余 野 十 三 仏
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学校の現在のグラウンドのすぐ近く、水路 のほとりに立つ石仏。余野には石仏が非常に 多いのですが、これはその中でも最も有名な ものの1つです。 |
『村誌』『町史』によると、いまの遊仙寺 は江戸初期までは「遊川寺」あるいは「涌川 寺」という名で、この十三仏のある場所にあっ たとのことです。 |
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表に20体、裏に20体、合計40体の小 さな仏さんが刻まれています。なのになぜ 「十三仏」と呼ぶのかですが、これが立てら れている場所=もとの遊川寺の地名(小字) が「十三仏」だからなのですが、ホントはこ れでは説明になっていません。ここにも謎が あるというわけです。 |
もう一つ。刻まれている銘によると、この 石仏が作られたのは「永禄七年」(1564) ですが、実はこの年は、この余野の地でキリ スト教の布教が行われた年でもあるのです。 |
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