自分の目で見たことも、雑魚寝の辛さを実感したことも、人の温かさも、すべてが私の糧になる5日間でした。

1年 関口
今回のプロジェクトは、東北の復興に協力するだけでなく、自らの成長の糧ともなった。初日から、かなり体力の必要な作業だったが、その分、ボランティアの大切さを感じることができた。場所によっては、人手不足のために、ボランティアの働きが重要な役割を果たすのではないだろうか。現地の人々は我々の想像よりも遥かに強かった。出会ったすべての人が、街の再建・復興だけでなく、未来に、同様の災害が起きたとき、被害を抑えることを考えていた。東北における「津波」の認識はその他の地域とは違う。しかし、想定できない災害に対して、すべての人が同じように恐ろしさを知り、対応を知る必要がある。そのため、我々は、学んだことをより多くの人に「伝え」なければならない。ボランティア以外にも、東北に貢献する方法はないか、考えたい。話の中で何度かでてきた、大阪での地震のこと。今回学んだことをもう一度思い出し、東北の現在を伝えるとともに大阪で地震が起きたときを想定して、防災についても考えたい。 東北でたくさんの経験をし、成長することができたと思う。まだまだ復興の進んでいない場所もあるが、東北が少しでも早く復興できるよう、自分にできることをしていきたい。高校生は、今後の日本を創ってゆく存在。そのうちの1人として、我々一人一人が、今、できること、起こっていることを自分から考え、知ろうとすることが大切なのではないだろうか。今回のボランティアには、各学校の先生や現地の人々、大学生ボランティアの方の協力・手助けがあった。多くの人に支えられ、初めて成功したプロジェクト。協力していただいたすべての方に感謝するとともに、今回のような活動に積極的に参加し、より多くの人を手助けしたい。

1年 村山
初日に不安と緊張から、自分が行って何が出来るのだろうという感情に襲われた。けれど現地で、来てみないと分からないこと、感じられないことや人々の優しさに触れ、色々なお話を伺うなかで、高校生の自分にも出来ることがあると思えてきた。例えば、私の様にボランティアはハードルが高いとおもっている人に身近に感じてもらうことや、今回の活動内容を発表することも出来る。 このプロジェクトに参加して感じたことは、人と人との関わりが欠かせないということだ。実際、今回私は多くの方々にお世話になった。このことは、1人では無理でも沢山集まれば出来る、繋がりがあることで風化させない、といったことも言えるだろう。また来年も参加したいと思える、貴重な体験をした4日間だった。