三学期始業式(式辞)

式辞のテーマは「どうなるか、ではなく、どうするか」

令和2年度三学期 始業式 式辞

 新年おめでとうございます。校長の山本です。短い休暇期間でしたが、大きな事故の報告もなくほっとしています。

 いきなり余談ですが、冬休みに私も「鬼滅の刃」を見に行って感動していました。一番好きなのは、やっぱり水柱のトミオカさんです、名前がいいです。だけど今回、煉獄さんのお母さんのファンになりました、お母さんが「強く優しい子の母になれて幸せでした」と言っていたのが、登美丘の育成生徒像と同じでしびれました。

 さて、2021年、新しい年が始まりました。始まりましたが、大みそかには東京で1300人を超える感染者が確認され、首都圏で2度目の緊急事態宣言が発出される予定など、今年も変わらず、コロナとの闘いは続きます。昨年も登美丘高校生、この危機の中で、休業も繰り返しながら、学習や行事、部活動を頑張りました、いよいよ今年度も後3か月、いや、授業でいうと3年生はもう高校生活は後数週間になりますが、最後の行事の卒業式、なにより大学などの受験本番、2年生は、関西満喫・修学旅行、そしてまだ見ぬ後輩、新一年生・72期生を受け入れる高校受験が始まります。年度のクライマックス、ひとつも外せない、学校のそして人生のイベントが続く3か月です。

 そこで私たちはどういう心構えでこの3か月を挑むべきか、提案したいと思います。キーワードは「どうなるか、ではなく、どうするか」です。

 終業式の時にも話しましたが、登美高生の非認知能力、つまり生きる力、自己認知の点数がもっとも高いのは「ルールや決まり事を意識できる」力、一方で平均値が一番低く、つけるべきと思われるのが「落ち込むようなことがあってもすぐに気持ちを切り替えられる」力、一般的にはレジリエンス・回復力と言われる力です。回復力をつける時に必要とされる一つに「当事者意識」というものがあります。「当事者として自分はどうするか」と考える力です。もちろん「自分さえ良かったらいい」ということとは違います。

 ひょっとしたらこの3か月、修学旅行がなくなることがあるかも知れません。卒業式がないまま卒業かもしれません、受験の仕組みもこのぎりぎりで大きく変わるかもしれません。ましてや、志村けんさんのように、自分にとってかけがえのない方がいなくなってしまうかもしれません。それでもなお、自分は、自分の人生を経営するために「どうするか、どうふるまうか」を考える事が、将来の自分の人生にとって必要なことだと思います。世の中どうなるだろう、修学旅行、どうなるだろうという時に「そういう時、自分はどうしよう、どういう自分でいよう、そもそも自分はどういう自分でいたかったか」と考えて行動してほしいと思います。何回か言っていますが、そういう時に人間の値打ちが出るというか、「あいつは、ほんまはこういう子やで」となりますので、「どうなるかではなくどうするか、どうふるまうか」を考える事、お薦めです。また、回復力をつける時に必要とされるもう一つに「楽観性」というのもあります。今年もとんでもないことはいくつも起こると思いますが、自分事として頑張っていれば「なんとかなります」しんどい時代、しんどいことは「いつか終わります」ので、未来を信じていきましょう。

 もう一つ、これも終業式で言いましたが、今年から登美丘高校はどうするか、の一つに「さん付け奨励」がありますので、今日から君(くん)でなくさんの呼称、頑張って参ります。よろしくお願いします。

 では今年一年、「嵐が一旦去った後には虹が出る」事を祈りまして、始業式の言葉とします。

楽観的に当事者意識を持って、3学期を走り抜けましょう。