東北被災地訪問プログラム 現地速報
第4日目
今日は午前中,街が壊滅的ダメージを受けた陸前高田を訪問し,ガイドの方から説明を受けました。
市街に入って、まず目に入ったのが、異様な長さの橋(ではなく土砂を運ぶベルトコンベア)でした。
ここは被害の大きさから,市街部は盛り土が8m以上必要なため、山を削って盛り土がいたるところで行われています。
現在街と呼べる建物はまったくなく、ただ盛られた土の山だけがあります。町の人々はいつになったら戻ってこられるのでしょうか。
神戸の震災とは全く異なる、東北の津波被害の問題です。
復幸マート(幸という字がよいですね)で各自昼食をとったあと,お土産物を購入しました。「東北の物を購入する
」これも大切な東北支援です。
午後は,気仙沼高校と交流を行いました。気仙沼高校の地理の先生から被害に関する講義を受けた後、交流会をしました。
班別に分かれ、「大阪で震災が起こったらどうなる」など4つのテーマで討議しポスターを作りました。
さまざまな高校の生徒たちが積極的に意見を出して、いい発表を行っていました。お見送りを受けた後、大阪に向かいます。
生徒たちより
陸前高田へ行って震災の記念館、復興の兆しを見たり貴重な話を聞いたりしました。慰霊碑には日本人だけではなく外国人の方からの言葉もあり、人間のつながりを感じることが出来ました。毎日のようにニュースで国際問題を取り扱っていますが、このようなことをみると根本的なところではやはりひとつのものなんだなと思うことができます。
今プロジェクト最後の活動として気仙沼高校の人達とこれからできることについて話しました。未来の気仙沼、未来の交流について考えました。震災から月日がたったとはいえ現地ではまだ完全に前の生活に戻った訳ではありません。大事なのはずっと交流を続け忘れないことだと思います。
今回の東北プロジェクトで私は普段の生活では決して体験できないようなことをたくさん経験し、学ぶ、考えることができました。今回のことをこれからいかせていけたらなと思います。
【2年松浦】
被災者の人のガイドは胸に響くものがありました。被害に遭う前とあった後では全く街の風景が違い、一体どれほどの波か想像できませんでした。波の高さは15m程あり、亡くなった人も多いと聞きました。振り返るとさっきまでいたのに、もういない。たまたまそこにいるから助かった。悲惨な情景が目に浮かびました。そんな中、波に負けず一本だけ残った木があり、地震と同様、自然の強さを知りました。
ところで今、気仙沼ではカツオが目玉らしく、昼食では先生にごちそうになりました。スーパーとは違う味に感動しました。
【1年塚越】
気仙沼高校生との交流。グループワークでは「大阪で地震が起こったら」という課題について事前研修で学んだことを活かして発言することができました。直接震災を経験していなくても、他の地域の人と交流する際に自分が住んでいる地域で起きたことについて知っておくことの大切さを実感しました。学んだことや普段の生活から考察することが減災に繋がると思います。
今回の研修に参加して
震災を忘れない。その為に自分が被災地で経験したこと、感じたことを伝えようという想いで活動しました。震災について学び、被災地の現状を知り、多くの人に支えられて人の温かさに触れました。研修が終わっても、自分に出来るかたちで東北に関わり続けたいと思いました。今回の研修に参加して自分自身が成長できたと思います。
暖かく迎えてくださった地元の方々、支えてくださった先生方、一緒に頑張った東北プロジェクトの皆、本当にありがとうございました。
【1年雜賀】
4日目は気仙沼高校で交流会をしました。気仙沼高校の生徒さん達は元気で笑顔の可愛い方達ばかりで、緊張はすぐにほぐれました。私の班では、「気仙沼の未来予想図」をテーマに意見交流をしました。特に印象に残ったのは、気高の生徒さんが「電車開通」を目標として挙げていたことです。震災の爪痕は日常生活にもいまだに残っていることがわかりました。さらに、盛り上がった気仙沼と大阪の違いの話で、気高の生徒さん達に大阪にショッピングモールや遊園地などの大量の遊び場があることをうらやましがられてはじめて、自分の周りにモノが溢れすぎていることに気がつきました。今まで大阪は便利だけれども、それがあって幸せだと思ったこともあまりありませんでした。改めてこのことを実感できたのは自分の中で大きな収穫になりました。
「未来予想図」では娯楽施設の案が多く出ました。しかし、気仙沼には豊かな自然やゆっくりと流れる時間など、私が東北にいた三日間で感じたもっと違う魅力があります。それを活かす方法で気仙沼がこれからどうなっていくのか、もう一度考えてみたいと思いました。
【1年小林】
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