府工歴史ギャラリー
[36] むかし府工にグライダー部があった
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報国団滑空班と2号機。昭和19(1944)年頃と思われる。背景に校 歌にもある「白亜の校舎」が光り輝いている。しかし、この校舎も空襲 の被害を防ぐために迷彩色を施され、雨にとけた塗料で黒ずんだ校舎 になってしまった。 滑空班、今でいう「グライダー部」。昭和16(1941)年に1号機が府 工に導入された。しかし、その年の体育祭当日、グラウンドでの模範 演技で班員が機体の曳行索(ロープ)をひっぱたとき、操縦士が誤って レバーを引いてしまい、2mぐらい浮いて鉄棒に激突。機体は大破して しまった。長い間機体の使えない状態が続いたが、生徒有志が必死に お金を集めて2号機「B-2862」を800円で購入した。 府工1期生で、滑空班教官の南賢八先生は、記録によれば昭和20 (1945)年8月まで勤務されたが、出征後、特攻出撃で戦死された。 出征から終戦までわずか2週間。22歳の若さであった。 | ||||||
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