優 秀 賞 受 賞 

平成10年度「心の輪を広げる体験作文」募集において

本科3年生K.Mさんが優秀賞を受賞

 高等部3年生のK.Mさんが、総理府主催の平成10年度「心の輪を広げる体験作文」募集に応募し、高校・一般部門において優秀賞を受賞しました。
 優秀賞を受賞した作文は、「MY LIFE」という題で、生い立ち、家族との心のふれあい、障害者として理解して欲しいことなどを述べたものです。原文をそのまま掲載していますので、ぜひお読みください。

 
        「MY LIFE」 へ (原文掲載)              

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  「MY LIFE」        K.M 
 

 昭和55年10月26日、京都の病院で私が産まれました。その7分後に妹が産まれました。 
 一卵性双生児で未熟児でした。 
 特に私が産まれたときは血液が必要量の半分しかなく、おばさんに血をもらい、輸血させてもらいました。それでも危険な状態だったので、即入院しました。 
 とにかく助かって、家族、親族は皆「せっかく産まれた生命の火を燃やし続けて欲しい。」と祈る気持ちをいだいてくれました。 
 そして、2ヶ月後に退院。生後1ヶ月後の検診で診断された「中枢性協調障害」という病名に家族は皆、ショックを受けたのです。 
 でも、医者から「ボイター法という訓練を受けるように。」といわれ、そこで3ヶ月間、親子3人で又、入院しました。 
 後で、母は医学書でその病名を調べ、「訓練しないと脳性マヒになる恐れがある。」とあり、不安でたまらなかったそうです。悩んだ母は、実家の母に「育てられる力があるからこそ神様があなたを選ばれて、授かった子供なんだから、頑張るのよ。」と勇気づけられました。 
 退院し、親子3人は母の実家で居候することになりました。 
 その頃、父と祖母は豊中の庄内で父が設立した中華料理店で、家庭や家計を支えるために一生懸命働いていました。そして、1年後に親子3人で庄内に帰ってきました。 
 無事にスクスクと育てられたと思いきや、私が2才の頃に耳が聴こえないということが診断され、家族、親族は皆、前と同じようにショックを受けました。さらに、私が耳が聴こえないという他にも、珍しい特長を持っていた。それは右目だけが青いこと。生まれつきなので仕方が無いと思っています。 
 以前は、そういうことで傷つくようなことを言われて悩んだ時もありました。 
 でも、今は逆に「綺麗な目。透き通るような瞳。」と初めて出会った人にもよく言われます。だから、今は全く気にしていません。 
 聴覚障害者である私は周囲の人達にやって欲しいことは、強いていえば障害者の気持ちを全て理解して普通にさりげなく接して欲しいということです。障害者は、困難な思いをたくさん抱えているから、その痛みを分かって欲しいと思います。 
 「これからどうやって育てたらいいか。」と悩んだ母は、病院の先生から「大阪市内にある聾学校に通わせた方がいい」と勧められて、私は大阪府立生野聾学校幼稚部「ひよこ組」へ入園しました。 
 それで家族は皆、安心しました。 
 さて、幼稚部時代の私は覚えが悪かったけれども、母に叱られても、よく努力して我慢強い子だった。給食をよく食べ、運動会などのお遊戯がとても好きでした。 
 一方、私の双子の妹は、両親が、中華料理店を経営しているため、かまってる余裕がなかったので、近所の保育所に入園しました。 
 その時代は、母にとっても大変な時期だったと思います。なぜならば、私が当時通っていた聾学校幼稚部は家から学校まで1時間ぐらいかかるので、行きも帰りも母が一緒に付き添ってくれました。 
 母は聴こえない私を心配してくれて妹よりもよくかまってくれました。そのうえ、家事、店の手伝いなどで、かなり忙しかったらしいです。 
 そのせいで、母は妹をかまっている暇がなかったので、妹はきっと内心、寂しい思いをしてたと思います。妹は、聴こえない私を気づかっていたのでしょう。妹には「私の為に辛抱してくれて、悪かったな。」と思っています。 
 今、妹との関係はしょっちゅうケンカをしています。気が合う所、気が合わない所があるが性格によって、たまにケンカしたり、仲良くしたりするのがほとんどです。 
 コミュニケーション方法の問題は、幼稚部の頃に基本的に覚えたキュードを使って、話しています。でも、私は今、指文字、手話ばかり使って話しているので、キュードは必要ないと思っています。だから、妹にはキュードばかり使うよりも、指文字、手話を覚えて欲しいと思うが、小さい頃に覚え始めたキュードを使う癖があるのです。でも、家族の中で一番、話が通じやすいのは妹です。 
 小学校低学年時代は、遠足での石拾いで、皆より大きな石を持ち帰って、同級生、先生までビックリさせたことが印象に残っています。しかも、イタズラ好きでやんちゃな子供で、先生によく叱られてばかりでした。幼稚部から変わらず行動的でした。 
 小学校高学年時代は、物心ついた頃でした。 
 友達に仲間外れにされたりして、初めて辛い思いを経験しました。体も丸みを帯び、女らしい性格でした。 
 中学時代は、自分自身に目覚め、敏感に感じ始めた頃でした。 
 特に友達、家族との関係でかなりストレスがたまり、精神的に参ってしまい、我慢の日々が続いた時もありました。消極的なところもあったが、たまにはオーバーな行動をとってしまう性格でした。 
 高校時代は、中学時代と180度変わりました。 
 色々な先輩、他校から入学した同級生との出会い、人間関係が前よりスムーズにいき、よく遊び、社会経験と思って、アルバイトもしました。 
 それで積極的になるように、ぼつぼつ努力をしました。勉強はイマイチで活発で感情が激しい性格でした。 
 今思えば、特に中学・高校時代は思春期でもあり、自己嫌悪に陥ったときもありました。ときには、友達とお互いに傷つけたり、傷つけられたときも何回かありました。それを乗り越え、友情という言葉の本当の意味がつくづく分かってきました。そして両親と私の考えが一致できず、ワガママを言ったり、反抗してばっかりでした。自分の思い通りにしたくてもなかなかできない。そこで、現実の厳しさを肌で感じました。 
 これからは、高校卒業して、社会に出て独立します。進路は自分自身にとって重要な選択です。将来は何になるか、慎重に考えるべきです。中途半端な気持ちで、これになってもいいや、と選択したら、後で後悔してしまうはずです。だけど、自分のやりたいことに向かって、頑張っていけば、それが自分の生きがいになると思います。 
 今、私の夢は、短大に入って、2年間色々学び、技能を身につけ、自立したしっかりとした女性になることです。 
 そして、健聴者の友達を一杯作りたい。 
 私は、今まで聾学校で育てられたせいか、あまり健聴者とつきあう機会は少なかったので、「うまくつきあっていけるか。」と不安はあります。 
 健聴者とのコミュニケーションは結構、難しいと思うけれど、私は健聴者と同じ人間として、自分に自信を持ち、積極的に関わり、視野を広めたいと思っています。 
 耳が聴こえない人達にとってかけがえのないものは、手話、指文字、キュードなど色々あります。それは聴覚障害者にとって大変役立つものです。それは口話より豊かな表現力があるので、理解しやすいし、もし、この世になかったらとは、考えられないほどです。 それと、TVに全て文字放送をつけて欲しいことです。たとえば、ドラマなどで誰かが話しているセリフが全く分からないので、気になって仕方がないと思うときもしょっちゅうあります。 
 その要望はぜいたくだと思われますが、できる限り、協力して頂きたいと思います。 
「MY LIFE」は、全体的にいえば、今まで悪戦苦闘しながら、傷ついた分、悩んだ分、心も成長し、精神力がかなり鍛えられたと思います。それが貴重な経験となりました。「耳が聴こえない。」そういうことで、困難な思いが何回かありました。そのハンディを背負いながら、家族、親族、そして先生や友人、知人が、私の命と気持ちを支えてくれたからこそ、今の私がいます。 
 皆には、言葉で言い表されないほど、心底感謝しています。 

 

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募集要項(抜粋)
 
 
「心の輪を広げる体験作文」及び「障害者の日のポスター」の募集

 障害のある人とない人が、学校や社会生活、社会活動のなかで、相互に心のふれあいの体験を通じて学んだことや、感じたこと、あるいは社会に訴えたいこと等を内容とする「心の輪を広げる体験作文」、及び、障害のある人に対する理解の促進等に資する内容の「障害者の日のポスター」を、次の要領で募集します。 

1.心の輪を広げる体験作文 

(1)募集テーマ 

出会い、ふれあい、心の輪ー学校、職場、地域でのあなたの体験を広げようー 
(2)応募資格 
小学生以上(盲学校、聾学校及び養護学校の小学部、中学部及び高等部の児童生徒を含む) 
(3)応募方法 
@募集は、小学生、中学生、高校生・一般市民の3部門に区分する。 
A原則として400字詰原稿用紙(B4版縦書き)を用い、小学生、中学生は2〜4枚程度、 高等部・一般市民は5〜8枚程度。 
B略 
(4)表 彰 
@3部門ごとに最優秀作品(1編)に障害者施策推進本部長(内閣総理大臣)賞及び後援団体から副賞(5万円相当)、優秀作品(3編)に同副本部長(内閣官房長官)賞、佳作作品(5編)に記念品を贈呈。 
A略 
2.障害者の日のポスター 略 

3.応募期間   平成10年7月3日(金)から9月8日(火)まで。 

4.応募先    略 

5.その他    略 

6.主 催 

総理府障害者施策推進本部及び都道府県・指定都市 
7.後 援 
NHK厚生文化事業団、朝日新聞厚生文化事業団、毎日新聞社会事業団、読売光と愛の事業団、全国社会福祉協議会、国際障害者年記念ナイスハート基金、日本障害者リハビリテーション協会。
 

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