府工歴史ギャラリー

[05] 初代校長小山平治先生(2)

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(1)に続いて、再び小山先生について。先生の方針により、創立当初の
府工では定期試験がなかった。これを伝えた記事(大阪朝日新聞・昭和
11年5/12付)を以下に紹介する。 

 学期試験も止め 府立第五職工学校まづ 明朗教育に口火
学生諸君よ!喜べ!あの憂鬱(ゆううつ)な学期・学期の「点取り試験」が
なくなるぞ!
・・・(中略)・・・ 
 府立第五職工学校長小山平治氏は居合わせた山本、奥野両視学(今
の教育委員会)に対し、「当校では本年度より従来の形式的な学期試験
や生徒の採点などは一切行わぬことにしたから左様御承知願いたい」と
申し出てアット驚かせた。同校は商工都にふさわしい応用化学専門の
工業校として本年4月開校の運びとなり・・・(中略)・・・同校長の意見では
「今日の教育はもはや点数によって決めるべきでなく、授業の理解程度
プラス全人格で進級、卒業を決定すべきで、徒(いたず)らなる点取競争
や教科書の丸暗記教育は断固廃すべきである」
・・・(中略)・・・
 「4点は落第だが5点ならまあ及第といった式のもので、及第をこんな不
確実な点数ではかることは情けないことです、私にいはしむれば5点でも
6点でも不完全なものはみんな落第です、(中略)、そこで当校では断然
試験制度を廃します、その代わり学科も人格も満点だと校長が責任を持
てるものをどんどん卒業させるのです、なほこれは私の学校一校のみで
なく大いに各方面の賛否を訊(たずね)うた上で、府下の全中等学校が揃
って試験廃止を断行されんことを望んでいます」

 いつの頃からか本校では試験制度が始まったが、理想に燃える府工創
設時代を物語る話である。 
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