府工歴史ギャラリー

[44] 府工剣道部の達人が揃い踏み

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 昭和13(1938)年夏頃。報国団剣道班の先生方。

 剣道は軍国主義へと進む当時の風潮もあり、特に盛んであった。
「柔道は骨折すると技術習得に影響する」との初代校長小山先生
の方針で、剣道が正課となった。小山先生は佐賀県出身で、特に
剣道に理解あつく、初代剣道教師を迎えるため、わざわざ京都の
「大日本武徳会武道専門学校」までいかれた。その初代教師が
専門学校を首席で卒業された石川大治先生(前列左)。

 戦後、日本を占領していたアメリカの方針で、「戦い」につながる
「武道」は禁止。府工でも戦前多くの班員達が使ってきた防具、竹
刀等がグラウンドで焼かれてしまった。
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