東北被災地訪問プログラム 現地速報
生徒たちより
参加した生徒からのメッセージ
2年 油谷 凜
今回の東北プロジェクトを通して私が改めて考えさせられたことは大きくわけて三つあります。
まず、一つ目は津波の被害が第一波だけではないということです。東日本大震災の津波の被害は押し寄せる波だけでなく、
引いていく波による被害も沢山のありました。今回、被災地をいくつか訪れてみて、交互に曲がった柵を見たり、行方不明者数が多いことに気づきました。
また、津波は1度ではなく、夜中も続いていたと聞き、津波の恐ろしさを改めて感じました。
二つ目は、復興は少しずつではあるものの着々と進んでいるということです。特に、陸前高田では昨年参加した際に見た景色に変化がありました。
盛土が進んでいたり、防潮堤の建設が進んでいたりと、まだ完全な復興には程遠いものの復興の進み具合を自分の目で確かめることができました。
しかし、それと同時に震災の傷跡が残っている所もあることに気付かされました。ヤマヨ水産さんを訪れた際にも、牡蠣の養殖業は復興したものの、
養殖業以外の事まで手が回らないと聞きました。一見、復興が進んでいるように見えていても、まだまだ、震災の影響が残っていることに気づくことができました。
三つ目は人との繋がりについてです。今回、様々なところでお話を聞かせていただきましたが、皆さんが口を揃えて仰るのが、
「人との繋がり」についてでした。実際に私も気仙沼高校の皆さんと交流をしてみて、人との繋がりの大切を感じました。
宮城と大阪という近いとはいえない距離はありますが、同じ日本に住んでいる人としてこれからも関わっていく事が出来たらと思います。
5日間という短い時間ではありましたが、高校の私達にとって、とても貴重な体験が出来たと思います。
そして、また何度でも被災地に訪れ、お世話になった方々にお会いすることが出来ればと思います。
2年 田嶋 巳紗
現地での活動は三日しかなく、とても少ない時間でしたが、その中でも多くのものを見て、多くのことを学び、経験することができました。
メディアが東北大震災についてあまり取り上げなくなってきている今、東北の復興はほとんど終わっているという認識の人が多いように感じます。
しかし、実際に現地を訪れてみると、いまだに手がつけられていないところが多くありました。私達は今回現地を訪れて学んだ様々なことを、
ただ自分の中にとどめておくだけではなくて、周りの人に伝えていく必要があると思います。また、被災地の復興の進捗状況を知るためには、
何度も現地を訪れることが大切だと感じました。来年は私は三年生となり、このプロジェクトに参加するのは難しいかもしれませんが、
大学生になったらまた、東北を訪れたいと思いますし、以前と何がどう変わったのかを見たいと思います。今回、東北プロジェクトに参加でき、
とてもいい経験を得ることができました。この経験を次に繋げていけるようにこれからも頑張りたいと思います。
2年 中井翠理
「万物は流転する」という言葉があります。これは哲学でよく使われる、いわば基本の考え方のようなもので、仏教の無常観に近いものです。今、呼吸しているあなたは、次の瞬間には別のあなたになっています。身体の状態は、科学的に見ても常に変わっています。生物は変わり続けますが、非生物も変わり続けています。雲はどこまでも流れ、風も己が思うままに吹き続けます。この言葉自体はかなり古い頃に作られたものですが、先人はよく物事の本質を見抜いていたと思います。
しかしそんな中でも、流されずに残ったものはあります。史料や言い伝えです。全てが移ろい変わるこの世の中で、これだけは人間の努力次第で残り続けるのですから、これらの存在は、私は奇跡に近いものだと思っています。
そして今回の東北プロジェクトで訪れた美術館には、その昔、東日本大震災と似たような地震が起きた時の様子が絵として残っています。波で流される人の様子、魚などの腐臭に苦しむ人の有り様、怪我人の介抱など、どれも残酷なまでに今度の震災と同じなのです。それらは綺麗なままで保存されていました。これを見ていれば、対策はできた筈なのですが、今回も同じ事が起こっています。結局は、それらの奇跡とも言える存在をどう生かすかは、人間自身にかかっています。ですがそろそろそれらをきちんと活用しないと、本当にそれらも流れ去ってしまうかもしれません。もう潮時はそこまで来ているのです。
2年 古志 二千華
東北では、多くの方々のお世話になりました。海辺の森を作ろう会の菅原さんや語り部の河野さん、民泊先のお父さん、お母さん、おばあちゃんを初め、
たんさんの方々に温かく迎えてもらいました。ボランティア活動で疲れてしまっていても、被災地の人々の優しさや大自然に触れ、元気をもらいました。
ボランティアをしに行った身にも関わらず、大事なことを沢山学ばせて頂き、本当に感謝をしています。多くの人が、東日本大震災に遭った、経験からの教訓やその対処を、
私達に一生懸命に伝えてくれました。少しでも、自然災害の犠牲者を減らすためにも、私達が東日本大震災の経験から学ぶことは沢山あることに気が付きました。
今回被災地を訪れ、聞いたこと、見たことを多くの人に伝えていきたいと思います。教訓や対処を知っていると知らないとでは、震災が来てしまった時、
正しい対処が取れるかどうかに大きく影響してくるからです。実際に、防災知識があれば防ぐ事ができた犠牲もあります。
だから、自分自身や大切な人を自然災害から守るためにも、被災地の人々の話を伝えることが大切だと思います。また東北に訪れる機会があれば、
今回お世話になった方々に、会いに行きたいです。
2年 伊東葵
5日間の活動を思い出していると、初めに私が両親にこのプロジェクトに参加することを伝えた時、言われたことを思い出しました。
「熊本の支援には行かないの?」東日本大震災は六年前、熊本地震は一年前のことですから、両親がそう言うのも無理はないと思います。
現在は、東北よりも熊本のほうが大変な思いをしているのではないか、ということでしょう。実際に、私はそれに対して上手く言葉を返すことが出来ませんでした。
そのことを考えながら、今回の活動を通して思ったことは、「支援させてもらっているというより、お邪魔させてもらっている感じだな」ということでした。
支援プロジェクトよりも、校外学習というのに近かったと思います。そのくらい、勉強させてもらうことばかりでした。また、支援を受け入れるのにも準備が必要だから、
被災直後に未熟な高校生を支援することは、必ずしもいいことではないと聞いたことがあります。被災から六年が経過した今、東北の皆さんはとても逞しく生活してらっしゃって、
逆に私が元気づけられるくらいでした。ですから、今こうして決めました。このプロジェクトが私のスタートです。
ここから、被災地の方々に教えてもらったことを糧にして、もっと立派な大人になって、本当に困っている人を助けられるようになります。
被災地の方々の笑顔も、逞しさも、その裏にある悲しみも、全部包むことが出来るような大人になります。今回のプロジェクトは、支援ではなく、学習だったんだと、
その上で決めた目標も、家に帰ったら両親にちゃんと説明しようと思います。
2年 内田 遥香
わたしが東北プロジェクトに参加し被災地を訪れるのは、今回で2度目でした。去年はまだ右も左もわからなくて、
新たに知る様々な情報をなんとか飲み込むのが精一杯でしたが、今年は落ち着いてたくさんの方々のお話を聞くことが出来ました。
それを踏まえて私が今回の5日間で気づいたことは、私たちが知っていることはまだとても少ないということです。
この5日間の中で最も印象に残ったのは、リアス・アーク美術館の山内さんのお話です。山内さんは6年前の震災の翌日に、
自宅にいる動物たちが心配になって戻ろうとしました。しかし、あまりの惨状に自宅までたどり着くことが出来ず、その翌日にようやっと家の場所に行くことができたそうです。
山内さんの住んでいたビルはコンクリート四階建てで、一・二階は魚屋さん、三・四階が山内さんの生活スペースになっていて、
津波等有事の際は三・四階が避難所になる予定だったそうです。しかし、三・四階に逃げ込んだ人々は、山内さんが飼ってらっしゃった動物達は、
そこにはいませんでした。ビルそのものが、そこにはありませんでした。山内さんは、「コンクリートのビルが根こそぎ流されるなんて誰が予想しただろう。
人生で初めて、膝から崩れ落ちて泣いた。なのに頭の奥はすうっと冷えていて、人間いざと言う時はこんなふうに泣くんだ、と思った」とおっしゃっていました。
私は今まであの大地震に関して、被害や現状をあくまで表層的にしか知らなかったのだということを痛感しました。人の心の痛みをこんなにも実感したのは初めてでした。
もちろん、その人の痛みにはその人にしかわかりません。しかし、「感覚の共有」を銘打ったリアス・アーク美術館の展示はどれも私の心をえぐるようなものばかりでした。
思い出の詰まったたくさんの宝物が、泥に塗れて水に揉まれてひしゃげてしまったのを、あの時直接的には被災しなかった私ですら見ているだけでも辛いのに、
持ち主だった人々はどんなに苦しいだろうと考えて胸が締まる思いです。表面的だった知識を、また少しだけ深められたように思います。
こういった被災地の「ほんとう」は、やはり現地に赴かなければわかることではありません。しかし、すべては難しくても、
感覚を共有した私たちがほかの人々に見てきたことを少しでも伝えられるようにすることが最重要だと思います。
今回手に入れた、感じた気持ちを大切に、これからの活動に活かしていきたいと思います。
1年 和田七星
わたしはこのボランティアで感じたことは「変化」です。理由はいくつかありますが、2つ挙げます。
まずはじめに、東北の人の心の温かさを感じました。ホームステイ先の方々は、豪勢な料理を振舞ってくださり、
花火もさせてもらい、ただ泊めてもらうだけでなくすごく楽しく過ごせました。震災から6年の年月が経っているとはいえ、
わたしたちのような見ず知らずの他人をここまで温かく迎えてくださることに少しだけ驚きました。震災の時から少しずつでも余裕ができてきているのかなと感じました。
次に、実際の被災地の様子を見て、私が思っていた様子とは結構違うなと思いました。東北の様子があまりメディアで報道されなくなり、
私は先入観からか、まだ被災地は瓦礫がいっぱいなのかなと行く前には思っていました。
しかし、実際にはゴミ等はほとんど片付けられていて、盛り土をするためのショベルカーがいっぱいありました。
でも、6年経ってもまだ盛り土が終わる様子ではありませんでした。私はなぜ東北に行く前は、なぜ復興が進まないのだろうと思っていましたが、
復興に専念していないわけでなく、単純に被害の規模が大きすぎて時間がかかっているのかなと感じました。
このプロジェクトを通し、私は東北の実際の姿を見ました。最近はメディア等ではあまり被災地が報道されなくなり現状がわからず、
私の中で被災地の時間は止まったままでしたが、実際には少しずつですが変化しつつあります。来年も機会があれば参加して、その変化を見届けたいと思いました。
1年 川本実弥
今回の訪問では東北の人々の優しさに触れた。例えば、日差しが強いため、お昼ご飯をお寺の中で食べられるようにしてくださったり、
民泊の方は私たちが美味しいと言った料理をもたせてくださったり、蒸し牡蠣を試食させてくださったり、花火を用意してくださったり、と他にもたくさんある。
そして、被災者の方々の強さも感じた。あった人皆が、口を揃えて、今、この瞬間も地震や津波が来る危機感を持った言動をしていた。
常に先を見据えていた。また、私は、被災地をテレビで見たことしかなかった。復興している状況を見ても、どこか自分とは関係のないことのように思いがちだった。
しかし、タピック45を見たときにその考えは吹き飛んだ。真っ向から、震災の状況を突きつけられた。これらの体験から、以前はほとんどなかった震災に対する危機感が一気に芽生えた。
家に帰ったら、避難場所や隣に住む祖母と祖父とともに震災が起こった際、どうやって避難するかなど、相談することは山積みだ。
相談内容がたくさんあることに気づいたのも今回のボランティアのおかげだ。たくさんのことを学ぶことができた。また、来年も参加したい。
1年 八島桃子
この三日間の活動を通し、震災が起きてから6年が経った今でも盛り土が終わっておらず、建物の経っていない地域があることに驚きました。
また、大阪に届く情報と現地で聞いた話が微妙に食い違っていることに気づきました。リアス・アーク美術館では『未曾有ではない、がれきではなく被災物と呼んでほしい』
と聞きましたが、現地のパンフレットにもその言葉が多く、地元でも少しずつ違うのだと感じました。
東日本大震災の被害の大きさを伝えるためにそういった言葉を使っているのかもしれないと思いました。
未来に当時の状態を伝えていくのは物質や物ではなく、人の記憶です。私たちも東日本大震災のことを伝えていくうちの1人になりたいと思いました。
これから大阪に帰ります。大阪へ帰った時に私が現地で聞いた話をたくさんの人に聞いてもらいたいと思っています。
1年 石井 彩葉
今回の東北プロジェクトで学んだことは、大きく二つあります。
一つ目は、自然と調和して生きていくことの大切さです。被災地では実際に太陽光パネルが至る所で設置されていて、
限りある資源を有効に活用して来世の新しい命救おうと活動されている姿に感動を覚えました。被災地で植林活動が活発に行われているように、
木は人の命を救うる存在であることをもっともっと多くの人に伝え、植林活動を私達のまちでも推進していくべきだと思いました。
二つ目は、東北の方はとても強くて優しいということです。東日本大震災での教訓を生かして、日々活動されています。
自分のためではなくて人のために…そういった優しくて暖かい心に私は勇気をもらいました。明るい明日、確かな未来を信じ、
懸命に生きている東北の方々を、私はずっと応援しています。
宮城のお父さん、お母さん。貴重なお話をして下さった東北の皆さん。そして、北摂つばさ高校の先生。東北プロジェクトの運営に携わって頂いた全ての方に感謝します。
人との出会いは一期一会。素敵な方々に恵まれて素敵な経験をさせていただいたこと、絶対に忘れません。これからは、自然を大切にして、人との出会いも大切にして、
生かされていることに感謝し、また感謝されるような人になれるよう、頑張ります。
1年 鈴木日菜子
私が今回の東北復興支援プロジェクトに参加した理由は、実際に被災地を訪れて少しでも被災者の力になりたいと思ったからでした。
今回のテーマは「想像力」でした。それを聞いて私は、テーマにそって活動するにはどうすればいいのかが全く分かりませんでした。
今回の活動を通して、震災から6年経ったこの今でもBPRが続いているという事と、未だに復興作業に取り組めていない所があるという事をこの目で確かめる事が出来ました。
被災者は被災地を復興へと導くために、毎日一生懸命働いている事を知りました。初めて知った事は沢山あります。
その中の2つの内1つ目は、瓦礫という言葉は被災者を傷つけるという事です。今まで私は何も考えずに「被災地にはどのくらいの瓦礫が撤去されていないのか」等と口にしていました。
しかし被災者にとっては瓦礫ではなく、震災前に共に暮らしてきた一部であり大切なものであると知りました。2つ目は、山と海の関わりはとても大切だという事です。
木を植え大切にする事で海の幸が豊富になるからです。実際に漁師さんも植林活動をしていると聞きました。「山は海の恋人」というコンセプトは面白いなと思いました。
震災後も町の人々が自然と共存する為に様々な工夫を凝らして一生懸命に生きる姿に勇気をもらいました。
初めて学んだ事は多々あるのですが、自分から動く事は出来ませんでした。積極的に交流や活動をしたい、
と心の中では感じていたのですが行動に移す事が出来ない自分に歯痒さを覚えました。この三日間で活動が終わった訳では無いと思っているので、
これからの生活でこの思いをぶつけていきたいです。
1年 上原あずみ
今回のプロジェクトを通して知識だけで知ることと経験や感情に生で触れることの違いを知りました。
遠くから映像を見て得る知識と実際にその場に行って得る知識では確かに違いがありました。
まず、映像や画像では想像できなかったことが実際にその場にいることでイメージできました。
そして、語り部さんの言葉は直接聞くからこその感情が伝わってきて、いろいろな思いがこみ上げてきました。
話を聞いていてほとんどに共通していたことは今までも同じような被害を受けてきた被災地でなぜ今回も防げなかったのかということです。
私はこの問題について大阪で考える機会は今までなかったです。そのため多くの人はこの問題のことを知らないと思います。
今回の震災でおきた被害をなくすことはできないけれど次起こりうる被害をなくすことが私たちにはできます。
そのために私はこれからずっと今回の経験や沢山の方々のお話を教訓として覚えておきたいです。そしてまずは身近な人から伝えていきたいです。
1年 矢田祐風南
最初に藤井先生が言っていた、今回の活動における重要なポイントの「想像力」は私は達成することができたのでしょうか。
実際の被災地に入る前までは事前学習として様々な施設を訪れたものの、あまり震災の実感がありませんでした。
むしろ、本当に自分と同じ国でこんなことがおきているのだろうか、とすら思っていました。しかし、いざ行ってみて、
本物の被災物をみたり、写真を見るとそんな考えは無くなりました。高田松原の道の駅はなかでも印象的で、あの今起こったような生々しさは忘れないと思います。
さらにらその情報館にあった震災前と震災後の比較の写真は自然の力の恐ろしさに寒気がしました。
?今回の活動で最後に思ったことは、被災地に来る前と来た後の気持ちが少し変わっているということです。現地を訪れて実際にお話を聞いてみると、
社会の中の情報と被災者のお話の内容が大きく違っていて、さらには被災者の気持ちが社会には伝わっていないことも、初めて知りました。
瓦礫を被災物と呼んでいること、ボランティアの人への気持ちなどを聞いていると、ある考えが浮かんできました。被災者は、もとは私と同じ人が私
達にはない経験をしただけであり、これからの私達がするべきことはその経験から学び、これからに活かすことだと思いました。
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