■ 学校長の挨拶

平成24年度 3学期 始業式訓辞

大阪府教育センター 附属高等学校
校長 乾   匡

 

 皆さん明けましておめでとうございます。

 昨年は、大和川高校にとって、50周年記念という大きな節目を迎え、今年は大和川高校最後の48期生が卒業するという、さらに大きな節目の年となります。

 3年生にとっては、この学校で、この仲間たちと一緒に学ぶのも、あと数えるばかりのわずかな日数となりました。入学して以来、数々の成長を支えてくれた大和川高校に対して、「ありがとう」の感謝の気持ちを噛みしめながら、1日1日を大切に過ごしてください。
 昨年の暮れに、本を読んでいると、金子みすず記念館の館長さんが書いておられる文章に出くわしました。金子みすずさんといえば、2011年3月11日の東日本大震災以降「こだまでしょうか」という詩で有名になられた方です。
 『「遊ぼう」って言うと「遊ぼう」っていう。・・・「ごめんね」って言うと「ごめんね」って言う。こだまでしょうか、いいえ、誰でも。』という詩です。
 少し読ませてもらいます。
 
 『かつて私たちの周りにいた素敵な大人は、子どもが転んで「痛い」と言ったときに、「痛いねぇ」と言ってくれました。だからその痛さは半分になりました。でも残念なことに二十世紀のある時から、私たちは「こだましない大人」になりました。そして「痛くない」と言うようになりました。このお父さんなら、このお母さんなら愛してくれると思って生まれてきた子どもに、一方的に痛くないと否定し、泣くなと言った時、言われた子どもはどんな思いだったでしょうか。とても切なく、寂しく、悲しい思いの中でそれを言うことができずに、全部自分の器の中に押し込んじゃったんです。その器がいっぱいになったとき、彼らは何をしたかというと、一度その器をひっくり返したんです。それを見た大人は何と言ってきたか。「なんであんないい子があんなことするんだろうね、怖いね」って。全部人のせいにしました。でも、時代や社会を変えたのは子どもではありません。多くの大人が、相手に佇まずに、一方的に自分の言いたい言葉だけをぶつけてきたせいでそうなってしまったことに、私たちはずっと気付かなかったんですね。半世紀以上も埋もれていた金子みすずさんが甦ったのは、もう一度私たちに言葉の大事さを気づかせようとしているからだと思うのです。』
 
 これを読んで、「こだましない大人」という言葉が胸に刺さりました。
 全部人のせいにして、相手に佇まなくなって、世の中、心が貧しい大人が多くなってしまった。そして、こうも書いてありました。
 『皆さんは、自分が口にする言葉を、最初に誰が聞くと思っていますか。相手が聞くもの、相手への伝達道具だと思っているんですね。言葉を最初に聞くのは自分なのですよ。だから、自分を傷つける言葉を言わないようにしようね。優しい言葉、嬉しくなる言葉を沢山言えるようにすることが、心を磨くことなんだよ』と。
 この文章を読んでいるうちに、なぜか自然と涙があふれていました。
 今年一年、優しい言葉を沢山言える大人でいたいと強く思いました。

 今日から3学期が始まります。
  3学期は学年の締めくくりです。3年生は、高校生活もあと僅かになりましたが、残された大和川高校生としての僅かな日々を最後の最後までやりきって下さい。そして、胸を張って卒業式に臨んで欲しいと思います。
 1年生2年生にとっては、進級という節目を迎えます。「今頑張らずに、いつ頑張るんだ」という時期です。
 人が成長するには努力が必要です。努力なしに本物の成長はあり得ない。しかし、努力にはここまでという限りがあるわけではありません。だからそこには「強さ」が求められるのです。だからそこに、尊い価値があるのです。まあいいか、と思う自分との闘いです。妥協せずに、自分を高めるため、成長させるための努力をとことんまでやり尽くして下さい。
 世の中に出て、困難にぶつかった時に活きてくるのは頑張った時間です。歯をぐっと食いしばった時間です。お互い同士、励まし合いながら、もう一段高いところをめざして、全力を尽くして下さい。

   この一年、「自分には厳しく、人には優しく」そんな年にしましょう。がんばろう!


 
 
  以上です。