大阪府立春日丘高等学校  
 
 
             

 

東北被災地訪問プログラム 現地速報

生徒たちより
参加した生徒からのメッセージ


1年竹内
今回のボランティアを通じて、現地に足を運ぶことが何よりも大切だと分かった。 現地の人の実際の体験談に耳を傾けることが震災を学ぶ一番の近道だと分かった。 実際に残った震災遺構を見て、現地の人の話を聞いて、少しだけれども震災のことが 分かった気がする。

1年井上
今回の東北プロジェクトを振り返って、色々な震災の被害などを見てテレビなどを見るだけでは分からなかった現状などを肌で体験することができた。牡蠣養殖では軌道にのるまでの苦労などを知り、植樹場では植樹に関して素人の人がみんなを幸せに出来るようにしようとしてる努力などを知ることができた。震災から7年経った今被災者の人々はみんなもとの生活に戻りつつあり、みんな前を向いて行きていることを深く感じることができた。来年も機会があれば参加したいと思う。

3年高木
この現地訪問を通して、様々な体験をすることができました。2日目の大島訪問では牡蠣の養殖場の被害の大きさや現地の記者の方による説明、3日目のリアス・アーク美術館への訪問や植林活動、海岸へ向かい津波の被害の大きさを実際で見ることで感じたりしたこと、4日目の気仙沼高校で行なった現地の高校生との交流、そしてホストファミリーの家で過ごした2泊は自分にとってものすごく刺激的で新鮮なものばかりでした。一番心に残っているのはやはり3日目のリアス・アーク美術館への訪問で、展示物に添えられているコメントが印象的でした。その中の1つに表現に関することがあったので紹介します。「何かを伝えようと表現するならば、それが客体に認識されるようにしなければらない。すなわち客観性が必要である。『伝える』とは意思である。意思を持って客体に届けなければ伝わることはない」。この言葉を忘れることなくインプットした情報を学校の人や地域の人、家族や親戚にアウトプットしていきたいと思います。この5日間を通して自分は自分にとって新しい一歩を踏み出せると思います。今日がスタートです。これからまた頑張っていきます。気仙沼の方々、つばさネットワークの関係者の方々、素晴らしい機会をありがとうございました。

3年油谷
私が今回の東北プロジェクトで学んだことはたくさんありますが、特に二つのことについて深く考えることができました。それは、東日本大震災の悲惨さと人との繋がりに関してです。 2011年に起きてしまった東日本大震災はたくさんの被害者をだしました。もちろん私は、これまでの2年間の東北プロジェクトや、様々な報道などで震災の状況についてはある程度知っているとと思い込んでいました。しかし今回、自らが大阪北部で発生した地震を体験し、西日本の豪雨の被害の報道をリアルタイムで見て、私がこれまで想像していたものとは比べ物にならないほどの恐怖や悲しみがあったのではないかと気付かされました。いつ大きな余震があるか分からず、パニックになった人の波の中で、来るかどうかも分からない津波に対して正しい行動が出来た人はたくさんいたでしょうか。下校中の小学生に何ができたでしょう。少なくとも私は何もできないと思います。当時小学4年生だった私は地震によって見たいテレビ番組の最終回がなくなり少し拗ねていました。そんな中、同い年の子供たちは大きな不安と恐怖に押し潰されそうになっていたはずです。今考えると、酷い子供だったと感じますが、きっと他にもそのような子供たちはたくさんいたと思います。リアスアーク美術館や、岩井崎の地域遺構、たくさんの方のお話を聞くことが出来たことは、必ずこれからの私の人生の中にいきて来ると思いますし、高校生の私達が出来ることは震災の事実をそのような子供たちに伝えていくことだと思います。 2つ目は人との繋がりに関してです。これは東北プロジェクトに参加してみて毎年思うことですが、このようなプロジェクトに参加すればするほど、大切さが身に染みて分かってきました。活動初日に訪問させてもらったヤマヨ水産さんの小松さんのお話で、「皆さん含め、皆さんの先輩方にしてもらったことは返しても返しきれない程です。たとえ、先月の大阪の地震の義援金をたくさん渡したからといってウィン・ウィンの関係になることはありえません。お互いにこれからも助け合っていくことが、一番大切になってくるんです。」というようなものがありました。人との繋がりはお金や作業の量なんかで比べるものではなく、続けていくことでより深い意味を持つようになると改めて感じました。また、八瀬の森の民泊では、去年や一昨年なったおうちの方々が私のことを覚えてくださって声をかけて下さったのが本当に嬉しかったです。二日間という大変短い時間ではありましたが、こうやって数年たっても繋がりが続いているのはとても嬉しいことですし、これからも大切にしていきたいと思います。 私達高校生は、大人と子供の間の期間です。災害の時にも何か出来ることはないかと思いながらもなかなか行動に移せないことも少なくはありません。それでも高校生だからこそ出来ることがあると、三年間東北プロジェクトに参加して気づくことが出来ました。確かに作業要員としては未熟かもしれない、でも悲しみの中にいる人々の気持ちを少しでも明るくすることはできます。学業が忙しく被災地を訪れることができないかもしれない、でも知っていることを、同世代や次の世代に伝えていくことはできます。これから高校を卒業し、大学生、社会人とたくさんの時間を過ごしていく中で、少しでも多くの人が幸せに生活することができるよう、その時出来る全力を尽くしていけるよう頑張って行きたいと思っています。また、少しでも多くの高校生が、この東北プロジェクトに参加し様々なことを自分で見て感じることができるよう願っています。

2年川本
今回のボランティアでは想像することと震災の経験を無駄にしないことの大切さについて知ることができました。また、昨年とはまた違った視点で見ることでき、私がこれからも続けていこうと考えている「伝える」という活動を少し考え直すこともできました。そして、被災地の人々の温かさを見にしみて感じました。この経験を様々なことに活かしていきたいと思います。ありがとうございました。

2年野崎
東北ボランティアを通して、私は様々なことを知り、考えることができました。バスから被災地の状況を見て知り、展示された被災物からは伝わってくるものも多かったです。加えて、ホームステイ先の方や気仙沼高校の方々から気仙沼の人の良さ、温かさを感じました。元々は被災地の状況を知ることが出発前の目標でしたが、それだけでなく、宮城県という地域、人柄についても少し知ることができたので本当に良い経験になったと思います。

2年野々山
今回の東北プロジェクトを通して学んだことは災害の被害の大きさと東北の人たちの優しさでした。 大震災の被害の大きさは頭ではわかっていましたが、実際にいって触れる事で自分自身が想像していた以上の被害、人々の苦しみ、また、将来の不安などの一端がわかりました。そしてまだまだ完全には災害復興が出て来ておらず、これからも人々の活動が不可欠だということもわかりました。 この大きな大災害が、同じ日本で起こっている事に恐怖を感じるとともに、他人事だと思わず一緒に復興に向けて活動していきたいことを再確認しました。 東北の方々はとても優しく私たちを受け入れてくれました。忙しい中おもてなしをしてくださった方々に感謝しています。 海鮮や山の山菜、牛タンなどほっぺたが落ちるぐらい美味しいものばかりでした。特に今旬の鰹は柔らかく良い味わいでした。 また、初めての民泊は自分の家とは勝手が違い上手くいかない事も多々ありましたが、空気は美味しく綺麗な虫の音色や涼しい風は心に癒しをもたらしてくれました。 最後に本当に東北の方々、ユネスコ協会の方、先生方、運転手の方、こんな機会を与えていただきありがとうございました。沢山の人達のお蔭で無事このプロジェクトを終えることができました。今回のプロジェクトで私自身一回り成長できたと思います。 少しずつですが、東北に復興の活動を行い、東北の方々にお礼をしたいと思います。 今回はありがとうございました。

2年和田
今回のボランティアを通して、最初に立てた目標
・震災の被害、現状「伝える」ということの意味
・被災地に本当に必要なもの
をよく考えることができました。
「伝える」こと、言い換えるとそれは「知ること」、「忘れ去られないようにすること」です。私たちは、東日本大震災を大変悲惨な過去だと忘れ去ってしまうのでなく、そこから学ばなければなりません。地震の時にどのようなエピソードがあって、どのような人が助かったのか。結局地震に防波堤、もとい人間は勝てなかったこと。それを知っているか知らないか、わかっているかわかっていないかで、もし津波が来た時の生死に直結します。 「伝える」には、実際に来てもらう、メディアなどを通して見てもらう「教育」が必要になります。防災教育を行うことで、1人でも被害者を減らせるのなら、防波堤などを作る街の整備等にかけるお金や、労力をもし防波堤が越えられてしまった時のために、そちらにも使うべきです。でも国の制度などの問題でなかなかうまくいかない、というのが現状です。 そのような、伝えるために施設を作る、そのために国の制度を変えるなどという大規模なことは私にはとてもできたものではありません。身近な人に、今日学んだことを伝える。それが、私たちにできることだと改めて深く感じました。 2年上原
今回で二年目の東北になります。昨年は初めてで事前研修の内容以外は何もわからないままスタートして目についたものについて考えて持ち帰ることしかできませんでした。それなので、今回はそのときに見て、学んだことからの変化について特に考えたいと思います。それに加えて、この一年で学んだ「多方向からの視点や多面的な考え方を総合的に見ることで新しい発見がある」ということから前回とは違う視点から広い目をもって様々なことを吸収したいです。この三日間を少しも無駄にすることがないようにできるよう集中して聞き取りなどに取り組もうと思います。 活動初日、まずはバスの中から南三陸、気仙沼を見て回りました。昨年に比べて盛り土が多くなったように感じました。そして坂口さん、小松さん、東北放送の方々のお話を聞きました。来るたびに道が変わって、商店などはそのたびに移転していることや、来年には道路と橋が開通すること、昨年中に防災支援住宅の建設がすべて終わったことを知りました。確かに昨年にお店があったのが移動していたり、昨年はなかった建物があったりして驚きました。私は一年の間をあけてここに来たのでかなり大きい変化に見えましたが、現地の人はじわじわと変わってきているとおっしゃっていました。見ている視点によって感じ方も違うのだと感じました。他にも現在の西日本豪雨にも共通する話で「行方不明が一番苦しい。どこかにいることを信じてまだ海に潜って探している人もいる」ということを聞いて災害時に安否を伝えることの重要性を再確認しました。そして一日目のなかで、私の中で最も心に残っているのは「忘れられるのが一番怖い」という言葉です。頭の片隅で少しでも気にかけていれば、人同士のつながりは消えない。私は昨年からのプロジェクト等を通して人のつながりの大切さについて考えることが多くなりました。来年は受験生でおそらくこのプロジェクトに参加することは叶わないでしょうが、今後テレビなどで気仙沼のことをみたときは今回のことを思い出せるようにして、少しでも長くこのプロジェクトで築いた人間関係を続けさせることができるようにしたいと思いました。 活動二日目、まずはリアスアーク美術館に行きました。お話を聞かせていただいた学芸員の方は「この美術館は物自体を見るためではなく、その背景にあるものを見るための博物館です。何のために何を伝えようとしているのか、そこから何を学ぶべきなのかを考えてみてほしい。」とおっしゃっていたので、二回目である今回はそれを意識して被災物を見ました。 入って最初に見える写真を見ているときに説明されたのは「東日本大震災の少し前にあったチリ地震による津波での被害が2階まで届かなかったため大丈夫だと思って逃げなかった人が津波に流された」ということでした。科学技術で自然をコントロールできる、自然の脅威に勝てると思い込んだ人間が今回の震災で特に被害者になっているため経験があるからと言って災害への心構えは万全でないと聞いて、自然の偉大さを考えながら人間がどうやって自然と歩めるよう意識を持てるのかが重要になると思いました。また自分が想像していなかったことはいつでも起こりうるということから、これから新しい建物を作るときや新しい土地に引っ越すときには自分の想像の範囲をさらに超えるものにも対応できるようにして、対策を考えていくのが大切だと感じました。その他にも被災物には特別な物だけではなく日用品が多くありました。昨年にも学びましたが、災害はついさっきまで当たり前だったことを奪っていくので日常があることはとても幸せということを改めて学びなおしました。失って初めて気づくことも多いので当たり前のことに対して改めて感謝しました。リアスアーク美術館では過去に学び未来につなげていく、これからの未来を引っ張っていく私たちに最も必要なことを心に刻みつけました。そして現在聞き手の私たちが語り手となるとき、過去の歴史を固定的な観点で伝えるのではなく新しい世代の人にも多様な解釈ができるように情報や経験を伝えていこうと思います。  活動最終日、気仙沼高校との交流をしました。昨年と同じくポスターセッションをしました。今年のテーマは「災害に必要な物・こと」でした。大阪の高校も気仙沼の高校も必要と思うものには多数派や少数派がありました。私たちの班は書き出しもグルーピングもすぐに終わったのでたくさん話すことができました。方言の話や気仙沼の名産やおすすめのお土産の話、学校の行事についての話もできました。今年気仙沼高校では修学旅行で来阪するそうなので教えられることがあって話が弾みました。昨年は積極的に話すことができず、あまり交流できなかったので良かったです。今日会った人で見おぼえがあるけど話をした記憶がない人がたくさんいて、昨年に話しておけばよかったと後悔したのでこれから会う人とはその出会いを大切にしたいです。  昨年のプロジェクトでは実際に見て伝えることの大切さについて学びました。今回のプロジェクトには変化を知りたいという思いで応募しましたが、被災地での変化は現地ではじわじわ、一年越しだと大きく見える程度だとわかりました。そして、被災地の現状についてはこのプロジェクトにかかわらなければ恐らく知ることはなかったと思います。この東北プロジェクトに参加できたのは今まで先生や先輩方が気づいてきた人と人の輪のおかげだと改めて感謝しました。変化を知りたいと思い訪れた東北でしたが、最終的には人とのつながり、絆の大切さを身をもって体感できたと思います。今まではその場だけの関係で終わることが多かったですが、これからは関係をつなげていけるように特に意識して生きていきたいです。そして将来困ったとき、助け合えるようにたくさんの人と関わり、豊かな人間関係を築けるよう努力します。

2年八島
今年度の東北プロジェクトでは抱負であった、コミュニケーションを大事にすることができたと思います。昨年度は語り部さんに聞きたいことを聞くことができず、もやもやとしたまま帰ったこともありました。しかし今年度は自分の思ったことをぶつけることができたように思います。昨年度からの一年間で少しは成長できたのかなと思います。 今年は私たちの住んでいる地域で大きな地震や、西日本全体で豪雨があったりと色々と大変なことがありました。東北で、そのことについて心配してくださる方が多く、人の心の暖かさにたくさん触れることができました。私たちはこの心を忘れずに大阪へ持ち帰り、被害に遭われた方々に伝えなければならないのだと思いました。

2年矢田
私はこの旅行で2つの目標を立てていました。1つは被災者とは誰かという疑問の答えを見つけること。リアスアーク美術館でこの疑問に対応する説明がありました。しかし、それは被災者とは怪我をしたり家や家族、職を失った人々である、と書いてありました。それはあまり私の求めているものではありませんでした。 2つは人との繋がりを深めることでした。昨年知り合った先輩方と話せたり、ホームステイ先で昨年よりも楽しく話せたりしたことで繋がりの深め方を少し学べました。ここでの学びをこれからの人との付き合い方に生かしたいと考えます。 この旅行は昨年とは違った学びがたくさん得られた旅でした。復興の工事のスピードに常に驚かされ、また色々な人の考え方を知ることができました。1つ残念だったのは、津波の被害にあった土地では未だ蝉の鳴き声が聞こえなかったことです。数年後、蝉の声の聞こえる気仙沼を訪れたいです。それも復興の条件の1つであると思うからです。

           
  カモメとも今年が最後か   似合っています!!   山越えも一緒なら楽しいね    
           
    水があると遊びたくなるの   前へ進め!!船長きぶん?   ホヤを捌く。初体験!!    
           
    仲良くなったね!!   毎日新聞の取材中   ひとときのアイス・タイム