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懐かしい母校、恩師、旧友 | 27期 松下 達男 | ||||||||
拝啓 晩秋の候、南国、鹿児島も冷え込みが冬らしくなって参りましたが其の後お変わりございませんか。 数十年振りの大阪行楽を満喫して鹿児島へ帰りましたが、先日は北辰会報、文集等を送付いただき有難うございました。 卒業以来、40数年振りの母校の綴られた情報にどれを先にとむさぼり読みましたが、当時の想い出や級友の名前に接し、おぼろげに浮かんで来ました。 今、振り返ると在校時には気づかなかった同窓生の向学心や何物にも変え難い貴重な経験が蘇ってきます。其の努力は其々の指針となり人生の活躍の場が築かれたことと想います。 中でも悲しい情報は担任であった河内先生が昨年、お亡くなりになった事を聞きました。これまでお会いする機会を逸し、ただただ残念でなりません。恩師に対する愛着、感情は皆が共有し私だけのものとは思っておりませんが、特に昭和41年の3年(組は不明)担任時の河内先生のご恩を忘れることは出来ません。 私は3年生当時、勤務先の昇任試験(合格者は1年間の研修)を受験するため放課後、特に河内先生に数学の個別指導をお願いして幸いにも合格できました。 その結果、1年間、休学する事になり、研修終了後は再び4年生に復学し43年に卒業できました。当時、河内先生から私に対するメーセージを「天才は世界を創る、努力家は世界を動かす」君は後者である。それは「他の人は1を教えたら10を悟るが、君は10まで教えてやっと1を知る」また、次のようなことも書き残していただきました。「健全な精神は健全な身体に宿る」とも。 生活指導の面でも、職員室で私がポケットに手を突っ込んで河内先生に話しかけたら注意されたことを思い出します。其の時、濃厚な先生から注意を受けたことに、いささか反発心もあったと思われるが今日ではあの時の態度を「すみません」と素直に反省できる歳になりました。 40数年の間に幾度、灯りの点いた教室や運動場、卒業式等の諸行事を覗いてみたいと思っていましたが河内先生とも最早、会うことが適わず定時制も閉課程となった今、悔やまれてなりません。 遅まきながら、母校に対する慕情を北辰会報等で受け繋いでいければと思っております。北辰会長を始めお世話していただく役員の方々、同窓の架け橋としてご尽力くだされるようにお願い申し上げます。 僭越ながら北辰会同窓生のご健勝とご活躍を遠い鹿児島からご祈念申し上げます。 敬具
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