府工歴史ギャラリー

[08] むかし府工の周りは何もなかった(2)

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昭和12(1937)年の航空写真。大阪市西区江之子島より移転
してきた頃。写真左、南北に産業道路(通称13号線)。府工の北
に東西に延びるのが御陵通。周辺は区画整理で境界の敷石は
あるが一面の野原であった。府工20周年記念誌には、

「百舌鳥が耳に食いついていた鹿は出なくとも、兎や狐でも飛び
出しそうな広漠(こうばく)たる野中、付近には民のかまども賑わ
ってない20年の昔、御陵通の桜並木も美しかった」とある。

 右端が教室のある仮校舎。職員室は本館にあったので、雨の日
など大変で、先生方は傘さしぬかるみに長靴をとられながら、授
業へと仮校舎まで歩いた。現在のテニスコート周辺は、創立前に
畑であったのか、2、3年たってもジャガイモの小さいのがとれた。
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