府工歴史ギャラリー

[45] 剣道教師 石川大治先生

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 昭和13(1938)年頃。第一化学工業科2期生の生徒と剣道教師石川大治先生。
生徒達は今でいう中学2年、現在の年齢は75歳前後。後列右端の生徒は「週番」の
腕章をつけている。週番はクラスのあらゆる仕事を兼任し、「日直」「委員長」「体育委
員」「文化委員」などすべてを担当。1週間を無事終えると、ほっとしたという。

 初代小山校長の方針で剣道が必修科目で、京都の武道専門学校出身の若き石川
大治先生が指導。当時の生徒の証言では「東北人特有の重厚な風格で堂々たる剛
健の偉丈夫」だった石川先生は、昭和13年4月からわずか1年間の勤務であった。
しかし、先生の入営(軍隊にはいること)を祝し、「壮行剣道朝稽古」が11月に2週間
開かれ、毎朝7時開始にもかかわらず、常時百数十名もの参加があったという。

 石川先生は、太平洋戦争日米の激戦地のひとつ、ガダルカナル島にて戦死する。
日本軍は昭和17(1942)年1月にソロモン諸島占領、同年8月7日米軍がガダルカ
ナル島に上陸、日本軍の猛攻撃に応戦。ジャングルでの激戦の末、43年2月7日、
日本軍は2万余の戦死傷者を出して島から撤退する。このとき、当局は「撤退」という
マイナスイメージの言葉を使わず「転進である」と国内で発表したことは有名。

 写真で生徒に囲まれ軽く微笑んでいる先生の顔をみると、生きて日本に帰り生徒と
剣道することができなくなったガダルカナルでの最期の瞬間、石川先生はどんな気持
ちだったのだろうか。
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