美原高校の歴史①【高校誘致への熱い思い】

かつて、美原町には黒山高等学校(現 登美丘高等学校)と農芸高等学校の2校がありました。しかし、黒山高等学校は昭和27年に南海高野線北野田駅の南西に木造校舎が完成するとともに、校名を大阪府立登美丘高等学校と改め移転しました。
そして、黒山高等学校の移転から20年の歳月を経て、昭和47年「美原町に普通科高校を」との機運が高まり、高校誘致に向けた動きが本格化することになりました。建設用地については、美原町の中心で景観・環境とも恵まれた通称 八幡山南部丘陵地帯に決定され、地元の方々の協力のもと当初は昭和49年開校に向けて順調に進んでいました。
ところが、この建設予定地内に文化的な遺産が埋もれている可能性が高いとの指摘が、文化財保護課に寄せられたことから発掘調査が開始されることになり、開校が遅れることになりました。