西欧の場合、「 library college 」という言葉があるように、図書館は大学の中
心であり、図書館あっての大学である。関大の総合図書館は正門を入ってすぐ左にあ
り、キャンパス全体の中央に位置している。地下2階、地上3階建て、蔵書数169万
冊の大図書館である。まさに、「 library college 」と言える。地下は書庫、1階
は研究者用のスペース、2階は学部学生のための学習スペース、3階は自習スペース
となっている。
利用者は先ず機械にIDカード(学生証)を入れ、入館する。多くの蔵
書の中から目的の本を選ぶのは難しく、コンピュータの蔵書検索システム(愛称
KOALA)を利用して、探し出す。2階の開架閲覧室に本が無い場合は、ファックスで
請求を受けた係員が、地下の書庫から自走式図書搬送装置を使って地上に届ける。関
大の図書館に本が無い場合は、CD−ROM検索やオンライン情報検索を利用して国内・
国外の情報源にアクセスし、目的の資料を探す。図書館は、全世界の図書館とつな
がっていると言える。又、KOALAは、館外のパソコンからも検索が可能で、自宅から
も旅先からも利用できる。いつでも、どこからでも、検索が可能で、資料によっては
閲覧が可能である。言わば、「電子図書館」になりつつあり、壁や建物を超えた図書
館が生まれつつある。
関大の図書館は又、従来の本・雑誌・新聞以外に、フィルム・ビデオ・CD−ROMなど
も収集している。文字だけではなく、映像・音響も収集の対象なのだ。新たな分野の
資料の収集が進めば、従来の図書館の枠を超えた図書館が誕生する。博物館や公文書
館、歴史資料館との区別がなくなるのかもしれない。
百科事典によれば、紀元前7世紀頃のアッシリア(現在のイラク)で、図書館の原型
が生まれた。古代のエジプトでは、パピルスの家と呼ばれた図書館が存在した。古代
のローマ市には、30館ほどの公共図書館があった。これらの古代の図書館から、つい
最近のものまで、図書館の収納物と言えば本が中心であった。哲学者・数学者のライ
プニッツ(1646−1716)は、有能な司書であったらしい。蘭学者の青木昆陽(1698−
1769)や探検家の近藤重蔵(1771−1829)は、徳川家康が江戸城内に設置した紅葉山
文庫の書物奉行として活躍したらしい。彼らは本と格闘しながら空想をめぐらし、各
方面で大活躍をした。もし彼らが現在の「電子図書館」を利用できたら、どんな画期
的な業績を残したことだろうか。何れにせよ、今までの本中心とは異なる、新たな図
書館が誕生しつつある。
関大の図書館の年間予算は7億円だとか。継続してとっている雑誌類は約8千冊。
1年間で約6万冊の本や雑誌が増えている。2階や3階には、電卓やワープロが使え
るコーナーやAVコーナー、落ち着いた感じの一般閲覧室や明るいグループ閲覧室な
ど、学習できるスペースが数多くある。机の数で言えば、2千を超える。羨ましい環
境である。普段は約4,5千人の学生が入館するらしい。しかし、本日は空席が目
立った。今日だけの特殊事情かもしれないが、何かもったいない気がした。大学生の
「活字離れ」が予想以上に進行しているのだろうか。
我が校の生徒も例外ではない。読書の苦手な生徒が、確実に増えている。将来の図
書館はどうあるべきなのかを、考えさせられた1日であった。