裁判所見学記
大阪地方裁判所の見学・傍聴レポート
2000年12月22日実施(生徒1年生9名・教員2名参加)
2年ぶりに裁判所の見学・傍聴会を実施した。前回を反省し、今回は裁判にもっと
興味を持ってもらおうと、2学期の現代社会の授業で裁判制度や裁判例を扱い、準備
を重ねた。予想に反して希望者が少なかったが、参加者はほぼ全員が面白かったと感
想を述べてくれた。一人でも裁判を通して生きた社会の姿を感じてくれれば大成功で
あると思う。
受付を済ませた後、主に民事事件を扱う大法廷(202号室)で、裁判所の係員から
丁寧な説明を受けた。話によれば、大阪地方裁判所では1日平均50件の刑事事件を
扱う。そのうち傍聴券が必要なのは、1〜2件である。件数の割に裁判官の数はかな
り少なく、200人余りである。このうち2割ほどが女性で、司法の世界にも女性の進
出が進んでいる。司法試験受験者の3割が女性で、今回傍聴した事件の担当弁護士の
一人も女性であった。
一通り裁判の仕組みや刑事裁判の流れの説明があった後、いよいよ裁判の傍聴と
なった。3件の傍聴であるが、刑事裁判の手続きを知ってもらおうとの配慮から新規
の裁判が2件含まれていた。係員の指示に従い、裁判官一人が担当する小法廷に入っ
た。既に裁判が始まっていたこともあって、生徒はかなり緊張した様子であった。中
学校で参加した生徒もいたが、大半は初めての経験である。1件目は、軽トラックの
運転手が老いた女性をはねて死亡させ、業務上過失致死罪で立件された事件である。
現場の状況を撮った多数の写真を被告に見せながら、検察官が「犯罪事実に関する立
証」を行っていた。証拠写真の多さに、生徒は少し驚いていた。1件目がすぐ終わ
り、30分ほど休憩があった後、2件目3件目の裁判が続けてあった。前回もそうで
あったが、被告人が正面右の扉から入廷し傍聴人席に顔を向けると、生徒に緊張が走
るのがわかる。全員が被告人の姿を目で追っていた。2件目は覚せい剤の使用と無銭
飲食の、3件目は覚せい剤使用の裁判であった。共に新件なので、最初の冒頭手続き
から見られた。「起訴状朗読」で、検察官が被告人の犯罪事実を詳細に陳述したり、
「弁護人の弁論」で、弁護士が被告人の生い立ちや更生の決意などを説明すると、余
りの生々しさに度肝を抜かされた生徒もいたようである。後で生徒に感想を聞くと、
再犯を繰り返す被告の前途を憂えたり、量刑が気になり、判決の宣告日にもう一度裁
判所に行きたいというのがあった。女性弁護士の歯切れの良い弁舌に感心する生徒も
いた。全員が大なり小なり裁判に関心を持ったようである。なお、裁判官も好意的
で、1件目の審理が終わった後、傍聴席の生徒に何か聞きたいことはないかと尋ね、
質問には親身に答えていた。これは前回にはなかったことで、少し時間を割いてくれ
たのには恐縮した。
さて、日本人にとって、裁判所は縁遠い存在である。法律に関わる市民的紛争は、
年間700万件余りある。しかし、その内、調停や裁判にかけるのは約1割にすぎな
い。余り権利を問おうとしないのだ。権利を主張することは我儘であるという意識が
強い。あるいは、社会全体がそういう風潮から脱しきれないでいる。本来的に権利と
正義は同義であり、権利を主張することは正義を実現することになるのだが。
アメリカでは、裁判を身近なものとするために、いろいろな努力が払われている。
その一つに裁判所の見学授業がある。この例として、ある新聞に、小学生と裁判所の
所長との約半時間の対話の内容が掲載されていた。なぜ裁判が必要なのかから始ま
り、刑事裁判での明白な証拠の必要性、更には何と無罪と無実の違いまで話は広がっ
ていた。質の高い話の最後を、所長は次の言葉でまとめた。
「皆さん、大きくなったら陪審員を務める時間をぜひ作って下さい。
それは私たちの民主主義の、最も重要な礎の一つなのです。」
陪審をするのはアメリカ市民の義務であり、その必要性が小学生の頃から叩き込ま
れている。こうした風土が、映画の名作『十二人の怒れる男』や『評決』を生み出し
たと言える。この『評決』のラスト・シーンで、次の名言が吐かれた。
「法廷は、正義を発見する場ではありません。正義を発見する場を
市民に与えるところなのです。」
未来の地球市民に、裁判の利用・参加は欠かせない。いろいろな面からの司法教育
の重要性を痛感した一日であった。
(2001.1.5. T.T.)