府工歴史ギャラリー

[65] 戦前の校歌はかなり軍国調だった(1)

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 府工校歌の作詞者は、「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って
行った」で有名な、地元堺の詩人安西冬衛氏である。

 校歌制定は昭和17(1942)年12月8日。太平洋戦争が開
戦してから1年にあたる「大詔渙発一周年記念」の日である。
府工創立が昭和11年だから、約6年間、校歌がなかったこと
になる。写真は武道場で行われた校歌発表会のひとこま。

 戦前の校歌は、当時の世相を反映しバリバリの国粋調で、
戦後しばらくは校歌を歌うことはなかった。昭和24年頃、自治
会(生徒会)が一般生徒より作詞を募集したが、ひとりの応募
者もなく、自治会が安西氏に改作を依頼、一部歌詞を変更し
た現在の校歌が、昭和25年2月の卒業式で発表された。

 このとき安西氏は、「原作が戦争以前に作られた為に、戦争
が終わった今日、その歌詞を改作せなければならなくなった
と云う事は、作詩者としては非常に失点でありました」と述べて
いる。
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