府工歴史ギャラリー
[12] むかし府工のグラウンドはかなり荒れていた
| ||||||
現在のテニスコート付近。白い溝みたいなのが学校の南端。塀はなく 自由に出入りができた。多くの人が「やたらでかい」と感じたグラウンド は約1万坪。創立の頃は、荒れ地と言っていい未整備の状態で、教師 も生徒も放課後は整地作業に精を出した。 整地は府工の敷地南端に、長さ20m、幅5m、深さ1mの大きな穴を 掘り、この土をグラウンドに敷き詰めるというもの。しかし、いったん雨 が降れば大きな池のようになり、生徒達はこれを「クリーク」と呼び、石 を投げ友人同士で水のかけあいっこを楽しんだ。たまった水は手押し ポンプでくみ出したが、せっかく排水しても翌日雨になれば「クリーク」 に戻っていた。 昭和12(1937)年頃。仕上工場や鍛工場、溶解工場などが建設中。 | ||||||
[BACK] [INDEX] [NEXT] |